ジョジョ 六部。 ジョジョシリーズ最高の問題作?第6部ストーンオーシャンアニメ化はあるか?主人公やラスボス、DIOとの関係も…

ジョジョ6部(ストーンオーシャン)のアニメはいつ放送?前作との期間を比較すると予想できた

ジョジョ 六部

1986年 昭和61年 に週刊少年ジャンプで連載を開始して以降、現在の「ジョジョリオン」 第8部相当 に至るまで長期シリーズ化されている人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズ。 2012年にはTOKYO MXなどでテレビアニメが放映され、漫画以外の新たなアニメファンも獲得してその勢いはとどまる事を知らないといってもいいレジェンド作品となっています。 現時点で4thシーズン「黄金の風」 原作では5部にあたる までが製作されているジョジョシリーズにおいて、ファンが最も気になるのはこの後の動向、ズバリ第6部相当にあたる5thシーズン「ストーンオーシャン」が放映されるか否かという点なのではないでしょうか。 そこでここでは「ストーンオーシャン」アニメ化の有無、さらにストーンオーシャンのストーリーやキャラクターに関する魅力や作品への個人的感想などを、連載開始時からリアルタイムで追ってきたいちファンとしての視点から述べてみたいと思います。 まずは「ストーンオーシャン」の「黄金の風」に続くテレビアニメ化があるのか?? という部分なのですが、これはかなりの高確率で「ある」と言っていいと思います。 いや断言してもいいかもしれません。 その答えは「ジョジョの奇妙な冒険」アニメシリーズの記念すべき1stシーズンのオープニング冒頭で明示されています。 そう、富永TOMMY弘明さんの歌う「ジョジョ~その血の運命~」の冒頭部分です。 ジョジョの歴代主人公の雄姿から始まるこのOP曲、第6部ストーンオーシャンの空条徐倫 くうじょうジョリーン から5部黄金の風のジョルノ・ジョバァーナ、そして4部、3部、2部、最後に1部ジョナサン・ジョースターと歴代主人公が順次登場するという粋な演出がなされているのです。 ここに答えが既に明かされているというわけです。 少なくともこの時点で6部までのアニメ化は間違いなく視野に入っていたという事でしょう。 そして既に5部…ここまできたら6部をやらねばファンが暴動を起こしかねません 笑 原作ジョジョファンならばよくご存じのように、ジョジョシリーズの中でもこの6部「ストーンオーシャン」はジョジョの血統的な流れ、いや世界の…いや宇宙の歴史におけるとても大きな一つの区切りの部となります。 この6部を端折ったら5部までの物語が無駄になってしまう…それ程ジョジョの奇妙な冒険という叙事詩にとって大きなクライマックスとなる部こそがこの「ストーンオーシャン」なのです。 というわけで第6部「ストーンオーシャン」がアニメ化される可能性はかなり高いといえるでしょう。 安心していいと思います。 ジョジョ6部主役は承太郎の娘でシリーズ初の女性主人公・空条徐倫 くうじょうジョリーン 「ジョジョの奇妙な冒険」はシリーズごとに主人公や時代設定、物語の舞台となる地域設定を変えてストーリーが繰り広げられるというのはファンの皆様はよくご存じの事でしょう。 各部主人公は第1部主人公であるジョナサン・ジョースターに連なるジョースター家の血統を持つという共通点があり、それこそがジョジョシリーズの重要なアイデンティティの一つとなっています。 何と彼はジョースター家の宿敵であるディオ・ブランドーの子という血筋だったのです。 確かにDIOはジョナサンの体を乗っ取っていたのでそういう意味ではジョースターの血統という解釈もできるのですが、それにしてもジョナサンの直系の血を引くそれまでの主人公に比べると超異色キャラだったというのは間違いありません。 そういう意味で第5部「黄金の風」はある種ジョジョシリーズの中でもスピンオフ作品的意味合いの強い部ともいえるかもしれません 個人的には一番好きな部ですが。 そんな「黄金の風」の次作となったこの「ストーンオーシャン」ですが、一転して主人公はジョナサンの孫であるジョセフ・ジョースターのさらに孫となる空条承太郎の娘 ジョセフのひ孫 である 空条徐倫 くうじょうジョリーン を主人公に据えて来ました。 ジョースター家の正統血統に戻ったというわけですね。 そして特筆すべき点がもう一つ、空条徐倫はジョジョシリーズ全8部中唯一の女性主人公という点もこの「ストーンオーシャン」の大きな特徴となります。 第5部までのジョジョシリーズでは主人公サイドの女性キャラというのが非常に少なかったというのもファンなら周知の事実でしょう。 主人公の味方である主要キャラ 波紋使い・スタンド能力者 では第2部「戦闘潮流」のリサリサと第5部のトリッシュ・ウナくらいのものです。 しかしこの6部「ストーンオーシャン」では主人公・ジョリーンの他にもエルメェス・コステロやフー・ファイターズ 通称:FF といった女性キャラがジョリーンとともに敵に立ち向かう主要登場人物として登場してくることとなっています。 個性豊かな主人公達女性キャラの活躍で新たなファン層を切り開いたといっていい作品であり、アニメ化で更なるファン開拓が期待できるシリーズともいえるでしょう。 各キャラクターのヘアスタイルやファッションも非常に個性的で、欧米など海外のコスプレイヤーにも人気のある部ですね。 6部の舞台は第2部以来となるアメリカ! フロリダ州刑務所内で繰り広げられるスタンドバトル 先ほど、物語の舞台となる地域や国が部ごとに違っているのもジョジョシリーズの大きな特徴と書きましたが、そちらについても触れておきましょう。 ズバリ、第6部の舞台となる国はアメリカ。 物語の大半はフロリダ州にあるグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所が舞台となります。 物語の舞台が刑務所?? と意外に思われる人もいらっしゃるでしょうが、というのもストーンオーシャン主人公である空条徐倫は無実の罪を着せられて有罪となりこの刑務所に収監されてしまうという設定となっているからです。 そこで出会う人物たちと仲間となったり戦ったりというのが基本的な展開です。 ジョジョの各シリーズといえば、物語が非常に狭い範囲 地域内 で展開される密室ドラマ的な部 4部や8部等 と、各地を旅しながら展開するロードムービー的な部 2部・3部・5部・7部等 とに二分化されているのも大きな特徴ですが、その意味ではこのストーンオーシャンは刑務所内という非常に狭い範囲で大半のストーリーが展開されるという前者に分類されると思います ストーリー後半はロードムービー的展開となりますが…。 皆さんはどちらの展開がお好みでしょうか。 …第5部、終わっちゃいましたね〜。 私もりぞっとさんのご意見と同じです。 第1部のOP冒頭+世界観としての区切りの点から6部アリ!に1票です。 逆に7部以降は厳しいかと考えております。 原作は第1話 その前のバオー来訪者から から拝読していましたが…実は4部で一度断念しました。 5部で再度ハマって、また6部でフェードアウト!いずれも後半が素晴らしいのに我ながら観る目がないと痛感しております。 苦笑 「魔少年ビーティ」も週刊少年ジャンプだったのですね。 私はちょうどバオーの頃がジャンプデビュー? 笑 でした。 きっかけは当時空前のヒット作「北斗の拳」の載っていたジャンプをクラスメイトが学校に持って来ていたことからですね。 私も最初の頃は「北斗の拳」目当てで読み始めていました。 ちょうど先日、NHKでラオウを取り上げた番組を観ておりました。 久しぶりに原作の素晴らしさとアニメ版の作画のクオリティ…の落差に当時もがっかりした事を思い出しました。

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【ジョジョ】6部のラストで承太郎は仗助を連れて行かなかったの?

ジョジョ 六部

最後の結末まで書くので、荒木飛呂彦著『ジョジョの奇妙な冒険 〜ストーン・オーシ ャン〜(ジョジョシリーズ第六部)』、まだ読んでない人はこの日記の続きを読まないで下さい。 「むしろ、何で今まで私はスレ立てなかったんだろう」と思うくらい、こんなスレッドを待ってました!!そこで、ジョジョ好きとしてはー、まことに僭越ながらー、日記の方にもー、そこに書いた長文コメントを残しておきたく思いー、今これを書いているのであります。 ではここから、書き込みを加筆修正してお送りします。 (6部、得票数2%でダントツの最下位) さて、なぜこのラストが感動か、ということを今ここで、きちんと検証してみたいと思います。 なんで号泣かっていったら、エンポリオと神父の最後の戦い、そしてその勝利は、エンポリオが一人で戦って、一人で生き残ったわけじゃないからです。 神父の理想は、このように『明日が分からない人間だからこそ』の苦しみ、喜びを否定する、アンチ人間讃歌なわけです) こんなセリフやシーンを思い出してみてください・・・ 「ひとりで行くのよエンポリオ」 「あんたを逃がすのはアナスイであり・・・・エルメェスであり あたしの父さん 空条承太郎・・・ 生きのびるのよ あんたは『希望』!!!」(もちろんジョリーンでもあるのですよ!) 「ウェザーがおまえに殺される時DISKにして取り出したウェザー・リポートの能力!!徐倫おねえちゃんがぼくに持っててくれって授けてくれたDISKだァァーーーッ」(この時、エンポリオの後ろには徐倫とウェザーの顔) (ウェザーのDISKが出て来た時のエンポリオのカット最高です。 表情がもう『今までのエンポリオ』じゃないよね?『皆の意志を受け継いだエンポリオ』なんです。 ) ちなみに数コマ前までこんなへたれ顔です。 この顔はいくらなんでも・・、荒木さん! (ジョジョ第6部ってトビっぷりが漂流教室にちょっと似てると思う) 気を取り直して、 「ぼくの意志じゃあない」 「ウェザーの眠っていた能力だ」 もういっちょ、代理人として重要なセリフ。 「わからないのか?」 「おまえは『運命』に負けたんだ!『正義の道』を歩む事こそ『運命』なんだ!!」 (このセリフなんか、完全にジョジョでしょ?) そして最後の 「エンポリオです・・・」 「エンポリオ」 「ぼくの名前は・・・ 「ぼくの名前はエンポリオです」 は、唯一名前の変わってないエンポリオ=この状況が『自分たち』の勝利の証だと唯一知っているエンポリオという意味だと思います。 このパラレルワールドで普通に続いている『日常』、一見『ささやかに見える幸せ』は、ジョースター家、人間讃歌の勝利の証なのだと、涙が止まらないエンポリオ・・・ この涙の意味について、他の方のコメントツッコミが入ったので、さらに追記すると、勿論、もう一度、パラレルワールドといえど幸せな日々を生きる『仲間達』に再会出来たこと、しかし、彼等は同時に『別人』でもあり、元の世界の仲間にはもう会えない事、などで泣いたというのもあるでしょう。 そんな、多層的な想いの波が一気に吹き出して、エンポリオは泣きながら、でもけして、そういう心の動きのほうは語らずに、「ぼくの名前はエンポリオです」と言う。 勿論、「この人たちはぼくの事を知らないんだ」っていう哀しさも入ってると思う。 「ぼくを知らないことは、悲しいけど、勝利の証でもあり、うれしい、でもそんなこと言っても分からないんだ」から、ただ泣きながら名乗るしかない。 この構図の説得力ときたらねえですよ! しかもアイリンたちはただ、そんなエンポリオに怪訝な顔をしている。 アイリンたちの世界が『普通』であることの『価値』を、知る由もないからです。 その無意識で無垢な平和さと、一人で高ぶっているエンポリオ、というこの温度差が、この世界は『普通』であることを強調し、あの死闘はこの尊い『普通』のためにあったのだ、という鮮やかな結末。 ジョジョの本分は、ハデな超能力格闘でも、スリリングな知恵合戦でもない、人間讃歌なんだよ、ていうことに対して、非常に美しいオトシマエである。 そしてラストシーンは雨の中走るアイリンたちの車。 すべてが始まった、あのジョリーンが事故った時と同じ。 でももう神父はいないし、あの事故は起こらない。 エルメェスの姉も生きている。 運命は変わっている。 そして風景の中に浮かび上がる、この『勝利』のために散っていった勇者たちの顔。 ストーン・オーシャン 完 いや、これは号泣するしかないでしょ!!!! ジョジョはどの部も大好きだし、それぞれに強い魅力があります。 とくに娯楽的な要素とかで言ったら、そりゃ他の部に投票する人の気持ちも十分わかりますし、他の部も、十分「深い」し、「哲学」があります。 でも、何度もいうけど、このシリーズに、他の「タダ面白い」漫画作品と一線を画すだけの、「教養の深さ」「器のデカさ」を与えたのは、第六部だと思うんです。 以上、思う存分語らせて頂きました。 読んでくれた方、トピ立ててくれたバレッタさん、ありがとうございました。 ---------------------------------------------- 以上です。 気付いた方もいるかもしれないけど、スキャナないので、画像全部、単行本片手で抑えて片手でカメラ持って、角度とかうまくいかなかったりして・・、ぶれちゃったりして・・、深夜に一人で・・、見開きのページはむずい・・四苦八苦しながら撮りました今年23歳女子。 ていうか今午前5時な。 寝る前にシャワーあびなきゃ・・。 エンポリオです・・・ エンポリオ ぼくの名前は・・・ ぼくの名前はエンポリオです!!! みなさん、おやすみなさい。

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ジョジョシリーズ最高の問題作?第6部ストーンオーシャンアニメ化はあるか?主人公やラスボス、DIOとの関係も…

ジョジョ 六部

ビッグデータから見る六部の評価 ジョジョ六部への評価に関する 客観的なデータとして まずご覧いただきたいのが 2018年8月14日にて実施された ファン参加型イベント ジョジョサピエンスの 「ジョジョで一番好きな部は? 」 という質問に対する回答データです。 このアンケートでは 1万7000件ものリソースをもとに 結果を算出しているため ファン全体の傾向を知る上では 現状最も信頼できるデータであると言えます。 実を言うと、六部が抱える この 「意味不明」という問題は 五部以前ですでにその片鱗が表れているように思えます。 例えばスタンドの複雑化という意味であれば 四部のバイツァ・ダストの時点ですでに 「非スタンド使いに取り憑く」、 「吉良の正体を探られると起動する」 「時を巻き戻す」、「時を巻き戻した時間になると 吉良の正体を探った人間を爆破する」 といったようにかなり説明に苦労する 複雑な能力となっていますし、 続く五部ではキング・クリムゾンや チャリオッツ・レクイエム、 ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムなど さらに難解な能力が多数登場しています。 そして六部ではそうした ある種読者を置いてきぼりにするような ジョジョの悪い面が これまで以上に顕著化してしまい、 結果として多くの読者が 話についていけなくなって しまったように思えるのです。 ジョンガリ・A戦〜最序盤の重要なバトルなのに意味不明すぎる迷バトル〜 六部不人気の理由を 能力の複雑化が原因と仮定した上で 今度はその実例を取り上げてみましょう。 荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第六部 2巻』集英社 より引用 さて、六部既読者のみなさまは この人物を覚えていますでしょうか。 彼の名前は ジョンガリ・A。 かつてDIOに仕えていた狂信者であり、 徐倫が承太郎と初の脱獄を試みる 六部最序盤 コミックスでいうと2巻 に登場した敵スタンド使いです。 このジョンガリ・Aとのバトルは その後の物語の方向性を決める ある意味ターニングポイント とも呼べる重要な回だったのですが、 しかし哀しいかな、このバトルは 何度読んでも本当に意味不明なのです。 まずジョンガリ・Aの能力自体は 本体の持つライフルと気流を読むスタンド マンハッタン・トランスファーによる 正確な射撃という比較的オーソドックスなものです。 このバトルを必要以上に 複雑で難解なものにした原因は ジョンガリ・Aの背後に隠れていた 六部の黒幕、ホワイト・スネイクの ある能力にこそありました。 その能力とは 対象を眠らせて幻覚を見せ、 眠っている間にその肉体を 徐々に溶かすという一種の幻覚能力。 こうした凝った見せ方が悪いとは言いませんが この回に限ってはその仕掛けが面白さよりも 意味不明さを増す方向にばかり 働いてしまっていましたし、 なにより六部も始まったばかりなのに こんな難解度「超スゴイ」レベルの 厄介なお話を描いてしまって、 六部から読み始めた新規読者が これで一気に離れてしまったんじゃないかと 余計な心配をしてしまったものでした。 スタンドバトルの勝ち負けに納得感がない 先の段落でジョンガリ・A戦を 取り上げましたが、この回に限らず 六部への批判意見の中には スタンドバトル全般に対する批判が少なくありません。 それら批判内容をさらに詳しく見ると… ・スタンド能力が複雑化しすぎ ・勝敗の理由に納得できない ・超理論が多すぎてついていけない ・過去作との能力のアイディアかぶり などなど。 こうした複数の要因が積み重なった末に 「六部は意味不明」という共通了解が 醸成されていったのでしょう。 思い返せば私も六部には 何度読み返しても 「理解不能」なバトルが いくつかありました。 それは例えば次のとある一戦です。 徐倫vsミューミュー 新しい出来事を3つまでしか 記憶できなくするするスタンド、 「ジェイル・ハウス・ロック」を操る ミューミュー看守に主人公の徐倫が エンポリオとタッグで挑んだこのバトル。 この対決で私が引っかかったのは 「ジェイル・ハウス・ロックの能力が あまりに曖昧すぎた」ことです。 例えば作中のある攻防。 ジェイル・ハウス・ロックの術中に陥った 徐倫に向かってミューミューが 「大量の銃弾」を連射する場面がありました。 ここでミューミューは 一度に4発以上の銃弾を撃ち込むことで 3つまでしか事実を認識できない徐倫に対して 実質的に防御不可避の攻撃を 仕掛けようと目論んだわけですね。 しかし徐倫はこの攻撃を 「飛んできた銃弾は4発以上でも 床の水たまりに映った 銃弾の像はたった一つの事実」 という理屈のもと、床の水たまりに 映った銃弾を見てそれらをすべて 弾き飛ばして防御してしまいます。 …さてこの理屈、あなたは 納得することができたでしょうか? 少なくとも私には無理でした。 ジョジョであれば大抵の超理論や ガバ展開は受け入れてきた私でも さすがにこれを初めて読んだときは 「たとえ水に映った像でも 銃弾の数自体は変わらないのだから無理だろ」と 思わず心でツッコミが出てしまいました。 またこの対決は決着方法も微妙で 最後はエンポリオがパソコンで 2進数に変換したミューミューの顔画像を 徐倫がストーン・フリーの糸でプリントアウトして いつからストフリに印刷機能がついたんだ? ミューミューが敵であることを思い出して勝利、 という思わず首をひねってしまうもの。 総じてアイディアこそ面白いものの それを読者が納得する形で スタンドバトルに昇華しきれなかった、 という印象が残るちょっと残念なバトルでした。 ラスボス プッチ神父 の目的が意味不明すぎる 荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第六部 カラー版 17』集英社 より引用 私が六部に入り込めなかった もう一つの大きな理由がラスボス プッチ神父の目的のわかり辛さです。 これまでのジョジョの ラスボスの目的といえば 例えばディオは 「他者を支配すること」 カーズは 「太陽を克服し生物の頂点に立つこと」 吉良は 「平穏に暮らすこと」 ディアボロは 「過去を消し、 裏社会の頂点に君臨し続けること」 といった様に比較的わかりやすい、 シンプルなものばかりでした。 しかしプッチ神父の目的は 「DIOが遺した天国へ行く方法を実行すること」 という一見なんだかよく分からないものであり、 さらにその過程も 「DIOの骨を復活? させたものに 囚人の魂を捧げて生まれた緑色の赤ん坊に 十四の言葉を聞かせることで融合し、 その状態で新月の時に地上で最も 重力が弱い場所に行く」という やはりよく意味が分からないものでした。 おまけにこの「天国」が 具体的に何を意味するかについては 作品の最終盤で実際にそれが実現するまで 読者に明かされることはありません。 蓋を開けてみれば、シリーズ史上最も やばいことをしでかしたラスボスはプッチでしたが… また、プッチ神父は そのキャラクター性に関しても 今までのボスたちとは別方向でアクが強く、 そのうえ六部はある意味プッチ神父の 物語と呼べるほど最初から最後まで プッチ神父が暗躍し続けるので もしプッチ神父のキャラクターが 肌に合わないと、六部の物語を追うのが 少々辛くなることが予想されます。 プッチ神父のキャラクターを 簡潔に言い表すと 「思い込みの激しい、行動力のある、 自分の行動を善だと信じて疑わない狂人」 といったところ。 自分の価値観が 他人にとっても絶対であると信じこみ、 自分の考える善い行いのためならば どれだけ他人が犠牲になろうが厭わないという まさに正真正銘の 「最もどす黒い悪」なのです。 しかもそんな極悪人でありながら プッチ神父のしぶとさ、しつこさといったら 今までのボスたちの比ではありません。 プッチは作中で幾度となく 徐倫たちに追い詰められるものの、 その度に「人質 承太郎のDISC を使ったり」、 「運命が味方したり」といった 様々な理由で危機を脱し、 そして最終的にはまさかの 主人公チーム皆殺し エンポリオ以外 という 大金星まで上げてしまうのです。 そしてもし六部がアニメ化されて 徐倫たちの死亡回が放送されたとして そのとき視聴者の賛否が一体どう分かれるのか。 ある意味非常に興味深いところではありますね。 六部の好きなところ さて、ここまで 散々六部の悪い点を あげつらってきましたが、 今度は反対に私が六部の 気に入っている部分を 挙げてみることにします。 「愛」というテーマへの一貫性 六部では 様々な形の 「愛」が描かれます。 承太郎と徐倫の父娘の愛であったり、 アナスイから徐倫への男女の愛であったり、 プッチからペルラへの悲劇的な兄妹愛であったり… この「愛」という ひとつのテーマへの 真摯な一貫性において 六部は他の部を圧倒的に 凌駕していると私は考えます。 特に、プッチからペルラへの愛は その結末の悲劇性ゆえに 「愛」のもつネガティブな面について 深く考えさせられる 非常に重く深みのある挿話でした。 因みに私が六部で 好きなキャラクターは徐倫とウェザー 見た目も中身も。 スタンドデザインなら ダイバー・ダウンとC-MOONが好きでしたね。 ラストシーンの美しさ 六部にこれだけ批判意見がある中で 一方根強いファンも少なくない最大の理由が この ラストシーンの美しさにあるのではないでしょうか。 プッチの「天国」が不完全に終わり、 一巡した新しい宇宙に たったひとり前の宇宙の記憶を保ったまま 放り出されたエンポリオ。 そんなエンポリオが 前の宇宙で死亡したエルメェス、 徐倫、アナスイの生まれ代わりたちに出会い、 彼らと共に車で旅立っていく。 そして、雨のハイウェイを走る 車の行く先には、やはり前の宇宙で死亡した ウェザーそっくりのヒッチハイカーの姿が… 主人公チームがほぼ皆殺しになり 宇宙そのものすらリセットされるという 直前の絶望的な状況を一瞬忘れさせるほど 希望に満ちた見事なラストシーン。 この場面に限っては 本当になんの文句もありませんね。 さいごに なんだかんだ欠点を挙げてしまいましたが 個人的にはやはり六部もアニメ化して欲しいですね。 むしろ、アニメ化して動きがつくことで 漫画では分かりにくかったシーンが 分かりやすくなることがあるかもしれません。 それでは、 六部のアニメ化を祈念しつつ 本日はこれにてお別れとさせていただきます。 最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

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