トム アット ザ ファーム。 blog.datarank.com: トム・アット・ザ・ファーム(字幕版): グザヴィエ・ドラン, ピエール=イヴ・カルディナル, リズ・ロワ, エヴリーヌ・ブロシェ: generic

トム・アット・ザ・ファーム : 映画評論・批評

トム アット ザ ファーム

C 2013? 8290849 Canada INC. une filiale de MIFILIFIMS Inc. だからたとえ他人の戯曲であろうとドランの世界観が芳香を放っていれば、気になるところではない。 トムが、交通事故で死んだ元同僚で同性の恋人ギョームの葬儀に出席するため、ケベックの田舎町にやってくるところから物語は幕を開ける。 そこではギョームの母親アガットと兄のフランシスが農場を営んでいた。 ギョームはゲイであることを母親に隠し、サラという別のガールフレンドがいるという嘘をついていたため、フランシスは口裏を合わせるようトムに強制する。 さらに、母親を傷つけたくないという理由で、フランシスは次第にトムに対し暴力性を露にし、エスカレートさせていく。 逃げる機会があっても逃げることができず、トムの精神構造の歯車は次第に狂っていく……。 三島由紀夫の「サド侯爵婦人」やフランソワ・オゾンによって映画化された「8人の女たち」と同様、中心不在のまま物語は進んでいく。 アンドレ・ブルトンの私小説「ナジャ」のなかに「Qui suis-je? (私とは誰か?)」という台詞が出てくる。 これは同時に「私は誰を追っているのか?」という意味。 それは恋人との関係のなかに、既に「私は誰か?」という自己同一性の問題が含まれていて、自分自身を問うことは他人を追うことであり、「他人の私」を追うことでもある。 人とつき合う=haunterは、幽霊などがつきまとう、取り憑くという意味。 つまり私がつきまとっている「他人の私」は、現実のなかでは分裂した私の幽霊ともいえる。 まさにトムは取り憑いた自分自身の幽霊を探すために、この農場にやってくる。 これは恋愛の本質、愛の亡霊そのものを現出させた怪作である。 (ヴィヴィアン佐藤) (外部リンク) 2014年10月23日 更新.

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トム アット ザ ファーム

解説 監督第3作「わたしはロランス」の劇場公開によって日本でも注目を集めるカナダの若き才能グザビエ・ドランが、カナダ東部ケベック州の雄大な田園地帯を背景に、閉鎖的な家族と地域を舞台に描いた心理サスペンス。 恋人の男性ギョームが亡くなり悲しみに暮れるトムは、葬儀に出席するためギョームの故郷を訪れる。 しかし、ギョームの母アガットはトムの存在を知らず、息子の恋人はサラという女性だと思っている。 トムの存在を唯一知るギョームの兄フランシスは、トムに恋人であることを隠すよう強要。 当初は反発を覚えたトムだったが、次第にフランシスの中に亡きギョームの姿を重ねるようになり……。 カナダの人気劇作家ミシェル・マルク・ブシャールが2011年に発表した同名戯曲の映画化。 2013年製作/100分/PG12/カナダ・フランス合作 原題:Tom a la ferme 配給:アップリンク スタッフ・キャスト• C 2013 —8290849 Canada INC. une filiale de MIFILIFIMS Inc. 「WAVES ウェイブス」 C 2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved. 「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」 C 2019 Gravier Productions, Inc. 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved. 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.

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解説・あらすじ

トム アット ザ ファーム

グザヴィエ・ドラン監督の4番目の作品にあたり、若干25歳での公開となりました。 原作のある作品はドラン初の試み。 カナダを代表する劇作家 ミシェル・マルク・ブシャールによる同名戯曲をもとに、彼とドランの共同で脚本が執筆されました。 主要キャストとして、ドラン自身が主人公トムを演じるほか、その相手フランシスをケベック出身の俳優 ピエール=イヴ・カルディナルが、彼の母親アガットを同じくケベック出身の女優 リズ・ロワが演じています。 亡くなった恋人の葬儀のために訪れた片田舎で、主人公に襲い掛かる静かな恐怖を描いたサイコ・サスペンス。 ヴェネツィア国際映画祭では 国際映画批評家連盟賞を受賞しています。 『トム・アット・ザ・ファーム』あらすじ モントリオールで広告代理店に勤める トムは、交通事故で死んだ恋人 ギョームの葬儀に参列するため、彼の実家があるケベックの片田舎へと車を走らせます。 到着したトムを待ち受けたのは、農場を経営しているギョームの兄 フランシスと、その母親 アガットでした。 フランシスはギョームが同性愛者だったことを知っているようでしたが、一方のアガットは何も知らず、息子には サラという彼女がいたと思い込んでいます。 トムは一友人として弔辞を読むだけの予定でした。 ところが、葬儀が終わるとフランシスが詰め寄り、このまま家に留まり母を喜ばせるようにと脅します。 一度は忠告を無視して帰ろうとするも、ふと思い直して道を引き返すトム。 こうして彼はフランシスの農場を手伝うことになり、アガットにはギョームの恋人サラの作り話を聞かせるのでした。 最初はフランシスの暴力に怯えていたトムでしたが、いつしか彼の男らしさに惹かれていきます。 フランシスはアガットを安心させるため、同僚の サラを呼び出して恋人のフリをさせることに。 戸惑いながらもサラはアガットのもてなしを受けますが、彼女が席を離れた途端、フランシスに襲われそうになります。 怒りに駆られた彼女はトムを連れて帰ろうとしますが、彼がフランシスに従属していることを見てとり失望を覚えます。 そんななか、アガットは皆の前でギョームが遺した手紙を読み上げようとします……。 『トム・アット・ザ・ファーム』解説・考察 ケベック独立問題 それまでのポップで情熱的な作風からは一転し、『トム・アット・ザ・ファーム』は節制された色調と禁欲的な演出が印象的なサスペンス・スリラーとなりました。 音楽に関しても、映像と同期するミュージック・ビデオ的な活用は鳴りをひそめ、レバノン出身の作曲家 ガブリエル・ヤレドによる楽曲が緊迫感を作り出しています。 ちなみに、冒頭で流れるのはミシェル・ルグランの 「風のささやき」。 スティーブ・マックイーン主演の映画『華麗なる賭け』(68年)の主題歌です。 2019年に死去したルグランへの追悼を込めて。 このフランス語版の楽曲で幕を開ける物語が、その静謐な暴力とともに フランス/アメリカ的な権力関係を象徴していることは、何よりも最初に述べておく必要があるように思えます。 舞台であるケベック州というのは、カナダでも欧州寄りに位置し、公用語としてフランス語が定められている地域。 1970年頃から分離独立の機運が高まり、1995年にはその是非を問う住民投票も行われました。 結果は否決となりましたが、現在でも選挙の度に分離派の動向が注目されています。 そんなケベック州の片田舎に、都会的な青年トムは闖入者として訪れることになるのです。 そこで暮らす農夫フランシスが典型的な 保守層(レッドネック)として描かれていることは間違いなく、それは彼が同性愛を嫌悪していることからも、あるいは亡きギョームが堅信式の儀礼に参加していることからも明瞭に理解されます。 つまり、トムとフランシスの関係の背後にあるのは、ケベック州における フランス寄りのリベラル層と アメリカ寄りの保守層のあいだの対立ということになります。 当初はフランシスの権力に抵抗していたトムが、いつしか彼の男らしさに惹かれ従属してしまうというのは、多分に政治的な問題を含んでいるといえるでしょう。 詳しく述べるのは野暮ですが、物語のラストでフランシスが着ている 星条旗の刺繍入りジャケットを目にし、エンドクレジットで流れるルーファス・ウェインライト(彼もまた同性愛者であることを公表しています)の 「ゴーイング・トゥ・ア・タウン」を耳にすれば、そこで表象されている「アメリカ的なもの」の輪郭をはっきりと捉えることができるに違いありません。 けっして埋まらない席 社会的な背景はさておき、『トム・アット・ザ・ファーム』には何度見ても汲みつくせないほど多様なメッセージに溢れています。 もともと戯曲版では、登場人物のたちの 心内語がオフの音声で挿入されていたそうです。 原作が意識の流れを言語によって表現しようとしたところを、映画版では巧緻な演出によって表現したというわけです。 それに加えて、先に述べたような禁欲主義(別にこれまでのドランが享楽に溺れていたわけではありませんが)。 観れば観るほど味が出る作品です。 一例を挙げれば、家のダイニングに置かれた4つの椅子。 それはアガットとフランシス、そして亡き主人とギョームの席なのは間違いありませんが、劇中を通してぽっかりと空いた一人分の席が、そこに不在である者の茫洋とした輪郭を映し出すことになります。 実のところ、トムがフランシスの暴力を前にして逃げ出さないのは、いわゆるストックホルム症候群の類ではなく、むしろこの不在者に対しての 贖罪意識であるのだと、そう考えることができます。 ギョームと関係を結んでいたことを隠すことしかできないトムは、無意識のうちに 暴力と死の世界へ導かれてしまうのです。 偽りの恋人であるサラを読んだところで、その不在の席が埋まることはなく、フランシスによって排除されてしまうことは予定調和であったといえます。 しかしながら、この厳粛とした死に支配された空間のなかで、いや、そのような空間のなかだからこそ、生の奔流が生まれることも確かな事実です。 子牛の出産を祝うようにして踊られる タンゴは、トムとフランシスのその後の関係を暗示していのであり、その関係は寝室に置かれた 二人のベッドがいつの間にか隣接するという描写によって、まさに決定的なものとなります。 ラストで一瞬フラッシュバックされるフランシスの姿が、トムの未来を暗示しているような気がするのは、少しばかり考えすぎでしょうか。

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