モーツァルト 40番 名盤。 [mixi]ジュピターの名盤は?

交響曲第40番 (モーツァルト)

モーツァルト 40番 名盤

そのしなやかな悲しみは、 どこから来るの、おもむろに。 憂いをおびた女神の横顔。 (youtubeをポチって音楽を聴きながら読んでみてくださいね。 【解説!クラリネットの謎】モーツァルト:交響曲第40番 モーツァルト:交響曲第40番は、 後述する小林秀雄先生の言葉にあるように、 「悲しく」ありながら、 「透明」で、 「しなやかな鋼鉄」 のよう。 そして、音楽の、はしばしにまで、 凛(りん)とした切れ味の良さがありますね。 このモーツァルト:交響曲第40番は、モーツァルトの…というよりは、クラシック音楽全体からみても「名曲」と言っていいのではないでしょうか。 それゆえに名盤がとても多いのが特徴です。 (名盤解説は後述します。 ) モーツァルト:交響曲第40番について、文芸評論家の小林秀雄先生のこんな解説があります。 (横向きの絵画の)モオツァルトは、大きな眼を一杯に見開いて、少しうつ向きになっていた。 …ト短調シンフォニイ(交響曲第40番)は、時々こんな顔をしなければならない人物から生まれたものに間違いはない、僕はそう信じた。 (中略) ほんとうに 悲しい音楽とは、こういうものであろうと僕は思った。 その悲しさは、 透明な冷(つめた)い水の様に、僕の乾いた喉(のど)をうるおし、僕を鼓舞(こぶ)する、そんな事を思った。 (中略) 人間は彼の優しさに馴(な)れ会う事は出来ない。 彼は切れ味のいい鋼鉄の様に しなやかだ。 から引用 「切れ味のいい鋼鉄(こうてつ)の様にしなやか」 そのひとこと、 言い得て妙(みょう)…ですね。 モーツァルト:交響曲第40番について… モーツァルトの41番まである、交響曲は明るい基調の曲(長調)がほとんどです。 けれども、例外的に、2曲だけ、暗い基調の曲があります。 それが、交響曲第25番と今回、解説している交響曲第40番です。 暗い基調の曲は「短調の曲」と言われますが、ふつう、交響曲第25番を「小ト短調」 交響曲第40番を「大ト短調」などと呼ばれたりもします。 モーツァルトのたくさんある交響曲の中で、もっとも親しまれ、一般にもよく知られている「交響曲第40番」。 短調の「暗い基調の曲」でありながら、親しまれている理由は、解説からの引用にもありましたように、 「透明」で、 「しなやか」であり、そこからただよう、美しさがある からではないかなという感想を持っています。 クラリネットの謎について… モーツァルト:交響曲第40番で、 優美な魅力を醸(かも) し出すのは、クラリネット です。 モーツァルト:交響曲第40番は、はじめ、この「クラリネット」のパートはありませんでしたが、後にモーツァルト自身の手によって、書き加えられています。 これについては様々な説があります。 演奏会にはクラリネット奏者であるシュタードラー兄弟が出演する予定なので、クラリネットを追加しなければいけなかった。 (もっとも可能性の低い説)• ある曲を編曲する際に、クラリネットをはじめ4種類の管楽器で作曲したが、その時の思いつきで、「交響曲第40番」にもクラリネットを加えた。 実際に演奏会を行うに当たり、「交響曲第40番」の楽譜を見直して、訂正する際にクラリネットを加えた。 (生前には演奏されず、演奏会の予定すらも、なかったとの説もあり) これだけ、時間がたってしまった今となっては、さすがに、もう確かなことは、わかりませんね。 ただ、有名な物理学者の「アインシュタインが語ったことが、意外と、真実だったかもしれない」なんて思ってしまいます。 つまり、 「もはや(演奏会の)注文もなく、直接の意図もない。 あるのは永遠への訴えである。 」 う〜ん。 カッコいい。 たしかに、 クラリネットの少しさみしげな音色が加わることで、なんとも切々(せつせつ)とした「悲しさの訴え」に磨きがかかったという感想をもちます…。 (このアインシュタインの言葉は、「交響曲第40番」を含めた3曲の交響曲についての、ひと言ですが、「クラリネットの件」についても、言えることと思います。 ) アルパカの、モーツァルト:交響曲第40番の体験について… アルパカが、とくにクラシック音楽に興味がない小学生のころのこと。 エレクトーンを習っていて、音楽にくわしい姉が 「モーツァルトの『交響曲第40番』は大胆な転調(てんちょう)がイイのよ!!」 楽譜を片手にそんなことを言われました。 楽譜が読めないアルパカは、なんだか、チンプンカンプンだったのを覚えています。 でも、クラシック名盤を聴かない小学生のアルパカでも、このモーツァルト「交響曲第40番」の音楽の心地よさや素晴らしさは曲を聴いただけで、わかったものでした。 「なんだか、さみしげだけど、心に残る。 」 そんな印象を持ったものでした。 やっぱり、音楽っていうのは理屈抜きにいいものですよね。 【各楽章の感想と解説】モーツァルト:交響曲第40番 それでは、各楽章についての解説と感想をお伝えしたいと思います。 この曲は第1楽章から第4楽章までの4曲で成り立っています。 第1楽章「モルト・アレグロ(きわめて速く)」 「モオツァルトの悲しみは疾走する」 とは、小林秀雄先生がモーツァルトの他のト短調の曲を言いあらわしたものです。 (厳密に言うと、このもとになっているのは、アンリ・ゲオンの言葉) でも、このモーツァルト:交響曲第40番にもそれは、言えると思います。 「透明」で 「しなやか」 という形容にも通じると思いますが、これらに増して、「 疾走する」というイメージを上乗せすると、このモーツァルト:交響曲第40番、第1楽章の表現にピッタリくるという感想を持っています。 う〜ん、モーツァルトを賛美する過去の文筆家の先生たちの言葉の豊富さに、脱帽ですね。 第2楽章「アンダンテ(歩く速さで)」 なんとも静かで、そして、なんとも、瞑想的なのでしょう。 深い「悲しさ」を限りなく「透明感」あふれる心境で見つめている。 そんな感覚でしょうか。 それは、すでに「よろこび」の反対側にある「悲しみ」ではありません。 「悲しみ」がその大元(おおもと)にありながら、その立場から、相対する人間のこころのうちにある「よろこび」と「悲しみ」を見つめている。 そんな心境でしょうか。 モーツァルトが音楽に没頭する時、モーツァルトは音楽そのものであり、その他の何者でもない。 「よろこび」も「悲しみ」もそして、「生」や「死」すらも超えてしまっていた。 そんな心の「声」、「響き」、「思い」がこの第2楽章なのだという感想です。 第3楽章「 メヌエット、アレグレット:トリオ(踊るように、やや速く) 」 運命的な響きであり、また、そんな状況の中をしっかりとした足取りで歩む。 時に安らぎ、ほほえみの時を迎えながら、再び運命の荒波へとむかっていきます。 運命に、もてあそばれそうになりながらも、前を向いて力強くその歩を進めていく姿が浮かびます。 第4楽章「フィナーレ:アレグロ・アッサイ(非常に速く)」 劇的でありながら、 「透明感」 があり、 「しなやか」 でもあります。 このモーツァルト:交響曲第40番のクライマックスにふさわしいテーマ性に満ちた1曲だと感じます。 【 8枚の名盤感想と解説 】モーツァルト:交響曲第40番 「雨が多い毎日の、寒い季節の変わり目は、 ふと気づいて、うつむくと、ため息、ひとつ落ちていく…。 地面の水面(みなも)に落ちていく。 そして、はじけて透明な、光をはなつ水しぶき。 」 そんな、春が待ち遠しい毎日が続きますね。 それでは、春を待ちつつも、透明な魅力を持ったモーツァルト:交響曲第40番の名盤を解説していきたいと思います。 ジェフリー・テイト:指揮 イギリス室内管弦楽団 しなやかな美感と歌と、春のおとずれを教えてくれる沈丁花(じんちょうげ)の香りのような清らかさを持った名盤です。 それは、モーツァルト:交響曲第40番を歌うのに適したひとつの理想のカタチ。 「透明な悲しさ」に「清らかさ」がブレンドされた、ある意味、宗教的な慈愛の境地とも言える素晴らしさ。 アルパカが、人生で初めて買ったクラシック音楽のアルバムであり、名盤ですね。 当時は高校生でした。 そして、その媒体は「カセットテープ」でした。 今では、ほとんど化石的な存在ですよね💦 当時、たくさんのアルバムを持つほどの経済的余裕は、もちろんありません。 そんなわけで、テープが伸びちゃうくらい、聴きまくった思い出の1枚でもありますね。 カール・ベーム:指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 史上初、モーツァルトの交響曲全集を完成させたベームの風格ある演奏の名盤です。 今なお模範といっていい名盤ですよね。 第1楽章は、少しゆったりめに歌いながら、モーツァルト:交響曲第40番の本来の透明感を、ともなった美しさを、いかんなく引き出していますね。 第2楽章は、その流れがスマートでよどむことがなく、清涼感があって、フレッシュな音楽運びですね。 第3楽章は、どっしりとして風格があり、また緊張感にも満ちています。 ふところが深く、また目じりのやさしい老紳士といったところでしょうか。 第4楽章ですが、 優雅で、華やかな装いの演奏でありながら、曲調の「疾走する悲しさ」が失われることはなく、むしろ、そのおもむきが、ますます大きくなっていきます。 そんな劇的な要素が含まれていることが、この名盤の素晴らしさかもしれません。 クリストファー・ホグウッド:指揮 エンシェント室内管弦楽団 非常に高速で「疾走する悲しみ」が古楽器で表現 された名盤です。 古楽器を使用しての演奏は、 意外と、こんな「疾走感」で、透明な悲しみを表現出来るのかもしれないなと、ふと思ったりしますね。 この枯れた味わいが、凄まじく、(悪い意味でなく、)焦燥感のようなものを駆り立てていて、「鬼気迫る」ものすら感じる名盤です。 まるで、このモーツァルト「交響曲第40番」が 透明感を超えて、澄み切った「無の境地」をあらわす音楽のように感じられてきて、驚きますね。 ホグウッドの業績は、古楽器の持つあらゆる可能性を、提示しきったところにあるかもしれませんね。 その可能性を、この名盤で確認したいですね。 トン・コープマン:指揮 アムステルダム・バロック管弦楽団 コープマンらしくて、かわいらしい、古楽器による名盤です。 名もなき小さな花が、かすかな香りをまわりに運びながら、ほほ笑む。 そんな、感想が持てる、第40番の交響曲です。 コープマンのアルバムの第1楽章は、このモーツァルト:交響曲第40番における「疾走する悲しみ」 までが、かわいらしい。 「楚々(そそ)として」と言いますか、なんとも純粋で清潔感のある演奏です。 第2楽章は、 室内楽を思わせる優しい趣(おもむ)きを感じます。 華麗に、美しく演奏するのもアリとは思いますが、こんな、いい意味で、こじんまりとした装(よそお)いの第2楽章もいいものです。 第3楽章 も、とても個性的です。 ピリオド奏法(弾むような演奏法)のおもしろさが存分に楽しめる楽章になっています。 弾むテンポでノリがよく、また、だからといって雑な感じはありません。 品があって、聴いていて心地いい。 そんな演奏です。 第4楽章は速いテンポで「悲しみが疾走」します。 それが古楽器を使った枯れた味わいで展開するところがまた個性的。 全体として、「個性で勝負」した名盤 と感じますね。 ヨーゼフ・クリップス:指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 第1楽章は非常にゆったりとした速度で演奏されます。 コンセルトヘボウ管弦楽団の繊細な美感と、このゆったり感がクセになる。 午後のカフェで、ほおずえをついて、アンニュイなひとときを過ごす心地よさに近いかなという感想を持ちます。 第2楽章は、むしろ速めにキレがよく演奏されています。 このモーツァルト:交響曲第40番全体としてのバランス感覚が面白い。 第3楽章は、 あまり悲壮感が強調されることはなく、スッキリとまとめていて好感がもてますね。 第4楽章は、落ち着いた音運びです。 第1楽章ほどではありませんが、 じっくりと本来のモーツァルトの「歌」を聴かせてくれる楽章です。 【解説と名盤、まとめ】モーツァルト:交響曲第40番 さて、モーツァルト:交響曲第40番、名盤の紹介と、解説はいかがでしたか? 誰もが知っているモーツァルトの、だれもが知っている「交響曲第40番」にフォーカスしてみました。 「悲しさ」や 「透明感」というキーワードを頭に思い浮かべながら、聴き慣れたモーツァルト:交響曲第40番の名盤を聴くと、また、違ったさまざまなイメージが、湧いてくるかもしれませんね。 そんなわけで… 『ひとつの曲で、 たくさんな、楽しみが満喫できる。 それが、 クラシック音楽の、醍醐味ですよね。 』 今回は以上になります。 最後までお読みいただきありがとうございました。 過去、さまざまなクラシック音楽のさまざまな演奏を聴くにはCDが必要でした。 交通費を使い、CDショップに足を運び、お目当てのCDを購入します。 そして、持ち帰り、プレーヤーで再生して、楽しんできました。 しかし、お目当てのCDが、売られていないという目に合うこともありました(泣) そんなこともあり、CD購入は、 大変な「お金と時間」のかかる「大きなコスト」でした。 今、 「定額制の音楽聴き放題サービス」が流行っています。 これなら、ムダな「お金と時間」がかかりません。 たくさんのアーティストのさまざまな演奏を聴くことができます。 そこで今回、 「定額制の音楽聴き放題サービス」であるAmazonミュージックUnlimitedのご紹介をさせていただきます。 AmazonミュージックUnlimitedをオススメする理由は ・ どこのサービスよりも曲数が多い「6500万曲」 ・ 30日間無料で体験できる。 以上の理由です。 スポンサーリンク.

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モーツァルト:交響曲第40番【クラリネットの謎】名盤8枚の解説「憂える女神の横顔と癒やし」

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これも白鳥の歌? / モーツァルト交響曲第39番ホ長調 K. 543 取り上げる CD 28枚:コレギウム・アウレウム/ホグウッド/ガーディナー'88, '06/ピノック/コープマン/インマゼール/テル・リンデン/ノリントン /マッケラス/ヤーコプス/ブリュッヘン/ヘレヴェッヘ/アーノンクール/A・フィッシャー/ワルター /ベームBPO, VPO /ケルテス /カラヤン'70, '77, '88/スイトナー /マリナー /クーベリック/ブロム シュテット/レヴァイン/ザンデルリンク ピリオド奏法について モー ツァルト=優美なメロディーというのは思い込みだとしても、そう感じる人は案外多いのではないでしょうか。 同様 に古楽嫌いの人も結構いるようです。 オーケストラの弦楽器奏者の場合はビブラートをかけないと正確な音程を求め られ、難しいから嫌うということはあるでしょうが、一般の愛好家の中にもアレルギー 反応を示す人もいるところから、これは必ずしも技術的な意味ではなく、聞こえ方の問題もあるようです。 しかも、攻撃 的な拍の取り方だけでなく、古楽器の弦の音自体が細いといって嫌がる人もいるようです。 私は古楽器の繊細な倍音は大変 好きで、バッハの受難曲やミサ、ハイドンからベ ルリオーズまで、ピリオド楽器とその奏法を好んで聞きます。 室内楽などはわざわざマイナーなクァルテットを探す ほどで、独特のアーティキュレーションも控え目で効果的なものは好きです。 ただ、どうもモーツァルトの交響 曲と ピアノ協奏曲だけは例外である場合が多いようです。 したがってここでは、他のところでは決してしないのですが、 ピリオド楽器と その奏法によるものと、従来通りの演奏とを分けて説明することにしようと思います。 曲について 40番と同じ年に書かれた39番も名曲で す。 これら二つと最後の交響曲第41番「ジュピター」を合わせて三大交響 曲と言いますが、個人的にジュピターはあまり得意でないので今回はスキップします。 私自身モーツァルトの交響曲とい えば、38番「プラハ」の冒頭が華々し過ぎて第二楽章からかけるというのを除けば(三楽章しかない曲の一番壮麗な楽 章を取ったら何も残らないじゃないか、お前はほんとのおばかさん!)、ほとんどこの39番と40番ということになっ ている気がします。 この曲はまた、モーツァルトの「白鳥の歌」だとも言われます。 そのタイトルで別の章を設けたのに() そこでは触れませんでしたが、確かに透き通った透明さがあり、穏やかで優美な旋律が大変魅力的です。 交響曲の中でこ の波長の曲は他にないように思います。 この曲の演奏で忘れられないものの一つに、セルジュ・チェリビダッケが壮年時代に、確かシュツットガルト放送交響 楽団を指揮したものがあります。 恐らく南ドイツ放送協会提供のテープが NHK の FM でオンエアされたものだったのだろうと思いますが、今インターネットで探してもアップしている人は見当たりません。 当時のチェリビダッケは幻の指揮者で、 晩年の遅いテンポの解釈ではなく、独特の弱音奏法を敢行していました。 最弱音は非常に張り詰めた音で、本来ならフォ ルテの指定があるところでも弱い音で演奏させていました。 この方法論でやられた第39番が印象的だったのです。 出だ しのティンパニが本当に静かに叩かれ、聞き耳を立ててしまいます。 プラハの頭のところで元気良さに負けるぐらいの意 気地なしですから、これには魅了されました。 各旋律も、一つひとつが痛いほど浮き上がって聞こえました。 まあ、かな り奇抜なところのある、若さと気負いに満ちた解釈だったのか もしれませんが、白鳥の歌と呼ばれるこの曲の美しさを存分に聞かせてくれました。 それから時が流れ、チェリビダッケのせいで CD探しに苦慮することになりま す。 そんな演奏は他に全くないわけです。 古楽器演奏、またはピリオド奏法によるもの Collegium Aureum コレギウム・アウレウム合奏団 古楽のパイオニア、1977年の録音です。 後期交響曲集は72年から80年の間に収録されています。 忘れ てはいけない魅力的な楽団です。 第一楽章はしっかりとしたアタックで始まりますが、後の古楽演奏家たちが問題提起したやり方のように強烈 なティンパニが力で押すという感じではありません。 ゆったりめのテンポで自然な歌があります。 流麗にしよう というような抑揚ではなく、自発的で自分の呼吸になっている歌です。 やはり後のピリオド奏法のようではない ながら、全体にアタックは弱くはなく、くっきりとしたリズムを感じさせます。 第二楽章はのびのびとした歌が楽しめます。 テンポは中庸。 弱いところの緊張感が美しい演奏もある中、彼ら はことさら静けさを強調するのではなく、健康で自然です。 もう少しはかなさを感じさせてもいいかなと思わな なくもないですが、それはないものねだりでしょう。 第三楽章は割と重めのリズムで引きずる感じがします。 テンポはオーソドックスですが、やや速めでしょう か。 フレーズを区切って行く感じが軽さよりも真面目さを感じさせます。 第四楽章では前よりテンポが速まり、この楽章としては中庸なものでしょう。 ここも慌てず真っすぐで、実直 で面白さはありません。 奇異なところのない自然さがこの演奏の魅力でしょう。 録音はいつものように、残響の美しいものです。 Christopher Hogwood The Academy of Ancient Music クリストファー・ホグウッド / エンシェント室内管弦楽団 トレヴァー・ピノック、ジョン・エリオット・ガーディナーと並んでイギリス古楽の代表的な指揮者であるホグウッド ですが、特にピノックとはレパートリーが似通っており、バロック&初期古典派ということでよく比べられるのではない でしょう か。 全集の録音時期はホグウッドが1978年〜85年、ピノックが1992年〜95年と、ホグウッドの方が10年早 く、モーツァルトの交響曲の古楽演奏としては事実上最も早い時期に出て来たものです。 そして古楽器の演奏法自体は 60年代から色々試みられてきたことですから、必ずしもホグウッドがモーツァルト演奏の見本となったとも言えないで しょうが、やはり一つのマイルストーンではあると思います。 今聞くと、ホグウッドの演奏は決してエキセントリックなものではありません。 ピリオド奏法だなと思わせる点は三点 ほど。 極端ではないですが例の独特の、一つの長音符の中での持ち上げて降ろすような弓の力の入れようが聞かれるこ と。 フレーズの区切りで音をあまり長く延ばさないであっさり切ること。 そしてティンパニなどのリズムの扱いに工夫があり、例えば二つ続けてビートを刻むような ところで均等割するのではな く、タン、タン、ではなくてタターン、とやらせることなどです。 他にも楽譜の上でたくさんの解釈上の工夫があること と思いますが、聞いていて主に気づくのはそれぐらいでしょうか。 テンポなどは速めではありながら自然な方で、全体に 軽く快活なところがロマン派的ではないですが、攻撃的という印象は全く持ちません。 第一楽章は全体にピノックよりも溌剌としているように聞こえます。 テンポも比較すると速めです(全体としては中庸 やや速め)。 冒頭からのティンパニは軽やかで、キレはありますが過度に力強くはしません。 ただ、叩き方のリズムは上 で述べたように、二拍目にアクセントが来て弾むような工夫があります。 前進する力として、打楽器は全体を活気づける 役割なのでしょう。 短くて歯切れが良いです。 冒頭から夢見るような白鳥の歌を期待するのはお門違いでしょう。 細く繊 細な弦の音は爽やかで、風のように軽く運びます。 第二楽章もやや速めで軽く、旋律を歌う弦のやわらかさが印象的です。 第三楽章は力が抜けて軽やかながら、テンポはピリオド奏法にしては比較的ゆっくりで、伝統的な演奏と変わらない オーソドックスなものに感じます。 ここには尖ったところはありません。 第四楽章もテンポは普通で、全く違和感がなく美しいです。 録音は艶やかにして繊細です。 やや高域がはっきりしていますが、それだけにバロック・ヴァイオリンの音が大変きれ いに聞こえます。 比べるならばピノックよりやや明るい音に録れています。 残響もほどよく、かぶりがなくて潤いもあり ます。 実際高く評価されたベートーヴェンの交響曲でも、田園はアーノンクールやホグウッド の方が好きだし、全集として見てもどちらかというとインマゼールに惹かれると思ってきました。 しか し39番のモー ツァルトの白鳥の歌はガーディナーが好きです。 古楽器の演奏グループの中で一番です。 それとも、す べての CDの中で、と言っ てもいいかもしれません。 この人の魅力は、ちょっとわかり難い気がします。 完璧に整っていてどっちの角度か ら見ても崩れることがありませんが、感性を持ち合わせてない学者肌というわけではないのでは、と 時々思うときもあります。 人は多面的ですから本当に理解するのは難しいです。 「学者の音楽で感情表 現 に欠ける」というようなことを前に言っておきながらここで反対のことを書いて恐縮ですが、身内 では打ち解け た顔を持ち、繊細で親身なところもあるのでしょうか。 ともかく、この39番は控え目ながら生きた動 きを感じます。 細部まで注意が行き届いており、その美への独特のこだわりが心地良いです。 具体的に 言えば、ジャズシンガーがよくやる手ですが、歌う弦の声部が前へ出てくるところでそれとわからない ほどわずかに歩を緩めて際立たせたり(奏者の自主性?)、短い音価で行くところとテヌートを使い分 けたり、旋律のしな りに微妙に陰影があったりします。 そしてそれらがすべて自然で自発的な歌になっています。 他の演奏 と比べてのその違いは大変微細なので、何かをしながら聞いていると気づかずに通り過ぎてしまうかも しれません。 第一楽章は出だしから響くティンパニが温かい響きであまり尖らず、心地良いです。 ロマン派的な解 釈 のように目立たないように叩かせるわけではなく、しっかりリズムを刻んではいますが、でしゃばらず、むしろそ のリズムが心地良く感じます。 第二楽章はゆったりとしています。 40番ではやや速く通り過ぎたのに、どうしたことでしょう。 細 やかな配慮にこの曲への愛情を感じます。 弦の音が大変美しいです。 ガーディナーってこれほど表情豊 かだったでしょうか。 ホグウッドも、ピノックさえもちょっと色褪せる気がします。 イングリッシュ・ バ ロック・ソロイスツも大変上手いのでしょうけど、これほど微細な表情の違いを指示されて生き生きと アウトプットできるというのは、指揮者とこの楽団との普段の信頼関係を知らされるようです。 愛おし む感覚がたまりません。 第三楽章も生き生きしています。 ティンパニの低めながら軽い響きが心地良いです。 リズムはくっき りと刻んでいますが、ブツ切れ感は全くありません。 フォルテが力づくにならず、 中間部の歌もよくしないます。 あのピノックの方が速くて前のめりになっている ようにすら思えるほどです。 第四楽章もその傾向は同じで、ピノックよりテンポは緩め、慌てる感じが ありません。 ホグウッドとはほぼ同じテンポですが、それでも若干遅めでしょうか。 ピリオド奏法のせ かせかした感じが全くありません。 どこをとっても美しくゆとりがあります。 40番もそうでしたが、今はなくなってしまったレーベル、フィリップスの1988年の録音がまた 優れていま す。 残響はほどほどあり、中低域がわりと響きますが、自然で弦の艶もあまり細くならず、理想的で す。 John Eliot Gardiner The English Baroque Soloists 2006 ジョン・エリ オット・ガーディナー / イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(新盤) ガーディナーは2006年にロンドンのカドガン・ホー ルで行ったコンサートのライブ収録盤も新しく出しています。 こちらは 41番とカップリングになっていますが、表現の方法論は旧盤とほとんど変わっていません。 第一楽章と第二楽章はテンポにおいてほぼ同じで、新録音の方が ゆっくりの部分でややあっさりしているように思え、ささやくようだったところが少し普通の 小声になり、言いようによってはより健康になったとも表現できるかもしれません。 スラーに よってつながる度合いもわずかに減っている気もします。 それとも 高 音の残響成分が減っているので切れて聞こえる と いうのもあるかもしれませんが、いずれにしても違いは微妙です。 第三楽章は旧盤よりやや ゆっくりで静かになり、 途中木管(クラリネットとフルート)が装飾音符の掛け合 いを演じたりしますが、 第四楽章は逆に明らかに速くなって快活にさらっと流れま す。 最も気になる違いは音でしょうか。 旧盤はフィリップスの録音でバランスの良いものでし た。 この新盤の方は近頃の主流となっているライブ収録で、レーベルも多くのパ フォーマーが採算的に大手から出さなくなっている流れの中、ソリ・デオ・グロリア (SDG)から出ています。 これは2005年にロンドンで設立されたガーディナー自 身のレーベルのようで、非営利で彼らの録音を継続させて行くための団体だとホームページでは紹介されています。 昨今は機器も発達してある程度の投資でこう いうことが可能なようです。 ジャケットには目立つところに楽団員全員の名前と謝辞が記さ れ、第一ヴァイオ リンのリーダーがアリソン・バリーだということもわかり、民主的かつ手作り感があって良い 雰囲気です。 録音は フローティング・アースという会社が担当していることに なっており、 プロデューサーはイサベラ・デ・サバタ、バランス・エン ジニアがマイク・ハッチとなっていますが、イサベラはどうやらガーディナーの奥さんのよう で、家族経営を窺わせます。 音は近頃の傾向か、あまりきらびや かにならないバランスのもので、ハイ上がりの再生機器にはちょうどよいのでしょうか。 中低音 はそこそこ響いてバランス的にも厚めなので見通しが良いとい う感じではありません。 派手さのない高域は残響成分がほとんどないデッドなもので、弦の音に艶を加える傾向はありません。 小さいところは応援したいのでネ ガティヴなことは言いたくないですが、コンサート収録らしい生っぽさはあるものの、ちょっ と古いラジオを思わせる小ぢんまり感もあり、自分としては旧盤の方をとりたいかなというと ころです。 結論から言えば私は 39番に関してはガーディ ナー(旧)の方がちょっといいかなと思います。 どれか一人の演奏者が常に好みなら経済的なのですが、そうい うわけにもいかないのが楽しいところでしょう。 しかしこのピノックの39番もやはり優劣つけがたいほど魅力 的です。 古楽演奏の中で常に誇張が少なく、ゆったりとした歌があって安らげるのがピノックですが、ここでも 例外ではありません。 第一楽章はテンポの上ではピノックもガーディナーもほとんど同じです。 表現上では ピノックの方は、比べればピリオド奏法特有の語尾でスーッと力を抜いて引っ張る所作や ディナーミクの癖が若干強い気がします。 リズムの端正さではガーディナーで、 力を抜くところでもガーディナーは美しく感じます。 ゆっくりのところでかなり遅くする 傾向があり、静けさあるのですが、ピノックは最初の楽章からそのように緩徐楽章のような扱いはせず、素直に 流れます。 第二楽章は前半ではガーディナーの方が静かに抑えた感じで進行し、語りかけるように一音一音を丁寧に、愛 おしむように抑揚を付けて行きます。 一方ピノックはもう少しあっさりしていて、リラックスしているとも言え る自然な抑揚が良いところです。 しかし三分の二あたりから後ろになると、静かなところでピノックが滑らかに つないで行くように変化し、大変美しいです。 最後に向かってさらに減速して行き、ささやくような風情になっ てくるところではため息が出ます。 こうなるともはやガーディナーとも甲乙付け難いでしょう。 第三楽章はピノックの方が若干速くて流れますが、何気ない自然さがあり、それよりも遅いガーディナーはア クセントがあって溌剌とリズミカルです。 第四楽章もピノックの方がはっきり快速で流れるように進み、ガー ディナーはリズカルで弾むようです。 全集の録音は1992年〜95年で、優秀録音です。 適度に残響があり、細部がよ く聞こえながら全体が溶けて弦が美しいです。 輸入盤ではバラでも出ています。 Ton Koopman The Amsterdam Baroque Orchestra トン・コープマン / アムステルダム・バロック管弦楽団 バッハを大変愛しているように見受けられるコープマンですが、そのバッハでは軽さの中に適度に揺らめく抑揚が あり、やわらかな印象でした。 モーツァルト でも基本的にその楽しげな波長は変わりませんが、他の古楽の指揮者同様、やはり70年代以降に確立されてきたピ リオド・モーツァルトのセオリーは外してい ないようです。 つまり、溌剌として歯切れ良い、ロマン主義的な霧の中で夢を追ったりしない覚醒したアプローチで す。 39番は元気良く始まりますが、誰かの ように頭のティンパニが非常に強いというわけではありません。 しかし途中での叩き方にはクレッシェンドなどの工 夫があります。 意外なところでタン、タン、 とリズム感を感じさせる強調が入ったりもします。 テンポは中庸ですが、例によってスラーで延ばさないので実際よ りも速めに聞こえるようです。 第二楽章もほぼ中庸なテンポですが、ここでは逆にピリオド奏法の平均よりはややゆったり目に聞こえます。 一音 の途 中で弦がクレッシェンドしてディミヌエンド するメッサ・ディ・ヴォーチェの呼吸はありながら、あまり目立つ方ではありません。 フレーズの区切りは軽くて さっぱりしています。 ここもやはりレガートの 演奏ではありません。 コープマンらしいのは力が抜けているところでしょうか。 緊張感のあるピアニシモで息を呑む 美しさという感じではないです。 録音は1994年でレーベルはエラートです。 中域に寄った響きで、残響はほどほどの長さですが、やや箱鳴り感 があります。 高域が艶やかという録音ではありません。 というのも、この白 鳥の歌とも呼ばれることのあるお仕舞いから三番目の交響曲は、その繊細で優美な旋律が魅力的で、静かに、もし悲 しみというものがあるのなら結晶の中に閉じ込めてしまって、あくまでも透明に羽のように軽やかに翔けてほしいぐ らいに思っていたわけです。 ところがこの演奏、軽いは軽いものの、そういうヨーゼフ・ランゲの肖像画みたいにう つむいて遠くを見ているようなのは本当の モーツァルトじゃないよ、歴史の垢だよと言わんばかりに嬉々として弾けんばかりです。 しかも聞いているとそれが この曲本来だと思えてくるから不思議です。 ティンパニが元気いっぱいなのは迷惑です。 しかし頭の部分からキレが良いです。 でもアーノンクー ル盤がタメを作ってからテンポを遅め、断定的な迫力をもって叩いているのとは違い、軽くて弾けるような音です。 第一楽章は全体に力強くはありますが、その中に軽さもあります。 第二楽章はやや速めのテンポながら自然な歌があ ります。 第三楽章はテンポは普通ですが、やはり弾むようなリズムでダイナミックです。 終楽章は特に速くなく、古 楽器による演奏であることをさほど意識させないオーソドックスなものに聞こえます。 伝統的な演奏とどちらが好きなのかと言われると今でも悩みますが、もはや方法論だけでは決められない、ひとつ の完成された演奏だと思います。 2001年の録音は大変優れています。 透明さがあり、ヴァイオリンの音が瑞々しく響きます。 編成の大きくな い、楽器にこだ わったオーケストラの良さが十分味わえます。 Jaap Ter Linden Mozart Akademie Amsterdam ヤープ・テル・リンデン / モーツァルト・アカデミー・アムステルダム オランダのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者 、ヤープ・テ ル・リンデン のバッハのチェ ロ組曲はリラックスした大変素晴らしい演奏でした()。 ここ では指揮者としてモーツァルトの交響曲に挑んでいます。 その名を冠した楽団を作って全集も出していると ころをみると、この作曲家に特別な思い入れがあるのでしょうか。 39番の演奏ですが、第一楽章は出だしの音から厚みがあり、ティンパニは低音寄りの響きです。 テンポ はやや遅めで、素朴さを感じます。 リズムはわりと重めで、軽快で歯切れ良いといういかにも古楽器演奏と いう感じのものではありません。 また、静けさと繊細さに特徴があるという方向でもありません。 オランダ の指揮者と楽団ですが、ひとことで言うと実直なドイツ系の人のような演奏に感じます。 途中で走ったりす る表現は一切なく、一音一音はっきりとアーティキュレイトして行きます。 第二楽章はゆっくりです。 スラーでつなぐのではなく、区切って行く感じで、滑らかに流れるようにやる 意図はないようです。 第三楽章は重めのリズムでどっしりとしています。 中庸ややゆったりめのテンポです。 第四楽章もどっし り、しっかりしており、くっきりと重めなリズムです。 スポンジに対するパウンド・ケーキというところで しょうか。 テンポもこの楽章にしてははっきりと遅めだと思います。 どこまでもゆったりと一定に進みま す。 面白みと軽さはありませんが、素朴で実直な良さがあると言えるでしょうか。 2001年の録音は残響が全体に良く付き、しかし高域が響き過ぎることはなく、バランス的には中低域 寄りです。 Roger Norrington Radio-Sinfonieorchester Stuttgart ロジャー・ノリントン / シュトゥットガルト放送交響楽団 ノリント ンという人は存在感のある人です。 とにかく楽しい演奏という意味では他にはない良さがあるの ではないでしょうか。 特にユニゾンで始まるところが芝居っけのある25番や、ともすると大編成で重たく なりがちなジュピターなど、これほど楽しく乗れる演奏はめったにあるものではありません。 39番は個人 的にはささやくように美しく歌って欲しいですが、そういう期待を押し付ける相手ではないでしょう。 これ はこれで喜んでみたら良いと思います。 第一楽章は軽く明瞭なティンパニの音、という感じでもないながら、やはりなかなか元気に叩かれて始ま ります。 ロングトーンの途中で弱めたりする独特の呼吸法はここでも健在で、ただ歯切れ良くやるだけでは なく、結構引きずったような拍の扱いもあります。 低くうごめくような構えから何か獣が飛びかかるような バネの効いた表現もあります。 第二楽章も途中からスタッカートにしたり、飛び跳ねるような動きがユーモラスです。 第三楽章はアクセントに癖があるものの、案外普通に聞こえます。 昨今は他の演奏者も色々仕掛けを工夫 するからでしょうか。 終楽章はやや遅めのテンポで、重めのリズムでくっきりとしています。 Charles Mackerras Scottish Chamber Orchestra チャールズ・マッケラス / スコットランド室内管弦楽団 オーストラリアで生まれ、イギリスとチェコで学んだ幅広いレパートリーを持つ指揮者でしたが、 2010年に惜しまれつつ亡くなっています。 モダン楽器によるピリオド奏法を行っていますが、突飛なところはなく、レクイエムで見せた先鋭さ、寒 色の響きという特徴はここではあまり感じません。 録音の状態も違うので演奏だけの問題とも言えません が。 最近のものらしく色々工夫は感じられますが、案外淡々として自然な進行です。 むしろもっと前の時代 の語法かと思わせるような部分も聞かれます。 第一楽章は出だしの部分で、二拍目に三つ続くティンパニのリズムが二音に聞こえます。 弱いのか叩かれ ていないのかと耳を澄ましましたが、他のパートもそういうリズムになっているので、そう演奏しているの でしょう。 つまり「ダーン、ダダダーン」ではなくて「ダーン、ダダーン」です。 テンポは速いです。 スト レートな歌わせ方です。 結構迫力があります。 ただ、中高域が反響によってきらびやかに響くせいで、 ちょっと音がキツい気もします。 途中、第二主題への導入が大変遅く、その後意外にもチェンバロが鳴らさ れて次の主題が始まります。 こうした抑揚によるのではない工夫は面白いと思います。 それから途中から アッチェレランド(だんだん速くなる)して猛然と進むところがあります。 フルトヴェングラーですらモー ツァルトでは途中から駆け出したりはしないものだと前に言いましたが、これにはちょっと驚きました。 ま た、通奏低音の弦が持続音に聞こえているとでも言いたくなるような処理があったりもします。 第二楽章は中庸なテンポです。 前の楽章と比べるとゆったりに聞こえます。 やはり語尾は過度には延ばし ません。 リタルダンドが出たりしますが、表現上突飛な感じはどこにもありません。 中間部の力強いところ が印象的です。 静けさの方には力点がないのでしょうか。 全体にテンションの高い演奏です。 第三楽章は速いです。 そのせいもあり、ちょっと低音のボンつきが気になりました。 エネルギッシュで す。 教会録音のようによく反響しています。 第四楽章は普通に速いです。 反響の中でどんどん続けて進行して行く感じです。 このテンポならもう少し 音が明瞭だといいと思います。 撫でるようにつなげて行くテヌートの弦が場所によってすすり泣きのような効果をもたらしています。 対 してリズムははっきりとしています。 しかし全体的には表現はオーソドックスなものに感じます。 中低音が ボンとよく響くところは同じ趣向のアダム・フィッシャーとは録音場所も録り方も違うようです。 トータル では意外とストレートな演奏に感じます。 レクイエムで見せた厳しく引き締まったクールさとは別の印象で す。 2007年の録音はエンジニアが元デッカのジェームズ・マリンソンです。 ただ、すでに色々述べました が、今回の録音のバランスは正直私の好みではありませんでした。 Rene Jacobs Freiburger Barockorchester ルネ・ヤーコプス / フライブルク・バロック・オーケストラ アーノンクールに勝るとも劣らない古楽独特の工夫が凝らされた新しいヤーコプスの録音、白鳥の歌とも呼ばれる 39番では比較的その元気さが抑えられているような気がしますが、傾向は同じだと言って良いでしょう。 第一楽章 は中庸なテンポで決して速くはありませんが、リズムがくっきりしています。 第二楽章のテンポはゆったりしていま すが、古楽独特の山なりの強弱がかなりしっかりと付けられていま す。 第三楽章は速く、短く切って強調されたリズムで勢いが良く、第四楽章のテンポは中庸ですが、はきはきしてい てブラスが元気です。 録音は40番のところで書いた通りで、低音がしっかりしていて残響は少なめです。 2008年の収録です。 Frans Bruggen Orchestra of the Eighteenth Century フランス・ブリュッヘン / 18世紀オーケストラ 以前とは違い、大変自然体になってきたブリュッヘンですが、39番の演奏で特徴的なのは、古楽器に よるピリオド奏法でいつも感じるブツ切れ感がないところでしょうか。 拍の区切りをはっきりと取るところと、それに対 するアンチテーゼのように故意に引きずるところとを設けてコントラストを付けるという手法はピリオド奏法の他の指揮 者でもときどき聞かれますが、ここでは後者の引きずるようなテヌート気味の歌わせ方が印象的です。 そして古楽演奏で はめずらしく全体にスラーがかかったようなその扱いにより、旋律線がよくしない、滑らかです。 第二楽章はゆったりめ のテンポです。 後ろ二つの楽章は大変オーソドックスな印象です。 グロッサの2010年の録音は40番のところで述べた通り、自分の好みからするとややオフで明瞭さに欠けるような 印象を持ちます。 演奏は自然で素晴らしいのでちょっとだけ残念です。 これも再生機器によるかもしれません。 Philippe Herreweghe Orchesre des Champs-Elysees フィリップ・ヘレヴェッヘ / シャンゼリゼ管弦楽団 40番よりもストレー トさが減り、その分工夫が生きた演奏であるように感じました。 第一楽章のテンポは中庸で、遅い方ではありませ ん。 第二楽章もゆったりの方向ではありません。 洗練を感じさせる速度です。 表現はピリオド奏法をとっている演奏 家たちの中で最も誇張 がないものかというとそうでもなく、この人にしては案外メリハリが効いている方でしょう。 リズムが適度に歯切れ 良くて心地良いです。 拍の区切りと間の置き方は くっきりとしています。 所々で意図的な音の強弱による揺れというか、歌い回しに微妙な変化が聞かれます。 こうし た表現が説得力を持つかどうかは受け手の感性にもよると思いますが、最近のように数としても色々工夫の凝らされ たものを聞くようになってくると、ディテールが少し違うバリエーションの一つぐらいに聞こえてしまいがちで、必 然性はよくわからない気もします。 少なくとも私には新鮮ということはありませんでした。 第三楽章は軽快で弾むよ うです。 第四楽章も同じ傾向で、快活で生きいきしています。 録音はトータルでバランスが良いですが、響き方が生真面目で個人的にはあまり魅力的ではありませんでした。 2012年の録音です。 モダン楽器を使って古楽器奏法のアーティキュレーションでやる、いわゆるピリオド 奏法ですが、全体の印象は大変フレッシュです。 弾けるような軽さがありながら優美な歌が聞け、この39番はなか なかの名演だと思います。 最初の楽章でこの曲に対するアプローチはわかるもので、伝統の塵を落として元気良く先鋭にやりたいのか、白鳥 の歌と呼ばれるこの曲の持つ優美さに焦点を当てたいのかがはっきりします。 ピリオド奏法では結構グイグイ来られ るものが多い中、この演奏はどちらのステレオタイプにも堕せず、新鮮にして優美です。 リズムに工夫がある一方 で、その静かに繊細にしなう歌 い回しは絶品です。 出だしのティンパニは結構軽い音で間を取って落ち着きはあるながら、結構勢い良くリズミカルに叩かれます。 途中で緩めるなど、均等なリ ズムでないところと、打っておいて止めるような拍の区切りに意欲が聞かれます。 一方で続くメロディーラインは繊 細に表情を付けます。 第二楽章はテンポこそゆったりしているわけではありませんが、ここにも静けさがあります。 やはりフレーズの語 尾を切るところとアクセントは現代のピリオド奏法的ですが、デリケートで美しく感じます。 第三楽章はあまり力を込めたようにはなりません。 リズムに軽さがあるせいでしょう。 リズミカルで独特のグルー ヴ感があります。 それでいて弦が歌うところでは対比的に滑らかに、引っ張るように撫でて行きます。 第四楽章は40番の第一楽章同様、細かく浮いたり沈んだりしながら進行します。 テンポはやや速めながら常識的 な範囲内で、この演奏者は全曲を通じて、たとえ駆け足になっても威圧感は感じません。 軽さがあります。 2012年の録音はこの手のピリオド奏法モダン楽器というものの中ではきれいなものの一つでしょう。 弦も管も 瑞々しく心地良いです。 レーベルはデンマークのダカーポです。 Nikolaus Harnoncourt Concentus Musicus Wien ニコラウス・アーノン クール / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス モーツァルトの三大交響曲はこれまでにすでに二度録音している古楽ムーヴメントの急先鋒、アーノンクールですが、 年とともに穏やかになって行っているこの指揮者にしては珍しく、モーツァルトの交響曲についてはこの最新の録音でも 最初のものとさほど変わらない劇的な表現を貫いています。 最初はロイヤル・コンセルトヘボウと1980年に録音して そのアグレッシブさが話題になり、次いで91年にヨーロッパ室内管弦楽団、そして今回アーノンクール自身が設立した 楽団による古楽器の演奏となりました。 この指揮者は好きですが、ヴィヴァルディの四季とモーツァルトの交響曲、特に この39番だけはその創意工夫が個人的には必然に感じられない気分のままでいます。 四季については昔のイ・ムジチの ようなまったりした演奏が今決して繰り返されなくなったことをさして懐かしく思わないのですが、「白鳥の歌」はもう 少ししんみり聞きたいと言えば、やはり時代に乗り遅れてるでしょうか。 第一楽章から芝居っ気は全開で、ゆっくり主題を提示した後のつなぎで軽快に走ったり、ティンパニの加わるところで 遅めて断定的に強く打たせたりしています。 テンポは速めです。 第二楽章はこの人独特の歌い回しの上手さが堪能できます。 ただ優美なだけではないモーツァルト像を示すというのが アーノンクールの意図なのでしょうが、元々美に対する感受性が豊かな人なので十分に美しいです。 テンポは中庸やや速 めというところです。 第三楽章はまたテンポが大胆に変動し、ティンパニは元気よく強調されて叩かれます。 第四楽章はあまり速いとは言えない中庸なテンポながら、アクセントはやはり強くて勇ましいです。 録音は新しく、2013年でムジークフェラインでのライブ収録です。 モダン・オーケストラによる演奏 Bruno Walter The Columbia Symphony Orchestra ブルーノ・ワルター / コロンビア交響楽団 40番が定番と言われる名演であり、ワルターと言えば歌にあふれた手弱女振りというのが評判ですから、39番 についてはその曲の性質からぴったりだろうと想像するわけです。 果たしてどうかというと、そういう思い込みから すると案外元気です。 第一楽章は最初からほどほど力強いですが、ピリオド奏法とは違ってティンパニは鋭くはありません。 編成が大き いせいもあって分厚い音が重めにやって来ます。 テンポはゆっくりです。 個人的にはかなり遅いなと感じます。 節回 しはヘヴィ・クリームのように滑らかです。 第二楽章は大変ゆったり、静かに入ります。 やはり滑らかだけれども、一歩ずつ踏みしめて歩くような運びです。 もう少し軽 さとウィットがあってもと思わなくもありませんでした。 真面目でじっくり、悪く言えば若干間延びしているとも表現で きるかもしれません。 第三楽章は力強くてくっきりしています。 テンポはやや遅めながら、中庸の範囲です。 中間部ではワルターらしく 滑らかに歌います。 第四楽章はモダン・オーケストラの演奏としては中庸な方で、遅くはありません。 そして大変はきはきしています が、軽やかというのとは違います。 好みとしては、この楽章はもう少し軽快に行ってくれればと思わなくもありませ んでした。 しかしワルターで揃えたいなら、やはり名演だと思います。 録音は1960年。 40番のときのセッションとはバランスが違います。 イコライザーで調整しても、40番の方 が上手く行きました。 少し寝ぼけて反響が多いような気がします。 ソニーの日本盤 DSD リマスターは、ここではややシャキシャキした音に感じます。 Karl Bohm Berliner Philharmoniker カー ル・ベーム / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 モダン楽器によるオーケストラの演奏で、三大定番と言われるものの一つです。 残りはワルターとカラヤ ンですが。 ベームの演奏は大変実直で生真面目、リズムの一つひとつがくっきりと手に取るように見えま す。 こう言うと古楽器の演奏がリズムをはきはきと区切って、ときにスタッカートのように歯切れ良くやる のが流行になっているのと似ているように聞こえますが、実際に聞くと全くニュアンスが違います。 古楽器 オーケストラの指揮者たちは鋭角にえぐることで新鮮な驚きを提供したいという意図があるのだろうと思い ます。 一方でベームのリズムのかっちり感は、鋭く切れるという方向ではなく、一歩ずつ区切って確かめて 行くような真面目なもので、重さ軽さで言うなら重みを感じます。 二つある録音のうち、ベルリン・フィルとのものが前、ウィーン・フィルとのものが後になり、前者の方 がテンポが速くて筋肉質だというのが全体的な傾向ですが、この39番についてはテンポはずいぶんゆった りで、ウィーン・フィルに迫るところもあります。 大変しっかりと演奏しているなという印象です。 1961年の録音はステレオ初期ですが、何の不満も感じないバランスの良いものです。 リマスターのせ いもあるのでしょうか。 これについては比べてないのではっきりしたことが言えませんが。 Karl Bohm Wiener Philharmoniker カー ル・ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベーム晩年の、大変ゆっくりな演奏です。 レクイエムなど、私はちょっとついて行けませんでしたが、これもかな り遅く感じます。 止まりそうだというと言い過ぎでしょうか。 ただ、この時代の大変正統的な演奏をする指揮者です し、やわらかな音の伝統的なオーケストラですし、老翁ベームの良いところは自然体であるところです。 力が一切入 らず、悠々と流れて行きます。 第二楽章のゆったりさなど、他にはないのではと思わせます。 これはこれで味わいが あると言えるでしょう。 この時期の録音は大変ナチュラルで、グラモフォンのアナログ録音としても優れていると思います。 1979年の 収録でした。 Istvan Kertesz Viener Philharmoniker イシュ トヴァン・ケルテス / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ハンガリー出身のユダヤ系指揮者、ケルテスの演奏はどこにも欠点のない均整のとれたものであ り、そういう意味では正統派の最たる ものと理解されているベームのベルリン・フィルとの演奏と比較できるのかもしれません。 ただ、ベームほど四角く はなく、やわらかな印象のあるモーツァルトの39番など、一つの模範と言えるかもしれません。 ウィーン・ フィルとの演奏であるため、デッカの録音と相まって音の面からも喜ばれているようです。 第一楽章はやや遅めのテンポで、モダン・オーケストラらしい落ち着いた重い運びで滑らかです。 第二楽章もゆっ たりで、ここにはあまり波はありません。 大変穏やかな印象です。 第三楽章も終楽章もまた、大変オーソドックスな 完成度を見せます。 1962年の録音は40番よりも古いようですが、ここでも音は悪くありません。 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker ヘルベルト・ フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 レガートの帝王、カラヤンの39番はどうでしょうか。 静かな白鳥の歌に、滑らかでロマンティッ ク、艶やかなベルリン・フィルハーモニーという組み合わせは最高のような気がします。 ただ、今あら ためてこうして聞くと、ピリオド楽器による演奏の嵐がクラシック市場を席巻した後の今となっては、 過度に大編成で重厚に聞こえるのではないでしょうか。 颯爽としていたカラヤンですら、その滑らかさ が重さを感じさせます。 この第39番についても、全部で何回カラヤンが録音をしたのか、詳しいことを知りません。 一般的 に流通しているものは、1970年、77年、そしてラスト・コンサートでの88年ということになる でしょうか。 演奏様式についてはこれも40番と同様で、モーツァルトに関してはカラヤンの演奏は時 とともに大きくやり方を変えて行くということはなかったように思います。 1970年のこの盤の特徴 は、その後の77年のものよりも幾分ゆっくりで、レガート度合いも大きい気がします。 カラヤンの個 性という意味では、案外この70年盤に特徴が出ていると言えるかもしれません。 録音は十分に良く、イエス・キリスト教会で収録されているためもあって残響が長くて芳醇な味わい です。 その分やや透明度は落ちるかもしれません。 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker ヘ ルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1977年にはあまり期 間を空けずに新録音が出ました。 ベルリン・フィルハーモニーザールでの録音で、旧録音よりも残響成 分が減ってすっきりしました。 しかしデッドというわけではありません。 大変良いバランスだと思いま す。 テンポもややすっきり、スラーのつながりも若干もやが晴れたところがあるようですが、やはり相 変わらず滑らかにして重厚です。 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベ ルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1988年、ブラームスの来日時のライブが圧倒的名演で、それが日本での最後のコンサートになったということは別 項目で触れました()。 この39番は そのときに行われた演奏です。 演奏順もあり、曲も曲であるがゆえ、ブラームスのような神懸かりの燃焼は見せません が、遅いテンポで、元来重厚だったカラヤンのモーツァルトの中でもさらに重厚な運びとなっています。 第二楽章はさほ ど遅いわけではないですが、全体には何か、冗談と卑猥と白鳥のモーツァルトというよりもむしろ、病と向き合った晩年 のベートーヴェンとでも言うべき雰囲気で、もはや滑らかさや優美さという種類ではなく、重く真剣な印象です。 音はさすがに日本でのライブ録音だけに、前二者と比べるといかにもライブらしい感じです。 1960年から4年間音楽監督だったこのスイトナーの盤は、モダン・オーケストラの演奏する 39番の中では バランスが良く、 今のところ最も気に 入っています。 40番では同オーケストラの後発盤であるブロムシュテットのも のが素晴らしい演奏でしたが、39番では自分の中で逆転していて、両方手の届くところ に置いておかなくてはならなくて悩むところです。 第一楽章のティンパニは控えめで、やわらかく入ってスラーでつながります。 リズムの区切れ感は40番のときのよう には出ておらず、この曲の雰囲気に合っています。 残響のあるルカ教会での厚みのある音が魅力的です。 古楽器奏法とは 違ってリズムは軽いものではなく、着実で滑らかであり、さすがに東側の伝統オーケストラの落ち着きです。 第二楽章はやわらかく、静かで大変ゆったりです。 ウィットに富んだという感じではなく、良い意味での真面目さを感 じます。 運びはやはりピリオド奏法ではないので、スラーが聞かれます。 穏やかでよくしなう節回しで、途中弱めるとこ ろで消え入るように繊細に扱い、スイトナーはこんなにデリケートな表情を与える人だったかと驚きました。 展開部では 力のある盛り上がりを見せます。 弦の音が繊細で滑らかです。 第三楽章は遅めのテンポで、しっかりしたリズムながらしつこさがありません。 終楽章はゆったりではあるものの、遅くは感じません。 ドイツ・シャルプラッテンの1975年のアナログ録音は落ち着いた良い音です。 ヴァイオリン群の艶と分解がちょう ど良く、最新録音に劣るところがありません。 分解能の高いオーディオ・ファイル向けの音ではないですが、厚い低音の オーケストラが堪能できます。 Neville Marriner Academy of St Martin in the Fields ネヴィル・ マリナー / アカデミー室内管弦楽団 小規模な室内管弦楽団でありながら、古楽器による演奏ではないマリナーとアカデミー室内ですが、これはこれで独自の魅力があるかと思います。 大げさでな く、常に端正でありながら繊細なウィットに飛んでいます。 39番などは大変期待した演奏でした。 フィリップスに録音 したこの盤の後にも EMI からディジタル録音が出ていますが、そちらはよりダイナミックな表現に変わり、テンポも遅めになっている部分があり、音は初期デジタルのちょっとギスギス したところのあるもの(主観の範囲ですが)なので、ここではアナログ盤の方のみを取り上げさせていただきます。 ただ、40番のところでも述べましたが、このモーツァルトの交響曲については、少なくとも私の手に入れた DUO の廉価版シリーズの音はややオフで、反響も少ないデッドなものでした。 ピアノ協奏曲などでは大変優れた録音になって いるのでちょっと残念です。 39番も中庸なテンポで、第一楽章は、いつもどちらかというとやや軽快なことが多いこの人にしてはゆったり目に感 じます。 しかし表現は過度に引っ張らない端正なものです。 第二楽章も中庸のテンポで端正さが際立ちます。 もう少しやわらかに表情をつけて歌う方が、と思わなくもないです が、マリナーらしく出しゃばらないのでしょう。 第三楽章も中庸で端正、力が入らないところが特徴かと思います。 終楽 章も遅くはなく、中庸なテンポで進みます。 1978年と表記されている録音は、40番と8年の開きがあることになっていて別のセッションなはずですが、音は 案外似ていてやはりちょっと高域がオフ、残響の面からするとデッドです。 弦に艶はあるのですが、40番同様、個人的 にはイコライジングしてしまった経緯があります。 熱気のある演奏では ないで すし、テンポもゆったりですが、案外はきはきしたところもある清潔にして繊細な演奏です。 第一楽章はモダン・オーケストラとしては中庸の範囲のテンポですが、まあゆったり目と言えます。 音の扱いはピ リオド奏法とは違って弦にスラーがありますが、一つひとつ音を出して行きますので、カラヤン・レガートとのよう に厚いもやの中でつながった滑らかさとは違います。 出だしは力で押さず、管楽器もやわらかく抑揚があります。 ワ ルターよりも間が取れているでしょうか。 ピアニシモでよく延ばすところがきれいです。 第二楽章は滑らかで遅めなので、棒のように延ばしているように感じる人もあるかもしれませんが、ニュアンスは かなり繊細についています。 やわらかく弱めたり、大仰でなく膨らませたり、愛おしむようです。 モーツァルトのは かなさというよりも大人の落ち着きを感じさせますが、後半は夢の中を漂うようで、いい演奏だと思います。 録音が もう少ししっとりだったら演奏に合い、自分の中でベストの評価に入るかもしれません。 第三楽章はゆったり力が抜けて、着実です。 やや遅めでリズムが幾分区切れているように感じます。 終楽章は中庸 なテンポに変わりますが、着実な歩みは変わりません。 1980年の最初期のデジタル録音です。 高域がややサラッとしてヴァイオリンに浮いた艶が加わりますが、バラ ンスは良いです。 低音のたっぷりした音ではなく、室内管弦楽団のようにくっきりとして聞こえます。 これでフォ ルテの弦がもう少し滑らかだったら文句のないところですが。 リマスターによって印象が変わる範囲にはあります。 Herbert Blomstedt Staatskapelle Dresden ヘルベルト・ブロムシュテット / シュターツカペレ・ドレスデン スイトナー盤 の後にデジタルで出たドレスデン・シュターツカペレの演奏は、40番が圧倒的に良かったために期待しました。 良 い演奏ですが、比べると私はスイトナーの方が逆転して良かったように思います。 テンポが大変遅く、ちょっと着実 に過ぎるように感じられるせいだと思います。 古楽器とピリオド奏法によるアプローチの正反対と言えるかもしれま せん。 他の指揮者同様、40番の鮮烈に対して39番を静かで穏やかな曲だと位置づけているのでしょうが、 ブロムシュテットの捉え 方は全体がロマン派的な緩徐楽章のように壮大な方向です。 常に作為を感じさせない東ドイツの楽団ではあります が、 ここではオーケストラの自発的な中庸さを超えて指揮者の設定を感じます。 第一楽章のテンポはしっかり遅いです。 角を付けて区切るわけではないですが、リズムも重いです。 一音一音はっ きりしていて大変ゆっくりやります。 第二楽章はスイトナーよりゆっくりしています。 悪く言えばのっぺりしているとも表現できるでしょうか。 展開部 では盛り上がりますが、全体では私はやや平坦に感じます。 ただ、クーベリックにもそんな感じがありましたが、よ く聞いていると穏やかで、染み出してくる味わいがあるとも言えます。 第三楽章はスイトナーとほぼ同タイムで、一歩一歩進みます。 ただ、やはり主観的にはスイトナーより遅さを感じ ます。 どうしてでしょうか。 リズムの区切れた感じから来るのか、平坦さのせいでしょうか。 第四楽章も遅く平坦に 感じます。 真面目な好演という見方もあると思いますが。 後半では力強さもあり、この楽団の伝統を感じさせます。 1982年の DENON PCMシリーズのデジタル録音はシャルプラッテン側の技術者を立て、厚みのある自 然なバランスで弦も爽やかです。 James Levine Wiener Philharmoniker ジェームズ・レヴァ イン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン・フィルの演奏です。 アメリカ生まれのユダヤ人の指揮者、レヴァインの盤も話題になったようです。 この楽団で聞きたければベームかケルテスかこ の人かという話になるかと思います。 演奏はケルテスと並んで大変オーソドックスです。 第一楽章のテンポは中庸ですが、ややゆったり目かもしれません。 明らかに古楽器の小楽団とは違います。 第二楽章も オーソドックスなテンポ設定です。 一方で第三楽章はやや速く、若干リズムにキレがあります。 第四楽章もモダン・オー ケストラとしては速めの方でしょう。 最大の魅力は VPO の音かもしれませんが、1986年の録音はこの楽団らしいやわらかい風合いをよく伝えてい ます。 ただ、鮮明な方向ではなく、案外残響が含まれた録り方です。 キツさはありません。 Kurt Sanderling Deutsches Symphonie-Orchester Berlin クルト・ザンデルリンク / ベルリン・ドイツ交響楽団(旧ベルリン放送交響楽団) ザンデルリンクは現在のポーランド領に生まれ、ユダヤ系であったためにナチから逃れてソ連でデビューし、後に東ド イツで活躍した指揮者です。 2011年に98歳で老衰のため亡くなっています。 一方ベルリン・ドイツ交響楽団の方は以前ベルリン放送交響楽団という名で呼ばれており、米軍占領地区の楽団として 設立された旧西側のオーケストラなのですが、ベルリンにはたくさんのオーケストラがあって混乱します。 同じ名前のベ ルリン放送交響楽団は東側にもあり、現在も存在しています。 また、ベルリン交響楽団という名前も二つあります。 東側 にあったものは現在ベルリン ・コンツェルトハウス管弦楽団と名称を変え、西側のものは戦後に設立された楽団で、現在は リオール・シャンバダールが主席指揮者を務めています。 この楽団は私も聞きに行き、世間の軽い扱いとは裏腹に大 変上手で楽しませてくれました。 特にアンコールで取り上げられたエニグマ変奏曲の「ニムロッド」は、通常最後で 盛り上げるところを中程以降で波打つようにエネルギーを高め、圧倒的に気の入った名演だったため、以後どの CDにも満足できなくて困っています。 脱線しましたが、これ以外にも旧東側だった シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)もありますし、世界一上手いと言われるベルリン・ フィルは名を挙げるまでもないでしょう。 今回この CDで演奏している ベルリン・ドイツ交響楽団は、1991年 という時期から言ってアシュケナージが 主席指揮者だった頃だと思います。 さて、演奏なのですが、カップリングになっている田園もゆったりほのぼのとした味わいで良いのですが、気のせいか どうか、どうもミスが多いように思います。 編集していないだけという問題だとも言い難い感じです。 第一楽章でフルー トのテンポが走って合わず、フライングのように聞こえるところがありますし、クラリネットの音もピッチが合ってるの かと思う箇所があります。 全体に揃わない微妙な感じはアンサンブルの乱れと言うべきかもしれません。 正直、この楽団 一流だったっけとケースを再確認してしまいました。 合っているところは問題ないので第二楽章などの美点に目を向ける べきでしょう。 出だしで面白いのは、最初の音が一斉にドンと強く出るのではなく、ティンパニが鳴って一瞬遅れて他が スタートし、途中から盛り上 がるように感じるところでしょうか。 ボン、ガ〜ンという感じで全体の演奏を象徴しています。 テンポはゆったりで、この 人の演奏には独特のリラックス感があって良いです。 音を鳴らす前にちょっと確かめているような風情があちこちにあっ て、ややもったりしているようにも響くのですが、ユルさは美点にもなり得ます。 第二楽章はよく響かせていながらスローだという不思議な感覚です。 穏やかできれいです。 このゆったりした感覚は平 和で幸せです。 これが良いとなると他では探せない個性です。 やさしく抱かれているような感じと言いましょうか。 続く 第三楽章も余分な力が入らず、ゆったりとたゆたって良い雰囲気です。 アンサンブルの微妙な揺れも美点に聞こえてしま います。 終楽章も肩の力が抜けています。 技術的に言えば不満なのに、なんか魅力のある不思議な演奏だと思います。 お 昼寝の後の幸せ、でしょうか。 録音は良いです。 ライブなので会場のノイズなどは聞こえますが、自然という意味では演奏ともども良い雰囲気です。 目の覚めるような音ではないですが、自然な弦ののびのびした音が楽しめます。 Weitblick というレーベルは知りませんでしたが、ドイツのものながら日本で曲目選定をして、日本向けに出されているもののようです。 中の解説もドイツ語、英語と来 て、日本語が印刷されています。

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天才の最後から二番目の交響曲。その解釈をめぐって。テーマは「悲・喜」?「悲哀」? モーツァルト:交響曲第40番

モーツァルト 40番 名盤

概要 [ ] モーツァルトの全楽曲の中、最も有名なものの1つである。 モーツァルトの交響曲のうちのものはこの作品を含めてわずか2曲しかなく 、その両方がト短調であるため、こちらを「大ト短調」、もう一方のを「小ト短調」と呼ぶことがある。 第40番はトランペットとティンパニが用いられていないほか、第25番とは全体の構成、調性の選択、移行の仕方など、かなり多くの点で類似が認められる。 にで完成された。 同年に作曲された()、()とともに「3大交響曲」と呼ばれる。 3曲とも作曲の目的や初演の正確な日時は不明であるが、モーツァルトは、この交響曲第40番を除き(後述)、これらの曲の演奏を聴かずに世を去ったと推測されている。 初演 [ ] この曲の初演に関する記録は残されていないため、かつての人気作曲家が演奏のあてのない曲を書いたと、悲劇性を強調する文脈で語られることもあったが、現在ではモーツァルトの生前には演奏されていたと推測されている。 初稿のほかに、2本のクラリネットを含んだ木管のパートを追加した改訂版が残されているためである。 モーツァルトが実際に演奏する目的なしに曲を改訂するとは考えにくい。 また、第2楽章の一部に差し替え用の楽譜が残されている。 この楽譜は2月以前に書かれたことが分かっており、1788年の演奏会のために作られたと考えられる。 1789年の旅行との旅行では、モーツァルトが自分の交響曲の楽譜を携えていったことは確かである。 「1791年と、ウィーンの音楽家協会の演奏会でモーツァルト氏の新しい大交響曲がの指揮で演奏された」という史料が残っている。 この大交響曲とは本作のことを指すものであろうと推測されている。 楽器編成 [ ] 1、2、2、2(変ロ管とト管、変ホ管)、2部、、バス(、) 初稿と改訂稿があり、後者には2本が追加されている。 どちらで演奏するかはの裁量によるが、現在のところ、クラリネット入りの改訂稿で演奏されることのほうが多い。 とを欠く。 曲の構成 [ ]• 第1楽章 モルト・アレグロ 、2分の2拍子、。 ヴィオラの8分音符の和音の刻みに乗って次の第1で始まる。 第2楽章 アンダンテ 、8分の6拍子、ソナタ形式。 8分音符の同音6連という朴訥な第1主題がヴィオラから第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンへと重なりながら出る。 第3楽章 アレグレット - トリオ ト短調 - 、4分の3拍子、。 主旋律が一般的な8小節単位の組み合わせではなく、各所で3小節単位となったり2小節単位の寸足らずになったりするため、変拍子的な印象を与える。 ト長調のトリオはホルンの響きが象徴的な音楽。 第4楽章 フィナーレ:アレグロ・アッサイ ト短調、2分の2拍子、ソナタ形式。 駆け上がる分散和音の前半と強奏の後半とでできた激しい第1主題で始まる。 激しい経過部を経たのち定石通り平行調の変ロ長調で静かで優しい第2主題が出る。 展開部では第1主題の前半の動機が主に展開される。 その他 [ ]• 自筆譜は、が生前所有していた。 これは、を献呈された返礼としての公子妃から贈られたもの。 現在ではが所有している(ブラームスの遺贈)。 が、モーツァルトより半年から1年ほど早く()完成させた4楽章の交響曲ホ短調A42は、同じ調性かつ編成もほぼ同じ(弦5部のほかフルート1、オーボエ2、ファゴット1、ホルン2:変ロ管とト管)で、曲全体が醸し出す雰囲気にも少なからぬ近似性(特に第1楽章とメヌエットの楽章、終楽章)がみられる。 ・の ()構内では、列車の発着のつど、第1楽章冒頭の主題が流されている。 の自動車検査ラインの光軸検査ブースで、光軸テスターが稼働する際に注意喚起のため第1楽章冒頭の主題がリピートで流れるものがある。 は、この曲の第3楽章をピアノ独奏用に編曲している。 とは、この曲を4手に編曲して演奏している(CDはレーベル BIS-CD-418)。 第1楽章に歌詞を付けた歌としては、の「哀しみのシンフォニー」(原題は Caro Mozart , 〔で言うなら Dear Mozart 〕 リリース)が知られている の)。 のサンプルMIDIファイルのひとつが、この交響曲の第1楽章であった。 がその代表作の一つ『モオツアルト』において、道頓堀でふと頭の中に響き渡った曲として楽譜を作中に引用しているのはこの曲の第4楽章である。 の発売締め切り告知BGM - 第1楽章冒頭の主題が流されている。 参考文献 [ ]• 『作曲家別名曲解説ライブラリー14 モーツァルトI』、1993年• ほか『モーツァルト事典』、1991年• ロビンズ・ランドン『モーツァルト最後の年』海老澤敏訳、、2001年 脚注 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 他にの作とされ、にので再発見された『オーデンセ』があるが、こちらは偽作説が有力となっている。 また、モーツァルトは宗教劇『救われたベトゥーリア』の序曲を交響曲に編曲しているが、こちらはである。 ベーレンライター社の新全集版では付録となっている。 1997年にクリフ・アイゼンがこの断片をモーツァルト自身による(クラリネット追加と別の)改訂案とする研究を発表。 ブライトコプフ&ヘルテル社が注目し、2014年にヘンリク・ヴィーゼ校訂で新版を出した。 「クラリネット無しの版」を自筆断片や筆写パート譜に基づき修正した第3のヴァージョンとなる 外部リンク [ ]• の楽譜 -。 として無料で入手可能。

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