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なぜPCR検査は増えないのか

世に 倦む 日々

論戦を先取りする意味で、デービッド・アトキンソンが昨年3月に東洋経済に寄稿した記事に着目しよう。 アトキンソンは今年4月17日の報道1930に出演し、日本の最低賃金は低すぎるという持論を述べている。 あの反響を呼んだところの、20年間で他の先進諸国は時給が70%伸びているのに、日本だけが-9%と落ち込んでいるではないかという衝撃のOECD統計が紹介された放送回である。 1年前の東洋経済の論稿では、日本の最低賃金は台湾や韓国よりも低く、豪州やフランスの5割から6割の水準でしかない事実が示されている。 日本の労働者は世界第4位の質の高さを持ちながら、最低賃金では先進諸国中最低レベルに甘んじさせられていて、その乖離が甚だしいと指摘している。 まさに正鵠を射たデータ分析であり、我が意を得たりと膝を打つ本質的な説明である。 労働力商品の不等価交換の真実暴露。 これこそエコノミクスだ。 画期的な問題提起であると評価したい。 このアトキンソンのモデル解析に加えて付言する議論があるとすれば、aとbのギャップ分である価値生産はどこへ行ったかという問題である。 消えたわけではない。 生産されてないわけでもない。 言うまでもなく、その価値分は内部留保と配当金とケイマン諸島に計上されているのであり、特別剰余価値の集積となって資本会計に回収されているのだ。 日本の労働者が働いてないわけではない。 その真相までアトキンソンが言及すれば満点なのだが、マルクス経済学の知識と視角がないとそこまでの究明や結論には行き着かない。 しかし、見事な分析と提起であり、どうして日本のアカデミーの経済学者はこれができないのだろうと溜息をつく。 日本の労働者の能力に注目し、経済学的観点から問題を正しく洞察したアトキンソンの功績を称えたい。 特別剰余価値(内部留保+配当金+ケイマン資金)を年70兆円も溜め込んでいる絶倫資本主義国など、米国は知らないが、日本以外には他にないのだ。 特別剰余価値への搾取分が半分になれば、すなわち年40兆円が労働者と国庫に還流されれば、年金財源は立て直され、非正規労働者の年収は倍になり、日本経済は年5%以上の成長軌道に乗ることができる。 その内容については別途論じるとして、まず何より言いたいのは、日本経済の右肩上がりは終わってないという事実であり、右肩上がりは終わったなどと軽々しく言うべきではないということである。 田中優子や小熊英二が無分別に言うような、経済成長が不能なインポテンツには日本人はなっていない。 脱構築の左翼社会学者は経済を何も知らない。 経済を語る言葉を持っていない。 知らないくせに知ったようなことを言い、経済成長は悪だと呪文を吹き込み、日本人を経済能力の自信喪失と自己否定に追い込む。 日本人に自虐経済観を刷り込み、経済成長を憎悪させる。 ユニクロ着て鍋をすすって満足する緊縮教の信徒にする。 去勢動物にする。 日本経済の異常な病態がよく了解・納得できる図だ。 1994年を100とした25年間の伸び、1999年を100とした20年間の伸び、二つのグラフを作成して各国のGDPの推移を検証した。 1994年から2019年の間に、米国は2. 9倍になり、英国は2. 7倍となり、フランスは2倍の経済となった。 日本は1. 1倍である。 ちなみに、韓国は5倍となり、豪州は4. 1倍になっている。 1倍に、フランスは1. 7倍に、ドイツも1. 6倍になっている。 日本は1. 1倍と冬眠。 引きこもり。 今回、グラフ作成の作業をしながら再発見した重要な事実を申し上げると、この20年間の各国の平均成長率が、米国5. 1%、英国5. 6%、フランス3. 6%、ドイツ3. 4%だったということだ。 20年間の平均成長率である。 日本は0. 日本が長くゼロ成長で、失われた30年を続けていることは誰もが既知の事項だが、他国の経済成長率が思っていた以上に高いのに驚く。 ドイツの20年間の平均成長率は年3. 4%である。 この数字を日本に適用して、1999年のGDP値519兆円から年3. 4%で成長を続けたと仮定するとどうなるか。 20年後である今年2019年、めでたく1000兆円を超える試算の結果が出る。 フランスの平均成長率3. 6%を当て嵌めると、昨年2018年にGDP1000兆円を突破している。 英国の実績である年5. 6%で試算すると、7年前の2012年にとっくに1000兆円を突破し、何と今年2019年には1500兆円の大台に乗っていた。 他の国と同じようにやっていれば、日本は1000兆円の経済規模に達していて、所得も税収も2倍になっていたのである。 年金基金の財源も万全だったのだ。 不安なく働き暮らせたのだ。 今、われわれは、GDP1000兆円の高みなど夢の夢だと思っている。 だが、20年前の当時、20年後のGDP1000兆円は決して不可能な未来ではなかったし、実際にEU諸国は20年で2倍化を達成している。 韓国は20年で3. 2倍にしている。 平均成長率は11. 1%だ。 他諸国が何か特別な施策を行ったわけではない。 日本が間違った制度改悪のために自滅型の病気になり、さらに自虐経済観の自己否定に陥ったことが原因だ。 ジョン・レノンは「想像せよ」と言った。 想像力を持つべきなのだ。 内部留保と配当金とケイマン諸島に積み上がっている年70兆円を、そのせめて半分の年40兆円を労働者と国庫に回し、すなわち所得と税収に正しく還流すれば、消費(内需)が自律的に回復し、日本経済は健康を取り戻し、年率5%から7%の拡大循環の運動を始めるとができる。 社会保障の財源不足も解消され、子どもの貧困も解消され、現役世代は夢を持って会社に出勤し、若者は結婚して二人の子どもを育てる家庭を持つことができる。 最後に、各国GDP値の推移を比較するスプレッドシートの入力とグラフ化の作業をしながら、私は「泣いたエリツィン」を思い出した。 泣いたエリツィンを思い出して胸が詰まった。 91年だったか、訪米してヒューストンのスーパーマーケットを視察したとき、店に溢れる食料品の数々を見て、目眩のするような豊かさを目の当たりにして、ロシアはどうしてこれほど酷い仕打ちを受けなければいけなかったのかと、涙が止まらなかったエリツィンを思い出した。 ロシアだけが、どうして地獄の運命を遭わされなければならないのかと、人目も憚らず号泣したエリツィンを思い出した。 いい男だった。 () 2019年6月配信分• 銘柄の選択等、投資の最終決定は、ご自身の判断でなさるようにお願いいたします。 また、本サイトに掲載している全ての記事およびデータについては、その情報源の確実性を保証したものではありません。 本サイトの提供情報を利用することで被った被害について、当社および情報提供元は一切責任を負いません。 万一、本サイトの提供情報の内容に誤りがあった場合でも、当社および情報提供元は一切責任を負いません。 本WEBサイトの記載内容は、予告なしに変更することがあります。

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なぜPCR検査は増えないのか

世に 倦む 日々

「令和」はもともと安倍晋三の念頭にはなく、ドタバタの駆け込みで決まった元号だった。 そのが少しずつ分かってきた。 2日のTBSワイドショーに出演した田崎史郎がを披瀝し、「令和」が元号案として登場したのは3月20日頃とかなり遅く、安倍晋三が気に入る案がなく再提出を依頼した結果、出てきたのが「令和」だったと語っている。 この話には注目してよい。 毎日の3月24日のを見ると、菅義偉が「考案者の皆さま方に3月14日、正式に委嘱した」とある。 24日は日曜日で、この日、菅義偉は選挙の応援で九州に飛んでいて、出先でこの発言をしてNHKに撮らせていた。 そのニュースを見たとき、オヤと不思議に思ったのである。 何でこんな遅いタイミングで考案者に委嘱なのだろうと。 3月1日の日テレのを再確認すると、「新元号"絞り込み"最終段階・・・日本古典も」という見出しで次のように書かれている。 「『平成』に代わる新たな元号の発表まで1か月となった。 政府はこれまで、複数の有識者に新元号の考案を依頼していたが、1日までに候補が出そろい、絞り込み作業が最終段階に入ったことが分かった」。 この時期、NHKの岩田明子も同じことを言い、元号は十数案に絞られたと話していた。 無論、絞り込みは安倍晋三がやることで、誰か別の人間が行うわけではない。 この「報道」の意味は、安倍晋三が本命案を決めたということで、後の三つ四つのサクラをどう絞り込むかこれから決めるということである。 このとき、「令和」は十数案の中になく、中西進は考案者の中に入ってなかった。 4月1日の共同のにこうある。 「中西氏は共同通信の取材に、当初は明言を避けていたが、公表が近づいた3月上旬になって『私は関係していない』と否定している」。 これは嘘ではあるまい。 本当に関係していなかったのだ。 3月1日の時点で、中西進は考案委嘱者の任から外れたことが政府担当から告げられたため、マスコミにも正直に「私は関係していない」とコメントしたのだろう。 そこからどんでん返しが始まり、3月中旬になって正式に中西進に委嘱の依頼が来るのである。 明確に分かることは、3月1日から中旬の間に安倍晋三が決めていた本命案が潰れたことだ。 本命案が潰れたから、やむを得ず中西進に泣きつき、慌ただしい流れで「令和」に漂着したのである。 わずか2週間という短い時間で「令和」が浮上し、時間切れの混乱の中でバタバタと決着した。 決めたのは安倍晋三だが、安倍晋三にとっても決して本意ではない決定である。 無論、残りの5案(英弘、久化、広至、万和、万保)はサクラであり、体裁を整えるための刺身のつまに他ならない。 有識者の面々は、安倍晋三が決める安倍元号をオーソライズするための雛壇衆でしかなく、彼らには直前に、会議本番では「令和」を推すようにと指示が届いている。 果たして、安倍晋三の本命は何だったのだろうか。 それはどうして頓挫したのだろうか。 簡単に推理すれば、「安久」とか「安永」とか「栄安」がだった可能性が高い。 正月以降、とネットでは「安」入り元号を下馬評で推す声が充満し、予想ランキング上位などと(空気固め)する動きがもっぱらだった。 本命が何だったのかを探るのは難しいが、なぜ本命が潰れたのかを推測するのは易しい。 それは、誰なら安倍晋三の本命案を潰すことができるかを考えれば、即座に解答が浮かぶからだ。 安倍晋三がどうしてもこれにしたいと欲望する新元号を、それはだめだと阻止できるのは皇室(東宮)しかない。 他にはいない。 想起するのは、政府が3月29日にマスコミに流した元号選定の方針で、そこで、「取り沙汰されている『安久』などの案について、政府関係者は『俗用の一種に当たるので、なるべく避ける』というが出たことだ。 リークのレベルだが、ここで「安」入り元号がボツになったことが伝えられた。 この時点で「令和」が決まっていた。 3月29日は安倍晋三が皇居に参内し、さらに皇太子とした日だ。 時系列を追って推理すると、2月22日に皇居と東宮を訪れた際、安倍晋三は意中の「安」入り元号案を提示、では人気が高いなどと売り込み、問題がなければこれで決めさせていただきたいなどと図々しく迫ったのだろう。 その後、皇室(東宮)側から不可の意向が届き、3月中旬になって安倍晋三が本命を断念、中西進の万葉集案なら皇室(東宮)も了承してくれるだろうと妥協し、中西進に泣きついたという経緯が推察される。 安倍晋三にとっても妥協案だが、皇室(東宮)にとっても妥協だった。 おそらく皇室(東宮)は、オーソドックスな漢籍出典方式での選定を希望していたに違いない。 「安」の字など論外で、国書出典に固執する右翼方式も迷惑だっただろう。 突飛な想像だが、中西進への本命委嘱そのものが、両陛下からの対案であり推挙だった可能性も考えられる。 何となれば、は「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動」の賛同者だからだ。 いずれにせよ、中西進が正式に委嘱を受けたのは3月中旬であり、辛辣な皮肉が含意されているとしか思えない「令和」が提案され、時間切れで安倍晋三が採用して4月1日を迎えた。 3月14日に依頼を受け、中西進が「令和」を返したのが3月20日前後だろう。 田崎史郎の話と辻褄が合う。 2月以前の段階で中西進がその他大勢の考案者候補に含まれていたのは確かで、「令和」以外にも漢籍由来の万葉集出典案を幾つか提案していたのかもしれない。 3月中旬という納期ギリギリの時点で本命案の委嘱依頼が来たとき、中西進は全てを察知し、あるいは両陛下の側近(三谷太一郎とか)から事情を聞き、知識人らしく、意を決して、皮肉を込めて反骨のカウンター作品を投擲したのではないか。 「梅花の宴」の序文は王羲之の『蘭亭序』のエミュレーションであり、字句は張衡の『帰田賦』を踏んだオマージュのだった。 さらに『帰田賦』には時代背景があり、政治への痛烈なが表現されていた。 新元号は「令和」で決まった。 日本の歴史に残る。 中西進は壮絶な文化的事業をやり遂げたと言える。 まさに東洋の知識人の理念と本分を千年単位の巨大な歴史的スケールで再現し、勇気と矜持をわれわれと後世の人々に示し、面目を躍如して先行する偉人の列に加わった。 屈原や司馬遷の群像に連なった。 これほど数奇な運命で策定された元号が他にあっただろうか。 今度の元号は、初めての国書出典(表面の形式上だけだが)であると同時に、知識人が政権批判のブラックユーモアを意趣して制作し、それが皮肉な政治的展開で採用になった初めての元号である。 二重三重の皮肉と偶然が重なり、瓢箪から駒の抱腹絶倒の歴史が作られた。 そこには、文学と歴史を知らないイデオロギー偏執狂の独裁者がいて、間もなく退位する賢く思慮深い、勇敢で胆力のある老天皇がいた。 今回の元号選定は明らかに政局であり、歴史に残る一つの重要な政治戦だった。 野党と左翼リベラルの現役文化人は最初から白旗を上げて降参し、独裁者の大勝利で終わるかに見えたが、天皇(皇室・東宮)が粘り、粘り腰の末に同齢の老知識人と謀って逆転勝利を遂げた。 一矢を報いた。 日本らしい政治ドラマだと思う。 マスコミは悉く独裁者の側に与した。 この政局で真面目に闘争したのは日刊ゲンダイだけだった。 共産党も何もしなかった。 前回のブログで、国民が昂奮して安倍元号祭りに狂喜乱舞している図から一変して、 『瓢箪から駒の抱腹絶倒の歴史が作られましたね。 そこには、文学と歴史を知らないイデオロギー偏執狂の独裁者がいて、間もなく退位する賢く思慮深い、勇敢で胆力のある老天皇がいた。 』まことに痛快の限りです。 独裁者といえども人間ですから、安帝の皮肉が夜ごとの夢のなかでアベの神経を逆なで、いつかのように肉体的問題から失脚して仕舞われるやもしれません。 アベ一族は中国古典に疎いだけでなく、万葉集にもひどく疎いことが、Mme. tomokoさんの連続ツイートで証明されました。 万葉集の歌そのものが丸ごと当時の政権批判だったというわけです。 Mme. tomokoさんは、このコメント欄の常連のどなたかとも思われますが、気に入ったツイートを下に掲げて、更に痛快さを満足させてみます。 ところがそれは今の日本会議や安倍政権の映し鏡の藤原の世を憂いた真っ当な人達の歌だったという… 自ら、政権批判の呪に乗ったわけだ。 スピリチュアルは好きではないけれど、日本には言霊思想があって、元号とは吉事を願ってつけた元号をみんなが使うから世が良くなると考える。 反独裁政権の旗頭は令和天皇かも。 藤原の世の終わりを願ったうた…という…二重に安倍政権呪われてるw。 白梅は、独裁政権への批判のシンボル。 梅の花のように…と悦にいる安倍首相。 自分で自分を呪している。 あの頃、口に出せば命すら危うい時代、優雅な歌に隠して底辺の人や反藤原の人の歌が…。 最初が皇位継承権のなかったのに、身内を殺しまくって即位した雄略天皇の歌で始まり、雪 白梅 が降ったから新しい年は良いことがあるようにと最後の歌、アレは一冊丸ごと政権批判。 以上、インテリ国書フリークのご意見でした。 長屋王は皇族であると同時に左大臣でしたから、天皇の下につく政治家としてはトップ。 現代で言えば総理大臣です。 逆に藤原氏は聖武天皇の母・宮子、聖武天皇の皇后・光明子と二代続けての皇室の外戚。 安倍総理とニアイコールで結ぶとしたら、まだ長屋王の方ではないでしょうか。 そして聖武天皇のエピソード ・精神病で引きこもりがちの母(宮子) ・男系男子皇族がいるのに娘を皇太女としのちに天皇とした ・妻(光明子)の親族である藤原氏にべったり …どこかで聞いたような話ですね… 自分を長屋王の方に擬し、そして「今度はそんなことはさせませんよ」と各方面に釘を差すのにちょうどいい…と、批判のために上がってきた案をしめしめと受け入れたという可能性も むしろ自分への批判が解釈のしようによっては、堂々たる宣言に化けてしまう案が上がってきたのは、随分と安倍さんも神がかってるなと思うほどです (品田氏の推測が当たっていたとして).

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政府の権力構造も変化している

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「令和」はもともと安倍晋三の念頭にはなく、ドタバタの駆け込みで決まった元号だった。 そのが少しずつ分かってきた。 2日のTBSワイドショーに出演した田崎史郎がを披瀝し、「令和」が元号案として登場したのは3月20日頃とかなり遅く、安倍晋三が気に入る案がなく再提出を依頼した結果、出てきたのが「令和」だったと語っている。 この話には注目してよい。 毎日の3月24日のを見ると、菅義偉が「考案者の皆さま方に3月14日、正式に委嘱した」とある。 24日は日曜日で、この日、菅義偉は選挙の応援で九州に飛んでいて、出先でこの発言をしてNHKに撮らせていた。 そのニュースを見たとき、オヤと不思議に思ったのである。 何でこんな遅いタイミングで考案者に委嘱なのだろうと。 3月1日の日テレのを再確認すると、「新元号"絞り込み"最終段階・・・日本古典も」という見出しで次のように書かれている。 「『平成』に代わる新たな元号の発表まで1か月となった。 政府はこれまで、複数の有識者に新元号の考案を依頼していたが、1日までに候補が出そろい、絞り込み作業が最終段階に入ったことが分かった」。 この時期、NHKの岩田明子も同じことを言い、元号は十数案に絞られたと話していた。 無論、絞り込みは安倍晋三がやることで、誰か別の人間が行うわけではない。 この「報道」の意味は、安倍晋三が本命案を決めたということで、後の三つ四つのサクラをどう絞り込むかこれから決めるということである。 このとき、「令和」は十数案の中になく、中西進は考案者の中に入ってなかった。 4月1日の共同のにこうある。 「中西氏は共同通信の取材に、当初は明言を避けていたが、公表が近づいた3月上旬になって『私は関係していない』と否定している」。 これは嘘ではあるまい。 本当に関係していなかったのだ。 3月1日の時点で、中西進は考案委嘱者の任から外れたことが政府担当から告げられたため、マスコミにも正直に「私は関係していない」とコメントしたのだろう。 そこからどんでん返しが始まり、3月中旬になって正式に中西進に委嘱の依頼が来るのである。 明確に分かることは、3月1日から中旬の間に安倍晋三が決めていた本命案が潰れたことだ。 本命案が潰れたから、やむを得ず中西進に泣きつき、慌ただしい流れで「令和」に漂着したのである。 わずか2週間という短い時間で「令和」が浮上し、時間切れの混乱の中でバタバタと決着した。 決めたのは安倍晋三だが、安倍晋三にとっても決して本意ではない決定である。 無論、残りの5案(英弘、久化、広至、万和、万保)はサクラであり、体裁を整えるための刺身のつまに他ならない。 有識者の面々は、安倍晋三が決める安倍元号をオーソライズするための雛壇衆でしかなく、彼らには直前に、会議本番では「令和」を推すようにと指示が届いている。 果たして、安倍晋三の本命は何だったのだろうか。 それはどうして頓挫したのだろうか。 簡単に推理すれば、「安久」とか「安永」とか「栄安」がだった可能性が高い。 正月以降、とネットでは「安」入り元号を下馬評で推す声が充満し、予想ランキング上位などと(空気固め)する動きがもっぱらだった。 本命が何だったのかを探るのは難しいが、なぜ本命が潰れたのかを推測するのは易しい。 それは、誰なら安倍晋三の本命案を潰すことができるかを考えれば、即座に解答が浮かぶからだ。 安倍晋三がどうしてもこれにしたいと欲望する新元号を、それはだめだと阻止できるのは皇室(東宮)しかない。 他にはいない。 想起するのは、政府が3月29日にマスコミに流した元号選定の方針で、そこで、「取り沙汰されている『安久』などの案について、政府関係者は『俗用の一種に当たるので、なるべく避ける』というが出たことだ。 リークのレベルだが、ここで「安」入り元号がボツになったことが伝えられた。 この時点で「令和」が決まっていた。 3月29日は安倍晋三が皇居に参内し、さらに皇太子とした日だ。 時系列を追って推理すると、2月22日に皇居と東宮を訪れた際、安倍晋三は意中の「安」入り元号案を提示、では人気が高いなどと売り込み、問題がなければこれで決めさせていただきたいなどと図々しく迫ったのだろう。 その後、皇室(東宮)側から不可の意向が届き、3月中旬になって安倍晋三が本命を断念、中西進の万葉集案なら皇室(東宮)も了承してくれるだろうと妥協し、中西進に泣きついたという経緯が推察される。 安倍晋三にとっても妥協案だが、皇室(東宮)にとっても妥協だった。 おそらく皇室(東宮)は、オーソドックスな漢籍出典方式での選定を希望していたに違いない。 「安」の字など論外で、国書出典に固執する右翼方式も迷惑だっただろう。 突飛な想像だが、中西進への本命委嘱そのものが、両陛下からの対案であり推挙だった可能性も考えられる。 何となれば、は「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動」の賛同者だからだ。 いずれにせよ、中西進が正式に委嘱を受けたのは3月中旬であり、辛辣な皮肉が含意されているとしか思えない「令和」が提案され、時間切れで安倍晋三が採用して4月1日を迎えた。 3月14日に依頼を受け、中西進が「令和」を返したのが3月20日前後だろう。 田崎史郎の話と辻褄が合う。 2月以前の段階で中西進がその他大勢の考案者候補に含まれていたのは確かで、「令和」以外にも漢籍由来の万葉集出典案を幾つか提案していたのかもしれない。 3月中旬という納期ギリギリの時点で本命案の委嘱依頼が来たとき、中西進は全てを察知し、あるいは両陛下の側近(三谷太一郎とか)から事情を聞き、知識人らしく、意を決して、皮肉を込めて反骨のカウンター作品を投擲したのではないか。 「梅花の宴」の序文は王羲之の『蘭亭序』のエミュレーションであり、字句は張衡の『帰田賦』を踏んだオマージュのだった。 さらに『帰田賦』には時代背景があり、政治への痛烈なが表現されていた。 新元号は「令和」で決まった。 日本の歴史に残る。 中西進は壮絶な文化的事業をやり遂げたと言える。 まさに東洋の知識人の理念と本分を千年単位の巨大な歴史的スケールで再現し、勇気と矜持をわれわれと後世の人々に示し、面目を躍如して先行する偉人の列に加わった。 屈原や司馬遷の群像に連なった。 これほど数奇な運命で策定された元号が他にあっただろうか。 今度の元号は、初めての国書出典(表面の形式上だけだが)であると同時に、知識人が政権批判のブラックユーモアを意趣して制作し、それが皮肉な政治的展開で採用になった初めての元号である。 二重三重の皮肉と偶然が重なり、瓢箪から駒の抱腹絶倒の歴史が作られた。 そこには、文学と歴史を知らないイデオロギー偏執狂の独裁者がいて、間もなく退位する賢く思慮深い、勇敢で胆力のある老天皇がいた。 今回の元号選定は明らかに政局であり、歴史に残る一つの重要な政治戦だった。 野党と左翼リベラルの現役文化人は最初から白旗を上げて降参し、独裁者の大勝利で終わるかに見えたが、天皇(皇室・東宮)が粘り、粘り腰の末に同齢の老知識人と謀って逆転勝利を遂げた。 一矢を報いた。 日本らしい政治ドラマだと思う。 マスコミは悉く独裁者の側に与した。 この政局で真面目に闘争したのは日刊ゲンダイだけだった。 共産党も何もしなかった。 前回のブログで、国民が昂奮して安倍元号祭りに狂喜乱舞している図から一変して、 『瓢箪から駒の抱腹絶倒の歴史が作られましたね。 そこには、文学と歴史を知らないイデオロギー偏執狂の独裁者がいて、間もなく退位する賢く思慮深い、勇敢で胆力のある老天皇がいた。 』まことに痛快の限りです。 独裁者といえども人間ですから、安帝の皮肉が夜ごとの夢のなかでアベの神経を逆なで、いつかのように肉体的問題から失脚して仕舞われるやもしれません。 アベ一族は中国古典に疎いだけでなく、万葉集にもひどく疎いことが、Mme. tomokoさんの連続ツイートで証明されました。 万葉集の歌そのものが丸ごと当時の政権批判だったというわけです。 Mme. tomokoさんは、このコメント欄の常連のどなたかとも思われますが、気に入ったツイートを下に掲げて、更に痛快さを満足させてみます。 ところがそれは今の日本会議や安倍政権の映し鏡の藤原の世を憂いた真っ当な人達の歌だったという… 自ら、政権批判の呪に乗ったわけだ。 スピリチュアルは好きではないけれど、日本には言霊思想があって、元号とは吉事を願ってつけた元号をみんなが使うから世が良くなると考える。 反独裁政権の旗頭は令和天皇かも。 藤原の世の終わりを願ったうた…という…二重に安倍政権呪われてるw。 白梅は、独裁政権への批判のシンボル。 梅の花のように…と悦にいる安倍首相。 自分で自分を呪している。 あの頃、口に出せば命すら危うい時代、優雅な歌に隠して底辺の人や反藤原の人の歌が…。 最初が皇位継承権のなかったのに、身内を殺しまくって即位した雄略天皇の歌で始まり、雪 白梅 が降ったから新しい年は良いことがあるようにと最後の歌、アレは一冊丸ごと政権批判。 以上、インテリ国書フリークのご意見でした。 長屋王は皇族であると同時に左大臣でしたから、天皇の下につく政治家としてはトップ。 現代で言えば総理大臣です。 逆に藤原氏は聖武天皇の母・宮子、聖武天皇の皇后・光明子と二代続けての皇室の外戚。 安倍総理とニアイコールで結ぶとしたら、まだ長屋王の方ではないでしょうか。 そして聖武天皇のエピソード ・精神病で引きこもりがちの母(宮子) ・男系男子皇族がいるのに娘を皇太女としのちに天皇とした ・妻(光明子)の親族である藤原氏にべったり …どこかで聞いたような話ですね… 自分を長屋王の方に擬し、そして「今度はそんなことはさせませんよ」と各方面に釘を差すのにちょうどいい…と、批判のために上がってきた案をしめしめと受け入れたという可能性も むしろ自分への批判が解釈のしようによっては、堂々たる宣言に化けてしまう案が上がってきたのは、随分と安倍さんも神がかってるなと思うほどです (品田氏の推測が当たっていたとして).

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