千 と 千尋 節子。 千と千尋の神隠しの温泉の舞台モデルやロケ地はどこ?アニメ聖地巡礼をしてみよう!

画像を比較!千と千尋の神隠しに出てくる節子は本物?

千 と 千尋 節子

以前に書かせて頂いた「千と千尋の神隠しの神隠しのメッセージ解釈」の記事へ、先日コメントを頂きました。 (沢山のコメントを頂き、誠にありがとうございます!) そのコメントにて、『電車のシーン』についての質問を頂きましたので、 そのシーンについての、僕の考察と解説を、書かせて頂きます。 本当は、その記事に《追記》として書こうと思っていましたが、 想像以上に文章が長くなってしまいましたので、新しい記事として、書かせて頂きます。 ちなみに、前回の千と千尋の神隠しの記事はこちらです。 確かに、『物語の終盤に千尋たちが電車に乗るシーン』は、 印象的で、謎が多いですよね。 千尋が、ハクを救うために、銭婆に会いにいくために、 釜爺からもらった電車のチケットを利用して、電車に乗ります。 カオナシと同じように、顔の無い、黒くて半透明な、何もしゃべらない乗客たちが、乗っています。 ・・・意味深で、なんだか不気味なシーンだと感じています。 このシーンを見ていて気になる「謎」ですが、• この電車は、何を表しているのか?• この乗客は、何を表しているのか?• この電車は、どこに向かっているのか?• 駅名の意味• 沼原駅で、ほとんどの乗客が降りている意味• 帰りが無いとは、どういう事か?• 「中道」という、電車の表札の意味• 運転手の意味• 電車のシーンで、宮崎駿監督はどんなメッセージを伝えたいのか という事だと思います。 これもまた全て「僕の主観」ですが、それぞれの謎について考察し、解説を書かせて頂きます。 Contents• 電車の意味。 電車と、乗客と、真っ直ぐなレールの映像が、印象的に描かれています。 この電車のシーンを通じて 『自分の意思とは関係なく、自分の人生が進んで行ってしまう、社会システムの存在』 というものを、表現しているのだと、僕は解釈しています。 ちなみに、社会システムとは、 社会のルール、社会の常識、社会の価値観、などという、 社会が決めた、社会の仕組みです。 この記事で特に触れている資本主義も、社会システムの1つです。 社会システムは、支配する人たちが人々をコントロールする事を目的に作られています。 ・・・さて、考察を始めます。 つまり、自分の意思とは関係なく、レールに従って、ある意味強制的に、目的地に向かって行くものです。 この 『電車・レール』というもので、 『社会の仕組み・社会の流れ』というものを、表していると、僕は解釈しています。 この社会を疑わずに、この社会で生きて、 この社会の常識に従って生きるという事は、 それは、社会と言う『電車に乗せられ』 社会の流れと言う『レールに従って生きている』のと、同じことです。 『〈一般常識・ルール〉と言うレールに従って生きている』と言えば分かりやすいでしょうか。 宮崎駿監督は、 この電車のシーンによって、それを表現したのではないでしょうか? ・・・例えば、 もし、あなたが自分の意思を押し殺して、 『社会』という電車・レールに乗せられているとします。 社会の決めた価値観に従い、社会の決めた人生観に従い、社会の決めた幸福観に従い、 まるで満足していないけど『人生、こういうものだ』と自分を納得させながら、最低では無いそれなりの生活は、送れると思います。 しかしその中では、『本物の自分の人生』を生きる事は、出来ません。 『自分は誰で何をしたいか』という事も分からず、やりたくない事を渋々とやり続ける。 『やりたい事』が分かっても、社会のネガティブな常識によって、それを目指す事が出来ない。 そして、電車に乗って、レールに従って進むように、 日々が、ルーティン化され、自動的に進んで行く。 ・・・ほとんどの人は、こうなってしまっていると思います。 『この社会がぴったり自分に合っている。 非常に満足している』という人もいると思います。 しかし、そういう人は、すごく少ないと思います。 ・・・自分の意思で道を決めて変える事が出来ない『電車』に乗って、乗客になってしまっていても、 自分の意思で、唯一、出来る事があります。 それは 「主体的に、自分の目的を持って、その電車を降りる」 という事です。 ・・・ここは後々、とても大事になって来る部分です。 この人たちは、カオナシと同じタイプの人たち、だと思っています。 要するに、この社会で生きる中で、 洗脳され、 名前を奪われ、 「自分は誰で何をしたい人か」という事を忘れさせられた人たちです。 そして無気力に、社会の仕組み(電車)に、『自分の意思とは関係なく流されて行ってしまっている人たち』です。 「自分は誰で何をしたい人か?」という事を知らずに、 自分の意思を押し殺して、 そして「自分自身が生きたい人生」を、生きられない状態が続くと、 単純に、エネルギーを失っていきます。 』 『モヤモヤし続ける』 こういう事に、なります。 つまり、シンプルに言えば、『エネルギーが減少していく方向性を生きている状態』です。 (エネルギーとは、生きるために必要なものです。 栄養とか、やる気とか、元気とか、モチベーションとか、ワクワク感とか、とりあえずそういうものとして、意識してください)• 自分が誰で何をしたい人かを知らない。 エネルギーが減少していく方向性を生きている。 自分の存在意義を意識できない。 本当の存在の価値を感じられていない。 この電車は、どこに向かっているのか? この疑問もまた、考察する価値があると思います。 この電車と、この電車のレールを、「社会の仕組み・社会の流れ」として考えると、 辛辣な表現ですが、一言で言って、「死」に向かっています。 エネルギーを(元気を)、失い続けた先が、死です。 エネルギーが減少し続ける方向性が、死に向かう。 エネルギーを増大し続ける方向性は、生に向かう。 (これについては、このブログの、もののけ姫の解釈の記事で、少し詳し目に書いています) 生きる事は、エネルギーを作る事です。 社会の仕組み・常識・嘘の情報に従って生きていると、 当然のように、『自分が本当に生きたい人生』を生きられなくなります。 要するに、『未来を想像した時のワクワク感』が、無くなって行きます。 ・・・そして、その状態は、人によって程度は違えども、 大きな方向性としては『エネルギーが減少していく方向性』です。 つまり、この電車のレールの終点は、『死』です。 駅名の謎 『登場する駅名』についても、意味深で、メッセージを感じます。 【登場する駅名】• 楽復時計台駅(仮称)• 油屋駅(仮称)• 沼の底 駅の順番は、間に登場していない駅があるにしても、 上から下に、おそらくこんな感じです。 ・・・すごく印象的な名前です。 『泉』とか 『沼』というキーワードが特に印象的です。 単純に、受ける印象としては• 【楽復時計台駅(仮称)】 神様的な人が遊ぶ、繁華街的な駅です。 キラキラしているそうです。 【油屋駅(仮称)】 千尋たちが働く、油屋がある駅です。 皆、名前を奪われながら、疑いもせず、せっせと働いています。 《台詞紹介》 リン「おれいつかあの街に行くんだ。 こんなとこ絶対にやめてやる。 まだ、希望があり、ワクワク感がある心の状態です。 【南泉駅】• 【沼原駅】• 【北沼駅】• 【沼の底駅】• 【駅名についてのまとめ】 まとめますと、 この電車・レールは、一言で言って『死』に向かっていて、 駅名で、この社会で生きる人の、心の状態を表しています。 この社会の成功者の心から、 駅が進むごとに、段々と、心が淀み、沈み、 そして、沼の底(絶望した心の状態)に到着するという事を、表現していると思います。 ・・・たぶん、その次の次くらいが、『死』という駅なんじゃないかと思います。 『沼原駅』で、ほとんどの乗客が降りている意味 黒くて半透明の顔の無い人たちは、おそらく全員、 この『沼原』駅で降りています。 何も言葉を発さず、決められたルールに従うように、トコトコと降りて行きます。 という事を、伝えたいのだと、考察しています。 つまり、先ほどの解釈からすると 『心が淀んでいるが、小さな希望もあるという、心の状態』 という事です。 エネルギーを失いながらも、小さな希望の中、生きている状態です。 ・・・みんな、そうなって、無気力になってしまっている。 と、宮崎駿監督は伝えたいのではないでしょうか。 『帰りが無い』という謎 千尋が電車に乗る前の会話で、釜爺が、意味深な事を言っています。 《台詞紹介》 釜爺:いいか、電車で六つ目の沼の底という駅だ。 千: 沼の底? 釜爺: とにかく六つ目だ。 千: 六つ目ね。 釜爺: 間違えるなよ。 昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。 それでも行くか千? という会話です。 まず、 『降りる駅を間違えるな』という事を、念入りに言っています。 ・・・そして気になるのは、この部分です。 『行きの電車』=沼の底駅へ向かう電車=絶望に向かう電車=死に向かう電車=エネルギーが減少する社会の方向性• 『戻りの電車』=楽復時計台駅へと向かう電車=成功者に向かう電車=生に向かう電車=エネルギーが増大する社会の方向性 社会システムが、エネルギーが増大する方向性、つまり生に向かっている事はあった。 つまり、電車と言う、社会システムに従って生きても、生に向かう事が出来る時代はあった。 という事です。 ・・・そして 今は、死に向かう方向性の、電車(社会システム)しかない。 という事です。 〈生に向かう方向性の社会システム〉について。 例えばですが、 昔の日本における、バブル期とかが、そうなんじゃないでしょうか。 バブルの時代は、 普通にこの社会で働いて、当然のようにお金が儲かって、成功者のように良い暮らしが出来る。 自分のやりたい事、快感を、満たす事が出来る。 という時代だったそうです。 僕は経験していませんが、こういう時代が、あったそうです。 本当に毎日が楽しかったそうです。 社会システムという電車に普通に乗って、エネルギーを増大する事が出来た、時代です。 ・・・しかし、今の社会では、普通に働いて、成功者になれるような気配は、ほぼ無いですよね。 釜爺の、この印象的な台詞は、これを表しているのではないかと解釈しています。 『中道』という、電車の表札 深読みのし過ぎかもしれませんが、 『社会の中の道』という事だと、考察しています。 先述したように、シンプルに「社会の中の道」というのが、僕の中ではしっくり来ていますが、 他にも、捉え方があるなと思い、追記を書いています。 仏教用語で、「中道」という言葉があります。 仏教で目標としている境地であり、スローガンと言っても良い、重要な言葉の1つです。 僕は無宗教ですし、宮崎駿監督の宗教は知りませんが、 この仏教的な観点から、この「中道」という言葉を使ったという可能性はあるとも、思います。 この仏教的な意味での「中道」とは? 僕の、ざっくりした解釈ですと、 『偏らない、ニュートラルな立ち位置で、物事を見る』 という、意識の使い方です。 『分けない考え方』 とも、言えます。 偏ったり、分けたりすると、感情的な対立が生まれ、物事の本質が見えなくなります。 洗脳をされないために、真実の情報を見据えて判断するために、必要な思考法であり、意識の使い方です。 昔の記事ですが、この記事が参考になると思います。 ・・・宮崎駿監督は 『社会に流されずに、中道的な見方をもって生きる事が必要だ』 と、伝えたいのかもしれません。 先述した『社会の中の道』とも、重複した意味になっていますが、 要は、 『中道』=『社会に流されている状態』『何となく生きている状態』『無目的に生きている状態』 という、捉え方も出来ます。 ・・・宮崎駿監督は、『中道」がこの捉え方だとしたら、 『社会に流されず、目的をもって生きなくてはならない』 と、伝えたかったのかもしれません。 〈考察・解説〉 役割を持っているが、その他の乗客と同じように、 エネルギーが減少する方向性を生きている人。 というように、解釈しています。 『運転手は、この死に向かう電車を運転していて、死ぬのかどうか?』 これは、すみません。 いくらでも想像できる部分で、ちょっと僕には分かりません。 ただ、千尋が〈沼の底駅〉で降りる時に、運転手の姿は、おそらく描かれていません。 電車のシーンで伝えたい事。 メッセージ 以上の解釈を総合して、 この電車のシーンを通じて宮崎駿監督が伝えたいメッセージを解釈します。 『自分の意思で、自分の目的を持って、社会という乗り物、社会と言うレールから、降りなければいけない』 『さもないと、生は無い』 『本物の人生は無い』 という事だと、解釈しています。 千尋は『ハクを助けるために、銭婆に会いに行く』という明確な自分の目的を持っていました。 それによって、主体的に、自分の意思で、電車を降りました。 つまり、社会の仕組み、社会のレールを、自分の意思で、降りました。 そして後々、 洗脳(魔法)を解きはらい、自分の名前も、ハクの名前も思い出す。 という展開に、繋がって行きました。 ・・・沼の底駅を降りてから、それまでハエドリに持ち上げてもらっていた坊ネズミが、自分の足で歩き始めたのも印象的なシーンです。 『自分の目的を決め、自分の目的に従い、社会と言う電車から自分の意思で降りて、自分の足で〈生の方向性〉に向かって歩む事』 これが必要だという事を、伝えたかったのではないでしょうか。 『無理に会社を辞める』とか、そういう意味では有りません。 『自分のエネルギーが増大する未来を決め、その未来に進む』 という事です。 社会システム、社会の常識と言うものに囚われずに、 『その自分の選択の先にある未来を想像した時に、エネルギーが減少するか、増大するか』 という事を最優先の判断基準として、今の生活のあらゆることを、自分で選択する。 という事です。 もし今、エネルギーが減少する方向性を生きてしまっているのなら、 自分の意思で、決めて、計画を立てて、その方向性から『降りる』という事が、必要です。 単純に言えば、 本当はやりたくない事をやっていて、その先の未来にワクワクできないのなら。 計画的に、それを止めて 計画的に、本当にやりたい事を始めて行く。 という、意識を持つ事です。 ・・・こういったメッセージを、宮崎駿監督は伝えたかったのでは無いでしょうか? ・・・以上が、僕の主観による、千と千尋の神隠しの『電車のシーン』の解釈でした! 読んでくださり、誠にありがと言うございました! 宮崎駿監督の作品は、メッセージが本当に深くて、考察するのがとても楽しいです。 また何か、気になる事や疑問がありましたら、ぜひ教えて下さい。 では、次の記事をご期待ください! 《お勧めの記事》 かつぜんです。 心と思考の明確家【Clearist(クリアリスト)】として活動しています。 『より良い社会を作りたい。 困っている人を助けたい。 』 この思いのもと、ネットでブログやYOUTUBEでの情報発信活動。 対面にてカウンセリング・コーチングの活動をしています。 関わった人の「心と思考」をすっきり明確にし、皆の悔いのない人生のために全力で貢献していきます。 この社会には、余りにも多くの「嘘」「捏造」「曖昧」「複雑」な情報が存在しています。 そして、悩みや問題に直面しても解決ができいなモヤモヤした状態に陥り、自分の理想と現実というものがどんどん食い違っていきます。 …この解決のために、ぼくがいます。 お気軽に何でもご相談ください。 出来る限りお答えします。 まおまおさん。 「私たちは2人で一人前なのにね」 みたいな事を、銭婆は言っていました。 そして、 「欲と良心を切り離さずには、生きられない現代社会の問題を表している」みたいな事を、考察しました。 …そこで、 「銭婆が沼の底駅に住んでいる理由」です。 「沼底は死に近い」みたいな事を、僕はこの記事で考察しました。 先述した通り、銭婆は「人の良心」を表現しているキャラクターと解釈しておりますので、 現代社会への風刺として、 『人の良心というものの優先順位が下がり、沈み、良心が死に向かっている、この現代社会』 という事を、表現しているのではないかと、考察しております。 銭婆自体が死に向かっているかどうかは分かりませんが、 銭婆を〈良心を表すキャラクター〉と捉えると、メッセージ的に、僕は納得が行きます。 そしてその結果、理不尽な現象が高い確率で起こる、社会なのだと思います。 そして、その社会の歪みが、我々国民に来て、理不尽なストレスに蝕まれています。 そのストレスから、 良心の優先順位が低い人は、自分より目下の人にさらに理不尽なストレスを撒き散らし、 良心の優先順位が高い人は、我慢して、耐えるしかない。 そして、精神的に落ち込んでいく。 …理不尽な社会システムから始まって、こういう結果になっている、社会なのだと思います。 それでも、良心の優先順位が高い、良い人、良い環境は、存在しています。 そういう人や環境と、繋がることなのだと思います。 ・出来たら、今の理不尽な環境から、新しい良い環境に移る。 ・それが出来なければ、今の環境に加えて、もう一つ良い環境を持つ。 見つける。 ・それが出来なければ、まずは一人でも、良い人を見つけて、関係性を築く。 ですが、ぼくにはこのように見えて、そしてそうだったのなら、「社会を良くしたい」という監督の強い意志を感じるシーンです。 影響力のある利己的な偉い人たちが、情報を隠したり、ねつ造したりしているので気付きにくい事ですが、 現実として、今の日本の社会はボロボロの状態です。 本当に、ボロボロの状態です。 宮崎駿監督は、こんな社会を改善するために、映画という媒体を通じて、我々大衆にメッセージを届けているのではないか?とぼくは思っています。 おそらく私と同世代かと思いますが、特に両親が正気を失くしていき豚になってしまうシーンについては、何を言わんとしているのかは私にとっては明白でした。 社会全体が正気を失った一つの巨大なマシーン、工場、人間農場になってる。 要するにマトリックスです。 比喩的な表現によって、直接言語で語るよりも直感的に訴える、感じさせる宮崎駿監督はやはり天才だと思います。 話がぶっ飛びますが、NASAなどの機関が宇宙事業に取り組んでいたり、有名な起業家などがスペースシャトルを打ち上げて失敗したりしてるのは、そういう「頑張ってますがこれが今限界です」というパフォーマンスを見せて、この支配された星から、一つの巨大な牢獄、牧場から逃れさせないようにする潜在意識への刷り込みだと思ってます。 けど私は絶対になんとかして脱獄したい。 笑 カートヴォネガットの作品は読まれたことありますか?なければ、もしかしたらお好きかもしれません。 わけのわからないこといきなりお話しして申し訳ありませんでした。 同じ事を感じている方がいると知れただけでも嬉しかったです。 それでは失礼いたします。 ともぞう様 素敵なコメントをありがとうございます!励みになります。 おっしゃる通りですね。 マトリックスも大好きな映画です。 この社会全体が、工場になっているのを感じます。 「ふつうな人」を生産する事を目的とする社会です。 ふつうな人とは、権力を握っている偉い人たちにとって、都合のいい人たちです。 ふつうを目指す中で ・ふつうの(誰かに決められた)幸せを目指すようになる ・周りと違う意見を言えなくなる ・周りと同じものに価値を感じるようになる ・簡単にメディアを信じるようになる ・おかしい事を、おかしいと感じられなくなる ・仕方ない、こういう物だと、簡単に諦めてくれて、異論を唱えなくなる。 などなど、偉い人たちにとって都合よくコントロールしやすい民が、仕上がっています。 おっしゃる通り、それは、潜在意識レベルの深い部分の意識まで刷り込まれてしまっています。 その「ふつう」が合わない、合わせられない、おかしいと感じるは人は、 自分は社会不適合だと落ち込み、辛い思いをしています。 …本当は、「ふつう」なんてものはなく、幻想です。 「みんな違って、みんな良い」が正解です。 みんな、自分が生きたい独自の幸せを、生きればいいのだと、ぼくは思っています。 ぼくらの世代でそれに気づき、 メディアを作って、真実を探求して発信して、 未来の子供たちに、より良い社会を提供したいと願っています。

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画像を比較!千と千尋の神隠しに出てくる節子は本物?

千 と 千尋 節子

大けがを負ったハクを助けるため、千尋はカオナシと共に 銭婆のいる「沼の底」へ向かいます。 そこへは、「行き」しか存在しないといわれる電車で、向かうことになるのですが、とても 不気味な電車です。 というのも、身体が真っ黒で透けている 影のような人間たちが乗り込んでくるからです。 そんな中、最初についた 「沼原」の駅で、ホームからこの電車をじっと見ているひとりの少女が描かれています。 その子も、電車の者たちと同じく体が黒いため、顔こそ分かりませんが、おかっぱ頭でスカートをはいた 12・3歳くらいの女の子です。 実はそれが、 「火垂るの墓」に出てくる「節子」なのではと、噂になっているので、「千と千尋の神隠し」を深掘りする一つとして検証してみました。 しかも、海の中を走っているように作られているのは、 伊勢湾台風で常滑線が浸水した時、実際に同じように見えたからです。 幻想的とも取れる電車の風景は、 宮崎駿監督が目にした光景に由来しているということです。 まとめ ここまで、あの世だとか節子の霊だとか噂になったのには、もとは、 「清太と節子の幽霊を登場させる」という高畑勲監督の言葉 があったからのようです。 そして、その言葉があったにも関わらず、火垂るの墓においてそれらしいシーンがなかった事で、他の作品に出てくるのではという憶測がとんだのです。 そこで出てきたのが、千と千尋における顔の分からない少女で、しかも駅のホームで電車もあの世行きとなれば、あれが節子だとなった訳です。 でも実は地上波で放送していないのですが、 本編のラストシーンではこの 2人が霊となって登場していたのです。 それを知らない世代が、宮崎駿監督と高畑監督との関係も考えて、千と千尋に出ていてもおかしくないという想定からたどり着いた噂だったようです。 しかも、千と千尋は回収しきれていない話の伏線がたくさんあるらしいですから、イマジネーションも膨らんでしまうというわけです。 こちらの記事も一緒にどうぞ!.

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【千と千尋の神隠し】荻野千尋が契約書に名前を書き間違えた3つ理由!犬と間違えた理由を人気投票中!

千 と 千尋 節子

2001年7月20日公開。 宮崎駿の長編映画第8作。 宮崎駿いわく、「もののけ姫」までの作品でやりたいことはやりきったため、「千と千尋の神隠し」以降は作風をかなり変えており、ストーリーの一貫性を放棄したものもあえて用いたりしています。 宮崎駿は『僕はもう既成の起承転結のよくできたストーリーの映画なんか作りたくない』や『自分の作品の大衆性が低くなっている』とコメントを残しており、実際に今までは明確なメッセージがあった宮崎駿のアニメ作品でしたが「千と千尋の神隠し」には明確なメッセージを特定できません。 しかし、いざ結果を見てみると、日本歴代興行収入第1位を達成と輝かしい結果を残し、世間からしっかりと評価されています。 荻野千尋はどうして契約書に自分の名前を書き間違えた? 「荻野千尋」の一部を「犬」にしてしまう そんな「千と千尋の神隠し」の主人公「千尋」の本名は「荻野千尋」です。 しかし父と母を助けるため、人の名を奪って支配する魔女の「湯婆婆」と契約する時に、「萩野」の火のところが「犬」に間違えて記入しています。 上映当初は制作スタッフのミスなのかという声もあがりましたが、DVD化されたときにも変更されなかったことより『ミス』ではなく何かしらの理由があり、「千尋」は自分の名前を書き間違えたことが判明しました。 名前を書き間違えた明確な答えはない! なぜ書き間違えたかは、ネット上で様々な議論がされていますが、明確な答えはなく、スタジオジブリもこのことに関しては明確な回答は残していません。 そこで、本記事では「千尋」がなぜ自分の名前を書き間違えたかを考察し、最後に『【千と千尋の神隠し】千尋はどうして契約書に自分の名前を書き間違えた?』というアンケートの結果を紹介します。 「ハク」の『自分の名前を忘れてしまうと帰れなくなる』という言葉にもある通り、「自分の名前を覚えていること」が条件になります。 しかし千尋が迷い込んだ『神々の世界』では、「自分の名前を覚えていること」が一番難しい世界でした。 神々の世界では湯婆婆と契約する必要がある 『神々の世界』では、仕事を持たない者は動物に変えられてしまいます。 千尋の両親も動物に変えられてしまいました。 仕事を持つためには「湯婆婆」と契約する必要があり、契約後ようやく湯屋で働くことができ、動物に変えられずに済みます。 しかし、湯婆婆は名前を奪って相手を支配するため、契約してしまうと名前を忘れてしまう、つまり、現実世界に戻れなくなってしまうのです。 3つの罠から抜け出す物語こそ「千と千尋の神隠し」 まとめると『神々の世界』は次の巧妙な罠が仕掛けられており、「千と千尋の神隠し」はこの罠から抜け出す物語といってもいいでしょう。 しかし、『神々の世界』についてほとんど詳しくない状態の千尋がなぜ『自分の名前を書き間違える』ことができたのでしょうか。 その真相を考察します。 考察その1『自分の名前を忘れないためにあえて間違えた』 「ハク」が「本当の名前を教えてはいけない」と「千尋」に伝え、千尋は『あえて間違えた』という有力な説があります。 確かにそれだけ聞けば、ハクのアドバイス通り、あえて間違えたんだと考えるのが妥当でしょう。 ハクからの明確な「名前を書き間違える」ための指示はない しかし、まずハクがそのようなことを伝えるシーンはありません。 近いシーンとして、千尋が「湯婆婆」に名前を奪われ自分の名前を忘れ「千」になりかけていた時に、「湯婆婆は相手の名を奪って支配するんだ。 いつもは千でいて、本当の名前はしっかり隠しておくんだよ。 」とハクがアドバイスするシーンがありますが、これは契約を結んだ後のシーンです。 そのため、千尋がハクからのアドバイスを受け『あえて間違えた』ということは、可能性が非常に低いといえるでしょう。 考察その2『ハクが千尋に名前を書き間違える魔法をかけた』 『契約書に本名を書くな』と言われず、自分の名前を書き間違えた「千尋」。 結果、契約書に本名を書いていなかったため、名前を忘れず現世に戻ることができました。 しかし普通に考えると、小学校5年生が自分の名前を書き間違える可能性はほぼないでしょう。 では千尋は自分の意思で書き間違えたのでしょうか。 「湯婆婆」の「湯屋」で働くため、必死だったことを考えると、千尋の意思で書き間違える可能性も低いでしょう。 ハクの裏工作は大いにありうる? あと考えられるとしたら、千尋の意思ではなく、無意識に間違えた可能性。 そう、千尋が迷い込んだのは『神々の世界』。 湯婆婆を始め、様々な登場人物が魔法を使えます。 「ハク」も『川の神』であり、もちろん魔法を使えます。 湯婆婆とその湯屋のすべての事情を知っているハクであれば、千尋を魔法で救ったと考えることはできないでしょうか。 たとえば、千尋に対し『契約書に名前を書き間違える魔法』をかけたりすると、すべてのつじつまが合いませんか。 千尋のことを想うハクだからこそ、湯婆婆と契約があいまいするために、千尋に魔法をかけ、湯婆婆に名前を奪われないよう仕向けた可能性は大いにあるのではないでしょうか。 考察その3『自分の名前を忘れてしまう症状が既にこのとき現れていた』.

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