春やすこ。 春やすこの旦那・子供の情報まとめ!気になる現在・相方や年齢は?

春やすこは自宅で両親を献身介護していた!ドラマ「陸王」で浪速のオバチャンを好演

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春やすこの旦那の顔画像アリ!両親の壮絶介護で家族6人同居生活 ドラマ『陸王』に出演した女優Hとは、春やすこさんでした。 引用: 引用: 身長があり、目がぎょろっと大きいのが春やすこさんの特徴ですね。 相方、春けいこさんをコンビ漫才師だったため、 当時人気だったピンクレディーにあやかって 「浪速のピンクレディー」 と呼ばれていたみたいです。 少し、お若い時の中山美穂さん風な気もしますけど。。。 80年代の漫才ブームに乗り、「春やすこ・けいこ」は関西を中心に大人気。 漫才師で話術も優れていたことから、芸人としての仕事だけでなく、 司会や女優業にも進出。 自身のグラビア的人気を察知してか、水着姿を披露したり、映画でヌ ードになるなど アイドル的人気を得ていました。 引用; そんな春やすこさんが結婚したのは、1990年29歳の時でした。 一緒に写っているのは、相方だった春けいこさんですね。 お相手は実業家とされていますが、 ブログ(アメブロ)でその旦那様を公開しています。 やせ型で猫的イメージの春やすこさんに比べ、がっしりとした体格で、優しそうな印象の旦那様。 実際の旦那様もとてもお優しいんだそうです。 実は、春やすこさんはご両親の介護に専念していた時期があります。 春やすこさんが早くから働いていた理由の一つなのかもしれませんが、 春さんの お母様は、肺が悪く呼吸に問題があるのか、 酸素タンクが手放せないような状態だといいます。 母の看病を自宅でするために、 2005年から春さんの両親と同居生活がスタートするのです。 そんな中、 父親も20年以上前に 脳梗塞を発症。 右半身の麻痺症状が現れ、少しずつ生活が不自由に。 そしてそんな介護の中、ステップから転倒するという事故が起こります。 ついに寝たきりの状態となり、 トイレお風呂も自力では困難な 「要介護5」認定に。 その介護は、おむつを3時間おきに交換し、 自分で身動きがとれないためベッドから起こしたり、 車椅子への移動も全て行うという目が離させない状態までに。 自分の両親を時間の許す限り、自分の手で介護したいと奮闘する 春やすこさんでしたが、 次第に介護に疲れていき、 うつ病を発症してしまいます。 当時は、 要介護5の父親と、母のw介護だったにも関わらず、 最低限の福祉サービスしか利用していなかったといいます。 自分はうつ病気味になり、やり場のない怒りを 両親に向けることもあったといいます。 見かねたケアマネージャーの助言により、 介護をしながらでも自分の時間を持ち、生活を楽しむ余裕を持つように改善させ、 春やすこさんは気持ちが落ち着いていったと言います。 (2016. 7お母様は80歳で亡くなっています) スポンサーリンク 春やすこの娘、息子の顔画像アリ!娘は報道記者! 1990年9月に、実業家の一般男性と結婚した春やすこさんですが、 翌年の1991年1月に長女を出産、1992年3月には長男を出産。 年子で一姫二太郎の子宝に恵まれています。 結婚から5ヶ月の出産なので、出来ちゃった結婚なのでしょうね。 上記の壮絶介護生活と合わせて、 幼い我が子のママとして育児も手を抜けない状態。 30歳になったばかりの時期、そして30~40歳代は苦労が絶えない時期だったのではないでしょうか。 そんな春やすこさんですが、 娘さん、息子さんは現在27歳、26歳。 立派に成長されているようです。 引用: 息子さんは、「としやす」さんというお名前。 奥様は「かな」さんというようです。 昨年末にご結婚されたようです。 お二人ともお顔の雰囲気がよく似ています。 お顔が似ている夫婦は幸せになれる、、、などとよく言われますよね。 どう見てもお幸せようです。 そして、娘さんは、中島舞子さんとおっしゃるようです。 1991年1月22日生まれの現在27歳。 同志社大学法学部法律学科を卒業後、 2013年に読売テレビに入社。 報道記者として働いているようです。 お顔の輪郭がお母様とそっくりですね。 同志社大学では ミスキャンパスのファイナリストに選出されるほど、 一目おかれた美人さんだったようです。 そのご卒業された同志社大学で、 中島舞子さんが紹介されているようです。 (中略) 報道局では事件事故を扱う府警担当や政治を扱う内政担当など、 記者の中でも担当がいくつかに分かれています。 その中でも私は「遊軍」というところにいます。 日々のニュース以外にも、 自分がやりたい企画を立案するところから OAまでの全てに携わることができます。 USJのホラーナイトの取材で、 私自身がゾンビメイクをするという衝撃的なこともしました。 これも仕事です。 報道の現場も色々と住み分けされているのですね。 弟に先を越されたお姉ちゃんですが、 中島舞子さんも新聞記者と恋の噂があるようですよ! 度々ブログ(アメブロ)でご家族の顔画像が投稿されるので、 旦那様、娘さん、息子さん、ご家族みんな仲良しのようです。 スポンサーリンク ブログで壮絶手術告白,「陸王」浪速のおばちゃんはいま? 昨年末ヒットしたドラマ 「陸王」。 その中で春やすこさんは 浪速のオバチャンを好演しています。 引用:TBS日曜ドラマ「陸王」 従業員20名余りの老舗足袋会社である零細企業「こはぜ屋」で働く水原米子役を好演しています。 お写真をTBSさんからお借りしていますが、ヒョウ柄のシャツを見事に着こなした 『THE大阪のおばちゃん』がしっくりきています。 息子さんの昨年末のご結婚式の頃は、まだ撮影していたということで、 ブログにも 「これから陸王の撮影行ってきます!」 などとよく書かれていました。 『爆報! THE フライデー』では、 大ヒットドラマ「陸王」出演の女優・Hは謎の病に侵されていた! しかし、苦しみの果てに一発逆転! イケメン息子に、とんでもない奇跡の出来事が起きていた! と気になるタイトル。 昨年末、椎間板ヘルニアに侵され、全身麻酔の手術を行った春やすこさん。 引用:春やすこアメブロ 謎の病とは、この椎間板ヘルニアのことなのでしょうか? 確かにかなりの痛みを伴い苦しんでいたことは確かなようですが。。 そして 「イケメン息子に、とんでもない奇跡の出来事が起きていた! 」 っていうタイトルも、とっても気になります。 ご結婚して、ナニ不自由なくお幸せな様子なのですが、 何か持病かトラブルかを抱えていたのでしょうか。 どんな番組内容なのか、 いまからとても楽しみです。 最後までお読みいただきありがとうございます。

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春やすこは自宅で両親を献身介護していた!ドラマ「陸王」で浪速のオバチャンを好演

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1970年代終りから1980年代初頭ににかけての漫才ブームで美人女性漫才コンビで一世を風靡した春やすこけいこのコンビ、全盛期にはテレビで見かけない日はありませんでしたが漫才ブームが薄れていくと共にテレビで見かけることが少なくなりました。 当時私も好きなコンビであり、現在の活動が気になり調べてみました。 プロフィール 春やすこ 本名 中島泰子 1961年6月15日生まれ56歳 大阪府出身 向陽台高等学校卒業。 春けいこ 本名 小林恵子 1958年7月4日生まれ59歳 大阪府出身 桜花学園高等学校卒業。 春やすこさん現在 春やすこさんは1990年9月に一般の実業家の方と結婚しました。 そして1991年1月に女の子を出産、1992年3月には男の子を出産、2人のお子さんがいらっしゃいます。 その後旦那様のご理解、ご協力のもと、脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺があるお父様と肺が弱く健康に不安があるお母さまと2005年から同居生活が始まりました。 そしてある日お父様が階段から落ちてトイレも入浴も自力では行えない要介護5の状態になってしまいました。 それからの春やすこさんはお父様の介護生活に入ったため芸能活動をセーブされていたそうです。 春やすこさんご家族 旦那様は実業家という事はわかりましたが、一般の方という事でそれ以上の事はわかりませんでしたが人柄がよくとてもお優しい方のようです。 娘さんは中島舞子さんというお名前で同志社大学法学部卒業後2013年に読売テレビに入社、現在では報道記者をされているようで、母親譲りでとてもおきれいな方です。 息子さんは一般の方のようで詳細はお名前しかわかりませんでしたが、すでにご結婚されているようです。 春けいこさん現在 春けいこさんは1982年に漫才師の横山ひろしさんと結婚、1985年に娘さんを出産その後しばらくは家庭にはいられていたようです。 しかし2014年に旦那様と夫婦漫才でステージに登場、そのステージでそれまでの間で更年期障害が原因で5年間ほどうつ病の時期があった事をあかしました。 現在はその経験をもとに講演活動をおこなっているそうです。 春やすこさんはなんとなくメディアで見かけることがあったのですが、春けいこさんも講演活動でご活躍のごようすでよかったです。 またお二人のコンビの漫才が見てみたいです。 どうかお元気でこの先がんばっていただき、機会があったら期間限定、もしくは1回限りでもコンビの復活を期待しております。

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春けいこ 「うつ病だった」と明かす/芸能/デイリースポーツ online

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タレントの春やすこさん(51)は、大阪市内の自宅で、介護保険制度で最重度となる「要介護5」の父親(80)と、「要介護3」の母親(76)を世話しています。 心労が重なってつらい時期もありましたが、家族や周囲の人に支えられ、「ずっと一緒に過ごしたい」と話します。 1人で両親の世話 もともと体の弱かった父ですが、18年前に胃を全摘出して以来、さらに病気がちになりました。 脳出血、腹部大動脈 瘤 りゅう 、急性心筋梗塞……。 脳梗塞で倒れてからは右半身が不自由になり、つえなしでは歩けないようになってしまって。 母も10年ほど前から肝臓を悪くして入退院を繰り返し、外出時は酸素吸入の用具が欠かせません。 その頃実家近くに住んでいた私は、何かあるとすぐ呼ばれました。 育児で仕事を控えていた時期だったから対応できましたが、具合が悪くなるのは決まって夜。 子どもを寝かしつけ、慌てて実家に駆け付けることもしばしばでした。 2005年に自宅を建てることになりました。 その時、中学生だった息子が「おじいちゃんたちが心配やから、一緒に住も」と言ってくれたんです。 夫も当たり前のように「それはええな」って。 うれしかった。 でも、甘えてばかりではいけないので、両親の面倒は私が一人で見ようと決めたんです。 ところが2年半前、事態は急変する。 父が自宅で階段から落ち、完全に寝たきりになった。 父はベッドから起き上がることもできなくなりました。 トイレにも行けないから、下の世話も必要です。 母と2人で介護していましたが、昨年5月には母が自転車で転倒し、太ももを骨折したのです。 手術のため入院したのですが、その最中に腎臓も悪くなり、人工透析も受けるようになってしまいました。 立て続けに悪いことが起こり、目の前は真っ暗。 パニック状態です。 母の病院には通わなあかんわ、家では父の世話が待ってるわ。 やっと子育てから解放されたのに、どうしてこんなことにって。 でも、愚痴を言ったところで何も始まらない。 とにかく2人の面倒を見ようと、自宅に介護ベッドを並べました。 朝6時に父のおむつを替え、家族の食事を作ったら、次は両親の着替えの手伝い。 そうこうするうちに昼食の支度の時刻になり、午後は家事の合間に母を病院に連れて行き、父の世話。 休んでいる暇なんてありません。 父は体格がよく、ベッドから起こすのも大変です。 私はそれで腰を痛め、ストレスで食べ過ぎることもありました。 施設に入所してもらおうかとも思いましたが、費用がかかります。 父も母も家がいいと口をそろえるし、余計に「私が頑張らな」と思い詰めてしまって。 デイサービス利用 そんな頃、病院からケアマネジャーを紹介され、デイサービスの利用を勧められた。 私も不勉強で、デイサービスの存在なんて全く知らなかった。 介護を人任せにするようでためらいもあったけど、「あなたまで体を壊したら何もならへん」と言われ、ふっと肩の力が抜けました。 今は週3回、朝から夕方までは施設のお世話になっています。 他人と一緒に過ごすのが苦手な父は嫌がりましたが、「娘のためやと思って」と強くお願いしました。 このままだと私がつぶれてしまうから、って。 ストレスから両親に声を荒らげてしまう自分が、本当に嫌だったんです。 それからかな、息抜きできるようになったのは。 たまにゴルフに行ったり、家族や友人と食事に出かけたり。 父が帰る時間に間に合わない時は、近所の人に「ちょっと見といて」ってお願いすることも。 心にゆとりが持てるようになりました。 もしあのままだったら、どうなってたか。 気負わずに 昨秋、父が肺炎で入院。 重篤な状態で、一時は生死の間をさまよったが、事なきを得た。 春には退院し、再び在宅介護が始まる。 語弊があるかもしれませんが、「介護は真面目にしようとしないこと」が大切だと思います。 大阪弁でいうなら「ええ格好せんこと」。 家族や友人、ご近所の力を借り、公的サービスにも頼ったらいいんです。 両親を介護できているのも、2人がずっと私に愛情を注いでくれたからです。 父と母の世話をする私を見て、子どもたちも感じることがあると思う。 「人に優しく」なんて、聞いて教わるんじゃなく、実際にそうしている姿を見て学ぶものだと思うんです。 2人の子はよく、祖父母のベッドの間に座って話し相手になってくれます。 娘は毎日、入浴の介助もしてくれる。 思いは伝わっているのかな。 父が帰ってきたらまた大変な日々が始まりますが、やっぱり、一緒に暮らせるのはうれしい。 家族で力を合わせ、気負わずにやっていこうと思っています。 (聞き手・田島武文) はる・やすこ 1961年、大阪府生まれ。 75年に女性漫才コンビ「春やすこ・けいこ」でデビュー。 アイドル的な人気を誇り、81年には上方漫才大賞新人賞を受賞。 現在は、テレビ番組の司会やドラマ、舞台などで活躍している。 職業柄もあるのだろうが、努めて明るく振る舞う様子に、両親を同時に介護する大変さがうかがえた。 決して楽ではない現状を受け入れることができるのは、父母への感謝の気持ちがあるからだろう。 「やんちゃだった私を信頼し、ずっと大事にしてくれたから」。 注がれた愛情のぶん、人は優しくなれるのだと感じた。

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