夕べ 眠れ ず に 泣い てい たん だ ろう 歌詞。 吉川英治 宮本武蔵 火の巻

斎藤茂吉 万葉秀歌

夕べ 眠れ ず に 泣い てい たん だ ろう 歌詞

伏見桃山の城地を 繞 ( めぐ )っている淀川の水は、そのまま長流数里、 浪華江 ( なにわえ )の大坂城の石垣へも寄せていた。 「どうなるんだ?」 と、人々はすぐそういう話題に興味を持つ。 「どうって、何が?」 「世の中がよ」 「変るだろう。 こいつあ、はっきりしたことだ。 変らない世の中なんて、そもそも、藤原道長以来、一日だってあった 例 ( ためし )はねえ。 河の水は沸いている。 もう秋は立っているのだが、暑さはこの夏の土用にも 勝 ( まさ )って 酷 ( きび )しい。 淀の京橋口の柳はだらりと白っぽく 萎 ( な )えている。 気の狂ったような 油蝉 ( あぶらぜみ )が一匹、川を横ぎって町屋の中へ突き当ってゆく。 その町も晩の灯の色はどこへか失って、灰を浴びたような板屋根が乾き上がっているのだった。 橋の 上下 ( かみしも )には、無数の石船がつながれていて、河の中も石、 陸 ( おか )も石、どこを見まわしても石だらけなのである。 その石も皆、畳二枚以上の 巨 ( おお )きなものが多かった。 焼けきった石の上に、 石曳 ( いしひ )きの労働者たちは、無感覚に寝そべったり腰かけたり仰向けに転がったりしている。 ちょうど今が、昼飯 刻 ( どき )でその後の半刻休みを楽しんでいるのであろう。 そこらに材木をおろしている牛車の牛も 涎 ( よだれ )をたらして、満身に 蠅 ( はえ )を集めてじっとしている。 伏見城の修築だった。 いつのまにか、世の人々に「大御所」と呼ばしめている家康がここに滞在しているからではない。 城普請 ( しろぶしん )は、徳川の戦後政策の一つだった。 譜代大名 ( ふだいだいみょう )の心を 弛緩 ( しかん )させないために。 もう一つの理由は、一般民に、とにかく徳川政策を 謳歌 ( おうか )させるためには、土木の工を各地に起して、下層民へ金をこぼしてやるに限る。 今、城普請は全国的に着手されていた。 この伏見城の土木へ 日稼 ( ひかせ )ぎに来る労働者の数だけでも、千人に近かった。 その多くは、 新曲輪 ( しんぐるわ )の石垣工事にかかっているのである。 伏見町はそのせいで、急に、 売女 ( ばいた )と 馬蠅 ( うまばえ )と物売りが 殖 ( ふ )え、 「大御所様景気や」 と、徳川政策を謳歌した。 その上、 「もし戦争になれば」 と、町人たちは、機と利を察して、思惑に熱していた。 社会事象のことごとくを、そろばん珠にのせて、 「 儲 ( もう )けるのはここだ」 無言のうちに、商品は活溌にうごいた。 その大部分が、軍需品であることはいうまでもない。 もう庶民の頭には、太閤時代の文化をなつかしむよりも、大御所政策の目さきのいい方へ心酔しかけていた。 司権者は誰でもいいのである。 自分たちの小さな慾望のうちで、生活の満足ができればそれで苦情がないのだ。 家康は、そういう愚民心理を、裏切らなかった。 子どもへ菓子を 撒 ( ま )いてやるより 易々 ( いい )たる問題であったろう。 それも徳川家の金でするのではない。 栄養過多な外様大名に課役させて、程よく、彼らの力をも減殺させながら効果を挙げてゆく。 そうした都市政策の一方、大御所政治は、農村に対しても、従来の放漫な切り取り徴発や、 国持 ( くにもち )まかせを許さなかった。 徳川式の封建政策をぽつぽつ 布 ( し )きはじめていた。 それには、 (民をして政治を知らしむなかれ、政治にたよらせよ) という主義から、 (百姓は、飢えぬほどにして、気ままもさせぬが、百姓への慈悲なり) と、施政の方策をさずけて、徳川中心の永遠の計にかかっていた。 それはやがて、大名にも、町人にも、同じようにかかって来て、孫子の代まで、身うごきのならない手かせ足かせとなる封建統制の前提であったが、そういう百年先のことまでは、誰も考えなかった。 いや、 城普請 ( しろぶしん )の石揚げや石曳きに稼ぎに来ている労働者などは、 明日 ( あした )のことさえ、思っていないのである。 昼飯をたべれば、 「はやく晩になれ」 と祈るのが、いっぱいな慾念だった。 それでも時節がら、 「戦争になるか」 「なれば 何日 ( いつ )頃?」 などと、時局談は、いっぱし 熾 ( さか )んだったが、その心理には、 「戦争になったって、こちとらは、これ以上、悪くなりようがねえ」 という気持があるからで、ほんとにこの時局を 憂 ( うれ )いたり、平和の岐点をじっと案じて、どの方へ曲がるのが国と民のためだろうなどと考えているのでは決してないのである。 石の蔭で、 銭 ( ぜに )の裏表を伏せて、 博戯 ( ばくち )をしていた人足の群れで、二つ売れた。 「こちらの衆は、西瓜どうや。 西瓜買うてくれなはらんか」 と、群れから群れへ唄ってくると、 「べら棒め、銭がねえや」 「ただなら食ってやる」 そんな声ばかりだった。 すると、たった一人ぽち、青白い顔をして、石と石のあいだに 倚 ( よ )りかかって膝を抱えていた石曳きの若い労働者が、 「西瓜か」 と、力のない眼をあげた。 又八は、土のついた青銭を、掌のうえでかぞえた。 西瓜売りにわたして一個の西瓜と交換した。 それを抱え込むと、またしばらく、石に倚りかかったまま、ぐんなり 俯向 ( うつむ )いているのである。 「げ……げ……」 突然、片手をつくと、草の中へ牛みたいに 唾液 ( だえき )を吐いた。 西瓜は膝から転がり出している。 それを取ろうとする気力もないし、食べようという気で買ったわけでもないらしいのだ。 「…………」 にぶい眼で、西瓜をながめていた。 眼は虚無の玉みたいに何の意力も希望もたたえていない。 呼吸 ( いき )をすると肩ばかりうごいた。 「……畜生」 呪う者ばかりが 頭脳 ( あたま )へ映ってくる。 お 甲 ( こう )の白い顔であり、 武蔵 ( たけぞう )のすがたであった。 今の逆境へ落ちて来た過去を 振顧 ( ふりかえ )ると、武蔵がなかったらと思い、お甲に会わなかったらと彼はつい思う。 過 ( あやま )ちの一歩は、関ヶ原の 戦 ( いくさ )の時だ。 次に、お甲の誘惑だ。 あの二つのことさえなかったら、自分は今も、 故郷 ( ふるさと )にいたろう。 そして本位田家の当主になって、美しい嫁をもち、村の人々から、 羨望 ( せんぼう )される身でいられたに違いない。 「お 通 ( つう )は、怨んでいるだろうなあ……。 どうしているか」 彼の今の生活は、彼女を空想することだけが慰めだった。 お甲という女の性質がよくわかってからは、お甲と同棲しているうちから、心はお通へもどっていたのだった。 やがてあの「よもぎの寮」と呼ぶお甲の家を、ていよく突き出されたような形で出てしまってからは、よけいにお通を思うことが多かった。 その後また、よく 洛内 ( らくない )の侍たちの間で噂にのぼる宮本武蔵なる新進の剣士が、むかし友達の「 武蔵 ( たけぞう )」であることを知ると、又八はじっとしていられなかった。 (よしっ、俺だって) 彼は酒をやめた。 遊惰な悪習を蹴とばした。 そして次の生活へかかりかけた。 (お甲のやつにも、見返してやるぞ。 五年も世間を見ずに、年上の女に養われて来た不覚のほどが、はっきり身に沁みて分ったが、遅かった。 (いや、遅かあない。 まだ二十二だ。 どんなことをしたって……) と、これは誰にでも起せる程度の興奮だったが、又八としては、眼をつぶって運命の断層をとび越えるような悲壮をもって、この伏見城の土木へ働きに出たのだった。 そしてこの夏から秋までの炎天下で、自分でもよく続いたと思うほど労働をつづけていた。 (おれも、一かどの男になってみせる。 武蔵のやる芸ぐらい、俺に出来ない法はない。 いや、今にあいつを尻目にかけて、出世してみせてやる。 その時には、お甲にも黙って復讐できるのだ。 武蔵や自分よりも、彼女は一ツ年下だ。 すると今から十年経つうちには、もう三十を一つこえてしまう。 (それまで、お通が、独り身で待っているかしら?) 故郷のその後の消息は何も知らない又八だった。 そう考えると、十年では遠すぎる、少なくもここ五、六年のうちだ。 なんとしても身を立てて、故郷へ行き、お通に詫びて、お通を迎え取らなければならない。 「そうだ……五年か、六年のうちに」 西瓜を見ている眼に、やや光が出てきた。 すると、 巨 ( おお )きな石の向う側から、仲間の一人が、 肱 ( ひじ )を乗せていった。 「おい又八、何をひとりでぶつぶついってるんだ。 ……オヤ、ばかに青い 面 ( つら )して、げんなりしているじゃねえか。 どうしたんだ、腐った西瓜でも喰らって、腹でも 下痢 ( くだ )したのか」 つけ元気に、又八はうすく笑った。 だがすぐ、不快な眼まいがこみあげて来るらしく、 生唾 ( なまつば )を吐いて顔を振った。 「な、なあに、大したことはないが、少し暑さ 中 ( あた )りしたらしいんだ。 ……すまないが、 午 ( ひる )から一 刻 ( とき )ほど、休ましてくれ」 「意気地のねえ野郎だな」 逞しい石曳き仲間は、 愍 ( あわ )れむように 嘲 ( あざけ )った。 「なんだい、その西瓜は。 喰えもしねえのに買ったのか」 「仲間にすまないから、みんなに喰べてもらおうと思って」 「そいつあ如才のねえこった。 おい、又八の 奢 ( おご )りだとよ、食ってやれ」 西瓜を持って、その男は、石の角へたたきつけた。 忽ち、そこらの仲間が 蟻 ( あり )のように寄って来て、赤いしずくの 滴 ( したた )る甘肉の破片を 貪 ( むさぼ )り合った。 「やあい、仕事だぞうっ」 石曳きの 小頭 ( こがしら )が、石のうえに上がって呶鳴った。 監督の侍が、 鞭 ( むち )を持って 陽除 ( ひよ )け小屋から出て来る。 遽 ( にわ )かに汗のにおいが大地にうごき、 馬蠅 ( うまばえ )までわんわん立つ。 「テコ」や「コロ」に乗せられた巨大な石が、一握りもある太い綱に曳かれて徐々に前へ出てゆくのだった、雲の峰がうごくように。 築城時代の現出は、それにつれて全国に、石曳き歌というものの流行を 興 ( おこ )した。 今、ここの人足たちが唄い出したのもそれである。 これにてなくば、うき世なるまじく見え 候 ( そろ )) 労働歌が絃歌になり、蜂須賀侯のような大名までが、 夜興 ( やきょう )の 口誦 ( くちずさ )みに 戯 ( たわむ )れたものとみえる。 街に歌がさかんになりだしたのは、何といっても太閤の世盛りからだった。 室町将軍の頃には、歌があっても 廃頽的 ( はいたいてき )な室内のものだけだった。 その頃は、児童がうたう歌まで、ひがみッぽい暗い歌が多かったが、太閤の世になってからは、歌も明るくなり大きくなり希望的になって、民衆はそれを汗をかきながら太陽の下でうたうことを甚だ好んだ。 関ヶ原の役の後、社会文化に家康色がだんだん濃くなってくると、歌もすこし変って来て、豪放さはうすくなった。 太閤様のころには、民衆からひとりでに歌が湧いてきたが、大御所の世間になってからは、徳川 家付 ( いえつき )の作者が作ったような歌が民衆へ提供されて来た。 「……ああ、苦しい」 又八は、頭をかかえた。 頭は火みたいに熱かった。 仲間のわめいている石曳き歌が、 虻 ( あぶ )に取り巻かれているように耳にうるさかった。 「……五年、五年。 アア五年働いていたらどうなるんだ。 一日稼いでは、一日分食ってしまい、一日休めば、一日食わずにいなけれやならない」 生唾 ( なまつば )も出しきって、青ざめた顔を 俯向 ( うつむ )けていた。 何思ったか、武者修行はそこへ坐りこんだ。 面積一坪ほどな 平石 ( ひらいし )の前にである。 坐ってみるとちょうど机の高さぐらいに 肱 ( ひじ )がつけるのだ。 「ふッ……ふッ……」 焦 ( や )けていた石の砂を息で吹く、砂とともに 蟻 ( あり )の列もふき飛んでゆく。 ふたつの肱をつくと、編笠はしばらく頬杖に乗っている。 陽ざかりで、石はみな照り返すし、草いきれは逆さに顔を撫でるし、さぞ暑いだろうに、身うごきもしない。 城の工事に眺め入っているのである。 少し離れた所に、又八がいることなどは、意に介さない様子であった。 又八もそこへ来てそういう 態 ( てい )をしている武者修行があろうとあるまいと、もとより自分に何の交渉があるわけではないし、頭や胸も依然として不快なので、時折、胃から 生唾 ( なまつば )を吐きながら、背を向けて休んでいた。 その苦しげな息を耳にとめたのだろう。 編笠がうごいて、 「石曳き」 と、声をかけ、 「どういたした?」 「へい……暑さ 中 ( あた )りで」 「苦しいのか」 「少し落ちつきましたが……まだこう吐きそうなんで」 「薬をやろう」 印籠を割って、黒い粒を 掌 ( てのひら )へうつし、起って来て又八の口へ入れてくれた。 「すぐ 癒 ( なお )る」 「ありがとう存じます」 「にがいか」 「そんなでもございません」 「まだ、貴様はそこで、仕事を休んでおるのか」 「へ……」 「誰か参ったら、ちょっとおれの方へ声をかけてくれ、小石で合図をしてくれてもいい、頼むぞ」 武者修行は、そういって、前の位置に坐りこむと、今度はすぐ矢立から筆を取り出し、半紙 綴 ( とじ )の 懐中 ( ふところ )手帖を石の上にひろげて、ものを書くことに没頭しはじめた。 笠のつば越しに、彼の眼のやりばが、間断なく城へ向ったり、城の外のほうへ行ったり、また城のうしろの山の線や、河川の位置や、天守などへ、転々とうごいてゆくところを見ると、その筆の先は、伏見城の地理と廓外廓内の眼づもりを、絵図に 写 ( と )っているにちがいなかった。 関ヶ原の 戦 ( いくさ )の直前に、この城は西軍の浮田勢と島津勢に攻められて、その 増田廓 ( ますだぐるわ )や 大蔵廓 ( おおくらぐるわ )や、また諸所の 塁濠 ( るいごう )などもかなり破壊されたものだったが、今では、太閤時代の旧観にさらに鉄壁の威厳を加えて、一衣帯水の大坂城を 睥睨 ( へいげい )していた。 「……あっ」 又八が、そういった時には、写図に一心になっている編笠のうしろへ、工事課役の大名の臣か、伏見の 直臣 ( じきしん )かわからないが、 草鞋 ( わらじ )ばきで、太刀を 革紐 ( かわひも )で背なかに負うた半具足の侍が、武者修行の気のつくまで、黙って立っていたのだった。 又八は正直にすまないと思った。 けれどもう遅い。 石を投げてやっても声をかけてやっても、もう遅い。 工事目付の侍は、その眼をじっと 睨 ( ね )め返して、石の上の見取図へだまって具足の手を伸ばした。 この炎天下の我慢と、 粒々 ( りゅうりゅう )の辛苦をして、やっと写した城の見取図が、ものもいわず、いきなり肩越しに出て来た手のために、 皺 ( しわ ) くちゃに 掴 ( つか )み 奪 ( と )られようとするのを見ると、武者修行は、火薬の塊りが火を呼んだように、 「何するかッ」 満身で呶鳴った。 手頸 ( てくび )をつかまえて立つと、工事目付は 奪 ( と )り上げた彼の写図帖を、奪り返されまいとして、宙へその手をさしあげつつ、 「見せろ」 「無礼なッ」 「役目だ」 「なんであろうが」 「見ては悪いものか」 「悪いっ。 貴様などが見たってわかるもんじゃない」 「とにかく預る」 「いかん!」 帖の写図は、双方の手に裂かれて、半図ずつ握りしめた。 「曳ッ立てるぞ、素直にせぬと」 「どこへ」 「奉行所へ」 「貴様、役人か」 「然り」 「何番の。 誰の」 「左様なこと、汝らが、訊かんでもいい。 ……とにかくこれは返せん、其方も一応取りただすによって、あっちまで来い」 「あっちとは」 「工事奉行のお 白洲 ( しらす )」 「おれを罪人扱いするのか」 「だまって参るのだ」 「役人、こらっ。 見廻りは、青すじを立てた。 掴んでいた写図の破れを、地へすてて踏みにじり、二尺余りの長い十手を腰から抜いた。 武者修行の手が刀へかかったら、すかさず、その 肱 ( ひじ )へ十手の打撃を入れてやろうとするもののように、腰を 退 ( ひ )いて身構えたが、その様子もないので、もう一度、 「歩かんと、縄を打つぞ」 ことばの終らないうちに、武者修行のほうから一歩出て来た。 何か大きな声を発したと思うと、見廻りは首の根をつかみ寄せられていた。 武者修行の片手はまた、彼の 鎧帯 ( よろいおび )の腰をつかんで、 「この、虫けら」 巨石 ( おおいし )の角へ向って 抛 ( ほう )り投げた。 見廻りの 侍頭 ( さむらいがしら )は、 先刻 ( さっき )そこで石曳きの男がたたき割った西瓜のようになって、形を失ってしまった。 「……アッ」 又八は、顔を抑えた。 真っ赤な味噌みたいなものが彼のいる辺りまで 刎 ( は )ねて来たからである。 平然たるものは、 彼方 ( あなた )の武者修行であった。 よほどこんな殺人に馴れているのか、また一気に憤りを爆発させて後の涼しさに落着いているのか、とにかく、あわてて逃げ出す様子もなく、見廻りの足で踏みにじられた写図の断片と、そこらに散らばっている 反古 ( ほご )をひろい集め、次に、相手を投げる途端に 紐 ( ひも )が切れて飛んで行った編笠を、静かな目で捜している。 「…………」 又八は、凄惨な気に打たれていた。 恐ろしい力量を見て自分の毛穴までよだっている。 陽焦 ( ひや )けのした骨太の顔に薄 あばたがあり、耳の下から顎にかけて四半分ほど顔がない。 ないというのはおかしいが、太刀で斬られた 痕 ( きずあと )の肉が変に縮んでしまったのかも知れない。 その耳の裏にも黒い 刀痕 ( とうこん )があり、左の手の甲にも刀傷がある。 笠を拾って、怪異なその顔へかむると、武者修行はさっと足を速めた。 風のように彼方へ向って逃げ出したのである。 勿論、そこまでの行動は極めて短い間だった。 それは丸太組の 櫓 ( やぐら )のうえにいる 棟梁衆 ( とうりょうしゅう )や作事与力の上役だった。 そこから突然、大きな声が放たれたと思うと、櫓の下の湯呑み所の板がこいの中で、大釜の火にいぶされながら働いていた足軽たちが、 「なんだ?」 「何だ」 「また、喧嘩か」 と、外へ飛び出した。 もうその時は、作業場と町屋の境に出来ている 竹矢来 ( たけやらい )の木戸で、真っ黒にかたまった人間の怒号が黄いろい 埃 ( ほこり )につつまれていた。 「 間者 ( かんじゃ )だな! 大坂の」 「 性懲 ( しょうこ )りもなく」 「ぶっ殺せ」 口々にいって、 石工 ( いしく )や土工や工事奉行の配下は、みな自分の敵でもいるように駈け集まって行く。 半分 顎 ( あご )のない武者修行が捕まったのだ。 竹矢来の外へ出て行く牛車の蔭にかくれて、すばやく木戸の口をすり抜けようとしたが、そこの番衆たちに挙動を怪しまれて、釘の植わっている 刺叉 ( さすまた )という 柄 ( え )の長い道具で、いきなり足を 搦 ( から )み取られたのであった。 そこへ、 櫓 ( やぐら )の上からも、 「その編笠を引ッ捕えろっ」 と、呼ばわる声が同時にあったので、理由などは問わず、遮二無二、組み伏せにかかると、武者修行は形相をあらためて、野獣のように死にもの狂いとなった。 刺叉を引っ 奪 ( た )くられた男が、真っ先にその得物の先で髪を引っかけられた。 四、五人叩き伏せておいて、虚空へさっと 閃 ( ひらめ )かしたのは彼の腰に横たえていた 胴田貫 ( どうたぬき )らしい大太刀である。 平常 ( ふだん )の 差刀 ( さしもの )には頑丈すぎるが、陣太刀にすれば手ごろである。 すると、危険を避けて人間はわっと散らかったが、途端に八方から小石が降って来たのである。 「 殺 ( や )っちまえ」 「たたっ殺してしまえっ」 肝腎 ( かんじん )な侍たちが臆して近よらないので、平常、武者修行というものに対して、彼らは少しばかりの知識や学問を鼻にかけ、世の中をただ威張って横に歩くのを見栄にしている無産の 僻 ( ひが )み者か、一種の逸民と認めて、それに反感を抱いている石工だの土工だのという労働者たちが、 「 殺 ( や )っちまえ」 「のしちまえ」 と叫んで、四方から 抛 ( ほう )りつける、それは無数の石つぶてであった。 「この 凡下 ( ぼんげ )どもめ!」 駈け入れば、わッと散るのだ。 武者修行の眼はもう自分の生きる路を見つけるよりも、その石の来るほうの人間へ向って、理智や利害を越えている。 怪我人 ( けがにん )も多く出たし、死者も幾人かあったのに、それから一瞬の後は、めいめい職場にかえって、けろりとした工事場の広さであった。 何事もなかったように、石曳きは石を曳き、土工は土をかつぎ、 石工 ( いしく )は 鑿 ( のみ )で石を割っている。 鑿 ( のみ )が火花を出す暑い音、 霍乱 ( かくらん )をおこして暴れくるう馬のいななき、残暑の空は、午後に入って、じいんと 鼓膜 ( こまく )が馬鹿になるような熱さだった。 伏見城から淀のほうへ背のびをしている雲の峰は、しばらくうごきもしなかった。 「もう九分九厘まで、くたばっているが、御奉行が来るまでこうして置くから、 汝 ( てめえ )そこにいて、こいつの番をしておれ。 「……人間なんて、つまんねえものだな。 たった今そこで、城の見取図を写していた男が」 又八のにぶい 眸 ( ひとみ )は自分から十歩ほど先の地上にある一個の物体を見つめたまま、最前からぽんやりと虚無的な考えに囚われている。 「……もう死んでるらしい。 まだ三十前だろうに」 と彼は思い 遣 ( や )った。 顎の半分ない武者修行は、太い麻縄で縛られて、血に土のまぶされた黒い顔を、無念そうにしかめたまま、その顔を横伏せにして倒れている。 縄尻はそばの 巨 ( おお )きな石に巻きつけてあるのだった。 もう「ウ」も「ス」もいい得ない死人の体をそう 大仰 ( おおぎょう )に 縛 ( くく )っておかないでもよさそうなものと又八はながめていたことだった。 何で撲られたのか、破れた 袴 ( はかま )から変な恰好して露出している脚の 脛 ( すね )は、肉が 弾 ( はじ )けて折れた白骨の先が飛び出していた。 髪は 粘 ( ねば )って血を噴いているし、その血へは 虻 ( あぶ )がたかり、手や脚にはもう 蟻 ( あり )の群れが這っている。 「武者修行に出たからには、のぞみを抱いていたろうに。 親はあるのかないのか」 そんなことを 思 ( おも )い 遣 ( や )ると、又八はいやな気持に襲われて、武者修行の一生を考えているのか、自分の身の果てを考えているのか、分らなくなってきた。 「望みをもつにも、もっと悧巧に出世する道がありそうなものだ」 と、つぶやいた。 時代は若い者の野望を 煽 ( あお )って、「若者よ夢を持て」「若者よ起て」と未完成から完成への過渡期にあった。 又八ですらその社会の空気を感じるほど、今は、裸から一国一城の 主 ( あるじ )を望める時である。 その多くが武者修行の道をとるのだ。 武者修行をして歩けば今の社会では到るところで衣食に事を欠くことはない。 田夫野人でも武術には関心をもっているからだ。 寺院へ頼っても渡れるし、あわよくば地方の豪族の客となり、なお、幸運にぶつかれば、一朝事のある場合のために、大名の経済から「捨て 扶持 ( ぶち )」「蔭扶持」などというものを 貢 ( みつ )がれることもある。 だが数多い武者修行の中で、そういう幸運にあう者がどれほどあろうかといえば、これは極めて少数にちがいない。 功成り名を遂げ、一人前の 禄 ( ろく )取りになるほどの者は一万人中で二人か三人を出ないであろう。 (馬鹿馬鹿しい……) 又八は、同郷の友の宮本武蔵が行った道を 憐 ( あわれ )んだ。 おれは将来、奴を見返してやるにしても、そんな愚かな道はとらないぞと思う。 ここに死んでいる顎のない武者修行のすがたを見てもそう思う。 「……おやっ?」 又八は飛び 退 ( の )いて大きな眼をすえた。 なぜならば、死んだものときめていた蟻だらけの武者修行の手がびくっと動き出して、縄目の間から 鼈 ( すっぽん )のような手首だけを出して大地へつき、やがてむくりと、腹を上げ、顔を上げ、次に前のほうへ一尺ばかり、ずるりと這い出して来たからであった。 ぐ……と 生唾 ( なまつば )をのんで又八はなおも後へ 摺 ( ず )り 退 ( さ )がった。 腹の底から驚きを感じると声も出ないものだ。 ただ眼のみ大きくみひらいて、目前の事実に茫失した。 「……ひゅっ……ひゅっ……」 彼は、何かいおうとするらしい。 彼とは顎の半分ない武者修行である。 完全に死んでいると思っていたこの男は、まだ生きていたのだ。 ……ヒュッ、ヒュッと 断 ( き )れ 断 ( ぎ )れに彼の呼吸が 喉 ( のど )で鳴るのである。 唇は黒く 渇 ( かわ )いてしまって、そこから言葉を吐くのはもう不可能な 業 ( わざ )であった。 それを必死に一言でもいおうとするので、呼吸が割れた笛の鳴るような音を出すのだった。 又八が驚いたのは、この男が生きていたからではない。 胸の下に縛りつけられている両手で這って来たからだ。 それだけでも、驚くに足る人間の死力であるのに、その縄尻の巻きつけてある何十貫もあろう 巨石 ( おおいし )が、この瀕死の 傷負 ( ておい )が引っ張る力で、ズル、ズル……と一、二尺ずつ前へ動いて来たからである。 まるで、化け物のような怪力だ。 この工事場の労働者のうちにも、ずいぶん力自慢があって、十人力とか二十人力とか自称している天狗もあるが、こんな化け物は一人もいない。 しかも、この武者修行は、今や死なんとしている体なのだ。 「……しょっ……しょっ……お、お、おねがい」 また何か、変った 語音 ( ごいん )を出していう。 意味はまったく分らない。 「……たっ……た……たのむ……」 がくっと首を前へ折った。 こんどはほんとに息が絶えたのだろう、見ているうちに 襟 ( えり )首の皮膚の色が青黒く沈んで行った。 草むらの蟻がもう白っぽい髪の毛にたかっている。 血のかたまった鼻の穴を一匹はのぞきこんでいた。 「? ……」 何を頼まれたのか、又八は 茫 ( ぼう )としているだけだった。 けれどこの怪力の武者修行が 臨終 ( いまわ )の一念は、自分へ 憑 ( つ )き物のようについていて 違 ( たが )えることのできない約束の負担を負わされたような気持がしてならない。 お城は 暮靄 ( ぼあい )にかすんで来た。 いつのまにかもう 黄昏 ( たそが )れかけて、伏見の町には早い 灯 ( あか )りがポツポツ 戦 ( そよ )ぎだしている。 「そうだ……何かこの中に」 又八は、死者の腰に結びつけている武者修行風呂敷をそっと触ってみた。 (故郷の土へ、 遺物 ( かたみ )を届けてくれというのだろう) そう彼は判断した。 包みと印籠を、死者の体から取って、自分の 懐中 ( ふところ )へ入れた。 石の蔭から見ると、奉行配下の侍たちだ。 又八は、死骸から無断で取った品物が自分の 懐中 ( ふところ )にあると思うと、自分の危険を感じて、そこにいたたまらなくなった。 夕ぐれの風はもう秋だった。 糸瓜 ( へちま )は大きくなっている。 その下で、 盥 ( たらい )の湯に 浴 ( つ )かっている駄菓子屋の女房が、家の中の物音に、戸板の蔭から白い肌を出していった。 「誰だえ。 又八さんかい?」 又八はこの家の同居人だった。 今、あたふたと帰って来ると、戸棚を掻廻して、一枚の 単衣 ( ひとえ )と 一腰 ( ひとこし )の刀を出し、姿をかえると、手拭で 頬冠 ( ほおかむ )りして、またすぐ草履を 穿 ( は )こうとしていた。 「暗かろ、又八さん」 「なに、べつに」 「今すぐ 灯 ( あか )りをつけるで」 「それには及ばないよ、出かけるから」 「行水は」 「いらん」 「体でも拭いて行ったら」 「いらん」 急いで裏口から飛び出して行った。 といっても、垣も戸もない草原つづきである。 彼が長屋から出て来ると入れちがいに、数名の人影が、 萱 ( かや )の 彼方 ( かなた )を通って、駄菓子屋の裏表へ入ってゆくのが見えた。 工事場の侍が 交 ( ま )じっていた。 又八は、 「あぶない所だった」 と 呟 ( つぶや )いた。 顎の半分ない武者修行の死体から、包みや 印籠 ( いんろう )を取った者のあることは、その後ですぐ発見された筈である。 当然、その側にいた自分に盗人の嫌疑がかかったに相違ない。 「だが……俺は盗みをしたのじゃない。 死んだ武者修行の頼みにやむなく持物を預かって来たのだ」 又八は 疚 ( やま )しくなかった。 その品は 懐中 ( ふところ )に持っている。 これは預かった物だと意識しながら持っている。 「もう石曳きに行かれない」 彼は、 明日 ( あした )からの放浪に、なんの あてもなかった。 しかし、こういう転機でもなければ、何年でも石を曳いているかも知れないと思うと、かえって先が明るく考えられる。 萱 ( かや )の葉が肩までかかる。 夕露がいっぱいだ。 遠くから姿を発見される 惧 ( おそ )れがなくて逃げるには気楽だ。 さてこれからどっちへゆくか? どっちへ行こうと体一つである。 何かいい運だの悪い運だのがいろいろな方角で自分を待っているらしく思う。 今の足の向き方ひとつで生涯に大きな違いが生じるのだ。 必然、こうなるものだと決定された人生などがあろうとは考えられない。 偶然にまかせて歩くよりほか仕方がない。 賽 ころに必然がないように、又八にも必然がないのだった。 何かここに起ってくる偶然があれば、それに引かれて行こうと思う。 だが、伏見の里の萱原には、歩けど歩けど何の偶然もなかった。 虫の音と露とが深くなるばかりだった。 単衣 ( ひとえ )のすそはびっしょり濡れて足に巻きつき、草の実がたかって、 脛 ( すね )がむず 痒 ( がゆ )い。 又八は、昼の病苦をわすれた代りに、すっかり 飢 ( ひも )じくなっていた。 胃液まで空っぽなのだ。 追手の心配がなくなってからは、急に歩くことが苦痛になっていた。 「……何処かで寝たいものだ」 その慾望が彼を無意識にここへ運んで来たのである。 それは野末に見えた一軒の 屋 ( や )の 棟 ( むね )だった。 近づいてみると垣も門も暴風の時に傾いたまま誰も起してやり手がない。 おそらく屋根も満足なものではあるまい。 しかし一度は貴人の別荘とされて、都あたりから、糸毛の 輦 ( くるま )に ( ろう )たけた麗人が、萩を分けて通ったこともありそうな 家造 ( やづく )りなのである。 又八はその無門の門を通って中へ入り、秋草の中に埋まっている 離亭 ( はなれ )や 母屋 ( おもや )をながめて、ふと玉葉集の中にある西行の、 ちょうどよい 塒 ( ねぐら )とここに一夜を明かしている虚無僧らしいのである。 炉 ( ろ )の火が赤く立つと、大きな人影が 婆娑 ( ばさ )として壁に映る。 独り尺八を吹いているのだ。 それはまた 他人 ( ひと )に聞かそうためでもなく自ら誇って陶酔している 音 ( ね )でもない。 秋の夜の孤寂の 遣 ( や )る瀬なさを、無我と 三昧 ( さんまい )に過ごしているだけのことなのだ。 ……考えれば 慚愧 ( ざんき )にたえない。 死んだ妻にも生きている子にも会わせる顔がない。 ……このおれなどの例を見ると、四十不惑などというのは聖人のことで、凡夫の四十だいほど危ないものはない。 油断のならない山坂だ。 まして女に関しては」 胡坐 ( あぐら )の前に、尺八を 縦 ( たて )に突き、その歌口へ両手をかさねて、 「二十だい、三十だいの年でも、由来おれは、やたらに女のことで失敗をやって来たが、そのころにはどんな醜聞をさらしても、人も許してくれたし、生涯の 怪我 ( けが )にもならなかった。 ……ところが、四十だいとなると、女に対してすることが 厚顔 ( あつか )ましくもなるし、それがお 通 ( つう )の場合のような事件になると、今度は世間がゆるさない。 そして、致命的な外聞になってしまった。 禄も家もわが子にも離れるような失敗になってしまった。 ……そして、この失敗も、二十だい三十だいなら取り返せるが、四十だいの失敗は二度と芽を出すことがむずかしい」 盲人のように 俯向 ( うつむ )いたまま、声を出してそういっているのである。 「アア……それを……おれは……」 虚無僧は、天井を仰向いた。 骸骨 ( がいこつ )のように鼻の穴が大きく又八のほうから見える。 凡 ( ただ )の浪人の 垢 ( あか )じみた着物を着て、その胸に、 普化禅師 ( ふけぜんじ )の末弟という 証 ( しるし )ばかりに黒い 袈裟 ( けさ )をつけているに過ぎないのである。 敷いている一枚の 筵 ( むしろ )は、常に巻いて手に持って歩く彼の唯一の 衾 ( ふすま )であり雨露の家だった。 …… 慚愧 ( ざんき )のいたりだ」 誰かに向って謝っているように、虚無僧は頭を下げて、さらにまた下げて、 「おれはいい、おれは、それでも、いいとしよう。 おれのした結果は、おれに 酬 ( むく )うより、あの城太郎のほうへより多く 祟 ( たた )っている。 とにかく、姫路の池田侯に藩臣としてこのおれが 歴乎 ( れっき )としていれば、あの子だって、千石侍の一人息子だ。 それが今では、 故郷 ( くに )を離れ、父を離れ……。 イヤそれよりも、あの城太郎が成人して、この父が、四十だいになってから、女のことで藩地から放逐されたなどと知る日が来たら、おれはどうしよう。 ……おお月が出たな、野へ出て、思うさま流して来ようか。 そうだ、愚痴と煩悩を野へ捨てて来よう」 尺八を持って、彼は外へ出て行った。 妙な虚無僧である。 よろよろ立ってゆく時、物蔭から又八が見ていると、その痩せこけた 鼻下 ( びか )にはうすい どじょう 髭 ( ひげ )が生えていたように思う。 そう年を 老 ( と )っているほどでもないのに、ひどくよぼよぼした足元だった。 ぷいと出て行ったきり、なかなか戻って来ないのだ。 少し精神に異常があるのだろうと、又八は不気味に思う半面にあわれな気もした。 それはいいが、物騒なのは、炉に残っている火であった。 ぱちぱちと夜風がそれを 煽 ( あお )っている。 燃え折れた柴の火は、床を 焦 ( こ )がしているではないか。 「あぶねえ、あぶねえ」 又八はそこへ行って、 土瓶 ( どびん )の水をじゅっとかけた。 これが野中の破れ 邸 ( やしき )だからいいようなものの 飛鳥朝 ( あすかちょう )や鎌倉時代の二度と地上に建てることのできない寺院などであったらどうだろうと考えて、 「あんなのがいるから、奈良や高野にも火事があるんだ」 と彼は、虚無僧の去ったあとに自分が坐って、がらにもない公徳心を呼び起していた。 家産や妻子もない代りに、社会への公徳心も絶無な浮浪者には、火が怖いものという観念も全くないらしい。 だから彼らは、 金堂 ( こんどう )の壁画の中ですら平然と火を燃やす。 世の中に無用に生きているに過ぎない一個の 空骸 ( むくろ )を暖めるために火を燃やす。 「だが……浮浪人だけが悪いともいえねえな」 又八は自分も浮浪人であることを思って考えた。 今の世の中ほど浮浪人が多い社会はない。 それは何が生んだかといえば、 戦 ( いくさ )だった。 戦によってぐんぐん地位を占めてゆく者も多い代りに、 芥 ( あくた )のように捨てられてゆく人間の数も実に 夥 ( おびただ )しい。 これが次の文化の 手枷 ( てかせ )、足枷となるのもやむを得ない自然の因果といえよう。 そういう浮浪の徒が、国宝の塔を 焚火 ( たきび )で焼く数よりは、戦が、意識しつつ、高野や 叡山 ( えいざん )や皇都の物を焼いたほうが、遥かに大きな地域であった。 「……ほ。 洒落 ( しゃれ )たものがあるぞ」 又八はふと横を見てつぶやいた。 ここの炉も床の間も、改めて見直せば、元は茶屋にでも使っていたらしい 閑雅 ( かんが )な造りなのである。 そこの 小床 ( ことこ )の棚に、彼の眼をひいた物がある。 高価な 花瓶 ( はないけ )や香炉などではない。 口の欠けた徳利と、黒い 鍋 ( なべ )だった。 鍋には食べ残した 雑炊 ( ぞうすい )がまだ半分残っているし、徳利は振ってみると、ごぼっと音がして、欠けた口から酒がにおう。 「ありがたい」 こういう場合、人間の胃は、他の所有権を考えている 遑 ( いとま )はない。 徳利の濁り酒をのみ、鍋を 空 ( から )にして、又八は、 「ああ、腹が 満 ( は )った」 ごろんと手枕になる。 トロトロと炉の火もとに眠りかける。 雨のように野は虫の音に 更 ( ふ )けてゆく。 戸外ばかりでなく、壁も啼く、天井も啼く、破れ畳も啼きすだく。 「そうだ」 何か思い出したとみえる。 むくりと彼は起き直った。 そう急に思いついたらしい。 解いてみた。 中から出て来たのは、洗いざらした 襦袢 ( じゅばん )だの普通の旅行者の持つ用具などであったが、その 着 ( き )がえをひろげてみると、いかにも大事そうに、油紙でくるんである巻紙大の物と路銀の金入れであろう、どさっと重い音が膝の前に落ちた。 むらさき 革 ( がわ )の 巾着 ( きんちゃく )であった。 その金入れの中には、金銀 取交 ( とりま )ぜてだいぶの額が入っていた、又八は数えるだけでも自分の心が怖くなって、思わず、 「これは 他人 ( ひと )の 金 ( かね )だ」 と、殊さらにつぶやいた。 もう一つの油紙に包んであるものを開いてみると、これは一軸の巻物である。 軸には 花梨 ( かりん )の木が用いてあり、表装には 金襴 ( きんらん )の 古裂 ( ふるぎ )れが使ってあって、何となく秘品の紐を解く気持を 抱 ( いだ )かせられる。 「何だろ?」 全く見当のつかない品物だった。 もっとも、その又八にでも、伊藤弥五郎景久といえばすぐ、 (アアあの一刀流を創始して、一刀斎と号している達人か) と合点がゆくであろうが、その伊藤一刀斎の師が、鐘巻自斎という人で、またの名を 外他通家 ( とだみちいえ )といい、まったく社会からは忘れられている、富田入道 勢源 ( せいげん )の正しい道統をうけついで、その晩節をどこか 辺鄙 ( へんぴ )な田舎に送っている高純な士であるなどということはなおさら知らない。 この目録をみても分るが、中条流の印可をうけているのだもの。 惜しい死に方をしたものだな。 ……さだめしこの世に心残りなことだったろう。 あの最期の顔は、いかにも死ぬのが残念だという顔つきだった。 これを郷里の 知 ( し )る 辺 ( べ )へでも届けてくれといいたかったに違いない」 又八は、死んだ佐々木小次郎のために、口のうちで、念仏をとなえた。 そしてこの二品は、きっと死者の望むところへ届けてやろうと思った。 肌寒いので寝ながら炉の中へ柴を投げこんで、その炎にあやされながらウトウト眠りかけた。 ここを出て行った奇異な虚無僧が吹いているのであろう、遠い 野面 ( のづら )から尺八の音が聞えて来る。 何を求め、何を呼ぶのか。 彼が出て行く折につぶやいたように、愚痴と煩悩を捨て切ろうとする必死がこもっているせいかも知れない。 野は灰色に曇っている。 今朝 ( けさ )の涼しさは「立つ秋」を思わせ、眼に見るものすべてに露がある。 戸の吹き仆されている 厨 ( くりや )に、狐の足痕がまざまざ残っていた。 夜が明けても、 栗鼠 ( りす )はそこらにうろついている。 「アア、寒い」 虚無僧は、眼をさまして、広い台所の板敷へかしこまった。 夜明け頃、ヘトヘトになって戻って来ると、尺八を持ったまま、ここへ横になって眠ってしまった彼である。 うす汚い 袷 ( あわせ )も 袈裟 ( けさ )も、夜もすがら野を歩いていたために、狐に 魅 ( ば )かされた男のように草の実や露でよごれていた。 きのうの残暑とは比較にならない陽気なので、 風邪 ( かぜ )をひき込んだのであろう、鼻のうえに 皺 ( しわ )をよせ、鼻腔と眉を一緒にして、大きな 嚔 ( くさめ )を一つ放つ。 ありやなしやの薄い どじょう 髭 ( ひげ )の先に、鼻汁がかかった。 恬 ( てん )として、虚無僧はそれを拭こうともしないのである。 「……そうじゃ、ゆうべの濁り酒がまだあったはず」 つぶやいて 起 ( た )ち上がり、そこも狐狸妖怪の 足痕 ( あしあと )だらけな廊下をとおって、奥の炉のある部屋をさがしてゆく。 捜さなければ分らないほど、この空屋敷は昼になってみるとよけいに広いのである。 あるべきところに酒の壺がないのだ。 しかしそれはすぐ炉のそばに横たわっているのを発見したが、同時に、その 空 ( から )の 容器 ( いれもの )とともに、 肱枕 ( ひじまくら )をして、 涎 ( よだれ )をながして眠っている見つけない人間をも見出し、 「誰だろ?」 及び腰に覗き込んだ。 よく眠っている男だった。 撲りつけても眼を 醒 ( さ )ましそうもない 大鼾声 ( おおいびき )をかいているのである。 まだ事件があった。 今朝の朝飯として食べのこしておいた 鍋 ( なべ )の飯が、見れば底をあらわして一粒だにないではないか。 虚無僧は顔いろを変えた。 死活の問題であった。 「やいっ」 蹴とばすと、 「ウ……ウむ……」 又八は、 肱 ( ひじ )を 外 ( はず )してむっくと首をあげかけた。 「やいっ」 つづいて、もう一ツ、眼ざましに 足蹴 ( あしげ )を食らわすと、 「何しやがる」 寝起きの顔に、青すじを立てて、又八はぬっくと起ち上がった。 「おれを、足蹴にしたな、おれを」 「したくらいでは、腹が癒えんわい。 おのれ、誰に断って、ここにある 雑炊飯 ( ぞうすいめし )のあまりと酒を食らったか」 「おぬしのか」 「わしのじゃ!」 「それやあ済まなかった」 「済まなかったで済もうか」 「 謝 ( あやま )る」 「謝るとだけでことは納まらん」 「じゃあ、どうしたらいいんだ」 「かやせ」 「 返 ( かえ )せたって、もう腹の中に入って、おれの今日の 生命 ( いのち )のつなぎになっているものをどうしようもねえ」 「わしとて、生きて行かねばならん者だ。 一日尺八をふいて、人の 門辺 ( かどべ )に立っても、ようよう貰うところは、 一炊 ( ひとかし )ぎの米と 濁酒 ( どぶろく )の一合の 代 ( しろ )が関の山じゃ。 ……そ、それを無断であかの他人のおのれらに食われて 堪 ( たま )ろうか。 かやせ! かやせ!」 餓鬼の声である。 どじょう 髭 ( ひげ )の虚無僧は、飢えている顔に青すじを立て 威猛高 ( いたけだか )に 喚 ( わめ )いた。 飢えた野良猫にひとしい虚無僧の細っこい骨ぐみだった。 叩きつけて、一振りに、ぎゅうといわせてやろうとしたが、襟がみをつかまれながら、又八の喉輪へつかみかかって来た虚無僧の力には、案外な 粘 ( ねば )りがある。 「こいつ」 と、 力 ( りき )み直したが、相手の足もとは、どうして、 確 ( しっ )かりとしたものだ。 かえって又八が顎をあげて、 「うッ……」 妙な声をしぼりながら、どたどたっと次の部屋まで押し出され、それを食い止めようとする力を利用されて、手際よく、壁へ向って投げ捨てられた。 根太も柱も 腐蝕 ( くさ )っている屋敷である。 一堪りもなく壁土が崩れて、又八は全身に泥をかぶった。 「ペッ……ペッ……」 猛然と 唾 ( つば )して立つと、ものをいわない代りに、凄い血相が刃物を抜いて、跳びかかってきた。 虚無僧も心得たりという応対で、尺八をもって渡りあう。 しかし情けないことにはすぐ 息喘 ( いきぎ )れが出て来て、尖った肩でせいせいいうのだ。 それに反して又八の肉体はなんといっても若かった。 「ざまを見ろッ」 圧倒的に又八は、斬りかけ斬りかけして、彼に息をつく間を与えない。 虚無僧は化けて出そうな顔つきになった。 体の飛躍を欠いてともすると蹴つまずきそうになる。 そのたびに何ともいえない死に際のさけびを放った。 そのくせ八方に逃げ廻って、容易には太刀を浴びないのである。 しかし結果は、その誇りが又八の敗因となった。 虚無僧が猫のように庭へ跳んだので、それを追うつもりで廊下を踏んだ途端に、雨に朽ちていた縁板がみりっと割れた。 片足を床下へ突っこんで、又八が尻もちをついたのを見ると、得たりと 刎 ( は )ね返して来た虚無僧が、 「うぬ、うぬ、うぬっ」 胸ぐらを取って、顔といわず 鬢 ( びん )たといわず、 撲 ( なぐ )りつけた。 脚がきかないので又八はどうにもならなかった。 自分の顔が見るまに四斗樽のように 腫 ( は )れたかと思う。 撲られるたびに 美 ( い )い 音 ( ね )がして、貨幣はそこらに散らかった。 又八もやっと彼の手をのがれて 跳 ( と )び 退 ( の )いた。 自分の 拳 ( こぶし )が痛くなるほど、憤怒を出しきった虚無僧は、肩で息をしながら、あたりにこぼれた金銀に眼を奪われていた。 「やいっ、畜生め」 腫 ( は )れ上がった横顔を抑えながら又八は、声をふるわせてこういった。 「な、なんだっ、鍋底のあまり飯くらいが! 一合ばかしの 濁酒 ( どぶろく )が! こう見えても、金などは腐るほど持っているんだ。 餓鬼め、ガツガツするな。 それほどほしけれやあ、くれてやるから持ってゆけっ。 その代り、今てめえが俺を撲っただけ、こんどは俺が撲るからそう思えっ。 アア、あさましい。 どうしておれはこう馬鹿なのか」 もう又八へ対していっているのではない、ひとりで 悶 ( もだ )え悲しんでいるのだ。 その自省心の烈しいことも、常人とは変っていて、 「この馬鹿、貴さまは一体、 幾歳 ( いくつ )になるのか。 こんなにまで、世の中から落伍して、 落魄 ( おちぶ )れ果てた目をみながら、まだ 醒 ( さ )めないのか、 性 ( しょう )なしめ」 そばの黒い柱へ向って、自分の頭をごつんごつん 打 ( ぶ )つけては泣き、打つけては泣き、 「何のために、 汝 ( おのれ )は尺八をふいているか。 愚痴、邪慾、迷妄、我執、煩悩のすべてを六孔から吐き捨てるためではないか。 しかも息子のような年下の若者と」 ふしぎな男だ。 そういって口惜しげにベソを掻くかと思うと、また、自分の頭を、柱に向って叩きつけ、その頭が二つに割れてしまわないうちは 止 ( や )めそうもないのである。 その自責からする 折檻 ( せっかん )は、又八を撲った数よりも遥かに多い。 又八は 呆 ( あ )っけにとられていたが、青ぶくれになった虚無僧の額から血がにじみ出て来たので、止めずにいられなくなった。 「ま、ま、 止 ( よ )したらどうだ、そんな無茶な真似」 「 措 ( お )いて下され」 「どうしたんだい」 「どうもせぬ」 「病気か」 「病気じゃござらぬ」 「じゃあなんだ」 「この身が 忌々 ( いまいま )しいだけじゃ。 かような肉体は、自分で打ち殺して、 鴉 ( からす )に喰わせてやったほうがましじゃが、この愚鈍のままで殺すのも忌々しい。 せめて人なみに 性 ( しょう )を得てから、野末に捨ててやろうと思うが、自分で自分がどうにもならぬので 焦 ( じ )れるのじゃ。 ……病気といわれれば病気かのう」 又八は、何か急に気の毒になって来て、そこらに落ちている金を拾いあつめて、幾らかを彼の手に握らせながら、 「おれも悪かった、これをやろう。 これで勘弁してくれ」 「いらん」手を引っこめて、 「金など、いらん、いらん」 鍋の残り飯でさえ、あんなに怒った虚無僧が、けがらわしい物でも見るように、強く首を振って、膝まで後へ 退 ( さ )がってゆく。 「変な人だな、おめえは」 「さほどでもござらぬ」 「いや、どうしても、少しおかしいところがあるぜ」 「どうなとしておかれい」 「虚無僧、おぬしには、時々、中国 訛 ( なま )りが 交 ( ま )じるな」 「姫路じゃもの」 「ほ……。 ……吉野郷とはなつかしいぞ。 わしは、日名倉の番所に、目付役をして詰めていたことがあるで、あの辺のことは相当に知っておるが」 「じゃあ、おぬしは、元姫路藩のお侍か」 「そうじゃ、これでも以前は、武家の 端 ( はし )くれ、青木……」 名乗りかけたが、今の自分を 省 ( かえり )みて、人前に身を置いているに耐えなくなったか、 「嘘だ、今のは、嘘じゃよ。 どれ……町へながしに行こうか」 ぷいと立って、野へ歩み去った。 費 ( つか )ってならない金だと思うにつけて気になるのだ。 たんとは悪いが、少しぐらいは、この中から借りて費ったところで罪悪にはなるまいと遂には思う。 「死者の頼みで、その 遺物 ( かたみ )を、郷里へ届けてやるにしても、路銀というものが 要 ( い )る。 当然、その費用は、この内から 費 ( つか )ったとて 関 ( かま )うまい」 又八はそう考えてから、幾分気が軽くなった。 だが、金のほかに死者から預かっている「中条流印可目録」の巻物のうちにある佐々木小次郎とは、一体どこが 生国 ( しょうごく )だろうか。 唯一の頼りは、佐々木小次郎に対して、印可目録を授けている 鐘巻自斎 ( かねまきじさい )という剣術の師匠だ。 その自斎がわかれば、小次郎の素姓もすぐ知れよう。 それについて、又八も伏見から大坂へ下って来る道々、茶店、飯屋、 旅籠 ( はたご )と折のあるごとに、 「鐘巻自斎という剣術のすぐれた人がいるかね」 訊 ( たず )ねてみたが、 「聞いたこともないお人ですなあ」 と、誰もいう。 「富田 勢源 ( せいげん )の流儀をひいている中条流の大家だが」 と、いってみても、 「はてね?」 まったく知る者がないのである。 たしか、関東に出て、晩年は上州のどこか山里にかくれたきり、世間へ出なかったように聞いておる。 富田主水正とは何かと訊くと、秀頼公の兵法師範役のうちの一人で、たしか、越前 宇坂之庄 ( うさかのしょう )の浄教寺村から出た富田入道勢源の一族の者だったと思うがという話。 すこし、あいまいな気もしたが、とにかく大坂へ出るつもりだし、又八は、市街へ入るとすぐ、目抜きの町の 旅籠 ( はたご )へ泊って、そんな侍が御城内にいるか否かを訊いてみると、 「はい、富田勢源様のお孫とかで、秀頼公のお師範ではありませんが、御城内の衆に兵法を教えていたお方はございましたが、それはもう古い話で、数年前に越前の国へお帰りになっております」 これは、宿の者のいうところだった。 町人とはいえ、城内の用勤めもしている家の者のいうことであるから、前の侍のことばよりはよほど真実味のある話だった。 あの方もたしか、中条流の鐘巻自斎という人のところで修行なされて、後に、一刀流という独自な流儀をお 創 ( はじ )めになったのですから」 それも一理ある忠告であった。 だが、その弥五郎一刀斎の居所をさがしてみると、これも近年まで洛外の白河に、一庵をむすんでいたが、近頃はまた、修行に出たのか、 杳 ( よう )としてその影を京大坂の附近では見かけたことがないと誰もいう。 「ええ、面倒くせえ」 又八は、 匙 ( さじ )を投げた。 眠っていた野心的な若さを、又八は、大坂へ来てからたたき起された。 ここではさかんに、人物を需要しているのだった。 伏見城では、新政策や武家制度を組んでいるが、この大坂城では、人材を 糾合 ( きゅうごう )して、牢人軍を組織しているらしかった。 もとよりそれは、公然とではないが。 長曾我部盛親などは、町端れのつまらない小路に借家して、若いのに頭をまるめ、一夢斎と名をかえて、 (浮世のことなど、わしゃ知らんよ) といった顔つきして、風雅と遊里の両方に身をやつして暮しているが、その手から、いざという場合には、猛然と起って、 (太閤御恩顧のため) という旗じるしの 下 ( もと )に集まろうという牢人が、七百や八百は飼ってあって、その生活費も、秀頼のお手元金から出ているのだということも聞いた。 又八は、 二月 ( ふたつき )ほど、大坂を見聞しているうちに、 (ここだ。 出世のつるをつかむ土地は) と、まず興奮を抱いた。 空脛 ( からすね )に、槍一本かつぎ出して、宮本村の 武蔵 ( たけぞう )と、関ヶ原の空をのぞんで飛び出した時のような壮志が、久しぶりに、近頃、健康になった彼の体にも、 甦 ( よみがえ )って来たらしいのである。 ふところの金は、ぼつぼつ減ってゆくが、何かしら、 (おれにも運が向いてきた) という自覚がして来て、毎日が明るくて、愉快だった。 石に蹴つまずいても、そんな 足下 ( あしもと )から、不意にいい運の芽が見つかりそうな気がするのである。 (まず、 身装 ( みなり )だ) 彼はいい大小を買って差した。 もう寒さにかかる晩秋なので、それにうつりのよい小袖と羽織も買った。 旅籠 ( はたご )は、不経済と考えて、順慶堀に近い馬具師の家の離れを借り、食事は外でし、見たいものを見、家へは帰ったり帰らなかったり、好みどおりな生活をしている間に、よい知己を得、手づるを見つけ、 扶持 ( ふち )の口にありつこうと心がけていた。 この程度に、生活を 持 ( じ )していることは、彼としては、かなり自戒を保って、生れ変ったほど、身を修めているつもりなのである。 (あれへ大槍を立たせ、乗換え馬を 牽 ( ひ )かせ、供の侍を、二十人も連れて通りなさる。 「旦那がたあ、お若いし、腕もおできなさるじゃろうし、御城内の衆へ頼んでおけば、すぐお抱えの口はありましょうで」 ありそうな 口吻 ( くちぶり )で、そこの馬具師も安うけあいしたが、 就職 ( くち )はなかなかかかって来ない。 繁華な町なかの空地の草にも、朝々霜が真っ白におりる。 その霜が消えて、道のぬかるむ頃から、 銅鑼 ( どら )だの、太鼓だのが、そこでは鳴り出す。 師走 ( しわす )の 忙 ( せわ )しない人々が、案外のん気な顔して、冬日の下にいっぱいに群れていた。 いとも粗雑な矢来を囲って、外からは見えないようにそれへ 筵 ( むしろ )を張り廻してある人寄せの見世物が、六、七ヵ所に紙旗や毛槍を立て、その 閑人 ( ひまじん )の群れへ呼びかけて、客を奪い合う様はなかなか真剣な生活戦だった。 安醤油のにおいが人混みのあいだを這う。 串 ( くし )にさした煮物をくわえて、馬みたいにいなないている 毛脛 ( けずね )の男たちがあるし、夜は、白粉を塗りこくって袖をひく女たちが、解放された牝羊みたいに、ぼりぼり豆を食べながら繋がって歩いてゆく。 野天へ腰かけを出して、酒を汲んで売っている所では、今、一組の撲りあいがあって、どっちが勝ったのか負けたのか、後へ血をこぼしたまま、その喧嘩のつむじ風は、わらわらと町の方へ駈け去ってしまった。 「ありがとうございました。 だんな様が、ここにござったで、 器物 ( うつわ )は壊されずにすみましただ」 酒売りは、何度も、又八の前へきて、礼をくり返した。 その礼ごころが、 「こんどのお 燗 ( かん )は、あんばいよくついたつもりで」 頼まない 肴物 ( さかなもの )まで添えてくる。 又八は悪い気持でなかった。 町人どうしの喧嘩なので、もしこの貧しい露店の物売りに損害をかけたら取ッちめてやろうと睨みつけていたが、何の事もなくすんで、露店のおやじのためにも、自分のためにも、同慶であったと思う。 「おやじ、よく人が出るな」 「師走なので、人は出ても、人足は止まりませぬでなあ」 「天気がつづくからいい」 鳶 ( とび )が一羽、人混みの中から、何か 咥 ( くわ )えて高く上がってゆく。 そして自ら、 (まあいい、人間、酒ぐらい飲まねえでは) と、慰めたり、理由づけたりして、 「おやじ、もう一杯」 と、うしろへいった。 それと一緒に、ずっとそばの 床几 ( しょうぎ )へ来て、腰かけた男がある。 牢人だなとすぐ見てとれる恰好だった。 大小だけは人をして避けしめるほど威嚇的な 長刀 ( ながもの )であるが、 襟垢 ( えりあか )のついた 袷 ( あわせ )に上へ 一重 ( ひとえ )の胴無しも羽織っていない。 「オイオイ亭主、おれにも早いところ一合、熱くだぞ」 腰かけへ、片あぐらを乗せて、じろりと又八のほうを見た。 足もとから見上げて、顔のところまで眼がくると、 「やあ」 と、何の事もなく笑う。 又八も、 「やあ」 と、同じことをいって、 「 燗 ( かん )のつく間、どうですか一 献 ( こん )。 磊落 ( らいらく )で、豪傑肌らしいと、又八はその飲み振りを見ていた。 よく飲む。 又八がそれから一合もやるうちに、この男はもう五合を越えて、まだ 慥 ( しっ )かりしたものだった。 「どのくらい?」 と訊くと、 「ちょっと一升、落ちついてなら、まあ、量がいえぬ」 と、いう。 時局を談じると、この男は、肩の肉をもりあげた。 「家康がなんだ。 秀頼公をさしおいて、大御所などと、ばからしい。 あのおやじから本多 正純 ( まさずみ )や、 帷幕 ( いばく )の旧臣をひいたら、何が残る。 石田三成には勝たせたかったが、惜しいかな、あの男、諸侯を操縦すべく、あまりに潔癖で、また身分が足らなかった」 そんなことをいうかと思うと、 「貴公、たとえば、今にも関東、上方の手切れとなった場合は、どの手につく」 と、訊く。 又八が、ためらいなく、 「大坂方へ」 と答えると、 「ようっ」とばかり、杯を持って 床几 ( しょうぎ )から立ち上がり、 「わが党の士か、あらためて一 盞 ( さん ) 献 ( けん )じ申そう。 して、貴君はいずれの藩士」 といって、 「いや、ゆるされい。 まず自身から名乗る。 それがしは、 蒲生 ( がもう )浪人の 赤壁八十馬 ( あかかべやそま )、という者。 ごぞんじないか、 塙団右衛門 ( ばんだんえもん )、あれとは、 刎頸 ( ふんけい )の友で、共に他日を期している仲。 また今、大坂城での 錚々 ( そうそう )たる一方の将、 薄田隼人兼相 ( すすきだはやとかねすけ )とは、あの男が、漂泊時代に、共に、諸国をあるいたこともある。 大野 修理亮 ( しゅりのすけ )とも、三、四度会ったことがあるが、あれはすこし陰性でいかん。 兼相よりは、ずっと勢力はあるが」 喋りすぎたのを気がついたように、後へもどって、 「ところで、貴公は」 と、訊き直す。 又八は、この男の話を、全部がほんととは信じなかったが、それでも、何か圧倒されたような 怯 ( ひ )け 目 ( め )を感じ、自分も、 法螺 ( ほら )をふき返してやろうと思った。 「越前宇坂之庄浄教寺村の、富田流の開祖、富田入道 勢源 ( せいげん )先生をごぞんじか」 「名だけは聞いておる」 「その道統をうけ、中条流の一流をひらかれた無慾無私の大隠、鐘巻自斎といわるる人は、私の恩師でござる」 男は、そう聞いても、かくべつ驚きもしないのだ。 杯を向けて、 「じゃあ、貴公は、剣術を」 「左様」 又八は、嘘がすらすら出るのが愉快だった。 大胆に嘘をいうと、よけいに酔いが顔に咲いて、酒のさかなになる気がするのである。 やはり鍛えた体はちがうとみえ、どこか出来ているな、……して、鐘巻自斎の御門下で、何と仰せられるか。 さしつかえなくば、ご姓名を」 「佐々木小次郎という者で、伊藤弥五郎一刀斎は、私の兄弟子です」 「えっ」 と、相手の男が驚いたらしい声を発したので、又八のほうこそびっくりしてしまった。 あわてて、 (それは 冗戯 ( じょうだん )) と、取消そうと思ったが、赤壁 八十馬 ( やそま )は、とたんに地へ膝をついて頭を下げているので、今さらもう冗戯ともいえなかった。 「お見それ申して」 と、八十馬は何度もあやまる。 「佐々木小次郎殿といえば、とくより耳にしておるその道の達人。 知らないというものは、他愛のないもので、先刻からの失礼は、 平 ( ひら )に」 又八は、ほっとした。 そう改まられては、私こそ、ご挨拶のしようがない」 「いや、先ほどから、広言のみ吐いてさぞお聞き苦しかったことで」 「なに、私こそ、まだ仕官もせず、世間も知らぬ若輩者で」 「でも、剣においては。 ……そうだ、やはり佐々木小次郎」 つぶやいて、八十馬は、酔うと目やにの出る 性 ( しょう )らしい眼を、どろんと据え、 「その上で、まだご仕官もなさらぬのか、惜しいものだ」 「ただ剣一方に、すべてを打ち込んで来たので、世間にはとんと何の知己もないために」 「や、なるほど。 いずれは、主人を持たねばならぬと考えていますが」 「ならば、造作もないこと。 もっとも実力があっても、黙っていては容易に見出されるはずはない。 こうお目にかかっても、それがしですら、尊名を聞いて初めて驚いたようなもので」 と、さかんに 焚 ( た )きつけて、 「お世話しよう」 と、いい出した。 「実はそれがしも、友人の 薄田兼相 ( すすきだかねすけ )に身の振り方を依頼してあるところ。 大坂城では、禄を問わず、抱え入れようとしている折だし、貴公のような人物を推挙すれば、薄田 氏 ( うじ )も、すぐ買おう。 おまかせ下さるまいか」 どうやら赤壁 八十馬 ( やそま )は乗り気になっているらしい。 又八は、その 就職 ( くち )へありつきたいことは山々だが、佐々木小次郎であると他人の名を借用してしまったことが、どうもまずい。 引っこみのつかない不出来だ。 かりに 美作 ( みまさか )の郷士本位田又八と名乗って実際の履歴を話したら、この男も乗り気にはなるまい。 鼻さきで軽蔑を与えられるぐらいなところが落ちである。 やはり佐々木小次郎の名がものをいったのだ。 何もそう心配したほどのものじゃないと思う。 なぜならば、佐々木小次郎なる者はもう死んでいる人間だ。 伏見城の工事場で打ち殺されてしまった人物ではないか。 死者の所持していた唯一の戸籍証明である「印可目録」は自分が彼の 臨終 ( いまわ )の一言によって預かって来ているので、後で、調べのつこうわけはない。 また一箇の乱暴人として、打殺した死者に対して、そんな面倒な調べをいつまでもやっているはずもない。 (分りっこはない!) 又八の頭に大胆な、 狡 ( ずる )い考えがそう閃めいた。 勃然 ( ぼつぜん )として、彼は、死んだ佐々木小次郎になり切ってやろうと 臍 ( ほぞ )を決めた。 「おやじ、勘定」 金入れから金を出して、そこを起ちかけると、赤壁八十馬はあわてて、 「今の話は?」 と、一緒に立った。 「ぜひ、ご尽力をねがいたいが、この路傍では、十分な話もできぬ。 どこか座敷のあるところへでも行って」 「ああそうか」 と、八十馬は満足そうにうなずいて、自分の飲んだ代まで、又八が払っているのを、当り前のような顔して眺めていた。 怪しげな 白粉 ( おしろい )の裏町である。 又八としては、もっと高等な酒楼へ案内するつもりだったが、赤壁八十馬が、 「そんなところへ揚がって、つまらぬ金を 費 ( つか )うよりは、もっとおもしろい土地がある」 といって、頻りに裏町遊びを謳歌するので、ともかく引っ張られて来てみると、まんざら又八の肌に合わない情調ではない。 比丘尼横丁 ( びくによこちょう )というのだそうである。 大袈裟 ( おおげさ )にいえば長屋千軒がみな売笑婦の家で、一夜に百石の油を燈心にともすともいえるほどな繁昌さである。 すぐ近くに、 汐 ( しお )のさす黒い堀が通っているので、出格子だの、紅燈の下だのには、よく見ると、船虫や 河蟹 ( かわがに )がぞろぞろ這っていて、それが 生命取 ( いのちと )りの さそりという妖虫のようにうすきみ悪いが、無数の白粉の女の中には 眉目美 ( みめよ )いのも稀にあって、中には、もう四十にちかい容貌に、 鉄漿 ( かね )を黒々つけ、 比丘尼頭巾 ( びくにずきん )にくるまって、夜寒を 喞 ( かこ )ち顔でいるなど、なかなかもののあわれも 蕩児 ( とうじ )の心をそそるのであった。 「いるな」 又八が、ため息つくと、 「いるだろう、へたな茶屋女や歌妓などより、遥かにましだ。 「室町将軍の奥につかえていたという 比丘尼 ( びくに )があるし、父は武田の臣だったの、松永久秀の縁類の者だのという女が、この中にはずいぶんある。 泊ったことはもちろんである。 昼間になっても、飽いたといわない八十馬だった、お甲の「よもぎの寮」では、いつも日蔭者でいた又八も、多年の鬱憤をここに晴らしたか、 「もう、もう。 酒はいやだ」 と遂にかぶとを脱いで、 「帰ろう」 いい出すと、 「晩までつきあい給え」 と、八十馬はうごかない。 「晩までつきあったらどうするんだ」 「今夜、 薄田兼相 ( すすきだかねすけ )のやしきへ行って兼相と会う約束がしてあるんだ。 今から出ても 時刻 ( とき )が半端だし……。 それに、そうだ、貴公の望みももっとよく聞いて置かなければ、先へ行って話もできない」 「 禄 ( ろく )など、初めからそう望んでも無理だろう」 「いかん、自分からそんな安目を売ってはいかん。 とにかく中条流の印可を持って、佐々木小次郎ともいわれる侍が、禄はいくらでもいいから、ただ仕官がしたいなどといったら、かえって先から 蔑 ( さげす )まれるぞ。 大坂城の巨大な影が夕空をおおっているからである。 「あれが、 薄田 ( すすきだ )の邸だぞ」 濠 ( ほり )の水に背を向けて、二人は寒そうに 佇 ( たたず )んだ。 昼間から 注 ( つ )ぎこんでいた酒も、この濠端に立つとひとたまりもなく吹き飛んで、鼻の先に 水洟 ( みずばな )が凍りつく。 「あの腕木門か」 「いや、その隣の角屋敷」 「ふム……宏壮なものだな」 「出世したものさ。 三十歳前後の頃には、まだ、薄田 兼相 ( かねすけ )などといっても、世間で知っている奴はなかった、それがいつのまにか……」 赤壁八十馬のことばを、又八はそら耳で聞いていた。 疑っているのではない、もう彼のことばの端など注意してみる必要を感じないほど信頼し切っていたのだった。 「そう、そう」 又八は 懐中 ( ふところ )から、 革巾着 ( かわぎんちゃく )を取り出した。 少しくらいは、と思いながらいつのまにかこの革巾着の金も三分の一になっていた。 その残りの底をはたいて、 「ざっと、これだけあるが、これくらいなおくりものでいいのか」 「いいとも、十分だ」 「何かに包んでゆかなければいけまいが」 「なあに、仕官の 取做 ( とりな )しを頼む時の、 御推挙料 ( ごすいきょりょう )だの、御献金だのというやつは、薄田ばかりじゃない、公然と誰でも取っていることだから、何も 憚 ( はばか )って差し出す必要はすこしもないのだ。 先で、渋った顔をしていたら、金をやらずに持って帰るだけのことじゃないか。 肩を振って、堂々と通ってゆく態度を見とどけて、 (あれなら、なるほど、薄田兼相とは、貧困時代からの旧友だろう) 又八は、安心に似た気もちを抱いて、その晩は、さまざまな夢に 耽 ( ふけ )り、あくる日を待ちかねて、定めの時刻に、人寄せ場の空地へ、霜解けをふんで行った。 きょうも師走の風が寒かったが、冬日の下にはたくさん集まっていた。 どうしたのか、赤壁八十馬は、その日、姿を見せなかった。 次の日。 「何かの都合だろう」 又八は、こう善意に解釈して、れいの野天の酒売りの 床几 ( しょうぎ )で、 「きょうは」 と、正直に空地の人混みを見廻していたが、その日も遂に八十馬の姿を見ずに暮れてしまった。 少し、 てれて、 「おやじ、また来たぞ」 三日目である。 わしから依頼して、薄田殿へわたす口入れ金を預けておいたのだが、その返辞がはやく知りたいので、毎日待っているわけだが」 「おやおや、おまえ様は」 おやじは、気の毒そうに、又八の顔をながめて、 「百年待っていても、あの男が来るはずはありませぬ」 「げっ。 よほど、気をつけてあげようかと思ったが、あとの 祟 ( たた )りが恐いし、おまえ様も、あの風態を見れば、気がつくだろうと思っていたのに、金を抜かれてしまうなんて……。 これやお話にならんわい」 気の毒を通り越して、又八の無智をむしろ 愍 ( あわ )れむような 口吻 ( くちぶり )なのである。 だが又八は、恥を掻いたとは思わない。 突然の損失と希望から抛り出された 傷手 ( いたで )に、身がふるえ、血が 憤 ( いきどお )って、茫然と、空地の人群れを見つめていた。 「むだとは思うが、念のため 幻術 ( めくらまし )の囲いへ行って訊いてみなさるがよい。 あそこではよく、ガチャ蠅が集まって、銭の 賭事 ( かけごと )をしておりますで、そういう金をつかめば、ことによると、 賭場 ( あそびば )へ顔を出しているかもわかりませぬ」 「そ、そうか」 又八は、あわてて床几を起ち、 「その 幻術 ( めくらまし )の人寄せというのは、どこの囲いか」 老爺 ( おやじ )の指さすほうを見ると、この空地のうちでは最も大きな矢来が一つ見える。 幻術者 ( げんじゅつしゃ )の群れが興行しているのだという。 見物は、木戸口に 蝟集 ( いしゅう )していた。 又八が近づいて行ってみると、 「ちょちょんがちょっ 平 ( ぺい )」 だとか、 「 変兵童子 ( へんぴょうどうじ )」 とか、 「 果心居士之 ( かしんこじの )一 弟子 ( でし )」 とかいう有名な幻術師の名が、木戸口の旗に記してあって、幕と 筵 ( むしろ )でかこんであるその広い矢来のうちでは、怪しげな音楽に 交 ( ま )じって、術者の掛声と、見物の拍手が湧いていた。 裏へ廻ると見物の出入りしないべつな口があった。 又八が、そこを覗くと、 「 賭場 ( とば )へゆくのか」 と、立番の男がいう。 うなずくと、よしというような顔をしたので、彼は入って行った。 幕の中では、青天井をいただいて、二十人ばかりの浮浪人が、車座になって、 博戯 ( ばくち )をしている。 又八が立つと、じろっと、すべての白い眼が彼を見上げた。 一人がだまって、彼の前に席を開けたので、あわてて、 「この中に、赤壁八十馬って男はいないか」 訊くと、 「赤馬か。 そういえば赤馬の奴、ちっとも出て来ねえが、どうしたんだろう」 「ここへ来ましょうか」 「そんなこと、わかるもんか。 まあ、入りねえ」 「いや、おれは 博戯事 ( あそびごと )に来たんじゃない。 その男を捜しに来たのだ」 「おい、ふざけるなよ、 博戯 ( ばくち )もせずに、賭場へ何しに来やがったんだ」 「すみません」 「向う 脛 ( ずね )を掻っ払うぞ」 「すみません」 ほうほうのていで出て来ると、追いかけて来たガチャ 蠅 ( ばえ )の一人が、 「野郎待て。 ここは、すみませんで済む場所たあ違う。 ふてえ奴だ。 博戯 ( ばくち )をしなけれやあ、場代をおいてゆけ」 「金などない」 「金もねえくせに、賭場のぞきをしやがって、さては、隙があったら、銭を 攫 ( さら )って行こうという量見だったにちげえねえ、この 盗 ( ぬす )っ 人 ( と )め」 「なんだと」 又八が、くわっとして刀の 柄 ( つか )を示すと、これは面白いと、相手は敢て喧嘩を買ってくる腰だった。 「べら棒め、そんな 脅 ( おど )しに、いちいちびくついていちゃ、この大坂表で、生きちゃあいられねえんだ。 さ、斬るなら斬ってみろ」 「き! 斬るぞ」 「斬れっ、何も、断るにゃ及ばねえや」 「おれを知らんか」 「知ってるもんか」 「越前宇坂之庄、浄教寺村の流祖、富田五郎左衛門が歿後の門人佐々木小次郎とはわしのことだ」 そういったら逃げるだろうと思いのほか、相手は、ふき出して、又八のほうへ尻を向け、矢来のうちのガチャ 蠅 ( ばえ )を呼び立てた。 「やい、みんな来い、こいつ何とか今、オツな名乗りをあげやがったぜ。 おれたちを相手に抜く気らしい。 ひとつお 腕 ( て )のうちを見物としようじゃねえか」 いい終ると、きゃッと、その男は尻を斬られて跳び上がった。 又八が、不意に抜き打ちをくれたのである。 「畜生っ」 という声。 それから、わっと大勢の声がうしろに聞えた。 又八は血刀をさげて人混みの中へまぎれ込んだ。 なるべく人間の多いところへと又八は姿をかくして歩いていたが、危険を感じるほど、どの人間の顔もガチャ蠅に見え、とてもうろついておられなくなった。 銭を 抛 ( ほう )って、又八は中へとびこんだ。 そして、いささかほっとしながらどこに虎がいるのかと見廻してみると、正面に戸板を二、三枚並べ、それへ洗濯物でも貼りつけてあるように、一枚の虎の皮が貼りつけてあった。 死んだ虎を見せられても、見物は、神妙に眺め入って、これは生きていないじゃないかと、腹を立てる者はなかった。 「これが虎かいな」 「大きなものやなあ」 感心して、入口から出口の木戸へ入れ代ってゆく。 又八は、なるべく 刻 ( とき )を過ごそうと考えていつまでも虎の皮の前に立っていた。 この虎は、死んでいるのじゃろうが」 と、婆のほうがいう。 爺侍 ( じじざむらい )は、竹の仕切り越しに手をのばして、虎の毛に触れながら、 「元より、皮じゃもの、死んでおるわさ」 「木戸で呼ばわっている男は、さも生きているようにいうたがの」 「これも、 幻術 ( めくらまし )の一つじゃろて」 爺侍は苦笑していたが、婆のほうは、 忌々 ( いまいま )しげに、 萎 ( しぼ )んでいる唇を振り向けて、 「やくたいもない、幻術なら幻術と看板にあげておいたがよい。 死んだ虎を見るくらいなら絵を見るわさ。 木戸へ 去 ( い )んで、銭をかやせというて来う」 「婆、婆。 権叔父と呼ばれた爺侍が、 「やっ、又八っ」 と、呶鳴った。 お杉隠居は、眼がわるいので、 「な、なんじゃ、権叔父」 「見えなんだかよ、婆のすぐうしろに、又八めが立っておったぞ」 「げっ、ほんまか」 「逃げたっ」 「どっちゃへ?」 二人は、木戸の外へ転び出した。 もう空地の 雑沓 ( ざっとう )は暮色につつまれていた。 又八は、幾たびも人にぶつかった。 そのたびに、くるくる 舞 ( まい )して、後も見ずに、町中のほうへ逃げてゆく。 「待て、待て、 伜 ( せがれ )っ」 振りかえってみると、母親のお杉は、まるで狂気のようになって追って来るのだった。 権叔父も、手をふりあげ、 「馬鹿ようっ、なんで逃げるぞい。 暖簾棒 ( のれんぼう )だの竹竿を持って、町の者は、先へゆく又八を 蝙蝠 ( こうもり )を打つようにたたき伏せた。 往来の者も、わいわいと取りかこんで、 「捕まえた」 「ふてえ奴だ」 「どやせ」 「たたっ殺してやれ」 足が出る、手が出る、 唾 ( つば )を吐きかける。 後から息を 喘 ( き )って、権叔父とともに追いついて来たお杉隠居はそのていを見ると、群衆を突きとばし、小脇差のつかに手をかけて歯を 剥 ( む )いた。 「ええ、むごいことを、おぬしら何しやるのじゃ、この者へ」 弥次馬は、理を 弁 ( わきま )えずに、 「婆どの。 こいつは、泥棒だよ」 「泥棒ではない、わしが子じゃわ」 「え、おまえの子か」 「おおさ、ようも足蹴にしやったな。 町人の分際で、侍の子を足蹴にしやったな。 婆が相手にしてくりょう、もいちど、今の無礼をしてみやい」 「 冗戯 ( じょうだん )じゃない。 じゃあ先刻泥棒泥棒と呶鳴ったのは誰だ」 「呶鳴ったのは、この婆じゃが、おぬしら風情に足蹴にしてくれと頼みはせぬ。 泥棒とよんだら伜めが、足を止めようかと思うていうた親心じゃわ。 それも知らいで、撲ったり蹴ったりは何事じゃ、このあわて者めが!」 町中の森である。 おぼろに常夜燈がまたたいていた。 「こう来やい」 お杉隠居は、又八の 襟 ( えり )がみを 抓 ( つま )んで、往来からそこの境内まで引きずって来た。 婆の 権 ( けん )まくに驚いたとみえ、弥次馬はもう 尾 ( つ )いて来ない。 殿 ( しんがり )として、鳥居の下で見張っていた権叔父も、やがて後から来て、 「婆、もう 折檻 ( せっかん )はせぬものだぞ。 又八とて、もう子どもではなし」 母子 ( おやこ )の手と襟がみを、もぎ離そうとすると、 「何をいうぞい」 隠居は、権叔父を、 肱 ( ひじ )で突き 退 ( の )けて、 「わしが子を、わしが折檻するに差し出口など、要らぬお世話、おぬしは黙っていやい。 老人になれば誰も単純で気短かになるという。 今の場合の複雑な感情は余りにも 枯渇 ( こかつ )した血には強烈すぎたのであろう。 泣いているのか、怒っているのか、狂喜の変態なあらわれか。 「親のすがたを見て、逃げ出すとはなんの芸じゃ。 汝 ( われ )は、木の股から生れくさったか、わしが子ではなかったかよ。 なんで 故郷 ( くに )へもどって来て、ご先祖様のまつりをせぬか、この母にちょっとでも、顔見せぬか。 かんべんしてくれ、かんべんしてくれ」 又八は、 嬰児 ( あかご )みたいに、母の手の下からさけんだ。 「悪いことは知っている。 知っていればこそ、帰れなかったんだ。 今日も、余り不意だったのでびっくりして、逃げる気もなく、おらあ駈け出してしまった。 ……面目ない、面目ない! おふくろにも叔父御にも、おらあただ面目ないんで」 と、両手で顔をおおった。 それを見ると、婆も目鼻に 皺 ( しわ )をあつめて、すすり泣いた。 しかし気丈な老婆は、自分が 脆 ( もろ )くなるのをすぐ自分の心で叱咤しながら、 「ご先祖の恥さらし、面目ないというからには、どうせ 碌 ( ろく )なことをしていくさったのではあるまいが」 権叔父は、見るに見かねて、 「もうよかろう、婆、そう打擲しては、かえって又八を 拗 ( ねじ )け者にするぞよ」 「また差し出口かよ、おぬしは男のくせに甘うていかぬ。 又八には 父親 ( てておや )がないゆえ、この婆は母であるとともに、厳しい父親でもなければならぬのじゃ。 それゆえわしは折檻をしまする。 ……まだまだこんなことで足ろうかいの。 又八ッそれへ直りゃい」 自分も大地へ 畏 ( かしこ )まって坐りこみ、子へも、大地を指さしていった。 「はい」 又八は、土にまみれた肩を起して、 悄然 ( しょうぜん )と坐り直した。 この母親は怖かった。 世間の母親なみ以上の甘さもあったが、すぐご先祖様を持ち出すので、又八は頭があがらないのであった。 「つつみ隠しをするときかぬぞよ。 関ヶ原の 戦 ( いくさ )へ出て、おぬし、あれ以来、何していやった。 婆の得心がまいるまで、つぶさに話しゃれ」 「……話します」 隠す気は起らない。 「ふウむ……」 と、権叔父が 呻 ( うめ )くと、 「あきれた子よの」 と、隠居も舌を鳴らし、 「そして今では、何していやるか。 そういう 生活 ( たつき )を過ごしながらも、剣術に精出していやったとは、さすがにわしが子。 ……のう叔父御よ。 やはり婆が子じゃの」 この辺で機嫌を直させてしまいたいものだと権叔父は、大きく何度もうなずいて、 「それやあ、ご先祖の血は、どこかにあろうわさ。 「どれ、どれ」 手を出したが、渡さずに、 「安心してござれ、おふくろ」 「なるほど」 隠居は、首を振って、 「見たか、権叔父、大したものじゃわ。 小さい頃から、あの 武蔵 ( たけぞう )などより、ぐんと賢く、腕も出来ていただけのことはある」 と、 涎 ( よだれ )を垂らさないばかりに満足をあらわしたが、ふと、それを巻きかけた又八の手がすべって、終りの一行が眼にうつると、 「これ待て、ここに佐々木小次郎とあるのはなんじゃ」 「あ……これですか……これは 仮名 ( かめい )です」 「仮名? 何で仮名などつかいなさる、本位田又八と、立派な名のあるものを」 「でも 省 ( かえり )みて、自分に恥のある 生活 ( くらし )をしていたので、先祖の名を汚すまいと」 「オオそうか。 その性根たのもしい。 じっと首を垂れたまま、又八は老母の烈々と吐くことばに打たれていた。 こうしている間は、彼も善良で神妙な息子だった。 けれど、隠居がいおうとする重点は、もっぱら家名の面目とか、侍の意気とかにあったが、この息子の感情を強く打った点は、そこになくて、 (お通がこころ変りした) と、いう初耳の話だった。 「おふくろ、それは 真実 ( まったく )か」 彼の顔いろを知ると、隠居は、自分の 鞭撻 ( べんたつ )が、彼を奮起させたものと思いこみ、 「嘘と思うなら、叔父御にもただしてみやれ、お通 阿女 ( あま )はおぬしを見かぎって、 武蔵 ( たけぞう )の後を追って 去 ( い )んだわさ。 のう権叔父」 「そうじゃ、七宝寺の千年杉へ、沢庵坊主のため、 縛 ( くく )りつけられたのを、あのお通の手をかりて逃げ失せた 男女 ( ふたり )のことゆえ、どうせ 碌 ( ろく )な仲じゃあるまいての」 こう聞いては又八も、鬼とならずにいられなかった。 この婆や権叔父が、 故郷 ( くに )を出て、こうして諸国をあるいている意気地が。 ……よく」 「おぬしにも、それではのめのめと、故郷の土は踏めまいが」 「帰りません、もう、帰りません」 「討ってたも、 怨敵 ( おんてき )を」 「ええ」 「気のない返辞をするものかな、おぬしには 武蔵 ( たけぞう )を討つ力がないと思うてか」 「そんなことはありません」 権叔父も、そばから、 「案じるな又八、わしもついているのじゃが」 「この婆とても」 「お通と武蔵、二つの首を、晴れて故郷への土産に引っさげて戻ろうぞ。 のう又八、そうしておぬしにはよい嫁女をさがし、あっぱれ本位田家の跡目をついで貰わにゃならん。 そうした上は、武士の面目も立つ、 近郷 ( きんごう )への評判もようなる、まず、 吉野郷 ( よしのごう )で 負 ( ひ )け 目 ( め )をとる 家統 ( いえすじ )は 他 ( ほか )にはあるまいてな」 「さあ、その気になってたも。 なるかよ又八」 「はい」 「よい子じゃ、叔父御、 賞 ( ほ )めておくりゃれ。 きっと武蔵とお通を討つと誓うた。 ……」 と隠居はやっと気がすんだらしく、先刻から 怺 ( こら )えていた氷のような大地から身を動かしかけたが、 「ア…… 痛々々 ( たたた )」 「婆、どうしやった」 「冷えてかいの、腰が急に吊ってこう下腹へさしこんで来ましたわい」 「これやいかぬ、また持病を起してか」 又八は、背を向けて、 「おふくろ、すがりなされ」 「何、わしを負うてくれる。 ……負うてくれるか」 と、子の肩に抱きついて、 「何年ぶりぞいの、叔父御よ、又八がわが身を負うてくれたわいな」 と、 欣 ( うれ )し泣きに泣くのであった。 ほかに禁制の煙草も船底にかくしているらしい。 元より秘密だが、においで知れる。 月に何度か、 阿波 ( あわ )の国から大坂へ通う便船で、そうした貨物とともに便乗している客には、この年の暮を、大坂へ商用に出るか、戻るかする 商人 ( あきんど )が八、九分で、 「どうです、 儲 ( もう )かるでしょう」 「儲かりませんよ、 堺 ( さかい )はひどく景気がいいというが」 「鉄砲 鍛冶 ( かじ )など、職人が足らなくて弱っているそうですな」 べつの商人が、また、 「てまえは、その 戦道具 ( いくさどうぐ )の、 旗差物 ( はたさしもの )とか、 具足 ( ぐそく )など納めていますが、昔ほど儲かりませんて」 「そうかなあ」 「お侍方がそろばんに明るくなって」 「ハハア」 「むかしは、野武士がかついで来る 掠 ( かす )め 物 ( もの )を、すぐ染めかえ、塗りかえして、御陣場へ納める。 するとまた、次の戦があって、野武士がそいつを集めてくる。 また 新物 ( あらもの )にするといったふうに、 盥廻 ( たらいまわ )しがきいたり、金銀のお支払いなどもおよそ目分量みたいなものでしたがね」 そういう話ばかりが多い。 中には、 「もう内地では、うまい儲けはありっこない。 呂宋 ( るそん )助左衛門とか、茶屋助次郎といった人のように、 乗 ( の )るか 反 ( そ )るかで海の外へ出かけなければ」 と、海洋をながめて、彼方の国の富を説いている者があるし、或る者はまた、 「それでも、何のかのといっても、わしら町人は、侍から見れば遥かに割がよく生きていますよ。 いったい侍衆なんて、食い物の味ひとつ分るじゃなし、大名の贅沢といったところが、町人から見ればお甘いもので、いざといえば、鉄と 革 ( かわ )を 鎧 ( よろ )って、死にに行かなければならないし、ふだんは面目とか武士道とかにしばられて、好きな真似はできないし、気の毒みたいなものでございますよ」 「すると、景気がわるいの何のといっても、やはり町人にかぎりますかな」 「かぎりますとも、気ままでね」 「頭さえ下げていればすみますからな。 舶載 ( はくさい )の 毛氈 ( もうせん )をひろく敷きこんで、一階級を示しているのだ。 のぞいてみると、なるほど、桃山の 豪奢 ( ごうしゃ )は今、太閤が亡き後は、武家になくて、町人の中へ移っているかと思われる。 酒器のぜいたくさ、旅具旅装の 絢爛 ( けんらん )なること、持物の 凝 ( こ )っていること、ケチな一商人でも、侍の千石取などは及びもない。 「ちと、飽きましたな」 「退屈しのぎに、始めましょうか」 「やりましょう。 そこの 幕 ( とばり )をひとつ懸け廻して」 と、小袖幕のうちにかくれると、彼らは、 妾 ( めかけ )や手代に酒をつがせて、南蛮船が近ごろ日本へ 齎 ( もたら )した「うんすん 骨牌 ( かるた )」というものを始める。 そこで儲けている一つかみの黄金があれば、一村の 飢餓 ( きが )が救われるであろうほどの物を、まるで、 冗戯 ( じょうだん )みたいに、遣り取りしていた。 こういう階級の中に、ほんの一割ほどだが、乗り合わしている山伏とか、牢人者とか、儒者とか、坊主とか、武芸者などという者は、彼らからいわせるといわゆる、 (いったいなんのために生きているんだ) と 借問 ( しゃくもん )される部類のほうで、みんな 荷梱 ( にごうり )の蔭に、ぽつねんと味気ない顔して、冬の海をながめているのだった。 それらのあじきない顔つきの組の中に、一人の少年が 交 ( ま )じっていた。 「これ、じっとしておれ」 荷梱に 倚 ( よ )り懸って、冬日の海に向いながら、膝の上に何やら丸っこい毛だらけな物を抱いている。 可愛い小猿を」 と、そばの者がさしのぞいて、 「よく馴れてござるの」 「は」 「永くお飼いになっているのであろうな」 「いえ、ついこのごろ、土佐から阿波へ越えてくる山の中で」 「捕まえられたのか」 「その代り、親猿の群れに追いかけられて、ひどい目にあいました」 話を交わしながらも、少年は、顔を上げない。 小猿を膝の間に挟んで、 蚤 ( のみ )を見つけているのだった。 前髪に紫の 紐 ( ひも )をかけ、派手やかな小袖へ、 緋 ( ひ )らしゃの胴羽織を 纒 ( まと )っているので、少年とは見えるものの、 年齢 ( とし )のほどは、少年という称呼に当てはまるかどうか、保証のかぎりでない。 煙管 ( きせる )にまで、 太閤張 ( たいこうばり )というのが出来て、一頃は 流行 ( はや )ったように、こういう派手派手しい風俗も、桃山全盛の遺風であって、 二十歳 ( はたち )をこえても元服をせず、二十五、六を過ぎても、まだ童子髪を 結 ( ゆ )って金糸をかけ、さながらまだ清童であるかのような見栄を持つ習いが、いまに至ってもかなり 遺 ( のこ )っているからである。 だからこの少年も、一概に身なりをもって、未成年者と見ることはできない。 体つきからしても、堂々たる巨漢であるし、色は小白くて、いわゆる 丹唇 ( たんしん )明眸であるが、眉毛が濃くて、 眉端 ( びたん )は眼じりから開いて上へ 刎 ( は )ねている。 なかなかきつい顔なのだ。 何もそう 年齢 ( とし )の 詮索 ( せんさく )ばかり気にやむこともないが、あれこれ綜合してその中庸をとって推定すれば、まず十九か、二十歳というところでなかろうかと思われる。 さてまた、この美少年の身分はというと、元より旅いでたちで、 革足袋 ( かわたび )にわらじ 穿 ( ば )きだし、どこといって抑えどころもないが、 歴乎 ( れっき )とした藩臣でなく、牢人の 境界 ( きょうがい )であることは、こういう船旅において、ほかの山伏だの 傀儡師 ( くぐつし )だの、乞食のようなボロ侍だの、 垢 ( あか )くさい庶民の中に交じって、気軽にごろごろしている 態 ( てい )をみても、およそ想像はつく。 だが、牢人にしては、ちょっと立派なものを一つ身に着けている。 それは、緋羽織の背なかへ、 革紐 ( かわひも )で斜めに負っている陣刀づくりの大太刀である。 反 ( そ )りがなくて、 竿 ( さお )のように長い。 ものが大きいし、 拵 ( こしら )えが見事なので、その少年のそばへ寄った者は、すぐ少年の肩ごしに 柄 ( つか )の 聳 ( そび )えているその刀に目がつくのだった。 「 京洛 ( みやこ )でもちょっと見ない」 と思う。 刀のすぐれた物を見ると、その持ち主から、遠くは、その以前の経歴までが考えられてゆく。 祇園藤次は、 機 ( おり )があったら、その美少年へ、話しかけてみたいと思っていた。 はたはたと、大きな百 反帆 ( たんぽ )は、生きもののように、船客たちの頭の上で潮鳴りを切って鳴っていた。 藤次は旅に 倦 ( う )んでいた。 祇園藤次は、その飽き飽きした旅を、もう十四日もつづけて来たあげくのこの船中であった。 さしも、室町将軍家の兵法所出仕として、名誉と財と、両方にめぐまれて来た吉岡家も、清十郎の代になって、 放縦 ( ほうじゅう )な生活をやりぬいたため、すっかり家産は傾いてきた。 四条の道場まで、抵当に入っているので、この 年暮 ( くれ )には、町人の手へ取られるかも知れないという内ふところ。 年暮に近づいて、あっちこっちから責め立ててくる負債をあわせると、いつのまにか、途方もない数字にのぼっていて、父拳法の遺産をそっくり渡して、編笠一かいで立ち 退 ( の )いても、なお、足らないくらいな実情に 堕 ( お )ち 入 ( い )っていた。 (どうしたものか) という清十郎の相談である。 そんな主旨の廻文を、清十郎に書かせ、これを 携 ( たずさ )えて、中国、九州、四国などに散在している吉岡拳法門下の出身者を、歴訪して来たのである。 もちろん振武閣建築の寄附金を 勧進 ( かんじん )するために。 先代の拳法が育てた弟子は随分各地の藩に奉公していて、みな相当な地位の侍になっている。 けれど、そういう 勧説 ( かんぜい )を持って行っても、藤次が予算していたように、おいそれと寄進帳へ筆をつけてくれるのはすくない。 (いずれ書面をもって) とか、 (いずれ、上洛の折に) とかいうのが多く、現に藤次が携えて帰る金は、予定していた額の何分の一にも当らない。 だが、自分の財政ではなし、まあ、どうかなろうと 多寡 ( たか )をくくって、 先刻 ( さっき )から、師の清十郎の顔より、久しく会わないお甲の顔のほうを、努めて、想像にのぼせていたが、それにも限度があるので、また、 生欠伸 ( なまあくび )に襲われて、退屈なからだを、船のうえに持てあましていた。 うらやましいのは、先刻から小猿の 蚤 ( のみ )をとっている美少年だった。 いい退屈しのぎを持っている。 藤次は、そばへ寄って、とうとう話しかけ出した。 「若衆。 「はあ、大坂へ行きます」 「ご家族は大坂にお住まいかの」 「いえ、べつに」 「では阿波のご住人か」 「そうでもありません」 膠 ( にべ )のない若衆である。 そういってまた他念なく、小猿の毛を指で掻き分けているのであった。 ちょっと話のつぎ穂がない。 藤次は、黙ったが、また、 「よいお刀だな」 と、こんどは彼の背にある大太刀を 賞 ( ほ )めた。 「大太刀を、かんぬきに横たえて、 りゅうとして歩くのは、見た眼は伊達でよいが、そういう人物にかぎって、逃げる時には、刀を肩へかつぐやつだ。 美少年は、ちらと、彼のそういう尊大な顔つきへ、瞳をひらめかせ、 「富田流を」 と、いった。 「富田流なら、小太刀のはずだが」 「小太刀です。 私は、人真似がきらいです。 そこで、師の逆を行って、大太刀を工夫したところ、師に怒られて破門されました」 「若いうちは、えて、そういう 叛骨 ( はんこつ )を誇りたがるものだ。 そして」 「それから、越前の浄教寺村をとび出し、やはり富田流から出て、中条流を 創 ( た )てた鐘巻自斎という先生を訪ねてゆきますと、それは気の毒だと、入門をゆるされ、四年ほど修行するうち、もうよかろうと師にもいわれるまでになりました」 「田舎師匠というものは、すぐ目録や免許を出すからの」 「ところが、自斎先生は容易にゆるしを出しません。 先生が印可をゆるしたのは、私の兄弟子である伊藤弥五郎一刀斎ひとりだという話でした。 国許 ( くにもと )では、知られている刀で、 物干竿 ( ものほしざお )という名があるくらいです」 無口だと思いのほか、自分のすきな話題になると、美少年は問わないことまで語りだした。 そして口を開き出すとなると、相手の気色などは見ていない。 そういう点や、またさっき自分で話した経歴などから見ても、すがたに似あわない我のつよい性格らしく思われた。 祇園藤次は、この多感な美少年の述懐を聞いても、若い彼といっしょになって、感傷を共にする気には元よりなれない。 だが、退屈に苦しんでいるよりは、ましだと考えて、 「ふム、なるほど」 熱心に聞いている顔つきを装うと、美少年は、 鬱懐 ( うっかい )をもらすように、 「その時、すぐ行けばよかったのです。 けれど私は周防、師は上州の山間、何百里の道です。 冬雲に陽がかくれると、海は急に灰色を呈し、時々、 舷 ( ふなべり )に 飛沫 ( しぶき )が寒く立つ。 美少年はなお話をやめない。 多感な語気をもって語る。 「師の自斎には、何の身寄りもありません。 で、甥の天鬼には、遺産といってもわずかでしょうが、金を与え、遠く離れている私には、中条流の印可目録を 遺 ( のこ )してゆかれました。 天鬼は、私のそれを預かって、今諸国を修行にあるいていますが、来年の 彼岸 ( ひがん )の中日には、上州と周防とのちょうど中ほどの 道程 ( みちのり )にあたる三河の 鳳来寺山 ( ほうらいじさん )へ、双方からのぼって、対面しようという約束を書面で交わしてあります。 そこで私は天鬼から師のおかたみを受けることになっているので、それまでは近畿のあたりを 悠々 ( ゆるゆる )と、修行がてら見物して歩こうと思っているのです」 ようやくいうだけのことをいい終ったように、美少年は改めて、話し相手の藤次にむかい、 「あなたは、大坂ですか」 「いや京都」 それきり黙って、しばらく、波音に耳をとられていたが、 「すると 其許 ( そこもと )はやはり、兵法をもって身を立てて行かれる気か」 藤次はさっきから少し軽蔑した顔つきであったが、今も うんざりしたようにいう。 この頃のように、こう小生意気な兵法青年がうようよ歩いて、すぐ印可の目録のといって誇っていることが、彼には、 小賢 ( こざか )しく聞えてならない。 そんなに天下に上手や達人が蚊みたいに 殖 ( ふ )えてたまるものか。 「京都には、吉岡拳法の遺子、吉岡清十郎という人がいるそうですが、今でもやっておりますか?」 よいほどに聞いてみれば、だんだん口の幅を広くしてくる。 気に食わない前髪めがと藤次は 小癪 ( こしゃく )に思う。 けれど考え直してみると、こいつはまだ自分が吉岡門の高弟祇園藤次なる者であることを知らないのだ。 知ったらさだめし前言に恥じて、びっくりする奴に違いない。 藤次は顔を 歪 ( ゆが )めた後から、軽蔑をみなぎらして、 「あそこへ行って、片輪にならずに、門を戻って来る自信が、あるかな?」 「なんの!」 美少年は突っ返すようにいった。 「大きな門戸を構えているので、世間が買いかぶっているので、初代の拳法は達人だったでしょうが、当主の清十郎も、その弟の伝七郎とやらも、たいした者じゃないらしい」 「だが、当ってみなければ、分るまいが」 「もっぱら諸国の武芸者のうわさです。 うわさですから、皆が皆、ほんとでもありますまいが、まず京流吉岡も、あれでおしまいだろうとは、よく聞くことですね」 大概にしろといいたい。 藤次は、ここらで名乗ってやろうかと思ったが、ここで けりを着けたのでは、 揶揄 ( からか )ったのでなく、揶揄われたに等しいものになる。 船が、大坂へ着くにはまだ大分間もあることだし、 「なるほど、このごろは、諸国にも天狗が多いそうだから、そういう評判もあろうな。 ところで、おん身は先ほど、師を離れて、郷里にあるうちは、毎日のように、錦帯橋の 畔 ( ほとり )へ出て、 飛燕 ( ひえん )を斬って大太刀のつかいようを工夫されたと仰っしゃったな」 「いいました」 「じゃあ、この船で、時々、ああして飛び来っては 掠 ( かす )めてゆく 海鳥 ( うみどり )を、その大太刀で、斬り落すことも容易であろうな」 「…………」 何か悪感情を包んでいる相手のことばを、美少年もようやくさとったらしく、瞬間、まじまじと藤次のそういう浅黒い唇を見つめていたが、やがて、 「出来たって、そんな 莫迦 ( ばか )な芸を私はやる気になれぬ。 あなたは、古岡の門人か、縁者か」 「何でもないが、京都の人間だから、京都の吉岡を悪くいわれれば、やはりおもしろくはない」 「ははは、うわさですよ、私がいったわけじゃない」 「若衆」 「なんです」 「 生兵法 ( なまびょうほう )という 諺 ( ことわざ )を知っているか。 将来のため忠言しておくが、世間をそう甘く見すぎると、出世はせんぜ。 やれ、中条流の印可目録を取っているの、飛燕を斬って、大太刀の工夫をしたのと、人をみな盲とするような 法螺 ( ほら )はよせ。 よいか、法螺をふくのも相手を見てふくのだぜ」 「私を、法螺ふきと、仰っしゃったな」 美少年が、こう念を押すように突っ込むと、 「いったがどうした」 藤次は、 反 ( そ )らした胸を、わざと相手へ寄せて、 「おまえの将来のためにいってやったのだ。 若い者の 衒 ( てら )いも、少しは愛嬌だが、あまり過ぎると見ぐるしい」 「…………」 「最前から何事もふむふむと聞いているので、人を 舐 ( な )めてつい 駄ぼらが出たのだろうが、実は 此方 ( このほう )こそ、吉岡清十郎の高弟、祇園藤次という者だ。 以後、京流吉岡の悪評をいいふらすと、ただはおかんぞ」 周 ( まわ )りの船客がじろじろ見るので、藤次はそれだけの権威と立場とを明らかにして、 「このごろの若い奴は、生意気でいかん」 つぶやきながら、独り、 艫 ( とも )のほうへ歩み去った。 (何かなくては済まないらしいぞ) と予感したので、船客たちは、遠方からではあるが、皆、二人のほうへ首を振向けた。 藤次は決して事を好んだわけではない。 大坂へ着けば、船着場にはお甲が待っているかもしれないのだ。 女と会う前に、年下の者と、喧嘩などをやっては、人目につくし、あとがうるさい。 そしらぬ顔して、彼は、 舷 ( ふなべり )の 欄 ( らん )へ 肱 ( ひじ )をかけ、 艫舵 ( ともかじ )の下にうず巻いている青ぐろい瀬を見ていた。 「もし」 美少年は、その背中を軽くたたいた。 相当に 拗 ( しつ )こい性質である。 だが、感情に激しているような語気ではない、極めて静かなのだ。 「もし……藤次先生」 知らないふうも 装 ( よそお )えないので、 「なんだ」 顔を向けると、 「あなたは、 人中 ( ひとなか )において、私を 法螺 ( ほら )ふきと申されたが、それでは私も面目が立たないから、最前、やって見ろとおおせられた芸を、やむなくここで演じてみようと存じます。 立ち会ってください」 「わしが、何を求めたか」 「お忘れのはずはない。 藤次は、その構えを白い眼で見すえながら、何用か、と 彼方 ( かなた )から答えた。 すると、美少年は、真面目くさって、 「おそれ入るが、海鳥を、私のまえへ呼び降ろしていただきたい。 何羽でも、斬って見せます」 一休 和尚 ( おしょう )の頓智ばなしをそのまま用いて、美少年は、藤次へ 酬 ( むく )いたものとみえる。 藤次はあきらかに 愚弄 ( ぐろう )されたのだ。 人を小馬鹿にするも程があるといっていい。 当然、烈火のように怒った。 「だまれ。 あのように空を 翔 ( か )けている海鳥を思いのままに、眼の前へ呼びよせられるものなら、誰でも斬るわ」 すると美少年は、 「海は千万里、 剣 ( つるぎ )は三尺、側へ来ないものは、私にも斬れません」 それ見たかといわないばかりに藤次は二、三歩出て、 「逃げ口上をいう奴だ。 出来ませんなら出来ませんと、素直に 謝 ( あやま )れ」 「いや、謝るほどなら、こんな身構えは 仕 ( つかまつ )りません。 海鳥のかわりに、べつな物を斬ってお目にかける」 「何を?」 「藤次先生、もう五歩こちらへ出て来ませんか」 「なんだ」 「あなたのお首を拝借したい。 私が 法螺 ( ほら )ふきか否かを試せといったそのお首だ。 罪もない海鳥を斬るよりは、そのお首のほうが恰好ですから」 「ばッ、ばかいえっ」 思わず藤次はその首をすくめた。 ばっと空気の斬れる音がした。 三尺の長剣が、針ほどな光にしか見えないくらい 迅 ( はや )かったのである。 首はたしかに着いているし、そのほかなんの異状も感じなかった。 「おわかりか」 美少年は、そういって、 荷梱 ( にごうり )のあいだへ立ち去った。 土気色になった自分の顔いろを、藤次はいかんともすることが出来なかった。 だが、その時はまだ自分の五体のうちの最も重要な部分が斬り落されていることなど気づかなかった。 美少年が去った後で、ふと、冬陽のうすくあたっている船板の上を見ると、変な物が落ちている。 それは、 刷毛 ( はけ )のような小さな毛の 束 ( たば )だ、アッと、初めて気づいて、自分の髪へ手をやってみると、 髷 ( まげ )がない。 「や、や? ……」 撫 ( な )でまわして驚き顔をしている間に、根の 元結 ( もとゆい )がほぐれて、 鬢 ( びん )の毛はばらりと顔にちらかった。 「やったな! 青二才」 棒のように胸へ突っ張ってくる憤怒であった。 美少年が自ら語っていたことのすべてが、嘘でも 法螺 ( ほら )でもないことが、とたんに分りすぎるほど彼には分った。 年に似合わない怖ろしい技だと思う。 若い仲間にも、ああいう若いのもいるのかと今さら思う。 だが、 頭脳 ( あたま )の驚嘆と、肚のそこの憤怒とは、べつ物である。 そこからのぞいて見ると、美少年は 先刻 ( さっき )の席へもどって、何か、失くし物でもしたように、自分の足もとを見廻している。 藤次は、絶好な隙をその体に見つけた。 身をかがめて、美少年のうしろへ迫り、こんどは、彼の 髷 ( まげ )を斬り払ってやろうとするのだった。 当然、顔にかかる、頭の鉢を横に割るだろう。 勿論、それでさしつかえない。 うむっ! 満身が赤く 膨 ( ふく )れあがって、彼の 唇 ( くち )と鼻腔が出る息を結んだ時であった。 三十尺もあろうかと思われる帆ばしらの 天 ( て )っ 辺 ( ぺん )に。 下では、ほかの船客までが、海上の旅に 倦 ( う )み 飽 ( あ )いていた折からなので、事こそあれと、みな顔を空へ上げ、 「やあ、何か 咥 ( くわ )えている」 「 骨牌 ( かるた )のふだですよ」 「ハハア、あそこで、金持ち連がやっていた骨牌を 攫 ( さら )って行ったんですか」 「ごらんなさい、小猿のやつも、帆ばしらの上で骨牌をめくる真似をしている」 ヒラヒラと、そういう顔の中へ一枚の札が落ちて来た。 「畜生」 堺の 商人 ( あきんど )のひとりが、あわててそれを拾いあげたが、 「まだ足らない。 どこからも、おれのだといって名乗り出る者がない。 しかし、その辺にいた客はみな知っている。 例の美少年のすがたへ期せずして一同の眼が注がれた。 船頭も知っていた筈だ。 そこで当然 業腹 ( ごうはら )が煮えてきたに違いない。 船頭声を一段と張りあげて、 「飼い主はねえのか。 飼い主がねえならねえように、おらが処分するが、あとで苦情はあんめえな」 いないのではない、美少年は荷物に 倚 ( よ )りかかって、黙然と、何か考え事でもしている様子なのだ。 「……なんて図々しい」 と、ささやく者がある。 船頭もぎょろりと美少年の頭を見ていた。 博戯 ( あそび )を 邪 ( さまた )げられた金持ち階級は、 遽 ( にわか )にざわめいて悪口を口走る。 だが美少年は、ちょっと膝を横に坐り直したきりだった。 どこへ吹く風かという姿である。 「海のうえにも、猿が住むとみえて、飼い主のねえ猿が舞いこんだ。 飼い主のねえ畜生なら、どうして始末してもかまうめい。 後で、耳が遠いの、聞かなかったのと、苦情のねえように、証人になってくらっせえ」 「いいとも、わしらが証人に立ってやる」 と例の旦那連中が、腹を立てて、呶鳴った。 船頭は、船底へゆく 段梯子 ( だんばしご )を下りて行った。 上がって来た時には、火のついた火縄と、 種子島銃 ( たねがしまじゅう )を持っていた。 のん気なのは、上の小猿だ。 潮風の空で、 骨牌 ( かるた )を見ている。 それがいかにも意思があって人間をからかっているように見えるのである。 「…………」 下では、船頭が、火縄を鼻の先にいぶして種子島の 銃先 ( つつさき )を空へ向け、じっと、小猿を狙いすましていた。 「しっ……」 と、堺の商人が 袂 ( たもと )をひいた。 それまで 唖 ( おし )のように 他所 ( よそ )を向いていた美少年がぐっと体を起し、 「船頭」 と、こちらへ声を投げたからである。 こんどは、船頭のほうで そら耳を装っていた。 火縄が、チラと 関金 ( せきがね )の 煙硝 ( えんしょう )へ口火を点じかけた。 「あっ」 ドカアンと弾音はたかく 反 ( そ )ッぽへ走った。 銃 ( つつ )は美少年の手に 引 ( ひ )っ 奪 ( た )くられているのだった。 船客たちは、耳を抑えて 俯 ( う )つ伏した。 「な! なにしやがる!」 これは船頭の当然な怒号だった。 おどり上がって美少年の胸ぐらにぶら下がったのである。 頑丈な 船乗 ( ふなのり )の体も、美少年のまえに正当に立つと、ぶら下がったという言葉がおかしくないほど、背も骨ぐみも、段ちがいに美少年のほうが 逞 ( たくま )しくて立派だったのである。 「おまえこそ、何するのだ、飛び道具で、無心の小猿を撃ち落そうとしたろう」 「そうだ」 「不届きではないか」 「なぜッ。 船頭風情の身をもって、客よりも高い場所に突っ立ち、頭の上からあのように 喚 ( わめ )いたとて、侍が、答えられるか」 「いい抜けを 吐 ( ほ )ざくな。 そのためにおらは何度も断ってある。 小猿が 骨牌 ( かるた )のふだを取って逃げたからとて、この身がいいつけたわけではなし、あの連中のする 悪戯 ( いたずら )を、猿が真似したまでのこと、わしから迷惑を詫び出るすじはない」 ことばの半ばから、美少年は、血の気の多いその顔を、 彼方 ( あなた )の一つどころにかたまっている堺や大坂の旦那連のほうへ向けて、極めて皮肉な笑い方をしていったのであった。 潮騒 ( しおさい )の夕闇に、木津川 湊 ( みなと )の灯は赤く 戦 ( そよ )いでいる。 どことなく魚臭いものが迫る。 陸 ( おか )が近づいたのだ。 船から呼ばわる声と、陸でわいわいという声が、徐々に、距離をちぢめていた。 どぼーんと、真っ白なしぶきが立つ。 錨 ( いかり )が 抛 ( ほう )りこまれたのである。 「かしわ屋でございますが」 「 住吉 ( すみよし )の 社家 ( しゃけ )の息子さまは、この船にござらっしゃらぬか」 「飛脚屋さんはいるかね」 「旦那様あ」 渡海場の 埠頭 ( ふとう )にかたまっていた迎えの 提燈 ( ちょうちん )は、灯の波を作って船の横へ迫ってゆく。 その中を、例の美少年が、 揉 ( も )まれて降りて行った。 肩に小猿を乗せている姿を見て、 旅籠 ( はたご )の客引きが二、三人、 「もしもし、 猿 ( えて )のお泊り賃は、 無料 ( ただ )にいたしておきますが、私どもへお越しくださいませぬか」 「てまえどもは住吉の門前で、ご参詣にもよし、座敷の見晴らしも至極よいお部屋がございますが」 それらの者には 一顧 ( いっこ )もせず、そうかといって迎えに来ている知人もないらしく、美少年は小猿をかついで、真っ先にこの 湊 ( みなと )から姿を消してしまった。 それを見送って、 「何んていう生意気なやつだろう。 すこしばかり兵法が出来ると思って」 「まったく、あの若造のために、船の中は半日、みんな面白くなく暮してしまった」 「こっちが町人でなければ、あのままただでこの船を降ろすのじゃないが」 「まあまあ、侍には、たんと威張らせておいてやるがいいさ。 肩で風を切っていれば、それで気が済むんだから他愛はない。 わしら町人は、花は人にくれても、 実 ( み )を喰おうという流儀だから、今日ぐらいな 忌々 ( いまいま )しさは、仕方があるまいて」 こんなことをいいながら、荷物沢山な旅すがたを揃えて、ぞろぞろ降りて行ったのは例の堺や大坂の 商人連 ( あきんどれん )であり、そこへは無数の出迎えが、 提燈 ( ちょうちん )や乗物をあつめ、一人一人に、幾人かの女の顔も取り巻いていた。 祇園 ( ぎおん )藤次は、誰よりも後から、こっそりと 陸 ( おか )へ上がっていた。 形容のできない顔つきである。 不愉快といって、きょうほど不愉快な日はなかったに違いない。 髷 ( まげ )をちょん切られた頭には、頭巾をかぶせているが、眉にも 唇 ( くち )にも、暗澹とただよっている。 渡海場に立って吹き 曝 ( さら )されていた顔が、寒さに 硬 ( こわ )ばって、年をかくしている 皺 ( しわ )が、 白粉 ( おしろい )の上に出ていた。 「お、お甲か。 とにかく、住吉へでも行って、よい宿を見つけよう」 「え、あちらに、駕も連れて来ましたから」 「そいつは有難う、じゃあ宿も先に取っておいてくれたか」 「みな様も、待ちかねているでしょう」 「え?」 意外な顔して、藤次は、 「オイお甲、ちょっと待ってくれ。 おまえとここで落ちあったのは、二人ぎりでどこか静かな家で二、三日 悠 ( ゆ )っくりしようという考えじゃないか。 ……それを、皆様とは一体、誰と誰のことをいうのだ」 「乗らない。 わしは乗らない」 祇園藤次は、迎えの駕を 拒 ( こば )んでぷんぷん怒りながら、お甲の先へ歩いていた。 お甲が何かいうと、 「ばかっ」 と、ものをいわせない。 彼をして、こう立腹させた原因は、お甲が告げた新しい事情にも 因 ( もと )づくが、すでに船の中からもやもやしていた鬱憤が、あわせて今、爆発したことは 否 ( いな )めない。 「おれは、一人で泊るっ。 駕なんか追ッ返せ。 なんだ。 人の気も知らないで、ばかっ、ばかっ!」 と、 袂 ( たもと )を払う。 河の前の 雑魚 ( ざこ )市場は、みな戸が閉まって、魚の 鱗 ( うろこ )が、貝をちらしたように、暗い長屋の戸に光っていた。 そこまで来ると、人影も少なくなったので、お甲は、藤次に抱きついた。 「およしなさい、見ッともない」 「離せっ」 「一人で泊ったら、あっちが変なものになりますよ」 「どうにでもなれっ」 「そんなこといわないで」 白粉 ( おしろい )と髪の香の、冷たい頬が、藤次の頬へ貼りついた。 藤次はやや旅の孤独から 甦 ( よみがえ )った。 「……ネ、頼みますから」 「がっかりした」 「そうでしょう、だけど、二人にはまたいい 機 ( おり )があるでしょう」 「おれは、せめて大坂で二、三日は二人ぎりと、楽しみにして着いたのだ」 「分ってますよ」 「わかっているなら、なぜ 他 ( ほか )の者を引ッ張って来たのだ。 俺が思っているほど、おまえは俺を思っていないからだろう」 藤次が責めると、 「また、あんな……」 と、お甲はうらめしげな眼をこらして、泣きたいような顔をして見せる。 彼女のいい訳は、こうだった。 藤次から飛脚を受け取ると、彼女は勿論、自分だけで大坂へ来るつもりだった。 ところが折わるく、吉岡清十郎がその日もまた、六、七名の門人を連れて「よもぎの寮」へ飲みに来て、いつのまにか、 朱実 ( あけみ )の口から、そのことを聞いてしまい、 (藤次が大坂へ着くなら、わしらも迎えに行ってやろうじゃないか) といい出した。 それに調子をあわせる取り巻き連も多く、 (朱実も行け) と、いう騒ぎになってしまい、いやともいえずお甲は一行十人ほどの中に 交 ( ま )じって住吉の旅館に落着き、一同の遊んでいる間に、自分だけ一人で駕を持ってここへ迎えに来たのだという。 今日という日に迷信がわき起るほど、何か、後にも先にも、不愉快ばかりが考えられた。 第一、 陸 ( おか )を踏むとすぐ、清十郎だの同輩だのに、旅先の首尾を聞かれることが辛い。 いやもっと嫌なことは、この頭巾を脱ぐことである。 (何といおう) 彼は、 髷 ( まげ )のない頭を苦に病んだ、彼にも侍というものの面目はある。 人に知られない恥なら掻いてもよいが、人にわかる恥を重大に思う。 「……じゃあ仕方がない、住吉へ行くから駕を連れて来い」 「乗ってくれますか」 お甲はまた、渡海場のほうへ、駈け戻った。 この夕方、船で着く藤次を迎えに行くといって出たお甲は、まだ帰って来ない。 その間に、同勢は風呂にはいり、 旅舎 ( やど )の どてらに 着膨 ( きぶく )れて、 「やがて、藤次もお甲も見えるだろう、その間、こうしていてもつまらんじゃないか」 飲んで待っていようということになったのは、この同勢として、当然な納まりであった。 藤次の顔が見えるまでのつなぎとして飲んでいたうちはいいが、いつの間にか膝がくずれ、杯がみだれ出すと、もうそんな者はどうでもよくなってしまい、 「この住吉には、 唄 ( うた )い 女 ( め )はいないのか」 「きれいなのを三、四人呼ぼうじゃないか。 どうだ 諸卿 ( しょけい )」 と、病気が始まる。 (よせ、つまらない)などという顔は、この中には一つもいない。 ただ師の吉岡清十郎の顔いろを多少 憚 ( はばか )るのであったが、 「若先生には、朱実が側についているから、別間のほうへ、お移り願おうじゃないか」 横着な奴らかなと清十郎はにが笑いする。 けれど、それは自分に取っても好ましい。 炬燵 ( こたつ )のある部屋に入って、朱実とふたりで差し向うほうが、この同勢と飲んでいるより、どれほどいい人生かわからない。 「さあ、これからだ」 とは門人どもが、門人だけになってからの発声だった。 やがて程なく 十三間川 ( とさまがわ )の名物という怪しげな 唄 ( うた )い 女 ( め )が笛、三味線などの ひねこびた楽器を持って庭にあらわれ、 「いったい、あんたはん達は、喧嘩するのかいな、酒あがるのかいな」 と訊ねる。 すでによほど大トラになっている一人が、 「ばかっ、金を 費 ( つか )って喧嘩する奴があるか。 おまえたちを呼ぶからには、大いに飲んで遊ぶのだ」 「じゃあ、まちっと、静かにあがりやはったらどうかいな」 手際 ( てぎわ )よく扱われて、 「然らば、歌おう」 抛 ( ほう )り出していた 毛脛 ( けずね )をひっ込めたり、横にしていた体を起して、 絃歌 ( げんか )ようやく盛んならんとする頃おい、小女が来て、 「あの、お客様が、船からお着きなさいまして、ただ今、お連れ様といっしょに、ここへきやはりまする」 と、告げて行った。 「なんだ、何が来たと」 「藤次といった」 「 冬至 ( とうじ )冬至、 魚 ( とっと )の目か」 お甲と祇園藤次は、あきれ顔して部屋の口に立っていた。 誰も彼を待ったらしい者は一名もないのだった。 藤次は、一体何のために、この年末この同勢が、住吉へなど来ているのかと疑った。 お甲にいわせれば自分を迎えに来たのだというが、どこに自分を迎えに来たらしい人間が一人でもいるか、むっとして、 「おい、 下婢 ( おんな )」 「はい」 「若先生は、どこにいらっしゃるか、若先生のいる部屋へ行こう」 廊下をもどりかけると、 「よう、先輩、ただ今お帰りか。 たまらない臭気を放つ。 逃げようとしたので、トラは強引に座敷へ引きずり込んだ、そして、膳を踏みつけたから形のごとく 杯盤狼藉 ( はいばんろうぜき )を作って、共倒れに仆れた。 「……あっ、頭巾を」 藤次は、あわてて自分のそれへ手をやったが遅かった。 辷 ( すべ )った拍子に、トラは彼の頭巾をつかんで後ろへ腰をついていた。 その晩は、酒の興で済んだが、次の日になるとこの同勢が、ゆうべとは打って変って、 旅舎 ( やど )のすぐ裏の浜辺に出て、天下の大事でも議すように、 「怪しからん沙汰だ」 と、肩を 昂 ( あ )げ、 唾 ( つば )をとばし、 肱 ( ひじ )を突っ張って、小松の生えている砂地に 円 ( まる )く坐っていた。 いやしくも天下の兵法所をもって任じる吉岡道場の名折れだ、断じて、これを捨ておくことはできないぞ」 「しからば、どうするのだ」 「これからでも遅くあるまい。 その小猿を連れて歩いている前髪の武者修行を 捜 ( さが )し出す! どんなことをしても捜し出す! そして、 彼奴 ( きゃつ )の 髷 ( まげ )をちょん切って、祇園藤次 ずれの恥辱じゃない、吉岡道場の存在を 厳 ( おごそ )かにする。 その動機をたずねると、こうなのである。 彼らの憤激はそれから始まったものである。 怪 ( け )しからぬ先輩と、祇園藤次をつかまえて詰問に及ぼうとすると、藤次は今朝早く、吉岡清十郎と何か話していたが、朝飯をたべるとすぐ、お甲とふたりで、先へ京都へ 発 ( た )ってしまったという。 いよいよもって、うわさは事実にちがいない。 そういう腰抜けの先輩を追いかけるのは愚かである、追うならばどこの何者かわからないが、自分たちの手で、小猿を携えた前髪を捕まえ、存分に、吉岡道場の汚名をそそいでやろうじゃないか。 住吉の浦は、眼のおよぶ限り、 白薔薇 ( しろばら )をつないだような波である。 冬とも思えない磯の香が陽に煙っている。 朱実 ( あけみ )は、白い 脛 ( はぎ )を見せて、波に戯れながら何か拾って見ては捨てていた。 何事か起ったように、吉岡の門人たちが思い思いな方角へ向い、刀のこじりを 刎 ( は )ね上げて分れて行くのを眺めて、 「オヤ、何だろう」 朱実はまるい眼をしながら、波打ち際に立って見送っていた。 ほかの者もみな手分けして、捜しに行ったんだ」 「何を捜しに行ったんです」 「小猿を携えている前髪の若い侍さ」 「その人がどうかしたのですか」 「 抛 ( ほう )っておいては、清十郎先生のお名まえにもかかわるのだ」 祇園藤次の飛んでもない置土産の一件を話して聞かすと、朱実は興もない 口吻 ( くちぶり )で、 「皆さんは、始終喧嘩ばかり捜しているんですね」 と、たしなめ顔にいう。 貝殻など何も捜さなくっても、 天 ( そら )の星ほど、こんなに落ちている」 「わたしの捜しているのは、そんなくだらない貝殻じゃありません。 わすれ貝です」 「わすれ貝、そんな貝があるものか」 「ほかの浜にはないが、この住吉の浦にだけはあるんですって」 「ないよ」 「あるんですよ」……いい争って、朱実は、 「嘘だと思うならば証拠を見せてあげますからこっちへ来てごらんなさい」 と、ほど遠からぬ所の松並木の下へ、無理やりにその門人を引っぱって来て一つの 碑 ( いしぶみ )を指した。 いとまあらば ひろひに行かむ住吉の きしに寄るてふ 恋わすれ貝 新勅撰集のうちにある古歌の一首がそれには刻んである。 朱実は誇って、 「どうです、これでもないといえますか」 「伝説だよ、取るにも足らん歌よみの嘘だ」 「住吉にはまだ、わすれ水、わすれ草などという物もあるんです」 「じゃ、あるとしておくさ。 ……だから捜しているの。 あんたも一緒になって捜してくださいよ」 「それどころじゃない」 思い出したように、その門人は足の向きを変えて、どこかへ駈けていってしまった。 苦しくなると、そう思うほどだったが、また、 「忘れたくない」 朱実は、胸を抱いて、矛盾の 境 ( さかい )に立った。 もしほんとにわすれ貝という物があるならば、それはあの清十郎の袂へこそ、そっと入れてやりたい。 そしてこの自分という者を彼から忘れてもらいたいと、ため息ついて思う。 「 執 ( しつ )こい人……」 思うだけでも、朱実は心がふさいだ。 自分の青春をのろうために、あの清十郎は生活しているような気もちにさえ襲われる。 清十郎のねばり濃い求愛に、心が暗くなる時は、必ずその心のすみで、彼女は 武蔵 ( むさし )のことを考えた。 なぜならば、遮二無二に今の境遇を切り 解 ( ほど )いて現在の身から夢の中へ、駈け出してしまいたくなるからだった。 「……だけど?」 彼女は、しかし幾たびもためらった。 自分はそこまでつき詰めているが、武蔵の気もちはわからなかった。 「……アアいっそのこと忘れてしまいたい」 青い海が、ふと誘惑でさえあった。 朱実は、海を見つめていると、自分が怖くなった。 何のためらいもなく、真っ直にそこへ向って駈けて行かれる気がするのである。 そのくせ自分がこんなつき詰めた考えを抱いているなどということは、およそ彼女の 養母 ( はは )のお甲も知らない。 清十郎も思わない。 誰でも朱実と一つに暮した者は皆、この娘は至って快活で、お 転婆 ( てんば )で、そしてまだ、男性の恋愛が受け取れないほど開花の 晩 ( おそ )い 質 ( たち )だと思いこんでいるらしいのである。 朱実はそんな男たちやまた 養母 ( はは )を、心のうちであかの他人に思っていた。 どんな 冗戯 ( じょうだん )でもいえるのである。 そしていつも鈴のついた 袂 ( たもと )を振って、駄々っ子みたいに振舞っているのだったが、独りになると、春の草いきれのように熱いため息をついていた。 さっきから先生がお呼びでごさいますよ。 どこへ行ったのかと、えらいご心配になって」 旅舎 ( やど )の男だった。 彼女のすがたを 碑 ( いしぶみ )のそばに見つけて、こういいながら走って来た。 朱実がもどって行って見ると、清十郎はただひとりで、松かぜの音を静かに 閉 ( た )てこめた冬座敷で、 緋 ( ひ )の 蒲団 ( ふとん )をかけた 炬燵 ( こたつ )に手を入れてぽつねんとしていた。 彼女のすがたを見ると、 「どこへ行っていたのだ、この寒いのに」 「オオ嫌だ、ちっとも寒くなんかありやしない。 浜はいっぱいに陽があたっていますもの」 「何していた」 「貝をひろっていたの」 「子どもみたいだな」 「子どもですもの」 「正月が来たら 幾歳 ( いくつ )になると思う」 「幾歳になっても子どもでいたい……いいでしょう」 「よかあない。 すこしは、おふくろの案じているのも考えてやれよ」 「おっ母さんなんか、何も私のことなんか考えているものですか。 自分がまだ若い気ですもの」 「ま、 炬燵 ( こたつ )へお入り」 「炬燵なんか、 逆上 ( のぼせ )るから大っ嫌い。 ……私はまだ年寄りじゃありませんからね」 「朱実」……手くびをつかんで、清十郎は膝へ引き寄せた。 「きょうは誰もいないらしい。 おまえの 養母 ( おふくろ )も、粋をきかして先へ京都へ帰ったし……」 ふと清十郎の燃えている眼を見て、朱実はからだが 硬 ( こわ )ばってしまった。 「…………」 無意識に身を 退 ( ひ )きかけたが、彼の手は、彼女の手くびを離さない。 痛いほど握りしめ、 「なぜ逃げる?」 とがめるように 額 ( ひたい )に青すじを立てる。 「逃げやしません」 「きょうは皆、留守なのだ、こういう折はまたとない。 そうだろう朱実」 「なにがです」 「そう 棘々 ( とげとげ )しくいうな。 もうおまえと 馴染 ( なじ )んでから小一年、おれの気持もわかったはず、お甲はとうに承知なのだ。 おまえがおれに従わないのは、おれに腕がないからだとあの 養母 ( おふくろ )はいっている。 それでも清十郎は離さないのである。 こういう場合に京八流の兵法が応用されては、いかに彼女が争っても無駄であろう。 それにまた、きょうの清十郎はいつもとやや違っていた。 いつも 自暴 ( やけ )に酒を 仰飲 ( あお )って執こくからむのだが、きょうは酒気はないし、青白い顔をしているのだった。 離さないと、みんなを呼ぶからいい」 「呼んでみい! ……。 この棟は 母屋 ( おもや )から離れているし、誰も来るなと断ってあるのだ」 「わたし帰ります」 「帰さん!」 「あなたの体じゃありません」 「ば、ばかっ。 ……おまえの 養母 ( おふくろ )に聞け、おまえの体には、おれの手から身代金ほどの金が、お甲へやってあるのだ」 「おっかさんが私を売り物にしても、私は売った覚えはない。 死んだって、嫌な男なぞに」 「なにっ」 緋 ( ひ )の 炬燵 ( こたつ )ぶとんが、朱実の顔を押しかぶせた。 朱実は心臓のつぶれるような声をあげた。 ……呼べど、呼べど、誰も来なかった。 ひんやりと薄陽のあたっている障子には、何事もなげに、松のかげが遠い潮鳴りのように揺れているに過ぎない。 外は、あくまで静かな冬の日であった。 チチ、チチ、とどこかで、人間の無残な振舞いとはおよそ遠い小鳥の声がしていた。 ……ほど 経 ( た )って。 そこの障子のうちで、わっと号泣する朱実の声がもれた。 しいんとして、ややしばらくのあいだ、人の声も気はいもしないでいると思うと、清十郎が青じろい顔を持って、ついと、障子の外へすがたを現わした。 「あっ! ……」 清十郎は身伸びをして、 手拭 ( てぬぐい )で巻いた手を抑えながら、見送ってしまった。 まるで、発狂したような 迅 ( はや )さと取乱した彼女の姿であった。 「…………」 ちょっと、不安そうな眼をしたが、清十郎は、追って行かなかった。 「これよ、 権叔父 ( ごんおじ )」 「おい、なんじゃあ」 「おぬし、くたびれぬかよ」 「いささか 気懶 ( けだる )うなっておる」 「そうじゃろが、この婆もちと、きょうは 歩行 ( ひろ )い飽いた。 したが、さすがに住吉の 社 ( やしろ )、見事な結構ではある。 ……ホホ、これが若宮八幡の秘木とかいう橘の樹かいの」 「そうとみえる」 「 神功 ( じんぐう )皇后さまが、 三韓 ( さんかん )へご渡海なされた折に、八十 艘 ( そう )の 貢 ( みつ )ぎ 物 ( もの )のうちの第一のみつぎ物がこれじゃといういい伝えじゃが」 「婆よ、あの 神馬 ( しんめ )小屋にいる馬は、よい馬ぞよ。 加茂の 競 ( くら )べ 馬 ( うま )に出したら、あれこそ第一でがなあろうに」 「ムム、月毛じゃの」 「何やら立て札があるわ」 「この 飼料 ( かいば )のおん豆を 煎 ( せん )じて飲ますれば、夜泣き、歯ぎしりが止むとある。 権叔父、おぬし飲むがええ」 「ばかをいわしゃれ」 笑いながら見廻して、 「おや、又八は」 「ほんに、又八はどこへ行ったぞいな」 「ヤア、ヤア、あれなる 神楽 ( かぐら )の 殿 ( でん )の下に足をやすめているわ」 「又よう。 又八は、のそりのそり歩いて来た。 この 婆 ( ばば )とこの 爺 ( じじ )を連れにして、毎日こう歩いてばかりいるのは、彼としてかなりの我慢らしく見える。 それが五日や十日の見物というならまだしも、宮本武蔵という敵と巡り会って討ち果すまでの長い旅かと思うと、なんとしても、憂鬱にならざるを得ない。 元日か二日が過ぎたらすぐ別れようと思う。 だが、婆も爺も、先の短いせいか、 仏性 ( ほとけしょう )があるというのか、神社仏閣というといちいちお 賽銭 ( さいせん )を奉ったり、長々と祈願をこめたりばかりしていて、今日も、この住吉だけで、ほとんど一日暮れてしまいそうだ。 「はよう来ぬか」 鈍々 ( どんどん )たる足つきで、顔をふくらませて来る又八をながめて、お杉隠居は、若い者のように 焦 ( じ )れた。 「勝手なことをいってら」 又八は、口返答して、少しも足を早めないのだ。 「人を待たせる時は、いくらでも待たせておいて」 「何をいうぞ、この息子は。 神さまの霊域へ来たら、神さまをおがむのは人間のあたりまえなことじゃ。 おぬし、神にも仏にも手を合せたのを見たことがないが、そういう量見では、行く末が思いやらるる」 又八は、横を向いて、 「うるせえな」 それを聞き咎めてまた婆が、 「何がうるさいのじゃ」 初めの二、三日こそ、 母子 ( おやこ )の愛情は蜜より濃やかであったが、馴れるにつれ又八が、事ごとに たてを突いたり老母を小馬鹿にしたりするので、 旅籠 ( はたご )に帰るとお杉隠居は、この息子を前に坐らせ、毎夜のようにお談義ばかりであった。 それが今、ここで始まりそうな気色なので権叔父は、こんなところで開き直られては閉口と、 「まアまア、まアまア」 と、 母子 ( ふたり )をなだめて歩み出した。 困った 母子 ( おやこ )だと権叔父は思う。 何とか、隠居のきげんを直し、又八のふくれ 面 ( つら )もなだめたいものだと、双方に気をつかって歩いている。 「ホ、よいにおいがすると思ったら、あれなる磯茶屋で、焼き 蛤 ( はまぐり )をひさいでおる。 婆よ 一酌 ( ひとしゃく )やろうではないか」 高燈籠の近くにある海辺の 葭簀 ( よしず )茶屋であった。 気のすすまない顔つきの二人を誘って、 「酒あるか」 権叔父は先へ入って行く。 そして、 「さ、又八もきげん直せ。 婆もちとやかまし過ぎるぞよ」 杯を出すと、 「飲みとうない」 お杉隠居は、横を向く。 引っ込みを失って、権叔父はその杯を、 「じゃあ又八」 と、彼へ 酌 ( さ )した。 むッつりむッつり又八はたちまち二、三本ほど飲みほしてしまう。 それが老母の気に喰わないことは勿論である。 「おい、もう一本」 権叔父をさし 措 ( お )いて、又八が四本目を求めると、 「いい加減にしやれ!」 と、婆は叱った。 「 遊山 ( ゆさん )や酒のむためのこの旅かよ。 権叔父も、ほどにしたがよい。

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斎藤茂吉 万葉秀歌

夕べ 眠れ ず に 泣い てい たん だ ろう 歌詞

序 万葉集は 我国 ( わがくに )の大切な歌集で、誰でも読んで好いものとおもうが、何せよ歌の数が四千五百有余もあり、一々注釈書に当ってそれを読破しようというのは並大抵のことではない。 そこで選集を作って歌に親しむということも一つの方法だから本書はその方法を採った。 選ぶ態度は大体すぐれた歌を巻毎に拾うこととし、数は先ず全体の一割ぐらいの見込で、長歌は 罷 ( や )めて短歌だけにしたから、万葉の短歌が四千二百足らずあるとして大体一割ぐらい選んだことになろうか。 本書はそのような標準にしたが、これは国民全般が万葉集の短歌として是非知って居らねばならぬものを出来るだけ選んだためであって、万人向きという意図はおのずから 其処 ( そこ )に実行せられているわけである。 ゆえに専門家的に 漸 ( ようや )く標準を高めて行き、読者諸氏は本書から自由に三百首選二百首選一百首選 乃至 ( ないし )五十首選をも作ることが出来る。 それだけの余裕を私は本書のなかに保留して置いた。 そうして選んだ歌に簡単な評釈を加えたが、本書の目的は秀歌の選出にあり、歌が主で注釈が従、評釈は読者諸氏の参考、鑑賞の助手の役目に過ぎないものであって、 而 ( しか )して今は専門学者の高級にして精到な注釈書が幾つも出来ているから、私の評釈の不備な点は 其等 ( それら )から自由に補充することが出来る。 右のごとく歌そのものが主眼、評釈はその従属ということにして、一首一首が大切なのだから飽くまで一首一首に執着して、若し大体の意味が 呑込 ( のみこ )めたら、しばらく私の評釈の文から離れ歌自身について反復熟読せられよ。 読者諸氏は本書を初から順序立てて読まれても 好 ( よ )し、行き当りばったりという工合に 頁 ( ページ )を繰って出た歌だけを読まれても好し、忙しい諸氏は労働のあいま田畔汽車中電車中食後散策後架上就眠前等々に於て、一、二首或は二、三首乃至十首ぐらいずつ読まれることもまた可能である。 要は繰返して読み一首一首を大切に取扱って、早読して以て軽々しく取扱われないことを望むのである。 本書では一首一首に執着するから、いわゆる万葉の精神、万葉の日本的なもの、万葉の国民性などいうことは論じていない。 これに反して一助詞がどう一動詞がどう第三句が 奈何 ( いかん )結句が奈何というようなことを繰返している。 読者諸氏は 此等 ( これら )の言に対してしばらく耐忍せられんことをのぞむ。 万葉集の傑作といい秀歌と称するものも、地を洗って見れば決して魔法のごとく不可思議なものでなく、素直で当り前な作歌の常道を踏んでいるのに他ならぬという、その最も積極的な例を示すためにいきおいそういう細かしきことになったのである。 本書で試みた一首一首の短評中には、先師ほか諸学者の結論が 融込 ( とけこ )んでいること無論であるが、つまりは私の一家見ということになるであろう。 そうして万人向きな、 誰 ( たれ )にも分かる「万葉集入門」を意図したのであったのだけれども、いよいよとなれば仮借しない態度を折に触れつつ示した 筈 ( はず )である。 昭和十三年八月二十九日斎藤茂吉。 中皇命は未詳だが、 賀茂真淵 ( かものまぶち )は 荷田春満 ( かだのあずままろ )の説に 拠 ( よ )り、「皇」の下に「女」を補って、「 中皇女命 ( なかつひめみこのみこと )」と 訓 ( よ )み、舒明天皇の皇女で、のち、孝徳天皇の后に立ちたもうた 間人 ( はしびと )皇后だとし、喜田博士は皇后で後天皇になられた御方だとしたから、此処では 皇極 ( こうぎょく )( 斉明 ( さいめい ))天皇に当らせられる。 即ち前説に拠れば舒明の皇女、後説に拠れば舒明の皇后ということになる。 間人連老は孝徳天皇紀 白雉 ( はくち )五年二月遣唐使の判官に「間人連老」とあるその人であろう。 次に作者は中皇命か間人連老か両説あるが、これは中皇命の御歌であろう。 縦 ( よ )しんば間人連老の作という仮定をゆるすとしても中皇命の御心を以て作ったということになる。 間人連老の作だとする説は、題詞に「御歌」となくしてただ「歌」とあるがためだというのであるが、これは 編輯 ( へんしゅう )当時既に「御」を脱していたのであろう。 考 ( こう )に、「御字を補ひつ」と云ったのは 恣 ( ほしいまま )に過ぎた観があっても 或 ( あるい )は真相を伝えたものかも知れない。 「中大兄三山歌」(巻一・一三)でも「御」の字が無い。 然るにこの三山歌は目録には「中大兄三山御歌」と「御」が入っているに就き、代匠記には「中大兄ハ天智天皇ナレバ 尊 ( みこと )トカ 皇子 ( みこ )トカ 有 ( あり )ヌベキニヤ。 傍例ニヨルニ 尤 ( もっとも ) 有 ( ある )ベシ。 三山ノ下ニ目録ニハ御ノ字アリ。 脱セルカ」と云っている如く、古くから本文に「御」字の無い例がある。 そして、「万葉集はその原本の 儘 ( まま )に伝はり、 改刪 ( かいさん )を経ざるものなるを思ふべし」(講義)を顧慮すると、目録の方の「御」は目録作製の時につけたものとも取れる。 なお、この「御字」につき、「御字なきは転写のとき脱せる 歟 ( か )。 但天皇に献り給ふ故に、献御歌とはかゝざる 歟 ( か )なるべし」( 僻案抄 ( へきあんしょう ))、「御歌としるさざるは、此は天皇に対し奉る所なるから、殊更に御 ノ字をばかゝざりしならんか」( 美夫君志 ( みぶくし ))等の説をも参考とすることが出来る。 それから、 攷證 ( こうしょう )で、「この歌もし中皇命の御歌ならば、そを奉らせ給ふを取次せし人の名を、ことさらにかくべきよしなきをや」と云って、間人連老の作だという説に賛成しているが、これも、 老 ( おゆ )が普通の使者でなくもっと中皇命との関係の深いことを示すので、特にその名を書いたと見れば解釈がつき、必ずしも作者とせずとも済むのである。 考の別記に、「御歌を奉らせ給ふも老は御乳母の子などにて御 睦 ( むつまじ )き故としらる」とあるのは、事実は問わずとも、その思考の 方嚮 ( ほうこう )には間違は無かろうとおもう。 諸注のうち、二説の分布状態は次の如くである。 中皇命作説(僻案抄・考・ 略解 ( りゃくげ )・ 燈 ( ともしび )・ 檜嬬手 ( ひのつまで )・美夫君志・左千夫新釈・講義)、間人連老作説( 拾穂抄 ( しゅうすいしょう )・代匠記・古義・ 攷證 ( こうしょう )・新講・新解・評釈)。 「たまきはる」は 命 ( いのち )、 内 ( うち )、 代 ( よ )等にかかる枕詞であるが諸説があって未詳である。 仙覚・ 契沖 ( けいちゅう )・真淵らの 霊極 ( たまきはる )の説、即ち、「タマシヒノキハマル内の命」の意とする説は余り有力でないようだが、つまりは其処に落着くのではなかろうか。 なお 宣長 ( のりなが )の「あら玉 来経 ( きふ )る」説、即ち年月の経過する 現 ( うつ )という意。 久老 ( ひさおい )の「 程 ( たま ) 来経 ( きふ )る」説。 雅澄 ( まさずみ )の「 手纏 ( たま )き 佩 ( は )く」説等がある。 宇智 ( うち )と 内 ( うち )と同音だからそう用いた。 一首の意は、今ごろは、〔たまきはる〕(枕詞)宇智の大きい野に沢山の馬をならべて朝の御猟をしたまい、その朝草を踏み走らせあそばすでしょう。 露の一ぱいおいた草深い野が目に見えるようでございます、という程の御歌である。 代匠記に、「草深キ野ニハ鹿ヤ鳥ナドノ多ケレバ、宇智野ヲホメテ 再 ( ふたたび ) 云也 ( いふなり )」。 古義に、「けふの御かり御 獲物 ( えもの )多くして御興 尽 ( つき )ざるべしとおぼしやりたるよしなり」とある。 作者が皇女でも皇后でも、天皇のうえをおもいたもうて、その遊猟の有様に 聯想 ( れんそう )し、それを祝福する御心持が一首の響に 滲透 ( しんとう )している。 決して代作態度のよそよそしいものではない。 そこで代作説に賛成する古義でも、「此 題詞 ( ハシツクリ )のこゝろは、契沖も云るごとく、中皇女のおほせによりて間人連老が 作 ( ヨミ )てたてまつれるなるべし。 されど意はなほ皇女の御意を承りて、天皇に聞えあげたるなるべし」と云っているのは、この歌の調べに云うに云われぬ愛情の響があるためで、古義は理論の上では間人連老の作だとしても、鑑賞の上では、皇女の御意云々を否定し得ないのである。 此一事軽々に看過してはならない。 それから、この歌はどういう形式によって献られたかというに、「皇女のよみ給ひし御歌を 老 ( オユ )に 口誦 ( クジユ )して父天皇の御前にて歌はしめ給ふ也」(檜嬬手)というのが真に近いであろう。 一首は、 豊腴 ( ほうゆ )にして荘潔、 些 ( いささか )の渋滞なくその歌調を 完 ( まっと )うして、日本古語の優秀な特色が 隈 ( くま )なくこの一首に出ているとおもわれるほどである。 句割れなどいうものは一つもなく、第三句で「て」を置いたかとおもうと、第四句で、「朝踏ますらむ」と流動的に据えて、小休止となり、結句で二たび起して重厚荘潔なる名詞止にしている。 この名詞の結句にふかい感情がこもり余響が長いのである。 作歌当時は言語が 極 ( きわ )めて容易に自然にこだわりなく運ばれたとおもうが、後代の私等には驚くべき力量として迫って来るし、「その」などという続けざまでも言語の妙いうべからざるものがある。 長歌といいこの反歌といい、万葉集中最高峰の一つとして敬うべく尊むべきものだとおもうのである。 この長歌は、「やすみしし 吾 ( わが ) 大王 ( おほきみ )の、 朝 ( あした )にはとり 撫 ( な )でたまひ、 夕 ( ゆふべ )にはい 倚 ( よ )り立たしし、 御執 ( みと )らしの 梓弓 ( あずさのゆみ )の、 長弭 ( ながはず )( 中弭 ( なかはず ))の音すなり、 朝猟 ( あさかり )に今立たすらし、 暮猟 ( ゆふかり )に今立たすらし、 御執 ( みと )らしの梓弓の、長弭(中弭)の音すなり」(巻一・三)というのである。 これも流動声調で、繰返しによって進行せしめている点は驚くべきほど優秀である。 朝猟夕猟と云ったのは、声調のためであるが、実は、朝猟も夕猟もその時なされたと解することも出来るし、支那の古詩にもこの朝猟夕猟と続けた例がある。 梓弓はアヅサユミノと六音で読む説が有力だが、「 安都佐能由美乃 ( アヅサユミノ )」(巻十四・三五六七)によって、アヅサノユミノと訓んだ。 その方が口調がよいからである。 なお参考歌には、天武天皇御製に、「 その雪の時なきが 如 ( ごと )、 その雨の間なきが 如 ( ごと )、 隈 ( くま )もおちず思ひつつぞ来る、 その山道を」(巻一・二五)がある。 なお山部赤人の歌に、「朝猟に 鹿猪 ( しし ) 履 ( ふ )み起し、夕狩に鳥ふみ立て、馬 並 ( な )めて御猟ぞ立たす、春の 茂野 ( しげぬ )に」(巻六・九二六)がある。 赤人のには此歌の影響があるらしい。 「馬なめて」もよい句で、「友なめて遊ばむものを、馬なめて 往 ( ゆ )かまし里を」(巻六・九四八)という用例もある。 軍王の伝は不明であるが、或は固有名詞でなく、 大将軍 ( いくさのおおきみ )のことかも知れない(近時題詞の軍王見山を山の名だとする説がある)。 天皇の十一年十二月伊豫の 温湯 ( ゆ )の 宮 ( みや )に行幸あったから、そのついでに讃岐安益郡(今の 綾歌 ( あやうた )郡)にも立寄られたのであっただろうか。 「時じみ」は非時、不時などとも書き、時ならずという意。 「寝る夜おちず」は、寝る毎晩毎晩欠かさずにの意。 「かけて」は心にかけての意である。 一首の意は、山を越して、風が時ならず吹いて来るので、ひとり寝る毎夜毎夜、家に残っている妻を心にかけて思い慕うた、というのである。 言葉が順当に運ばれて、作歌感情の極めて素直にあらわれた歌であるが、さればといって平板に失したものでなく、 捉 ( とら )うべきところは決して 免 ( の )がしてはいない。 「山越しの風」は山を越して来る風の意だが、これなども、正岡子規が 嘗 ( かつ )て注意した如く緊密で 巧 ( たくみ )な云い方で、この句があるために、一首が具体的に 緊 ( し )まって来た。 この語には、「朝日かげにほへる山に照る月の飽かざる君を 山越 ( やまごし )に置きて」(巻四・四九五)の例が参考となる。 また、「かけて偲ぶ」という用例は、その他の歌にもあるが、心から離さずにいるという気持で、自然的に同感を伴うために他にも用例が出来たのである。 併しこの「懸く」という如き 云 ( い )い方はその時代に発達した云い方であるので、現在の私等が直ちにそれを取って歌語に用い、心の直接性を得るという 訣 ( わけ )に行かないから、私等は、語そのものよりも、その語の出来た心理を学ぶ方がいい。 なおこの歌で学ぶべきは全体としてのその古調である。 第三句の字余りなどでもその 破綻 ( はたん )を来さない微妙な点と、「風を時じみ」の如く 圧搾 ( あっさく )した云い方と、結句の「つ」止めと、そういうものが相待って 綜合 ( そうごう )的な古調を成就しているところを学ぶべきである。 第三句の字余りは、人麿の歌にも、「 幸 ( さき )くあれど」等があるが、後世の第三句の字余りとは趣がちがうので破綻 云々 ( うんぬん )と云った。 「つ」止めの参考歌には、「越の海の 手結 ( たゆひ )の浦を旅にして見ればともしみ大和しぬびつ」(巻三・三六七)等がある。 ただ 兎道 ( うじ )は山城の宇治で、大和と近江との交通路に当っていたから、行幸などの時に仮の御旅宿を宇治に設けたもうたことがあったのであろう。 その時額田王は 供奉 ( ぐぶ )し、後に当時を追懐して詠んだものと想像していい。 額田王は、額田姫王と書紀にあるのと同人だとすると、額田王は 鏡王 ( かがみのおおきみ )の女で、 鏡女王 ( かがみのおおきみ )の妹であったようだ。 初め 大海人皇子 ( おおあまのみこ )と 御婚 ( みあい )して 十市皇女 ( とおちのひめみこ )を生み、ついで天智天皇に 寵 ( ちょう )せられ近江京に行っていた。 「かりいほ」は、原文「 仮五百 ( かりいほ )」であるが真淵の 考 ( こう )では、カリホと訓んだ。 一首の意。 嘗 ( かつ )て天皇の行幸に御伴をして、山城の宇治で、秋の野のみ草( 薄 ( すすき )・ 萱 ( かや ))を刈って 葺 ( ふ )いた 行宮 ( あんぐう )に 宿 ( やど )ったときの興深かったさまがおもい出されます。 この歌は、独詠的の追懐であるか、或は対者にむかってこういうことを云ったものか不明だが、単純な独詠ではないようである。 意味の内容がただこれだけで取りたてていうべき曲が無いが、単純素朴のうちに浮んで来る写象は鮮明で、且つその声調は清潔である。 また単純な独詠歌でないと感ぜしめるその情味が、この古調の奥から伝わって来るのをおぼえるのである。 この古調は貴むべくこの作者は凡ならざる歌人であった。 歌の左注に、 山上憶良 ( やまのうえのおくら )の 類聚歌林 ( るいじゅうかりん )に、一書によれば、 戊申年 ( つちのえさるのとし )、比良宮に行幸の時の御製云々とある。 この戊申の歳を大化四年とすれば、孝徳天皇の御製ということになるが、今は額田王の歌として味うのである。 題詞等につき、万葉の編輯当時既に異伝があったこと斯くの如くである。 其時お伴をした額田王の詠んだ歌である。 熟田津という港は現在何処かというに、松山市に近い三津浜だろうという説が有力であったが、今はもっと道後温泉に近い山寄りの地(御幸寺山附近)だろうということになっている。 即ち現在はもはや海では無い。 一首の意は、伊豫の熟田津で、御船が進発しようと、月を待っていると、いよいよ月も明月となり、潮も満ちて船出するのに都合好くなった。 さあ榜ぎ出そう、というのである。 「船乗り」は此処ではフナノリという名詞に使って居り、人麿の歌にも、「船乗りすらむをとめらが」(巻一・四〇)があり、また、「播磨国より船乗して」(遣唐使時奉幣祝詞)という用例がある。 また、「月待てば」は、ただ月の出るのを待てばと解する説もあるが、此は満潮を待つのであろう。 月と潮汐とには関係があって、日本近海では大体月が東天に上るころ潮が満始るから、この歌で月を待つというのはやがて満潮を待つということになる、また書紀の、「庚戌泊 二于伊豫熟田津石湯行宮 一」とある 庚戌 ( かのえいぬ )は十四日に当る。 三津浜では現在陰暦の十四日頃は月の上る午後七、八時頃八合満となり午後九時前後に満潮となるから、此歌は 恰 ( あたか )も大潮の満潮に当ったこととなる。 すなわち当夜は月明であっただろう。 月が満月でほがらかに潮も満潮でゆたかに、一首の声調大きくゆらいで、古今に稀なる秀歌として現出した。 そして五句とも句割がなくて整調し、句と句との続けに、「に」、「と」、「ば」、「ぬ」等の助詞が極めて自然に使われているのに、「船乗 せむと」、「榜ぎ いでな」という具合に流動の節奏を以て 緊 ( し )めて、それが第二句と結句である点などをも注意すべきである。 結句は八音に字を余し、「今は」というのも、なかなか強い語である。 この結句は命令のような大きい語気であるが、 縦 ( たと )い作者は女性であっても、集団的に心が融合し、大御心をも含め奉った全体的なひびきとしてこの表現があるのである。 供奉応詔歌の真髄もおのずからここに存じていると 看 ( み )ればいい。 結句の原文は、「許芸乞菜」で、旧訓コギコナであったが、代匠記初稿本で、「こぎ出なとよむべきか」という一訓を案じ、万葉集燈でコギイデナと定めるに至った。 「乞」をイデと 訓 ( よ )む例は、「 乞我君 ( イデアギミ )」、「 乞我駒 ( イデワガコマ )」などで、元来さあさあと促がす 詞 ( ことば )であるのだが「出で」と同音だから借りたのである。 一字の訓で一首の価値に大影響を及ぼすこと斯くの如くである。 また初句の「熟田津に」の「に」は、「に 於 ( おい )て」の意味だが、 橘守部 ( たちばなのもりべ )は、「に向って」の意味に解したけれどもそれは誤であった。 斯 ( か )く一助詞の解釈の差で一首の意味が全く違ってしまうので、 訓詁 ( くんこ )の学の大切なことはこれを見ても分かる。 なお、この歌は山上憶良の類聚歌林に 拠 ( よ )ると、斉明天皇が舒明天皇の皇后であらせられた時一たび天皇と共に伊豫の湯に御いでになられ、それから斉明天皇の九年に二たび伊豫の湯に御いでになられて、往時を追懐遊ばされたとある。 そうならば此歌は斉明天皇の御製であろうかと左注で云っている。 若しそれが本当で、前に出た宇智野の歌の中皇命が斉明天皇のお若い時(舒明皇后)だとすると、この秀歌を理会するにも便利だとおもうが、此処では題どおりに額田王の歌として鑑賞したのであった。 橘守部は、「熟田津に」を「に向って」と解し、「此歌は備前の 大伯 ( オホク )より伊与の熟田津へ渡らせ給ふをりによめるにこそ」と云ったが、それは誤であった。 併し、「に」に 方嚮 ( ほうこう )(到着地)を示す用例は無いかというに、やはり用例はあるので、「 粟島 ( あはしま )に漕ぎ渡らむと思へども 明石 ( あかし )の 門浪 ( となみ )いまだ騒げり」(巻七・一二〇七)。 この歌の「に」は方嚮を示している。 原文は、「莫囂円隣之、大相七兄爪謁気、 吾瀬子之 ( ワガセコガ )、 射立為兼 ( イタタセリケム )、 五可新何本 ( イツカシガモト )」というので、上半の訓がむずかしいため、種々の訓があって一定しない。 契沖が、「此歌ノ書ヤウ難儀ニテ心得ガタシ」と歎じたほどで、此儘では訓は殆ど不可能だと 謂 ( い )っていい。 そこで評釈する時に、一首として味うことが出来ないから回避するのであるが、私は、下半の、「吾が背子がい立たせりけむ 厳橿 ( いつかし )が 本 ( もと )」に執着があるので、この歌を選んで仮りに真淵の訓に従って置いた。 下半の訓は契沖の訓(代匠記)であるが、古義では第四句を、「い立たしけむ」と六音に訓み、それに従う学者が多い。 厳橿 ( いつかし )は 厳 ( おごそ )かな橿の樹で、神のいます橿の森をいったものであろう。 その樹の下に 嘗 ( かつ )て私の恋しいお方が立っておいでになった、という追憶であろう。 或は相手に送った歌なら、「あなたが嘗てお立ちなされたとうかがいましたその橿の樹の下に居ります」という意になるだろう。 この句は厳かな気持を起させるもので、単に句として抽出するなら万葉集中第一流の句の一つと謂っていい。 書紀垂仁巻に、天皇以 二倭姫命 一為 二御杖 一貢 二奉於天照大神 一是以倭姫命以 二天照大神 ヲ 一鎮 二坐磯城 ノ厳橿之本 一とあり、古事記雄略巻に、 美母呂能 ( ミモロノ )、 伊都加斯賀母登 ( イツカシガモト )、 加斯賀母登 ( カシガモト )、 由由斯伎加母 ( ユユシキカモ )、 加志波良袁登売 ( カシハラヲトメ )、云々とある如く、神聖なる場面と関聯し、 橿原 ( かしはら )の 畝火 ( うねび )の山というように、橿の木がそのあたり一帯に茂っていたものと見て、そういうことを種々念中に持ってこの句を味うこととしていた。 考頭注に、「このかしは神の坐所の 斎木 ( ゆき )なれば」云々。 古義に、「清浄なる橿といふ義なるべければ」云々の如くであるが、私は、大体を想像して味うにとどめている。 さて、上の句の訓はいろいろあるが、皆あまりむずかしくて私の心に遠いので、差向き真淵訓に従った。 真淵は、「円(圓)」を「国(國)」だとし、 古兄 湯気 ( コエテユケ )だとした。 考に云、「こはまづ神武天皇紀に 依 ( よる )に、今の大和国を内つ国といひつ。 さて其内つ国を、こゝに 囂 ( サヤギ )なき国と書たり。 同紀に、 雖辺土未清余妖尚梗而 ( トツクニハナホサヤゲリトイヘドモ )、 中洲之地無風塵 ( ウチツクニハヤスラケシ )てふと同意なるにて 知 ( しり )ぬ。 かくてその隣とは、此度は紀伊国を 差 ( さす )也。 然れば莫囂国隣之の五字は、 紀乃久爾乃 ( キノクニノ )と 訓 ( よむ )べし。 又右の紀に、辺土と中州を 対 ( むかへ ) 云 ( いひ )しに依ては、此五字を 外 ( ト )つ国のとも訓べし。 然れども云々の隣と書しからは、遠き国は本よりいはず、近きをいふなる中に、一国をさゝでは 此哥 ( このうた )にかなはず、次下に、三輪山の事を綜麻形と書なせし事など相似たるに依ても、 猶 ( なほ )上の訓を取るべし」とあり、なお真淵は、「こは 荷田大人 ( かだのうし )のひめ 哥 ( うた )也。 さて此哥の初句と、斉明天皇紀の 童謡 ( ワザウタ )とをば、はやき世よりよく 訓 ( ヨム )人なければとて、彼童謡をば己に、此哥をばそのいろと荷田 ノ 信名 ( のぶな ) ノ 宿禰 ( すくね )に伝へられき。 其後多く年経て此訓をなして、山城の稲荷山の荷田の家に 問 ( とふ )に、全く古大人の訓に 均 ( ひと )しといひおこせたり。 然れば惜むべきを、ひめ隠しおかば、荷田大人の功も 徒 ( いたづら )に 成 ( なり )なんと、我友皆いへればしるしつ」という感慨を漏らしている。 書紀垂仁天皇巻に、伊勢のことを、「 傍国 ( かたくに )の 可怜国 ( うましくに )なり」と云った如くに、大和に隣った国だから、紀の国を考えたのであっただろうか。 古義では、「 三室 ( みもろ )の 大相土見乍湯家 ( ヤマミツツユケ )吾が背子がい立たしけむ厳橿が 本 ( もと )」と訓み、奠器 円 レ隣 ( メグラス )でミモロと訓み、神祇を安置し奉る室の義とし、古事記の 美母呂能伊都加斯賀母登 ( ミモロノイツカシガモト )を参考とした。 そして真淵説を、「紀 ノ国の山を超て 何処 ( イヅク )に行とすべけむや、 無用説 ( イタヅラゴト )といふべし」と評したが、 併 ( しか )しこの古義の言は、「紀の山をこえていづくにゆくにや」と荒木田 久老 ( ひさおい )が 信濃漫録 ( しなのまんろく )で云ったその模倣である。 真淵訓の「紀の国の山越えてゆけ」は、調子の弱いのは残念である。 この訓は何処か 弛 ( たる )んでいるから、調子の上からは古義の訓の方が緊張している。 「吾が背子」は、或は 大海人皇子 ( おおあまのみこ )(考・古義)で、京都に留まって居られたのかと解している。 そして真淵訓に仮りに従うとすると、「紀の国の山を越えつつ行けば」の意となる。 紀の国の山を越えて旅して行きますと、あなたが嘗てお立ちになったと聞いた神の森のところを、わたくしも丁度通過して、なつかしくおもうております、というぐらいの意になる。 中皇命は前言した如く不明だし、前の中皇命と同じ方かどうかも分からない。 天智天皇の皇后倭姫命だろうという説(喜田博士)もあるが未定である。 若し同じおん方だろうとすると、皇極天皇(斉明天皇)に当らせ給うことになるから、この歌は 後崗本宮 ( のちのおかもとのみや )御宇天皇(斉明)の処に配列せられているけれども、或は天皇がもっとお若くましました頃の御歌ででもあろうか。 一首の意は、あなたが今旅のやどりに仮小舎をお作りになっていらっしゃいますが、若し屋根葺く 萱草 ( かや )が御不足なら、 彼処 ( あそこ )の小松の下の萱草をお刈りなさいませ、というのである。 中皇命は不明だが、歌はうら若い高貴の女性の御語気のようで、その単純素朴のうちにいいがたい香気のするものである。 こういう語気は万葉集でも後期の歌にはもはや感ずることの出来ないものである。 「わが背子は」というのは客観的のいい方だが、実は、「あなたが」というので、当時にあってはこういう云い方には深い情味をこもらせ得たものであっただろう。 そのほか 穿鑿 ( せんさく )すればいろいろあって、例えばこの歌には加行の音が多い、そしてカの音を繰返した調子であるというような事であるが、それは幾度も吟誦すれば自然に分かることだから今はこまかい 詮議立 ( せんぎだて )は 罷 ( や )めることにする。 契沖は、「我が背子」を「御供ノ人ヲサシ給ヘリ」といったが、やはりそうでなく御一人をお 指 ( さ )し申したのであろう。 また、この歌に「小松にあやかりて、ともにおひさきも久しからむと、これ又長寿をねがふうへにのみして詞をつけさせ給へるなり」(燈)という如き底意があると説く説もあるが、これも現代人の作歌稽古のための鑑賞ならば、この儘で素直に 受納 ( うけい )れる方がいいようにおもう。 野島は紀伊の日高郡日高川の下流に名田村大字野島があり、阿胡根の浦はその海岸である。 珠 ( たま )は美しい貝又は小石。 中には真珠も含んで居る。 「紀のくにの浜に寄るとふ、 鰒珠 ( あはびだま )ひりはむといひて」(巻十三・三三一八)は真珠である。 一首の意は、わたくしの 希 ( ねが )っていた野島の海浜の景色はもう見せていただきました。 けれど、底の深い阿胡根浦の珠はいまだ拾いませぬ、というので、うちに 此処 ( ここ )深海の真珠が欲しいものでございますという意も含まっている。 「野島は見せつ」は自分が人に見せたように聞こえるが、此処は見せて頂いたの意で、散文なら、「君が吾に野島をば見せつ」という具合になる。 この歌も若い女性の 口吻 ( こうふん )で、純真澄み透るほどな快いひびきを持っている。 そして一首は常識的な平板に陥らず、末世人が舌不足と難ずる如き渋みと厚みとがあって、軽薄ならざるところに古調の尊さが存じている。 これがあえて此種の韻文のみでなく、普通の談話にもこういう尊い香気があったものであろうか。 この歌の稍主観的な語は、「わが欲りし」と、「底ふかき」とであって、知らず 識 ( し )らずあい対しているのだが、それが毫も目立っていない。 高市黒人 ( たけちのくろひと )の歌に、「吾妹子に 猪名野 ( ゐなぬ )は見せつ 名次山 ( なすぎやま ) 角 ( つぬ )の松原いつか示さむ」(巻三・二七九)があり、この歌より明快だが、却って通俗になって軽くひびく。 この場合の「見せつ」は、「吾妹子に猪名野をば見せつ」だから、普通のいい方で分かりよいが含蓄が無くなっている。 現に中皇命の御歌も、或本には、「わが欲りし子島は見しを」となっている。 これならば意味は分かりよいが、歌の味いは減るのである。 第一首の、「君が代も我が代も知らむ(知れや) 磐代 ( いはしろ )の岡の 草根 ( くさね )をいざ結びてな」(巻一・一〇)も、生えておる草を結んで寿を祝う歌で、「代」は「いのち」即ち寿命のことである。 まことに佳作だから一しょにして味うべきである。 以上の三首を憶良の類聚歌林には、「天皇御製歌」とあるから、皇極(斉明)天皇と想像し奉り、その中皇命時代の御作とでも想像し奉るか。 長歌は、「 香具山 ( かぐやま )は 畝傍 ( うねび )を 愛 ( を )しと、 耳成 ( みみなし )と相争ひき、神代より斯くなるらし、 古 ( いにしへ )も 然 ( しか )なれこそ、 現身 ( うつそみ )も妻を、争ふらしき」というのであるが、反歌の方は、この三山が相争った時、出雲の 阿菩大神 ( あほのおおかみ )がそれを 諫止 ( かんし )しようとして出立し、 播磨 ( はりま )まで来られた 頃 ( ころ )に三山の争闘が止んだと聞いて、大和迄行くことをやめたという播磨 風土記 ( ふどき )にある伝説を取入れて作っている。 風土記には 揖保 ( いぼ )郡の処に記載されてあるが印南の方にも同様の伝説があったものらしい。 「会ひし時」は「相戦った時」、「相争った時」という意味である。 書紀神功皇后巻に、「いざ会はなわれは」とあるは相闘う意。 毛詩に、「肆伐 二大商 一会朝清明」とあり、「会える朝」は即ち会戦の旦也と注せられた。 共に同じ用法である。 この歌の「立ちて見に来し」の主格は、それだから阿菩大神になるのだが、それが一首のうえにはあらわれていない。 そこで一読しただけでは、印南国原が立って見に来たように受取れるのであるが、結句の「印南国原」は場処を示すので、大神の来られたのは、此処の印南国原であった、という意味になる。 一首に主格も省略し、結句に、「印南国原」とだけ云って、その結句に助詞も助動詞も無いものだが、それだけ散文的な通俗を脱却して、 蒼古 ( そうこ )とも 謂 ( い )うべき形態と響きとを持っているものである。 長歌が蒼古 峻厳 ( しゅんげん )の特色を持っているが、この反歌もそれに優るとも劣ってはいない。 この一首の単純にしてきびしい形態とその響とは、恐らくは婦女子等の鑑賞に堪えざるものであろう。 一首の中に三つも固有名詞が入っていて、毫も不安をおぼえしめないのは衷心驚くべきである。 後代にしてかかるところを 稍 ( やや )悟入し得たものは歌人として平賀元義ぐらいであっただろう。 「中大兄」は、考ナカツオホエ、古義ナカチオホエ、と訓んでいる。 併し三山の歌とせずに、同一作者が印南野海浜あたりで御作りになった叙景の歌と 看做 ( みな )せば解釈が出来るのである。 今、浜べに立って見わたすに、 海上 ( かいじょう )に大きい旗のような雲があって、それに赤く 夕日 ( ゆうひ )の光が差している。 この様子では、多分 今夜 ( こんや )の月は 明月 ( めいげつ )だろう。 結句の原文、「清明己曾」は旧訓スミアカクコソであったのを、真淵がアキラケクコソと訓んだ。 そうすれば、アキラケクコソアラメという推量になるのである。 山田博士の講義に、「下にアラメといふべきを略せるなり。 かく係助詞にて止め、下を略するは一種の語格なり」と云ってある。 「豊旗雲」は、「 豊雲野神 ( とよくもぬのかみ )」、「 豊葦原 ( とよあしはら )」、「 豊秋津州 ( とよあきつしま )」、「 豊御酒 ( とよみき )」、「 豊祝 ( とよほぎ )」などと同じく「豊」に特色があり、古代日本語の優秀を示している一つである。 以上のように解してこの歌を味えば、荘麗ともいうべき大きい自然と、それに参入した作者の 気魄 ( きはく )と相融合して読者に迫って来るのであるが、如是荘大雄厳の歌詞というものは、遂に後代には跡を断った。 万葉を崇拝して万葉調の歌を作ったものにも絶えて此歌に及ぶものがなかった。 その何故であるかを吾等は一たび 省 ( かえりみ )ねばならない。 後代の歌人等は、 渾身 ( こんしん )を以て自然に参入してその写生をするだけの意力に乏しかったためで、この実質と単純化とが遂に後代の歌には見られなかったのである。 第三句の、「入日さし」と中止法にしたところに、小休止があり、不即不離に第四句に続いているところに歌柄の大きさを感ぜしめる。 結句の推量も、赤い夕雲の光景から月明を直覚した、素朴で人間的直接性を 有 ( も )っている。 (願望とする説は、心が 稍 ( やや )間接となり、技巧的となる。 ) 「清明」を真淵に従ってアキラケクと訓んだが、これには諸訓があって未だ一定していない。 旧訓スミアカクコソで、此は随分長く行われた。 然るに真淵は考でアキラケクコソと訓み、「今本、清明の字を追て、すみあかくと訓しは、万葉をよむ事を得ざるものぞ、紀にも、清白心をあきらけきこゝろと訓し也」と云った。 古義では、「アキラケクといふは古言にあらず」として、キヨクテリコソと訓み、明は照の誤写だろうとした。 なおその他の訓を記せば次のごとくである。 スミアカリコソ(京大本)。 サヤケシトコソ(春満)。 サヤケクモコソ(秋成)。 マサヤケクコソ(古泉千樫)。 サヤニテリコソ(佐佐木信綱)。 キヨクアカリコソ(武田祐吉・佐佐木信綱)。 マサヤケミコソ(品田太吉)。 サヤケカリコソ(三矢重松・斎藤茂吉・森本治吉)。 キヨラケクコソ(松岡静雄・折口信夫)。 マサヤカニコソ(沢瀉久孝)等の諸訓がある。 けれども、今のところ皆真淵訓には及び難い感がして居るので、自分も真淵訓に従った。 真淵のアキラケクコソの訓は、古事記伝・略解・燈・檜嬬手・攷證・美夫君志・ 註疏 ( ちゅうそ )・新考・講義・新講等皆それに従っている。 ただ、燈・美夫君志等は意味を違えて取った。 さて、結句の「清明己曾」をアキラケクコソと訓んだが、これに異論を唱える人は、万葉時代には月光の形容にキヨシ、サヤケシが用いられ、アカシ、アキラカ、アキラケシの類は絶対に使わぬというのである。 成程万葉集の用例を見れば大体そうである。 けれども「絶対に」使わぬなどとは 云 ( い )われない。 「 日月波 ( ヒツキハ )、 安可之等伊倍騰 ( アカシトイヘド )、 安我多米波 ( アガタメハ )、 照哉多麻波奴 ( テリヤタマハヌ )」(巻五・八九二)という憶良の歌は、明瞭に日月の光の形容にアカシを使っているし、「 月読明少夜者更下乍 ( ツクヨミノアカリスクナキヨハフケニツツ )」(巻七・一〇七五)でも月光の形容にアカリを使っているのである。 平安朝になってからは、「 秋の夜の月の光しあかければくらぶの山もこえぬべらなり」(古今・秋上)、「桂川 月のあかきにぞ渡る」(士佐日記)等をはじめ用例は多い。 併し万葉時代と平安朝時代との言語の移行は暫時的・流動的なものだから、突如として変化するものでないことは、この実例を以ても証明することが出来たのである。 約 ( つづ ) めていえば、 万葉時代に月光の形容にアカシを用いた。 次に、「 安我己許呂安可志能宇良爾 ( アガココロアカシノウラニ )」(巻十五・三六二七)、「 吾情清隅之池之 ( アガココロキヨスミノイケノ )」(巻十三・三二八九)、「 加久佐波奴安加吉許己呂乎 ( カクサハヌアカキココロヲ )」(巻二十 四四六五)、「 汝心之清明 ( ミマシガココロノアカキコトハ )」、「 我心清明故 ( アガココロアカキユヱニ )」(古事記・上巻)、「有 リ 二 清心 ( キヨキココロ ) 一」(書紀神代巻)、「 浄伎明心乎持弖 ( キヨキアカキココロヲモチテ )」(続紀・巻十)等の例を見れば、心あかし、心きよし、あかき心、きよき心は、共通して用いられたことが分かるし、なお、「敷島のやまとの国に 安伎良気伎 ( アキラケキ )名に負ふとものを心つとめよ」(巻二十・四四六六)、「つるぎ大刀いよよ研ぐべし古へゆ 佐夜気久於比弖 ( サヤケクオヒテ )来にしその名ぞ」(同・四四六七)の二首は、大伴家持の連作で、二つとも「名」を 咏 ( よ )んでいるのだが、アキラケキとサヤケキとの流用を証明しているのである。 そして、「春日山押して照らせる此月は妹が庭にも 清有家里 ( サヤケカリケリ )」(巻七・一〇七四)は、月光にサヤケシを用いた例であるから、以上を 綜合 ( そうごう )して 観 ( み )るに、アキラケシ、サヤケシ、アカシ、キヨシ、などの形容詞は互に共通して用いられ、互に流用せられたことが分かる。 新撰字鏡 ( しんせんじきょう )に、明。 阿加之 ( アカシ )、 佐也加爾在 ( サヤカニアリ )、 佐也介之 ( サヤケシ )、 明介志 ( アキラケシ )( 阿支良介之 ( アキラケシ ))等とあり、 類聚名義抄 ( るいじゅうみょうぎしょう )に、明 可在月 アキラカナリ、ヒカル等とあるのを見ても、サヤケシ、アキラケシの流用を認め得るのである。 結論、 万葉時代に月光の形容にアキラケシと使ったと認めて差支ない。 次に、結句の「己曾」であるが、これも万葉集では、結びにコソと使って、コソアラメと云った例は絶対に無いという反対説があるのだが、平安朝になると、形容詞からコソにつづけてアラメを省略した例は、「心美しきこそ」、「いと苦しくこそ」、「いとほしうこそ」、「片腹いたくこそ」等をはじめ用例が多いから、それがもっと時代が 溯 ( さかのぼ )っても、日本語として、絶対に使わなかったとは謂えぬのである。 特に感動の強い時、形式の制約ある時などにこの用法が行われたと解釈すべきである。 なお、 安伎良気伎 ( アキラケキ )、 明久 ( アキラケク )、 左夜気伎 ( サヤケキ )、 左夜気久 ( サヤケク )は 謂 ( いわ )ゆる乙類の仮名で、形容詞として活用しているのである。 結論、 アキラケク・ コソという用法は、 アキラケク・ コソ・ アラメという用法に等しいと解釈して差支ない。 (本書は簡約を目的としたから大体の論にとどめた。 別論がある。 ) 以上で、大体解釈が終ったが、この歌には異った解釈即ち、今は曇っているが、今夜は月明になって欲しいものだと解釈する説(燈・古義・美夫君志等)、或は、第三句までは現実だが、下の句は願望で、月明であって欲しいという説(選釈・新解等)があるのである。 而して、「今夜の月さやかにあれかしと 希望 ( ネガヒ )給ふなり」(古義)というのは、キヨクテリコソと訓んで、連用言から続いたコソの終助詞即ち、希望のコソとしたから自然この解釈となったのである。 結句を推量とするか、希望とするか、鑑賞者はこの二つの説を 受納 ( うけい )れて、相比較しつつ味うことも 亦 ( また )可能である。 そしていずれが歌として優るかを判断すべきである。 併し、「額田王下 二近江 一時作歌、井戸王即和歌」という題詞があるので、額田王作として解することにする。 「 味酒 ( うまざけ )三輪の山、 青丹 ( あをに )よし奈良の山の、山のまにい隠るまで、道の 隈 ( くま )い 積 ( つも )るまでに、 委 ( つばら )にも見つつ行かむを、しばしばも 見放 ( みさ )けむ山を、心なく雲の、 隠 ( かく )さふべしや」という長歌の反歌である。 「しかも」は、そのように、そんなにの意。 一首の意は、三輪山をばもっと見たいのだが、雲が隠してしまった。 そんなにも隠すのか、 縦 ( たと )い雲でも 情 ( なさけ )があってくれよ。 こんなに隠すという法がないではないか、というのである。 「あらなむ」は 将然言 ( しょうぜんげん )につく願望のナムであるが、山田博士は原文の「南畝」をナモと訓み、「 情 ( こころ )アラナモ」とした。 これは古形で同じ意味になるが、類聚古集に「南武」とあるので、 暫 ( しばら )く「情アラナム」に従って置いた。 その方が、結句の響に調和するとおもったからである。 結句の「隠さふべしや」の「や」は強い反語で、「隠すべきであるか、決して隠すべきでは無い」ということになる。 長歌の結末にもある句だが、それを短歌の結句にも繰返して居り、情感がこの結句に集注しているのである。 この作者が抒情詩人として優れている点がこの一句にもあらわれており、天然の現象に、 恰 ( あたか )も生きた人間にむかって物言うごとき態度に出て、 毫 ( ごう )も 厭味 ( いやみ )を感じないのは、直接であからさまで、擬人などという意図を余り意識しないからである。 これを 試 ( こころみ )に、 在原業平 ( ありわらのなりひら )の、「飽かなくにまだきも月の隠るるか山の 端 ( は )逃げて入れずもあらなむ」(古今・雑上)などと比較するに及んで、更にその特色が 瞭然 ( りょうぜん )として来るのである。 カクサフはカクスをハ行四段に活用せしめたもので、時間的経過をあらわすこと、チル、チラフと同じい。 「奥つ藻を 隠さふなみの五百重浪」(巻十一・二四三七)、「 隠さはぬあかき心を、 皇方 ( すめらべ )に極めつくして」(巻二十・四四六五)の例がある。 なおベシヤの例は、「大和恋ひいの寝らえぬに 情 ( こころ )なくこの 渚 ( す )の埼に 鶴 ( たづ )鳴くべしや」(巻一・七一)、「出でて行かむ時しはあらむを 故 ( ことさ )らに妻恋しつつ立ちて行くべしや」(巻四・五八五)、「 海 ( うみ )つ 路 ( ぢ )の 和 ( な )ぎなむ時も渡らなむかく立つ浪に船出すべしや」(巻九・一七八一)、「たらちねの母に 障 ( さは )らばいたづらに 汝 ( いまし )も吾も事成るべしや」(巻十一・二五一七)等である。 その時、額田王が皇太子にさしあげた歌である。 額田王ははじめ大海人皇子に 婚 ( みあ )い 十市皇女 ( とおちのひめみこ )を生んだが、後天智天皇に召されて宮中に侍していた。 この歌は、そういう関係にある時のものである。 「あかねさす」は紫の枕詞。 「紫野」は染色の原料として 紫草 ( むらさき )を栽培している野。 「標野」は御料地として 濫 ( みだ )りに人の出入を禁じた野で即ち蒲生野を指す。 「野守」はその御料地の 守部 ( もりべ )即ち番人である。 一首の意は、お慕わしいあなたが紫草の群生する蒲生のこの御料地をあちこちとお歩きになって、私に御袖を振り遊ばすのを、野の番人から見られはしないでしょうか。 それが不安心でございます、というのである。 この「野守」に就き、或は天智天皇を申し奉るといい、或は諸臣のことだといい、皇太子の御思い人だといい、種々の取沙汰があるが、其等のことは奥に潜めて、野守は野守として大体を味う方が好い。 また、「野守は見ずや君が袖ふる」をば、「立派なあなた(皇太子)の御姿を野守等よ見ないか」とうながすように解する説もある。 「袖ふるとは、男にまれ女にまれ、立ありくにも道など行くにも、そのすがたの、なよ/\とをかしげなるをいふ」(攷證)。 「わが愛する皇太子がかの野をか行きかく行き袖ふりたまふ姿をば人々は見ずや。 われは見るからにゑましきにとなり」(講義)等である。 併し、袖振るとは、「わが振る袖を妹見つらむか」(人麿)というのでも分かるように、ただの客観的な姿ではなく、恋愛心表出のための一つの行為と解すべきである。 この歌は、額田王が皇太子大海人皇子にむかい、対詠的にいっているので、濃やかな情緒に伴う、甘美な 媚態 ( びたい )をも感じ得るのである。 「野守は見ずや」と強く云ったのは、一般的に云って居るようで、 寧 ( むし )ろ皇太子に 愬 ( うった )えているのだと解して好い。 そういう強い句であるから、その句を先きに云って、「君が袖振る」の方を後に置いた。 併しその倒句は単にそれのみではなく、結句としての声調に、「袖振る」と止めた方が適切であり、また女性の語気としてもその方に直接性があるとおもうほど微妙にあらわれて居るからである。 甘美な媚態云々というのには、「紫野ゆき標野ゆき」と 対手 ( あいて )の行動をこまかく云い現して、語を繰返しているところにもあらわれている。 一首は平板に直線的でなく、立体的波動的であるがために、重厚な奥深い響を持つようになった。 先進の注釈書中、この歌に、大海人皇子に他に恋人があるので 嫉 ( ねた )ましいと解したり(燈・美夫君志)、或は、戯れに 諭 ( さと )すような分子があると説いたのがあるのは(考)、一首の甘美な 愬 ( うった )えに触れたためであろう。 「袖振る」という行為の例は、「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」(巻二・一三二)、「 凡 ( おほ )ならばかもかも 為 ( せ )むを 恐 ( かしこ )みと振りたき袖を 忍 ( しぬ )びてあるかも」(巻六・九六五)、「高山の 岑 ( みね )行く 鹿 ( しし )の友を多み袖振らず来つ忘ると念ふな」(巻十一・二四九三)などである。 一首の意は、紫の色の美しく 匂 ( にお )うように美しい 妹 ( いも )(おまえ)が、若しも憎いのなら、もはや他人の妻であるおまえに、かほどまでに恋する 筈 ( はず )はないではないか。 そういうあぶないことをするのも、おまえが可哀いからである、というのである。 この「人妻ゆゑに」の「ゆゑに」は「人妻だからと 云 ( い )って」というのでなく、「人妻に 由 ( よ )って恋う」と、「恋う」の原因をあらわすのである。 「人妻ゆゑにわれ恋ひにけり」、「ものもひ 痩 ( や )せぬ人の子ゆゑに」、「わがゆゑにいたくなわびそ」等、これらの例万葉に 甚 ( はなは )だ多い。 恋人を花に 譬 ( たと )えたのは、「つつじ花にほえ少女、桜花さかえをとめ」(巻十三・三三〇九)等がある。 この御歌の方が、額田王の歌に比して、直接で且つ強い。 これはやがて女性と男性との感情表出の差別ということにもなるとおもうが、恋人をば、高貴で鮮麗な紫の色にたぐえたりしながら、 然 ( し )かもこれだけの複雑な御心持を、直接に力づよく表わし得たのは驚くべきである。 そしてその根本は心の集注と純粋ということに帰着するであろうか。 自分はこれを万葉集中の傑作の一つに評価している。 集中、「憎し」という語のあるものは、「憎くもあらめ」の例があり、「 憎 ( にく )くあらなくに」、「 憎 ( にく )からなくに」の例もある。 この歌に、「憎」の語と、「恋」の語と二つ入っているのも顧慮してよく、毫も調和を破っていないのは、憎い(嫌い)ということと、恋うということが調和を破っていないがためである。 この贈答歌はどういう形式でなされたものか不明であるが、恋愛贈答歌には 縦 ( たと )い切実なものでも、底に甘美なものを蔵している。 ゆとりの遊びを蔵しているのは止むことを得ない。 なお、巻十二(二九〇九)に、「おほろかに吾し思はば人妻にありちふ妹に恋ひつつあらめや」という歌があって類似の歌として味うことが出来る。 波多 ( はた )の地は 詳 ( つまびらか )でないが、伊勢 壱志 ( いちし )郡八太村の辺だろうと云われている。 一首の意は、この河の 辺 ( ほとり )の多くの巌には少しも草の生えることがなく、 綺麗 ( きれい )で 滑 ( なめら )かである。 そのようにわが皇女の君も永久に美しく容色のお変りにならないでおいでになることをお願いいたします、というのである。 「常少女」という語も、古代日本語の特色をあらわし、まことに感歎せねばならぬものである。 今ならば、「永遠処女」などというところだが、到底この古語には及ばない。 作者は恐らく老女であろうが、皇女に対する敬愛の情がただ純粋にこの一首にあらわれて、単純古調のこの一首を吟誦すれば寧ろ荘厳の気に打たれるほどである。 古調という中には、一つ一つの語にいい知れぬ味いがあって、後代の吾等は潜心その吟味に努めねばならぬもののみであるが、第三句の「草むさず」から第四句への 聯絡 ( れんらく )の具合、それから第四句で切って、結句を「にて」にて止めたあたり、皆繰返して読味うべきもののみである。 この歌の結句と、「野守は見ずや君が袖ふる」などと比較することもまた 極 ( きわ )めて有益である。 「常」のついた例には、「相見れば 常初花 ( とこはつはな )に、 情 ( こころ )ぐし眼ぐしもなしに」(巻十七・三九七八)、「その立山に、 常夏 ( とこなつ )に雪ふりしきて」(同・四〇〇〇)、「 白砥 ( しらと ) 掘 ( ほ )ふ 小新田 ( をにひた )山の 守 ( も )る山の 末 ( うら )枯れ 為無 ( せな )な 常葉 ( とこは )にもがも」(巻十四・三四三六)等がある。 十市皇女は大友皇子(弘文天皇)御妃として 葛野王 ( かどののおおきみ )を生んだが、 壬申乱 ( じんしんのらん )後大和に帰って居られた。 皇女は天武天皇七年夏四月天皇伊勢斎宮に行幸せられんとした最中に卒然として薨ぜられたから、この歌はそれより前で、恐らく、四年春二月参宮の時でもあろうか。 さびしい境遇に居られた皇女だから、老女が作ったこの祝福の歌もさびしい心を背景としたものとおもわねばならぬ。 「海人なれや」は疑問で、「海人だからであろうか」という意になる。 この歌はそれに感傷して 和 ( こた )えられた歌である。 自分は命を愛惜してこのように海浪に濡れつつ 伊良虞 ( いらご )島の玉藻を苅って食べている、というのである。 流人でも高貴の方だから実際海人のような業をせられなくとも、前の歌に「玉藻苅ります」といったから、「玉藻苅り食す」と云われたのである。 なお結句を古義ではタマモカリハムと訓み、新考(井上)もそれに従った。 この一首はあわれ深いひびきを持ち、特に、「うつせみの命ををしみ」の句に感慨の主点がある。 万葉の歌には、「わたつみの豊旗雲に」の如き歌もあるが、またこういう切実な感傷の歌もある。 悲しい声であるから、堂々とせずにヲシミ・ナミニヌレのあたりは、稍小きざみになっている。 「いのち」のある例は、「たまきはる命惜しけど、せむ 術 ( すべ )もなし」(巻五・八〇四)、「たまきはる命惜しけど、為むすべのたどきを知らに」(巻十七・三九六二)等である。 麻続王が 配流 ( はいる )されたという記録は、書紀には 因幡 ( いなば )とあり、常陸風土記には 行方郡板来 ( なめかたのこおりいたく )村としてあり、この歌によれば伊勢だから、配流地はまちまちである。 常陸の方は伝説化したものらしく、因幡・伊勢は配流の場処が途中変ったのだろうという説がある。 そうすれば説明が出来るが、万葉の歌の方は伊勢として味ってかまわない。 藤原宮は持統天皇の四年に高市皇子御視察、十二月天皇御視察、六年五月から造営をはじめ八年十二月に完成したから、恐らくは八年以後の御製で、宮殿から眺めたもうた光景ではなかろうかと拝察せられる。 一首の意は、春が過ぎて、もう夏が来たと見える。 天の香具山の辺には今日は一ぱい白い衣を干している、というのである。 「らし」というのは、推量だが、実際を目前にしつついう推量である。 「 来 ( きた )る」は 良 ( ら )行四段の動詞である。 「み冬つき春は 吉多礼登 ( キタレド )」(巻十七・三九〇一)「冬すぎて 暖来良思 ( ハルキタルラシ )」(巻十・一八四四)等の例がある。 この歌は、全体の声調は端厳とも謂うべきもので、第二句で、「来る らし」と切り、第四句で、「衣ほし たり」と切って、「らし」と「たり」で伊列の音を繰返し一種の節奏を得ているが、人麿の歌調のように鋭くゆらぐというのではなく、やはり女性にまします御語気と感得することが出来るのである。 そして、結句で「天の香具山」と名詞止めにしたのも一首を整正端厳にした。 天皇の御代には人麿・黒人をはじめ優れた歌人を出したが、天皇に此御製あるを拝誦すれば、決して偶然でないことが分かる。 この歌は、第二句ナツキニケラシ(旧訓)、古写本中ナツゾキヌラシ(元暦校本・類聚古集)であったのを、契沖がナツキタルラシと訓んだ。 第四句コロモサラセリ(旧訓)、古写本中、コロモホシタリ( 古葉略類聚抄 ( こようりゃくるいじゅうしょう ))、コロモホシタル(神田本)、コロモホステフ(細井本)等の訓があり、また、新古今集や小倉百人一首には、「春過ぎて夏来に けらし白妙の衣ほ すてふあまの香具山」として載っているが、これだけの僅かな差別で一首全体に大きい差別を来すことを知らねばならぬ。 現在鴨公村高殿の土壇に立って香具山の方を見渡すと、この御製の如何に実地的即ち写生的だかということが分かる。 真淵の万葉考に、「夏のはじめつ 比 ( ころ )、天皇 埴安 ( はにやす )の堤の上などに 幸 ( いでま )し給ふ時、かの家らに衣を 懸 ( かけ )ほして 有 ( ある )を見まして、実に夏の来たるらし、衣をほしたりと、見ますまに/\のたまへる御歌也。 夏は物打しめれば、万づの物ほすは常の事也。 さては余りに事かろしと思ふ後世心より、附そへごと多かれど皆わろし。 古への歌は言には風流なるも多かれど、心はただ打見打思ふがまゝにこそよめれ」と云ってあるのは名言だから引用しておく。 なお、埴安の池は、現在よりももっと西北で、別所の北に池尻という小字があるがあのあたりだかも知れない。 なお、橋本 直香 ( ただか )(私抄)は、香具山に登り給うての御歌と想像したが、併し御製は前言の如く、宮殿にての御吟詠であろう。 土屋文明氏は 明日香 ( あすか )の 浄御原 ( きよみはら )の宮から山の 陽 ( みなみ )の村里を御覧になられての御製と解した。 参考歌。 「ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春たつらしも」(巻十・一八一二)、「いにしへの事は知らぬを我見ても久しくなりぬ天の香具山」(巻七・一〇九六)、「昨日こそ年は 極 ( は )てしか春霞春日の山にはや立ちにけり」(巻十・一八四三)、「筑波根に雪かも降らる否をかも 愛 ( かな )しき児ろが 布 ( にぬ )ほさるかも」(巻十四・三三五一)。 僻案抄 ( へきあんしょう )に、「只白衣を干したるを見そなはし給ひて詠給へる御歌と見るより外有べからず」といったのは素直な解釈であり、燈に、「春はと人のたのめ奉れる事ありしか。 又春のうちにと人に御ことよさし給ひし事のありけるが、それが 期 ( とき )を過ぎたりければ、その人をそゝのかし、その期おくれたるを 怨 ( うら )ませ給ふ御心なるべし」と云ったのは、 穿 ( うが )ち過ぎた解釈で甚だ悪いものである。 こういう態度で古歌に対するならば、一首といえども正しい鑑賞は出来ない。 大津宮(志賀宮)の址は、現在の大津市南滋賀町あたりだろうという説が有力で、近江の都の範囲は、其処から南へも延び、西は比叡山麓、東は湖畔 迄 ( まで )至っていたもののようである。 此歌は持統三年頃、人麿二十七歳ぐらいの作と想像している。 「ささなみ」(楽浪)は近江滋賀郡から高島郡にかけ湖西一帯の地をひろく称した地名であるが、この頃には既に形式化せられている。 一首は、 楽浪 ( ささなみ )の志賀の辛崎は元の如く何の 変 ( かわり )はないが、大宮所も荒れ果てたし、むかし船遊をした大宮人も居なくなった。 それゆえ、志賀の辛崎が、大宮人の船を幾ら待っていても待ち 甲斐 ( がい )が無い、というのである。 「 幸 ( さき )くあれど」は、平安無事で何の変はないけれどということだが、非情の辛崎をば、幾らか人間的に云ったものである。 「船待ちかねつ」は、幾ら待っていても駄目だというのだから、これも人間的に云っている。 歌調からいえば、第三句は字余りで、結句は四三調に 緊 ( し )まっている。 全体が切実沈痛で、一点浮華の気をとどめて居らぬ。 現代の吾等は、擬人法らしい表現に、 陳腐 ( ちんぷ )を感じたり、反感を持ったりすることを止めて、一首全体の態度なり 気魄 ( きはく )なりに同化せんことを努むべきである。 作は人麿としては初期のものらしいが、既にかくの如く円熟して居る。 大津の京に関係あった湖水の一部の、大曲の水が現在、人待ち顔に淀んでいる趣である。 然るに、「オホワダ」をば 大海 ( おおわだ )即ち近江の湖水全体と解し、湖の水が 勢多 ( せた )から宇治に流れているのを、それが停滞して流れなくなるとも、というのが、即ち「ヨドムトモ」であると仮定的に解釈する説(燈)があるが、それは通俗 理窟 ( りくつ )で、人麿の歌にはそういう通俗理窟で解けない歌句が間々あることを知らねばならぬ。 ここの「淀むとも」には現在の実感がもっと 活 ( い )きているのである。 この歌も感慨を籠めたもので、寧ろ主観的な歌である。 前の歌の第三句に、「幸くあれど」とあったごとく、この歌の第三句にも、「淀むとも」とある、そこに感慨が籠められ、小休止があるようになるのだが、こういう云い方には、ややともすると一首を弱くする危険が潜むものである。 然るに人麿の歌は前の歌もこの歌も、「船待ちかねつ」、「またも逢はめやも」と強く結んで、全体を統一しているのは実に驚くべきで、この力量は人麿の作歌の 真率 ( しんそつ )的な態度に本づくものと自分は解して居る。 人麿は初期から 斯 ( こ )ういう優れた歌を作っている。 然るに古人の伝不明で、題詞の下に或書云 高市連黒人 ( たけちのむらじくろひと )と注せられているので、黒人の作として味う人が多い。 「いにしへの人にわれあれや」は、当今の普通人ならば旧都の 址 ( あと )を見てもこんなに悲しまぬであろうが、こんなに悲しいのは、古の世の人だからであろうかと、疑うが如くに感傷したのである。 この主観句は、相当によいので棄て難いところがある。 なお、巻三(三〇五)に、高市連黒人の、「 斯 ( か )くゆゑに見じといふものを 楽浪 ( ささなみ )の旧き都を見せつつもとな」があって、やはり上の句が主観的である。 けれども、此等の主観句は、切実なるが如くにして切実に響かないのは何故であるか。 これは人麿ほどの心熱が無いということにもなるのである。 持統天皇の吉野行幸は前後三十二回(御在位中三十一回御譲位後一回)であるが、万葉集年表(土屋文明氏)では、五年春夏の 交 ( こう )だろうと云っている。 さすれば人麿の想像年齢二十九歳位であろうか。 一首の意は、山の神( 山祇 ( やまつみ ))も川の神( 河伯 ( かわのかみ ))も、もろ共に寄り来って仕え奉る、 現神 ( あきつがみ )として神そのままに、わが天皇は、この吉野の川の 滝 ( たぎ )の 河内 ( かふち )に、群臣と共に船出したもう、というのである。 「 滝 ( たぎ )つ 河内 ( かふち )」は、今の 宮滝 ( みやたき )附近の吉野川で、水が強く廻流している地勢である。 人麿は此歌を作るのに、謹んで緊張しているから、自然歌調も大きく荘厳なものになった。 上半は形式的に響くが、人麿自身にとっては本気で全身的であった。 そして、「滝つ河内」という現実をも 免 ( のが )していないものである。 一首の諧調音を分析すれば不思議にも加行の開口音があったりして、種々勉強になる歌である。 先師伊藤左千夫先生は、「神も人も相和して遊ぶ尊き御代の有様である」(万葉集新釈)と評せられたが、まさしく其通りである。 第二句、原文「因而奉流」をヨリテ・ツカフルと訓んだが、ヨリテ・マツレルという訓もある。 併しマツレルでは 調 ( しらべ )が悪い。 結句、原文、「船出為加母」は、フナデ・セスカモと敬語に訓んだのもある。 補記、近時土屋文明氏は「滝つ河内」はもっと下流の、 下市 ( しもいち )町を中心とした越部、六田あたりだろうと考証した。 初句、原文「嗚呼見浦爾」だから、アミノウラニと訓むべきである。 併し史実上で、 阿胡行宮 ( あごのかりみや )云々とあるし、志摩に 英虞郡 ( あごのこおり )があり、巻十五(三六一〇)の古歌というのが、「 安胡乃宇良 ( アゴノウラ )」だから、恐らく人麿の原作はアゴノウラで、万葉巻一のアミノウラは異伝の一つであろう。 一首は、天皇に 供奉 ( ぐぶ )して行った多くの若い女官たちが、阿虞の浦で船に乗って遊楽する、その時にあの女官等の裳の裾が海潮に 濡 ( ぬ )れるであろう、というのである。 行幸は、三月六日(陽暦三月三十一日)から三月二十日(陽暦四月十四日)まで続いたのだから、海浜で遊楽するのに適当な季節であり、若く美しい女官等が大和の山地から海浜に来て珍しがって遊ぶさまが目に見えるようである。 そういう朗かで美しく楽しい歌である。 然 ( し )かも一首に「らむ」という助動詞を二つも使って、流動的歌調を 成就 ( じょうじゅ )しているあたり、やはり人麿一流と 謂 ( い )わねばならない。 「玉裳」は美しい裳ぐらいに取ればよく、一首に親しい感情の出ているのは、女官中に人麿の恋人もいたためだろうと想像する向もある。 「 伊良虞 ( いらご )の島」は、三河 渥美 ( あつみ )郡の伊良虞崎あたりで、「島」といっても崎でもよいこと、後出の「加古の島」のところにも応用することが出来る。 一首は、潮が満ちて来て鳴りさわぐ頃、伊良虞の島近く 榜 ( こ )ぐ船に、供奉してまいった自分の女も乗ることだろう。 あの浪の荒い島のあたりを、というのである。 この歌には、明かに「妹」とあるから、こまやかな情味があって 余所余所 ( よそよそ )しくない。 そして、この「妹乗るらむか」という一句が一首を統一してその中心をなしている。 船に慣れないことに同情してその難儀をおもいやるに、ただ、「妹乗るらむか」とだけ云っている、そして、結句の、「荒き島回を」に応接せしめている。 或は伊勢行幸にでも 扈従 ( こじゅう )して行った夫を 偲 ( しの )んだものかも知れない。 名張山は伊賀名張郡の山で伊勢へ越ゆる道筋である。 「奥つ藻の」は名張へかかる枕詞で、奥つ藻は奥深く隠れている藻だから、カクルと同義の語ナバル(ナマル)に懸けたものである。 一首の意は、夫はいま何処を歩いていられるだろうか。 今日ごろは多分名張の山あたりを越えていられるだろうか、というので、一首中に「らむ」が二つ第二句と結句とに置かれて調子を取っている。 この「らむ」は、「朝踏ますらむ」あたりよりも稍軽快である。 この歌は古来秀歌として鑑賞せられたのは万葉集の歌としては分かり好く口調も好いからであったが、そこに特色もあり、消極的方面もまたそこにあると謂っていいであろうか。 併しそれでも古今集以下の歌などと違って、厚みのあるところ、名張山という現実を持って来たところ等に注意すべきである。 この歌は、巻四(五一一)に重出しているし、又集中、「後れゐて吾が恋ひ居れば 白雲 ( しらくも )の棚引く山を今日か越ゆらむ」(巻九・一六八一)、「たまがつま島熊山の夕暮にひとりか君が山路越ゆらむ」(巻十二・三一九三)、「 息 ( いき )の 緒 ( を )に吾が 思 ( も )ふ君は 鶏 ( とり )が鳴く 東 ( あづま )の坂を今日か越ゆらむ」(同・三一九四)等、結句の同じものがあるのは注意すべきである。 その時人麿の作った短歌四首あるが、その第一首である。 軽皇子( 文武 ( もんむ )天皇)の御即位は持統十一年であるから、此歌はそれ以前、恐らく持統六、七年あたりではなかろうか。 一首は、阿騎の野に今夜旅寝をする人々は、昔の事がいろいろ思い出されて、安らかに眠りがたい、というのである。 「うち靡き」は人の寝る時の体の形容であるが、今は形式化せられている。 「やも」は反語で、強く云って感慨を籠めている。 「旅人」は複数で、軽皇子を主とし、従者の人々、その中に人麿自身も居るのである。 この歌は響に句々の揺ぎがあり、単純に過ぎてしまわないため、余韻おのずからにして長いということになる。 一首の意は、阿騎野にやどった翌朝、日出前の東天に既に暁の光がみなぎり、それが雪の降った阿騎野にも映って見える。 その時西の方をふりかえると、もう月が落ちかかっている、というのである。 この歌は前の歌にあるような、「古へおもふに」などの句は無いが、全体としてそういう感情が奥にかくれているもののようである。 そういう気持があるために、「かへりみすれば月かたぶきぬ」の句も 利 ( き )くので、先師伊藤左千夫が評したように、「稚気を脱せず」というのは、 稍 ( やや )酷ではあるまいか。 人麿は斯く見、斯く感じて、詠歎し写生しているのであるが、それが即ち犯すべからざる大きな歌を得る 所以 ( ゆえん )となった。 「野に・かぎろひの」のところは 所謂 ( いわゆる )、句割れであるし、「て」、「ば」などの助詞で続けて行くときに、たるむ 虞 ( おそれ )のあるものだが、それをたるませずに、却って一種 渾沌 ( こんとん )の調を成就しているのは偉いとおもう。 それから人麿は、第三句で小休止を置いて、第四句から起す手法の 傾 ( かたむき )を 有 ( も )っている。 そこで、伊藤左千夫が、「かへり見すれば」を、「俳優の身振めいて」と評したのは稍見当の違った感がある。 此歌は、訓がこれまで定まるのに、相当の経過があり、「 東野 ( あづまの )のけぶりの立てるところ見て」などと訓んでいたのを、契沖、真淵等の力で此処まで到達したので、後進の吾等はそれを忘却してはならぬのである。 守部此歌を評して、「一夜やどりたる曠野のあかつきがたのけしき、めに見ゆるやうなり。 此かぎろひは旭日の余光をいへるなり」(緊要)といった。 一首は、いよいよ御猟をすべき日になった。 御なつかしい日並皇子尊が御生前に群馬を走らせ御猟をなされたその時のように、いよいよ御猟をすべき時になった、というのである。 この歌も余り細部にこだわらずに、おおように歌っているが、ただの腕まかせでなく、丁寧にして真率な作である。 総じて人麿の作は重厚で、軽薄の音調の無きを特色とするのは、応詔、献歌の場合が多いからというためのみでなく、どんな場合でもそうであるのを、後進の歌人は見のがしてはならない。 それから、結句の、「来向ふ」というようなものでも人麿造語の一つだと謂っていい。 「今年経て来向ふ夏は」「春過ぎて夏来向へば」(巻十九・四一八三・四一八〇)等の家持の用例があるが、これは人麿の、「時は来向ふ」を学んだものである。 人麿以後の万葉歌人等で人麿を学んだ者が一人二人にとどまらない。 言葉を換えていえば人麿は万葉集に於て最もその真価を認められたものである。 後世人麿を「歌聖」だの何のと騒いだが、 上 ( うわ )の空の偶像礼拝に過ぎぬ。 遷都は持統八年十二月であるから、それ以後の御作だということになる。 一首は、明日香に来て見れば、既に都も遠くに 遷 ( うつ )り、都であるなら美しい采女等の袖をも 飜 ( ひるがえ )す明日香風も、今は空しく吹いている、というぐらいに取ればいい。 「明日香風」というのは、明日香の地を吹く風の意で、 泊瀬 ( はつせ )風、 佐保 ( さほ )風、 伊香保 ( いかほ )風等の例があり、上代日本語の一特色を示している。 今は京址となって 寂 ( さび )れた明日香に来て、その感慨をあらわすに、采女等の袖ふりはえて歩いていた有様を聯想して歌っているし、それを明日香風に集注せしめているのは、意識的に作歌を工夫するのならば捉えどころということになるのであろうが、当時は感動を主とするから自然にこうなったものであろう。 采女の事などを主にするから 甘 ( あま )くなるかというに決してそうでなく、皇子一流の精厳ともいうべき歌調に統一せられている。 ただ、「袖ふきかへす」を主な感じとした点に、心のすえ方の危険が潜んでいるといわばいい得るかも知れない。 この、「袖ふきかへす」という句につき、「袖ふきかへしし」と過去にいうべきだという説もあったが、ここは 楽 ( らく )に解釈して好い。 初句は旧訓タヲヤメノ。 拾穂抄タハレメノ。 僻案抄ミヤヒメノ。 考タワヤメノ。 古義ヲトメノ等の訓がある。 古鈔本中 元暦 ( げんりゃく )校本に朱書で或ウネメノとあるに従って訓んだが、なおオホヤメノ(神)タオヤメノ(文)の訓もあるから、旧訓或は考の訓によって味うことも出来る。 つまり、「 采女 ( ウネメ )は官女の称なるを義を以てタヲヤメに借りたるなり」(美夫君志)という説を全然否定しないのである。 いずれにしても初句の四音ウネメノは稍不安であるから、どうしてもウネメと訓まねばならぬなら、或はウネメラノとラを入れてはどうか知らん。 引馬野は遠江 敷智 ( ふち )郡(今浜名郡)浜松附近の野で、 三方原 ( みかたがはら )の南寄に 曳馬 ( ひくま )村があるから、其辺だろうと解釈して来たが、近時三河 宝飯 ( ほい )郡 御津 ( みと )町附近だろうという説(今泉忠男氏、久松潜一氏)が有力となった。 「 榛原 ( はりはら )」は 萩原 ( はぎはら )だと解せられている。 一首の意は、引馬野に咲きにおうて居る榛原(萩原)のなかに入って逍遙しつつ、此処まで旅し来った記念に、萩の花を衣に薫染せしめなさい、というのであろう。 右の如くに解して、「草枕旅ゆく人も行き触ればにほひぬべくも咲ける 芽子 ( はぎ )かも」(巻八・一五三二)の歌の如く、衣に薫染せしめる事としたのであるが、 続日本紀 ( しょくにほんぎ )に 拠 ( よ )るに行幸は十月十日(陽暦十一月八日)から十一月二十五日(陽暦十二月二十二日)にかけてであるから、大方の萩の花は散ってしまっている。 ここで、「榛原」は萩でなしに、 榛 ( はん )の木原で、その実を 煎 ( せん )じて黒染(黄染)にする、その事を「衣にほはせ」というのだとする説が起って、目下その説が有力のようであるが、榛の実の黒染のことだとすると、「入りみだり衣にほはせ」という句にふさわしくない。 そこで若し榛原は萩原で、其頃萩の花が既に過ぎてしまったとすると、萩の花でなくて萩の 黄葉 ( もみじ )であるのかも知れない。 (土屋文明氏も、萩の花ならそれでもよいが、榛の黄葉、乃至は雑木の黄葉であるかも知れぬと云っている。 )萩の黄葉は極めて鮮かに美しいものだから、その美しい黄葉の中に入り浸って衣を薫染せしめる気持だとも解釈し得るのである。 つまり実際に 摺染 ( すりぞめ )せずに薫染するような気持と解するのである。 また、榛は 新撰字鏡 ( しんせんじきょう )に、叢生曰 レ榛とあるから、灌木の藪をいうことで、それならばやはり 黄葉 ( もみじ )の心持である。 いずれにしても、 榛 ( はん )の木ならば、「にほふはりはら」という気持ではない。 この「にほふ」につき、必ずしも花でなくともいいという説は既に 荷田春満 ( かだのあずままろ )が云っている。 「にほふといふこと、〔葉〕花にかぎりていふにあらず、色をいふ詞なれば、花過ても匂ふ萩原といふべし」(僻案抄)。 そして榛の実の黒染説は、続日本紀の十月十一月という記事があるために可能なので、この記事さへ顧慮しないならば、萩の花として素直に鑑賞の出来る歌なのである。 また続日本紀の記載も絶対的だともいえないことがあるかも知れない。 そういうことは少し 我儘 ( わがまま )過ぎる解釈であろうが、差し当ってはそういう我儘をも許容し得るのである。 さて、そうして置いて、萩の花を以て衣を薫染せしめることに定めてしまえば、此の歌の自然で且つ透明とも謂うべき快い声調に接することが出来、一首の中に「にほふ」、「にほはせ」があっても、邪魔を感ぜずに 受納 ( うけい )れることも出来るのである。 次に近時、「乱」字を四段の自動詞に活用せしめた例が万葉に無いとして「入り乱れ」と訓んだ説(沢瀉氏)があるが、既に「みだりに」という副詞がある以上、四段の自動詞として認容していいとおもったのである。 且つ、「いりみだり」の方が響としてはよいのである。 次に、この歌は引馬野にいて詠んだものだろうと思うのに、京に残っていて供奉の人を送った作とする説(武田氏)がある。 即ち、武田博士は、「作者はこの御幸には留守をしてゐたので、御供に行く人に与へた作である。 多分、御幸が決定し、御供に行く人々も定められた準備時代の作であらう。 御幸先の秋の景色を想像してゐる。 よい作である。 作者がお供をして詠んだとなす説はいけない」(総釈)と云うが、これは陰暦十月十日以後に萩が無いということを前提とした想像説である。 そして、 真淵 ( まぶち )の如きも、「又思ふに、幸の時は、近き国の民をめし 課 ( オフス )る事紀にも見ゆ、然れば 前 ( さき )だちて八九月の 比 ( ころ )より遠江へもいたれる官人此野を過る時よみしも知がたし」(考)という想像説を既に作っているのである。 共に、同じく想像説ならば、真淵の想像説の方が、歌を味ううえでは適切である。 この歌はどうしても属目の感じで、想像の歌ではなかろうと思うからである。 私 ( ひそ )かにおもうに、此歌はやはり行幸に供奉して三河の現地で詠んだ歌であろう。 そして少くも其年は萩がいまだ咲いていたのであろう。 気温の事は現在を以て当時の事を軽々に論断出来ないので、即ち僻案抄に、「なべては十月には花も過葉もかれにつゝ(く?)萩の、此引馬野には花も残り葉もうるはしくてにほふが故に、かくよめりと見るとも 難有 ( なんある )べからず。 草木は気運により、例にたがひ、土地により、遅速有こと常のことなり」とあり、考にも、「此幸は十月なれど遠江はよに暖かにて十月に此花にほふとしも多かり」とあるとおりであろう。 私は、昭和十年十一月すえに伊香保温泉で木萩の咲いて居るのを見た。 其の時伊香保の山には既に雪が降っていた。 また大宝二年の行幸は、尾張・美濃・伊勢・伊賀を経て京師に還幸になったのは十一月二十五日であるのを見れば、恐らくその年はそう寒くなかったのかも知れないのである。 また、「古にありけむ人のもとめつつ衣に摺りけむ真野の榛原」(巻七・一一六六)、「白菅の真野の榛原心ゆもおもはぬ吾し 衣 ( ころも )に 摺 ( す )りつ」(同・一三五四)、「住吉の岸野の榛に 染 ( にほ )ふれど 染 ( にほ )はぬ我やにほひて居らむ」(巻十六・三八〇一)、「思ふ子が衣摺らむに匂ひこせ島の榛原秋立たずとも」(巻十・一九六五)等の、衣摺るは、萩花の 摺染 ( すりぞめ )ならば直ぐに出来るが、ハンの実を煎じて黒染にするのならば、さう簡単には出来ない。 もっとも、攷證では、「この榛摺は木の皮をもてすれるなるべし」とあるが、これでも技術的で、この歌にふさわしくない。 そこでこの二首の「榛」はハギの花であって、ハンの実でないとおもうのである。 なお、「引き 攀 ( よ )ぢて折らば散るべみ梅の花袖に 扱入 ( こき )れつ 染 ( し )まば 染 ( し )むとも」(巻八・一六四四)、「藤浪の花なつかしみ、引よぢて袖に 扱入 ( こき )れつ、 染 ( し )まば 染 ( し )むとも」(巻十九・四一九二)等も、薫染の趣で、必ずしも摺染めにすることではない。 つまり「衣にほはせ」の気持である。 なお、榛はハギかハンかという問題で、「いざ子ども大和へはやく白菅の真野の榛原手折りてゆかむ」(巻三・二八〇)の中の、「手折りてゆかむ」はハギには適当だが、ハンには不適当である。 その次の歌、「白菅の真野の榛原ゆくさ来さ君こそ見らめ真野の榛原」(同・二八一)もやはりハギの気持である。 以上を 綜合 ( そうごう )して、「引馬野ににほふ榛原」も萩の花で、現地にのぞんでの歌と結論したのであった。 以上は結果から見れば皆新しい説を排して 旧 ( ふる )い説に従ったこととなる。 黒人の伝は 審 ( つまびらか )でないが、持統文武両朝に仕えたから、大体柿本人麿と同時代である。 「 船泊 ( ふなはて )」は此処では名詞にして使っている。 「安礼の埼」は 参河 ( みかわ )国の埼であろうが現在の 何処 ( どこ )にあたるか未だ審でない。 ( 新居 ( あらい )崎だろうという説もあり、また近時、今泉氏、ついで久松氏は 御津 ( みと )附近の岬だろうと考証した。 )「棚無し小舟」は、舟の左右の 舷 ( げん )に渡した 旁板 ( わきいた )( )を 舟棚 ( ふなたな )というから、その舟棚の無い小さい舟をいう。 一首の意は、今、参河の 安礼 ( あれ )の 埼 ( さき )のところを 漕 ( こ )ぎめぐって行った、あの 舟棚 ( ふなたな )の無い小さい舟は、いったい何処に 泊 ( とま )るのか知らん、というのである。 この歌は旅中の歌だから、他の旅の歌同様、寂しい気持と、家郷(妻)をおもう気持と 相纏 ( あいまつわ )っているのであるが、この歌は客観的な写生をおろそかにしていない。 そして、安礼の埼といい、棚無し小舟といい、きちんと出すものは出して、そして、「何処にか船泊すらむ」と感慨を漏らしているところにその特色がある。 歌調は人麿ほど大きくなく、「すらむ」などといっても、人麿のものほど流動的ではない。 結句の、「棚無し小舟」の如き、四三調の名詞止めのあたりは、すっきりと緊縮させる手法である。 憶良は文武天皇の大宝元年、遣唐大使 粟田真人 ( あわたのまひと )に少録として従い入唐し、慶雲元年秋七月に帰朝したから、この歌は帰りの出帆近いころに作ったもののようである。 「大伴」は難波の辺一帯の地域の名で、もと大伴氏の領地であったからであろう。 「大伴の高師の浜の松が根を」(巻一・六六)とあるのも、大伴の地にある高師の浜というのである。 「御津」は難波の 湊 ( みなと )のことである。 そしてもっとくわしくいえば難波津よりも住吉津即ち堺であろうといわれている。 一首の意は、さあ皆のものどもよ、早く日本へ帰ろう、大伴の御津の浜のあの松原も、吾々を待ちこがれているだろうから、というのである。 やはり憶良の歌に、「大伴の御津の松原かき掃きて 吾 ( われ )立ち待たむ早帰りませ」(巻五・八九五)があり、なお、「朝なぎに 真楫 ( まかぢ ) 榜 ( こ )ぎ出て見つつ来し御津の松原浪越しに見ゆ」(巻七・一一八五)があるから、大きい松原のあったことが分かる。 「いざ子ども」は、部下や年少の者等に対して親しんでいう言葉で、既に古事記応神巻に、「いざ児ども 野蒜 ( ぬびる )つみに 蒜 ( ひる )つみに」とあるし、万葉の、「いざ子ども大和へ早く白菅の 真野 ( まぬ )の 榛原 ( はりはら )手折りて行かむ」(巻三・二八〇)は、高市黒人の歌だから憶良の歌に前行している。 「白露を取らば消ぬべしいざ子ども露に 競 ( きほ )ひて萩の遊びせむ」(巻十・二一七三)もまたそうである。 「いざ児ども 香椎 ( かしひ )の 潟 ( かた )に白妙の袖さへぬれて朝菜 採 ( つ )みてむ」(巻六・九五七)は旅人の歌で憶良のよりも後れている。 つまり、旅人が憶良の影響を受けたのかも知れぬ。 この歌は、環境が唐の国であるから、自然にその気持も一首に反映し、そういう点で規模の大きい歌だと謂うべきである。 下の句の歌調は稍 弛 ( たる )んで弱いのが欠点で、これは他のところでも一言触れて置いたごとく、憶良は漢学に達していたため、却って日本語の伝統的な声調を理会することが出来なかったのかも知れない。 一首としてはもう一歩緊密な度合の声調を要求しているのである。 後年、天平八年の遣新羅国使等の作ったものの中に、「ぬばたまの 夜明 ( よあか )しも船は 榜 ( こ )ぎ行かな御津の浜松待ち恋ひぬらむ」(巻十五・三七二一)、「大伴の御津の 泊 ( とまり )に船 泊 ( は )てて立田の山を何時か越え 往 ( い )かむ」(同・三七二二)とあるのは、この憶良の歌の模倣である。 なお、 大伴坂上郎女 ( おおとものさかのうえのいらつめ )の歌に、「ひさかたの天の露霜置きにけり 宅 ( いへ )なる人も待ち恋ひぬらむ」(巻四・六五一)というのがあり、これも憶良の歌の影響があるのかも知れぬ。 斯くの如く憶良の歌は当時の人々に尊敬せられたのは、恐らく彼は漢学者であったのみならず、歌の方でもその学者であったからだとおもうが、そのあたりの歌は、一般に分かり好くなり、常識的に合理化した声調となったためとも解釈することが出来る。 即ち憶良のこの歌の如きは、細かい 顫動 ( せんどう )が足りない、而してたるんでいるところのあるものである。 難波宮のあったところは現在明かでない。 難波の地に旅して、そこの葦原に飛びわたる鴨の 翼 ( はね )に、霜降るほどの寒い夜には、大和の家郷がおもい出されてならない。 鴨でも共寝をするのにという意も含まれている。 「葦べ行く鴨」という句は、葦べを飛びわたる字面であるが、一般に葦べに住む鴨の意としてもかまわぬだろう。 「葦べゆく鴨の羽音のおとのみに」(巻十二・三〇九〇)、「葦べ行く雁の 翅 ( つばさ )を見るごとに」(巻十三・三三四五)、「鴨すらも 己 ( おの )が妻どちあさりして」(巻十二・三〇九一)等の例があり、参考とするに足る。 志貴皇子の御歌は、その他のもそうであるが、歌調明快でありながら、感動が常識的粗雑に陥るということがない。 この歌でも、鴨の 羽交 ( はがい )に霜が置くというのは現実の細かい写実といおうよりは一つの「感」で運んでいるが、その「感」は 空漠 ( くうばく )たるものでなしに、人間の観察が本となっている点に強みがある。 そこで、「霜ふりて」と断定した表現が利くのである。 「葦べ行く」という句にしても 稍 ( やや )ぼんやりしたところがあるけれども、それでも全体としての写象はただのぼんやりではない。 集中には、「 埼玉 ( さきたま )の小埼の沼に鴨ぞ 翼 ( はね )きる己が尾に 零 ( ふ )り置ける霜を払ふとならし」(巻九・一七四四)、「天飛ぶや雁の 翅 ( つばさ )の 覆羽 ( おほひは )の 何処 ( いづく )もりてか霜の降りけむ」(巻十・二二三八)、「押し照る難波ほり江の葦べには雁 宿 ( ね )たるかも霜の 零 ( ふ )らくに」(同・二一三五)等の歌がある。 この歌の「と」の用法につき、あられ松原 と弟日娘 と両方とも見れど飽きないと解く説もある。 娘は 遊行女婦 ( うかれめ )であったろうから、美しかったものであろう。 初句の、「あられうつ」は、下の「あられ」に懸けた枕詞で、皇子の造語と 看做 ( みな )していい。 一首は、よい気持になられての即興であろうが、不思議にも軽浮に艶めいたものがなく、寧ろ 勁健 ( けいけん )とも 謂 ( い )うべき歌調である。 これは日本語そのものがこういう高級なものであったと解釈することも可能なので、自分はその一代表のつもりで此歌を選んで置いた。 「見れど飽かぬかも」の句は万葉に用例がなかなか多い。 「 若狭 ( わかさ )なる三方の海の浜 清 ( きよ )みい往き還らひ見れど飽かぬかも」(巻七・一一七七)、「百伝ふ 八十 ( やそ )の 島廻 ( しまみ )を 榜 ( こ )ぎ来れど粟の小島し見れど飽かぬかも」(巻九・一七一一)、「白露を玉になしたる 九月 ( ながつき )のありあけの 月夜 ( つくよ )見れど飽かぬかも」(巻十・二二二九)等、ほか十五、六の例がある。 これも写生によって配合すれば現代に活かすことが出来る。 この歌の近くに、 清江娘子 ( すみのえのおとめ )という者が長皇子に 進 ( たてまつ )った、「草枕旅行く君と知らませば 岸 ( きし )の 埴土 ( はにふ )ににほはさましを」(巻一・六九)という歌がある。 この清江娘子は 弟日娘子 ( おとひおとめ )だろうという説があるが、或は娘子は一人のみではなかったのかも知れない。 住吉の岸の黄土で衣を美しく 摺 ( す )って記念とする趣である。 「旅ゆく」はいよいよ京へお帰りになることで、名残を惜しむのである。 情緒が 纏綿 ( てんめん )としているのは、必ずしも職業的にのみこの 媚態 ( びたい )を示すのではなかったであろう。 またこれを万葉巻第一に選び載せた態度もこだわりなくて 円融 ( えんゆう )とも称すべきものである。 呼子鳥はカッコウかホトトギスか、或は両者ともにそう云われたか、未だ定説が無いが、カッコウ(閑古鳥)を呼子鳥と云った場合が最も多いようである。 「象の中山」は吉野離宮のあった宮滝の南にある山である。 象 ( きさ )という土地の中にある山の意であろう。 「来らむ」は「行くらむ」という意に同じであるが、 彼方 ( かなた )(大和)を主として云っている(山田博士の説)。 従って大和に親しみがあるのである。 一首の意。 (今吉野の離宮に供奉して来ていると、)呼子鳥が象の山のところを呼び鳴きつつ越えて居る。 多分大和の京(藤原京)の方へ鳴いて行くのであろう。 (家郷のことがおもい出されるという意を含んでいる。 ) 呼子鳥であるから、「呼びぞ」と云ったし、また、ただ「鳴く」といおうよりも、その方が適切な場合もあるのである。 而してこの歌には「鳴く」という語も入っているから、この「鳴きてか」の方は稍間接的、「呼びぞ」の方が現在の状態で作者にも直接なものであっただろう。 「大和には」の「に」は 方嚮 ( ほうこう )で、「は」は詠歎の分子ある助詞である。 この歌を誦しているうちに優れているものを感ずるのは、恐らく全体が具象的で現実的であるからであろう。 そしてそれに伴う声調の響が稍渋りつつ平俗でない点にあるだろう。 初句の「には」と第二句の「らむ」と結句の「なる」のところに感慨が籠って居て、第三句の「呼子鳥」は文法的には下の方に附くが、上にも下にも附くものとして鑑賞していい。 高市黒人は万葉でも優れた歌人の一人だが、その黒人の歌の中でも佳作の一つであるとおもう。 普通ならば「行くらむ」というところを、「来らむ」というに就いて、「行くらむ」は対象物が自分から離れる気持、「来らむ」は自分に接近する気持であるから、自分を藤原京の方にいるように瞬間見立てれば、吉野の方から鳴きつつ来る意にとり、「来らむ」でも差支がないこととなり、古来その解釈が多い。 代匠記に、「本来の住所なれば、我方にしてかくは云也」と解し、古義に「おのが恋しく思ふ京師 辺 ( アタリ )には、今鳴きて来らむかと、京師を内にしていへるなり」と解したのは、作者の位置を一瞬藤原京の内に置いた気持に解したのである。 けれどもこの解は、大和を内とするというところに「鳴きてか来らむ」の解に無理がある。 然るに、山田博士に拠ると越中地方では、彼方を主とする時に「来る」というそうであるから、大和(藤原京)を主として、其処に呼子鳥が確かに行くということをいいあらわすときには、「呼子鳥が大和京へ来る」ということになる。 「大和には啼きてか来らむ 霍公鳥 ( ほととぎす )汝が啼く毎に亡き人おもほゆ」(巻十・一九五六)という歌の、「啼きてか来らむ」も、大和の方へ行くだろうというので、大和の方へ親しんで啼いて行く意となる。 なお、「吾が恋を 夫 ( つま )は知れるを行く船の過ぎて 来 ( く )べしや 言 ( こと )も告げなむ」(巻十・一九九八)の「来べしや」も「行くべしや」の意、「霞ゐる富士の 山傍 ( やまび )に我が 来 ( き )なば 何方 ( いづち )向きてか妹が嘆かむ」(巻十四・三三五七)の、「我が来なば」も、「我が行かば」という意になるのである。 「はたや」は、「またも」に似てそれよりも詠歎が強い。 この歌は、何の妙も無く、ただ順直にいい下しているのだが、情の純なるがために人の心を動かすに足るのである。 この種の声調のものは分かり易いために、模倣歌を出だし、遂に平凡になってしまうのだが、併しそのために此歌の価値の下落することがない。 その当時は名は著しくない従駕の人でも、このくらいの歌を作ったのは実に驚くべきである。 「ながらふるつま吹く風の寒き夜にわが背の君はひとりか 寝 ( ね )らむ」(巻一・五九)も選出したのであったが、歌数の制限のために、此処に附記するにとどめた。 寧楽 ( なら )宮遷都は和銅三年だから、和銅元年には天皇はいまだ藤原宮においでになった。 即ち和銅元年は御即位になった年である。 一首の意は、兵士等の鞆の音が今しきりにしている。 将軍が兵の調練をして居ると見えるが、何か事でもあるのであろうか、というのである。 「鞆」は皮製の円形のもので、左の 肘 ( ひじ )につけて弓を射たときの弓弦の反動を受ける、その時に音がするので多勢のおこすその鞆の音が女帝の御耳に達したものであろう。 「もののふの 大臣 ( おほまへつぎみ )」は軍を 統 ( す )べる将軍のことで、続紀に、和銅二年に 蝦夷 ( えみし )を討った将軍は、 巨勢麿 ( こせのまろ )、 佐伯石湯 ( さへきのいわゆ )だから、御製の将軍もこの二人だろうといわれている。 「楯たつ」は、楯は手楯でなくもっと大きく堅固なもので、それを立てならべること、即ち軍陣の調練をすることとなるのである。 どうしてこういうことを仰せられたか。 これは軍の調練の音をお聞きになって、御心配になられたのであった。 考に、「さて此御時みちのく越後の 蝦夷 ( エミシ )らが 叛 ( ソム )きぬれば、うての使を遣さる、その 御軍 ( みいくさ )の手ならしを京にてあるに、鼓吹のこゑ鞆の音など(弓弦のともにあたりて鳴音也)かしかましきを聞し召て、御位の初めに 事有 ( ことある )をなげきおもほす御心より、かくはよみませしなるべし。 此 大御哥 ( おほみうた )にさる事までは聞えねど、次の御こたへ哥と合せてしるき也」とある。 御答歌というのは、 御名部皇女 ( みなべのひめみこ )で、皇女は天皇の御姉にあたらせられる。 「吾が 大王 ( おほきみ )ものな思ほし 皇神 ( すめかみ )の 嗣 ( つ )ぎて賜へる吾無けなくに」(巻一・七七)という御答歌で、陛下よどうぞ御心配あそばすな、わたくしも皇祖神の命により、いつでも御名代になれますものでございますから、というので、「吾」は皇女御自身をさす。 御製歌といい御答歌といい、まことに緊張した境界で、恋愛歌などとは違った大きなところを感得しうるのである。 個人を超えた集団、国家的の緊張した心の世界である。 御製歌のすぐれておいでになるのは申すもかしこいが、御姉君にあらせられる皇女が、御妹君にあらせらるる天皇に、かくの如き御歌を奉られたというのは、後代の吾等拝誦してまさに感涙を流さねばならぬほどのものである。 御妹君におむかい、「吾が大王ものな思ほし」といわれるのは、御妹君は一天万乗の 現神 ( あきつかみ )の天皇にましますからである。 その時の歌であるが作者の名を明記してない。 併 ( しか )し作者は皇子・皇女にあらせられる御方のようで、天皇の御姉、 御名部皇女 ( みなべのひめみこ )(天智天皇皇女、元明天皇御姉)の御歌と推測するのが真に近いようである。 「飛ぶ鳥の」は「 明日香 ( あすか )」にかかる枕詞。 明日香(飛鳥)といって、なぜ藤原といわなかったかというに、明日香はあの辺の総名で、必ずしも 飛鳥浄御原宮 ( あすかのきよみはらのみや )(天武天皇の京)とのみは限局せられない。 そこで藤原京になってからも其処と隣接している明日香にも皇族がたの御住いがあったものであろう。 この歌の、「君」というのは、作者が親まれた男性の御方のようである。 この歌も、素直に心の動くままに言葉を使って行き、取りたてて技巧を 弄 ( ろう )していないところに感の深いものがある。 「置きて」という表現は、他にも、「大和を置きて」、「みやこを置きて」などの例もあり、注意すべき表現である。 結句の、「見えずかもあらむ」の「見えず」というのも、感覚に直接で良く、この類似の表現は万葉に多い。 ウラサブルは「 心寂 ( こころさび )しい」意。 サマネシはサは接頭語、マネシは「多い」、「 頻 ( しき )り」等の語に当る。 ナガラフはナガルという 良 ( ら )行下二段の動詞を二たび 波 ( は )行下二段に活用せしめた。 事柄の時間的継続をあらわすこと、チル(散る)からチラフとなる場合などと同じである。 一首の意は、天から 時雨 ( しぐれ )の雨が降りつづくのを見ると、うら 寂 ( さび )しい心が絶えずおこって来る、というのである。 時雨は多くは秋から冬にかけて降る雨に使っているから、やはり其時この古歌を誦したものであろうか。 旅中にあって誦するにふさわしいもので、古調のしっとりとした、はしゃがない好い味いのある歌である。 事象としては「天の時雨の流らふ」だけで、上の句は主観で、それに枕詞なども入っているから、内容としては極く単純なものだが、この単純化がやがて古歌の好いところで、一首の綜合がそのために 渾然 ( こんぜん )とするのである。 雨の降るのをナガラフと云っているのなども、他にも用例があるが、響きとしても実に好い響きである。 御二人は 従兄弟 ( いとこ )の関係になっている。 佐紀宮は現在の生駒郡 平城 ( へいじょう )村、 都跡 ( みあと )村、伏見村あたりで、長皇子の宮のあったところであろう。 志貴皇子の宮は 高円 ( たかまと )にあった。 高野原は佐紀宮の近くの高地であっただろう。 一首の意は、秋になったならば、今二人で見て居るような景色の、高野原一帯に、妻を慕って鹿が鳴くことだろう、というので、なお、そうしたら、また一段の風趣となるから、二たび来られよという意もこもっている。 この歌は、「秋さらば」というのだから現在は未だ秋でないことが分かる。 「鹿鳴かむ山ぞ」と将来のことを云っているのでもそれが分かる。 其処に「今も見るごと」という視覚上の句が入って来ているので、種々の解釈が出来たのだが、この、「今も見るごと」という句を直ぐ「妻恋ひに」、「鹿鳴かむ山」に続けずに寧ろ、「山ぞ」、「高野原の上」の方に関係せしめて解釈せしめる方がいい。 即ち、現在見渡している高野原一帯の佳景その儘に、秋になるとこの如き興に添えてそのうえ鹿の鳴く声が聞こえるという意味になる。 「今も見るごと」は「現在ある状態の佳き景色の此の高野原に」というようになり、単純な視覚よりももっと広い意味になるから、そこで視覚と聴覚との矛盾を避けることが出来るのであって、他の諸学者の種々の解釈は皆不自然のようである。 この御歌は、豊かで緊密な調べを持っており、感情が 濃 ( こま )やかに動いているにも 拘 ( かかわ )らず、そういう主観の言葉というものが無い。 それが、「鳴かむ」といい、「山ぞ」で代表せしめられている観があるのも、また重厚な「高野原の上」という名詞句で止めているあたりと調和して、万葉調の一代表的技法を形成している。 また「今も見るごと」の 入句があるために、却って歌調を常識的にしていない。 家持が「思ふどち斯くし遊ばむ、今も見るごと」(巻十七・三九九一)と歌っているのは恐らく此御歌の影響であろう。 この歌の詞書は、「長皇子与志貴皇子於佐紀宮倶宴歌」とあり、左注、「右一首長皇子」で、「御歌」とは無い。 これも、中皇命の御歌(巻一・三)の題詞を理解するのに参考となるだろう。 目次に、「長皇子御歌」と「御」のあるのは、目次製作者の筆で、歌の方には無かったものであろう。 此歌はその四番目である。 四首はどういう時の御作か、仁徳天皇の後妃 八田 ( やた )皇女との三角関係が伝えられているから、感情の強く豊かな御方であらせられたのであろう。 一首は、秋の田の稲穂の上にかかっている朝霧がいずこともなく消え去るごとく(以上序詞)私の切ない恋がどちらの方に消え去ることが出来るでしょう、それが 叶 ( かな )わずに苦しんでおるのでございます、というのであろう。 「霧らふ朝霞」は、朝かかっている秋霧のことだが、当時は、霞といっている。 キラフ・アサガスミという語はやはり重厚で平凡ではない。 第三句までは序詞だが、具体的に云っているので、象徴的として受取ることが出来る。 「わが恋やまむ」といういいあらわしは切実なので、万葉にも、「大船のたゆたふ海に 碇 ( いかり )おろしいかにせばかもわが恋やまむ」(巻十一・二七三八)、「人の見て 言 ( こと )とがめせぬ 夢 ( いめ )にだにやまず見えこそ我が恋やまむ」(巻十二・二九五八)の如き例がある。 この歌は、磐姫皇后の御歌とすると、もっと古調なるべきであるが、恋歌としては、読人不知の民謡歌に近いところがある。 併し万葉編輯当時は皇后の御歌という言伝えを素直に受納れて疑わなかったのであろう。 そこで自分は恋愛歌の古い一種としてこれを選んで吟誦するのである。 他の三首も皆佳作で棄てがたい。 君が 行日 ( ゆきけ ) 長 ( なが )くなりぬ山 尋 ( たづ )ね迎へか行かむ待ちにか待たむ (巻二・八五) 斯くばかり恋ひつつあらずは 高山 ( たかやま )の 磐根 ( いはね )し 枕 ( ま )きて死なましものを (同・八六) 在りつつも君をば待たむうち 靡 ( なび )く吾が黒髪に霜の置くまでに (同・八七) 八五の歌は、憶良の類聚歌林に斯く載ったが、古事記には 軽太子 ( かるのひつぎのみこ )が伊豫の湯に流された時、軽の 大郎女 ( おおいらつめ )( 衣通 ( そとおり )王)の歌ったもので「君が行日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」となって居り、第三句は枕詞に使っていて、この方が調べが古い。 八六の「恋ひつつあらずは」は、「恋ひつつあらず」に、詠歎の「は」の添わったもので、「恋ひつつあらずして」といって、それに満足せずに先きの希求をこめた云い方である。 それだから、散文に直せば、従来の解釈のように、「……あらんよりは」というのに帰着する。 鏡王女は鏡王の女、額田王の御姉で、後に藤原 鎌足 ( かまたり )の 嫡妻 ( ちゃくさい )となられた方とおもわれるが、この御製歌はそれ以前のものであろうか、それとも鎌足薨去(天智八年)の後、王女が大和に帰っていたのに贈りたもうた歌であろうか。 そして、「大和なる」とことわっているから、天皇は近江に居給うたのであろう。 「大島の嶺」は所在地不明だが、鏡王女の居る処の近くで相当に名高かった山だろうと想像することが出来る。 (後紀大同三年、 平群 ( へぐり )朝臣の歌にあるオホシマあたりだろうという説がある。 さすれば現在の生駒郡平群村あたりであろう。 ) 一首の意は、あなたの家をも絶えずつづけて見たいものだ。 大和のあの大島の嶺にあなたの家があるとよいのだが、というぐらいの意であろう。 「見ましを」と「あらましを」と類音で調子を取って居り、同じ事を繰返して居るのである。 そこで、天皇の御住いが大島の嶺にあればよいというのではあるまい。 若しそうだと、歌は平凡になる。 或は通俗になる。 ここは同じことを繰返しているので、古調の単純素朴があらわれて来て、優秀な歌となるのである。 前の三山の御歌も傑作であったが、この御製になると、もっと自然で、こだわりないうちに、無限の情緒を伝えている。 声調は天皇一流の大きく強いもので、これは 御気魄 ( おんきはく )の反映にほかならないのである。 「家も」の「も」は「をも」の意だから、無論王女を見たいが、せめて「家をも」というので、強めて詠歎をこもらせたとすべきであろう。 この御製は恋愛か或は広義の往来存問か。 語気からいえば恋愛だが、天皇との関係は 審 ( つまびら )かでない。 また天武天皇の十二年に、王女の病 篤 ( あつ )かった時天武天皇御自ら臨幸あった程であるから、その以前からも重んぜられていたことが分かる。 そこでこの歌は恋愛歌でなくて安否を問いたもうた御製だという説(山田博士)がある。 鎌足歿後の御製ならば或はそうであろう。 併し事実はそうでも、感情を主として味うと広義の恋愛情調になる。 一首は、秋山の木の下を隠れて流れゆく水のように、あらわには見えませぬが、わたくしの君をお慕い申あげるところの方がもっと多いのでございます。 わたくしをおもってくださる君の御心よりも、というのである。 「益さめ」の「益す」は水の増す如く、思う心の増すという意がある。 第三句までは序詞で、この程度の序詞は万葉には珍らしくないが、やはり 誤魔化 ( ごまか )さない写生がある。 それから、「われこそ 益 ( ま )さめ 御思 ( みおもひ )よりは」の句は、情緒こまやかで、且つおのずから女性の 口吻 ( こうふん )が出ているところに注意せねばならない。 特に、結句を、「御思よりは」と止めたのに無限の味いがあり、甘美に迫って来る。 これもこの歌だけについて見れば恋愛情調であるが、何処か 遜 ( へりくだ )ってつつましく云っているところに、和え歌として此歌の価値があるのであろう。 試みに同じ作者が藤原鎌足の妻になる時鎌足に贈った歌、「玉くしげ 覆 ( おほ )ふを 安 ( やす )み明けて行かば君が名はあれど吾が名し惜しも」(巻二・九三)の方は 稍 ( やや )気軽に作っている点に差別がある。 併し「君が名はあれど吾が名し惜しも」の句にやはり女性の口吻が出ていて棄てがたいものである。 櫛笥 ( くしげ )の 蓋 ( ふた )をすることが 楽 ( らく )に出来るし、蓋を 開 ( あ )けることも 楽 ( らく )だから、夜の明けるの「明けて」に続けて序詞としたもので、夜が明けてからお帰りになると人に知れてしまいましょう、貴方には浮名が立ってもかまわぬでしょうが、私には困ってしまいます、どうぞ夜の明けぬうちにお帰りください、というので、鎌足のこの歌はそれに答えたのである。 「玉くしげ御室の山のさなかづら」迄は「さ寝」に続く序詞で、また、 玉匣 ( たまくしげ )をあけて見んというミから御室山のミに続けた。 或はミは 中身 ( なかみ )のミだとも云われて居る。 御室山は即ち三輪山で、「さな葛」はさね葛、美男かずらのことで、夏に白っぽい花が咲き、実は赤い。 そこで一首は、そういうけれども、おまえとこうして寝ずには、どうしても居られないのだ、というので、結句の原文「有勝麻之自」は古来種々の訓のあったのを、橋本(進吉)博士がかく訓んで学界の定説となったものである。 博士はカツと 清 ( す )んで訓んでいる。 ガツは堪える意、ガテナクニ、ガテヌカモのガテと同じ動詞、マシジはマジという助動詞の原形で、ガツ・マシジは、ガツ・マジ、堪うまじ、堪えることが出来ないだろう、我慢が出来ないと見える、というぐらいの意に落着くので、この儘こうして寝ておるのでなくてはとても我慢が出来まいというのである。 「いや遠く君がいまさば 有不勝自 ( アリガツマシジ )」(巻四・六一〇)、「辺にも沖にも 依勝益士 ( ヨリガツマシジ )」(巻七・一三五二)等の例がある。 鏡王女の歌も情味あっていいが、鎌足卿の歌も、端的で身体的に直接でなかなかいい歌である。 身体的に直接ということは即ち心の直接ということで、それを表わす言語にも直接だということになる。 「ましじ」と推量にいうのなども、丁寧で、乱暴に 押 ( おし )つけないところなども微妙でいい。 「つひに」という副詞も、強く効果的で此歌でも無くてならぬ大切な言葉である。 「生けるもの 遂 ( つひ )にも死ぬるものにあれば」(巻三・三四九)、「すゑ 遂 ( つひ )に君にあはずは」(巻十三・三二五〇)等の例がある。 一首は、吾は今まことに、美しい安見児を娶った。 世の人々の容易に得がたいとした、美しい安見児を娶った、というのである。 「吾はもや」の「もや」は詠歎の助詞で、感情を強めている。 「まあ」とか、「まことに」とか、「実に」とかを加えて解せばいい。 奉仕中の采女には厳しい規則があって 濫 ( みだ )りに娶ることなどは出来なかった、それをどういう機会にか娶ったのだから、「皆人の得がてにすとふ」の句がある。 もっともそういう制度を顧慮せずとも、美女に対する一般の感情として此句を取扱ってもかまわぬだろう。 いずれにしても作者が歓喜して得意になって歌っているのが、率直な表現によって、特に、第二句と第五句で同じ句を繰返しているところにあらわれている。 この歌は単純で明快で、濁った技巧が無いので、この直截性が読者の心に響いたので従来も秀歌として取扱われて来た。 そこで注釈家の間に寓意説、例えば 守部 ( もりべ )の、「此歌は、天皇を安見知し吾大君と申し馴て、皇子を安見す御子と申す事のあるに、此采女が名を、安見子と云につきて、今吾 レ安見子を得て、既に天皇の位を得たりと戯れ給へる也。 されば皆人の得がてにすと云も、采女が事のみにはあらず、天皇の御位の凡人に得がたき方をかけ給へる御詞也。 又得たりと云言を再びかへし給へるも、其御戯れの旨を 慥 ( たし )かに聞せんとて也。 然るにかやうなるをなほざりに見過して、万葉などは何の 巧 ( たくみ )も風情もなきものと思ひ過めるは、実におのれ解く事を得ざるよりのあやまりなるぞかし」(万葉緊要)の如きがある。 けれどもそういう説は一つの 穿 ( うが )ちに過ぎないとおもう。 この歌は集中佳作の一つであるが、興に乗じて一気に表出したという種類のもので、沈潜重厚の作というわけには行かない。 同じく句の繰返しがあっても前出天智天皇の、「妹が家も継ぎて見ましを」の御製の方がもっと重厚である。 これは作歌の態度というよりも性格ということになるであろうか、そこで、守部の説は穿ち過ぎたけれども、「戯れ給へる也」というところは一部当っている。 藤原夫人は鎌足の 女 ( むすめ )、 五百重娘 ( いおえのいらつめ )で、 新田部皇子 ( にいたべのみこ )の御母、 大原大刀自 ( おおはらのおおとじ )ともいわれた方である。 夫人 ( ぶにん )は後宮に仕える職の名で、妃に次ぐものである。 大原は今の 高市 ( たかいち )郡 飛鳥 ( あすか )村 小原 ( おはら )の地である。 一首は、こちらの里には今日大雪が降った、まことに綺麗だが、おまえの居る大原の古びた里に降るのはまだまだ後だろう、というのである。 天皇が飛鳥の 清御原 ( きよみはら )の宮殿に居られて、そこから少し離れた大原の夫人のところに贈られたのだが、謂わば即興の戯れであるけれども、親しみの御語気さながらに出ていて、沈潜して作る独詠歌には見られない特徴が、また此等の贈答歌にあるのである。 然かもこういう直接の語気を聞き得るようなものは、後世の贈答歌には無くなっている。 つまり人間的、会話的でなくなって、技巧を弄した詩になってしまっているのである。 神 ( おかみ )というのは支那ならば竜神のことで、水や雨雪を支配する神である。 一首の意は、陛下はそうおっしゃいますが、そちらの大雪とおっしゃるのは、実はわたくしが岡の 神に御祈して降らせました雪の、ほんの 摧 ( くだ )けが飛ばっちりになったに過ぎないのでございましょう、というのである。 御製の御 揶揄 ( やゆ )に対して劣らぬユウモアを漂わせているのであるが、やはり親愛の心こまやかで棄てがたい歌である。 それから、御製の方が大どかで男性的なのに比し、夫人の方は心がこまかく女性的で、技巧もこまかいのが特色である。 歌としては御製の方が優るが、天皇としては、こういう女性的な和え歌の方が却って御喜になられたわけである。 皇子が大和に帰られる時皇女の詠まれた歌である。 皇女は皇子の同母姉君の関係にある。 一首は、わが弟の君が大和に帰られるを送ろうと夜ふけて立っていて暁の露に霑れた、というので、暁は、原文に 鶏鳴露 ( アカトキツユ )とあるが、 鶏鳴 ( けいめい )(四更 丑刻 ( うしのこく ))は午前二時から四時迄であり、また万葉に 五更露爾 ( アカトキツユニ )(巻十・二二一三)ともあって、 五更 ( ごこう )( 寅刻 ( とらのこく ))は午前四時から六時迄であるから、夜の 更 ( ふけ )から程なく 暁 ( あかとき )に続くのである。 そこで、歌の、「さ夜ふけてあかとき露に」の句が理解出来るし、そのあいだ立って居られたことをも示して居るのである。 大津皇子は天武天皇崩御の後、 不軌 ( ふき )を謀ったのが 露 ( あら )われて、 朱鳥 ( あかみとり )元年十月三日死を賜わった。 伊勢下向はその前後であろうと想像せられて居るが、史実的には確かでなく、単にこの歌だけを読めば恋愛(親愛)情調の歌である。 併し、別離の情が切実で、且つ寂しい響が一首を流れているのをおもえば、そういう史実に関係あるものと仮定しても味うことの出来る歌である。 「わが背子」は、普通恋人または 夫 ( おっと )のことをいうが、この場合は御弟を「背子」と云っている。 親しんでいえば同一に帰着するからである。 「大和へやる」の「やる」という語も注意すべきもので、単に、「帰る」とか「行く」とかいうのと違って、自分の意志が 活 ( はたら )いている。 名残惜しいけれども帰してやるという意志があり、そこに強い感動がこもるのである。 「かへし遣る使なければ」(巻十五・三六二七)、「この 吾子 ( あこ )を 韓国 ( からくに )へ遣るいはへ神たち」(巻十九・四二四〇)等の例がある。 一首の意は、弟の君と一しょに行ってもうらさびしいあの秋山を、どんな 風 ( ふう )にして今ごろ弟の君はただ一人で越えてゆかれることか、というぐらいの意であろう。 前の歌のうら悲しい情調の連鎖としては、やはり悲哀の情調となるのであるが、この歌にはやはり単純な親愛のみで解けないものが底にひそんでいるように感ぜられる。 代匠記に、「殊ニ身ニシムヤウニ聞ユルハ、御謀反ノ志ヲモ聞セ給フベケレバ、事ノ 成 ( なり )ナラズモ 覚束 ( おぼつか )ナク、又ノ対面モ如何ナラムト 思召 ( おぼしめす )御胸ヨリ出レバナルベシ」とあるのは、或は当っているかも知れない。 また、「君がひとり」とあるがただの御一人でなく御伴もいたものであろう。 「妹待つと」は、「妹待つとて」、「妹を待とうとして、妹を待つために」である。 「あしひきの」は、万葉集では巻二のこの歌にはじめて出て来た枕詞であるが、説がまちまちである。 宣長の「 足引城 ( あしひきき )」説が平凡だが一番真に近いか。 「 足 ( あし )は山の 脚 ( あし )、引は長く 引延 ( ひきは )へたるを云。 城 ( き )とは凡て 一構 ( ひとかまへ )なる 地 ( ところ )を云て此は即ち山の 平 ( たひら )なる処をいふ」(古事記伝)というのである。 御歌は、繰返しがあるために、内容が単純になった。 けれどもそのために親しみの情が却って深くなったように思えるし、それに第一その歌調がまことに快いものである。 第二句の「雫に」は「沾れぬ」に続き、結句の「雫に」もまたそうである。 こういう簡単な表現はいざ実行しようとするとそう容易にはいかない。 右に石川郎女の 和 ( こた )え奉った歌は、「 吾 ( あ )を待つと君が 沾 ( ぬ )れけむあしひきの 山 ( やま )の 雫 ( しづく )にならましものを」(巻二・一〇八)というので、その雨雫になりとうございますと、媚態を示した女らしい語気の歌である。 郎女の歌は受身でも機智が働いているからこれだけの親しい歌が出来た。 共に互の微笑をこめて唱和しているのだが、皇子の御歌の方がしっとりとして居るところがある。 持統天皇の吉野行幸は前後三十二回にも上るが、 杜鵑 ( ほととぎす )の 啼 ( な )く頃だから、持統四年五月か、五年四月であっただろう。 一首の意は、この鳥は、過去ったころの事を思い慕うて啼く鳥であるのか、今、 弓弦葉 ( ゆづるは )の 御井 ( みい )のほとりを啼きながら飛んで行く、というのである。 「 古 ( いにしへ )」即ち、過去の事といふのは、天武天皇の御事で、皇子の御父であり、吉野とも、また額田王とも御関係の深かったことであるから、そこで杜鵑を機縁として追懐せられたのが、「古に恋ふる鳥かも」という句で、簡浄の中に 情緒 ( じょうちょ )充足し何とも言えぬ句である。 そしてその下に、杜鵑の行動を写して、具体的現実的なものにしている。 この関係は芸術の常道であるけれども、こういう具合に精妙に表われたものは極く 稀 ( まれ )であることを知って置く方がいい。 「弓弦葉の御井」は既に固有名詞になっていただろうが、弓弦葉(ゆずり葉)の好い樹が清泉のほとりにあったためにその名を得たので、これは、後出の、「山吹のたちよそひたる山清水」(巻二・一五八)と同様である。 そして此等のものが皆一首の大切な要素として盛られているのである。 「上より」は経過する意で、「より」、「ゆ」、「よ」等は多くは運動の語に続き、此処では「啼きわたり行く」という運動の語に続いている。 この語なども古調の妙味実に云うべからざるものがある。 既に年老いた額田王は、この御歌を読んで深い感慨にふけったことは既に言うことを 須 ( もち )いない。 この歌は人麿と同時代であろうが、人麿に無い 簡勁 ( かんけい )にして静和な響をたたえている。 額田王は右の御歌に「 古 ( いにしへ )に恋ふらむ鳥は 霍公鳥 ( ほととぎす )けだしや啼きしわが恋ふるごと」(同・一一二)という歌を以て 和 ( こた )えている。 皇子の御歌には 杜鵑 ( ほととぎす )のことははっきり云ってないので、この歌で、杜鵑を明かに云っている。 そして、額田王も 亦 ( また )古を追慕すること痛切であるが、そのように杜鵑が啼いたのであろうという意である。 この歌は皇子の歌よりも遜色があるので取立てて選抜しなかった。 併し既に老境に入った額田王の歌として注意すべきものである。 なぜ皇子の歌に比して 遜色 ( そんしょく )があるかというに、和え歌は受身の位置になり、相撲ならば、受けて立つということになるからであろう。 贈り歌の方は第一次の感激であり、和え歌の方はどうしても間接になりがちだからであろう。 この「人言を」の歌は、皇女が高市皇子の宮に居られ、 窃 ( ひそ )かに穂積皇子に接せられたのが 露 ( あら )われた時の御歌である。 「秋の田の」の歌は上の句は序詞があって、技巧も巧だが、「君に寄りなな」の句は強く純粋で、また語気も女性らしいところが出ていてよいものである。 「人言を」の歌は、一生涯これまで一度も経験したことの無い朝川を渡ったというのは、実際の写生で、実質的であるのが人の心を 牽 ( ひ )く。 特に皇女が皇子に逢うために、 秘 ( ひそ )かに朝川を渡ったというように想像すると、なお切実の度が増すわけである。 普通女が男の許に通うことは稀だからである。 当時人麿は石見の国府(今の 那賀 ( なか )郡 下府上府 ( しもこうかみこう ))にいたもののようである。 妻はその近くの 角 ( つぬ )の 里 ( さと )(今の 都濃津 ( つのつ )附近)にいた。 高角山は角の里で高い山というので、今の 島星山 ( しまのほしやま )であろう。 角の里を通り、島星山の麓を縫うて 江川 ( ごうのがわ )の岸に出たもののようである。 石見の高角山の山路を来てその木の間から、妻のいる里にむかって、振った私の袖を妻は見たであろうか。 角の里から山までは距離があるから、実際は妻が見なかったかも知れないが、心の自然的なあらわれとして歌っている。 そして人麿一流の波動的声調でそれを統一している。 そしてただ威勢のよい声調などというのでなく、妻に対する濃厚な愛情の出ているのを注意すべきである。 人麿が馬に乗って今の 邑智 ( おおち )郡の山中あたりを通った時の歌だと想像している。 私は人麿上来の道筋をば、出雲路、山陰道を通過せしめずに、今の邑智郡から 赤名越 ( あかなごえ )をし、 備後 ( びんご )にいでて、瀬戸内海の船に乗ったものと想像している。 今通っている山中の笹の葉に風が吹いて、ざわめき 乱 ( みだ )れていても、わが心はそれに 紛 ( まぎ )れることなくただ 一向 ( ひたすら )に、別れて来た妻のことをおもっている。 今現在山中の笹の葉がざわめき乱れているのを、直ぐ取りあげて、それにも 拘 ( かか )わらずただ一筋に妻をおもうと言いくだし、それが通俗に堕せないのは、一首の古調のためであり、人麿的声調のためである。 そして人麿はこういうところを歌うのに決して軽妙には歌っていない。 飽くまで実感に即して 執拗 ( しつよう )に歌っているから軽妙に 滑 ( すべ )って行かないのである。 第三句ミダレドモは古点ミダルトモであったのを仙覚はミダレドモと訓んだ。 それを賀茂真淵はサワゲドモと訓み、橘守部はサヤゲドモと訓み、近時この訓は有力となったし、「 ササの葉はみ山も サヤに サヤげども」とサ音で調子を取っているのだと解釈しているが、これは 寧 ( むし )ろ、「 ササの葉は ミヤマも サヤに ミダレども」のようにサ音とミ音と両方で調子を取っているのだと解釈する方が 精 ( くわ )しいのである。 サヤゲドモではサの音が多過ぎて軽くなり過ぎる。 次に、万葉には四段に活かせたミダルの例はなく、あっても他動詞だから応用が出来ないと論ずる学者(沢瀉博士)がいて、殆ど定説にならんとしつつあるが、既にミダリニの副詞があり、それが自動詞的に使われている以上(日本書紀に濫・妄・浪等を当てている)は、四段に活用した証拠となり、古訓法華経の、「不 二 妄 ( ミダリニ )開示 一」、古訓老子の、「不 レ知 レ常 妄 ( ミダリニ )作 シテ凶 ナリ」等をば、参考とすることが出来る。 即ち万葉時代の人々が其等をミダリニと訓んでいただろう。 そのほかミダリガハシ、ミダリゴト、ミダリゴコチ、ミダリアシ等の用例が古くあるのである。 また自動詞他動詞の区別は絶対的でない以上、四段のミダルは平安朝以後のように他動詞に限られた一種の約束を人麿時代迄 溯 ( さかのぼ )らせることは無理である。 また、此の場合の笹の葉の状態は聴覚よりも寧ろ聴覚を伴う視覚に重きを置くべきであるから、それならばミダレドモと訓む方がよいのである。 若しどうしても四段に活用せしめることが出来ないと一歩を譲って、下二段に活用せしめるとしたら、古訓どおりにミダルトモと訓んでも 毫 ( ごう )も鑑賞に 差支 ( さしつかえ )はなく、前にあった人麿の、「ささなみの志賀の大わだヨドムトモ」(巻一・三一)の歌の場合と同じく、現在の光景でもトモと用い得るのである。 声調の上からいえばミダルトモでもサヤゲドモよりも 優 ( ま )さっている。 併しミダレドモと訓むならばもっとよいのだから、私はミダレドモの訓に執着するものである。 (本書は簡単を必要とするからミダル四段説は別論して置いた。 ) 巻七に、「竹島の阿渡白波は 動 ( とよ )めども(さわげども)われは家おもふ 廬 ( いほり )悲しみ」(一二三八)というのがあり、類似しているが、人麿の歌の模倣ではなかろうか。 「青駒」はいわゆる青毛の馬で、黒に青みを帯びたもの、大体黒馬とおもって差支ない。 白馬だという説は当らない。 「足掻を速み」は馬の 駈 ( か )けるさまである。 一首の意は、妻の居るあたりをもっと見たいのだが、自分の乗っている青馬の駈けるのが速いので、妻のいる筈の里も、いつか 空遠 ( そらとお )く隔ってしまった、というのである。 内容がこれだけだが、歌柄が強く大きく、人麿的声調を遺憾なく発揮したものである。 恋愛の悲哀といおうより寧ろ荘重の気に打たれると云った声調である。 そこにおのずから人麿的な一つの類型も聯想せられるのだが、人麿は 細々 ( こまごま )したことを描写せずに、 真率 ( しんそつ )に真心をこめて歌うのがその特徴だから内容の単純化も行われるのである。 「雲居にぞ」といって、「過ぎて来にける」と止めたのは実に旨い。 もっともこの調子は藤原の御井の長歌にも、「雲井にぞ遠くありける」(巻一・五二)というのがある。 この歌の次に、「秋山に落つる 黄葉 ( もみぢば )しましくはな散り 乱 ( みだ )れそ 妹 ( いも )があたり見む」(巻二・一三七)というのがある。 これも客観的よりも、心の調子で歌っている。 それを嫌う人は嫌うのだが、軽浮に堕ちない点を 見免 ( みのが )してはならぬのである。 この石見から上来する時の歌は人麿としては晩年の作に属するものであろう。 斉明紀四年十一月の条に、「於 レ是皇太子、親間 二有間皇子 一曰、何故謀反、答曰、天与 二赤兄 一知、吾全不 レ解」の記事がある。 この歌は行宮へ送られる途中磐代(今の紀伊日高郡南部町岩代)海岸を通過せられた時の歌である。 皇子は十一日に行宮から護送され、藤白坂で 絞 ( こう )に処せられた。 御年十九。 万葉集の詞書には、「有間皇子自ら 傷 ( かな )しみて松が枝を結べる歌二首」とあるのは、以上のような御事情だからであった。 一首の意は、自分はかかる身の上で磐代まで来たが、いま浜の松の枝を結んで幸を祈って行く。 幸に無事であることが出来たら、二たびこの結び松をかえりみよう、というのである。 松枝を結ぶのは、草木を結んで幸福をねがう信仰があった。 無事であることが出来たらというのは、皇太子の訊問に対して言い開きが出来たらというので、皇子は恐らくそれを信じて居られたのかも知れない。 「天と赤兄と知る」という御一語は悲痛であった。 けれども此歌はもっと哀切である。 こういう万一の場合にのぞんでも、ただの主観の語を 吐出 ( はきだ )すというようなことをせず、御自分をその 儘 ( まま )素直にいいあらわされて、そして結句に、「またかへり見む」という感慨の語を据えてある。 これはおのずからの写生で、抒情詩としての短歌の態度はこれ以外には無いと 謂 ( い )っていいほどである。 作者はただ有りの儘に写生したのであるが、後代の吾等がその技法を吟味すると種々の事が云われる。 例えば第三句で、「引き結び」と云って置いて、「まさきくあらば」と続けているが、そのあいだに幾分の休止あること、「豊旗雲に入日さし」といって、「こよひの月夜」と続け、そのあいだに幾分の休止あるのと似ているごときである。 こういう事が自然に実行せられているために、歌調が、後世の歌のような常識的平俗に 堕 ( おち )ることが無いのである。 「笥」というのは和名鈔に盛食器也とあって 飯笥 ( いいけ )のことである。 そしてその頃高貴の方の食器は銀器であっただろうと考証している(山田博士)。 一首は、家(御殿)におれば、笥(銀器)に盛る飯をば、こうして旅を来ると椎の葉に盛る、というのである。 笥をば銀の飯笥とすると、椎の小枝とは非常な差別である。 前の御歌は、「 真幸 ( まさき )くあらばまたかへりみむ」と強い感慨を漏らされたが、痛切複雑な御心境を、かく単純にあらわされたのに驚いたのであるが、此歌になると殆ど感慨的な語がないのみでなく、詠歎的な助詞も助動詞も無いのである。 併し底を流るる哀韻を見のがし得ないのはどうしてか。 吾等の常識では「草枕旅にしあれば」などと、普通 旅 ( きりょ )の不自由を歌っているような内容でありながら、そういうものと違って感ぜねばならぬものを此歌は持っているのはどうしてか。 これは史実を顧慮するからというのみではなく、史実を念頭から去っても同じことである。 これは皇子が、生死の問題に直面しつつ経験せられた現実を 直 ( ただち )にあらわしているのが、やがて普通の 旅とは違ったこととなったのである。 写生の 妙諦 ( みょうてい )はそこにあるので、この結論は大体間違の無いつもりである。 中大兄皇子の、「 香具 ( かぐ )山と 耳成 ( みみなし )山と会ひしとき立ちて見に来し 印南 ( いなみ )国原」(巻一・一四)という歌にも、この客観的な荘厳があったが、あれは伝説を歌ったので、「 嬬 ( つま )を争ふらしき」という感慨を潜めていると云っても対象が対象だから此歌とは違うのである。 然るに有間皇子は御年僅か十九歳にして、 斯 ( かか )る客観的荘厳を 成就 ( じょうじゅ )せられた。 皇子の以上の二首、特にはじめの方は時の人々を感動せしめたと見え、「磐代の岸の松が枝結びけむ人はかへりてまた見けむかも」(巻二・一四三)、「磐代の野中に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ」(同・一四四、 長忌寸意吉麿 ( ながのいみきおきまろ ))、「つばさなすあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ」(同・一四五、山上憶良)、「後見むと君が結べる磐代の子松がうれをまた見けむかも」(同・一四六、人麿歌集)等がある。 併し歌は皆皇子の御歌には及ばないのは、心が間接になるからであろう。 また、 穂積朝臣老 ( ほづみのあそみおゆ )が近江行幸(養老元年か)に 供奉 ( ぐぶ )した時の「吾が命し 真幸 ( まさき )くあらばまたも見む志賀の大津に寄する白浪」(巻三・二八八)もあるが、皇子の歌ほど切実にひびかない。 「椎の葉」は、和名鈔は、「椎子 和名之比」であるから 椎 ( しい )の 葉 ( は )であってよいが、 楢 ( なら )の 葉 ( は )だろうという説がある。 そして新撰字鏡に、「椎、 奈良乃木 ( ナラノキ )也」とあるのもその証となるが、陰暦十月上旬には楢は既に落葉し尽している。 また「 遅速 ( おそはや )も 汝 ( な )をこそ待ため向つ 峰 ( を )の椎の 小枝 ( こやで )の逢ひは 違 ( たげ )はじ」(巻十四・三四九三)と或本の歌、「椎の 小枝 ( さえだ )の時は過ぐとも」の 椎 ( しい )は 思比 ( シヒ )、 四比 ( シヒ )と書いているから、 楢 ( なら )ではあるまい。 そうすれば、椎の小枝を折ってそれに飯を盛ったと解していいだろう。 「片岡の 此 ( この ) 向 ( むか )つ 峯 ( を )に 椎 ( しひ )蒔かば今年の夏の陰になみむか」(巻七・一〇九九)も 椎 ( しい )であろうか。 そして此歌は詠 レ岳だから、椎の木の生長のことなどそう合理的でなくとも、ふとそんな気持になって詠んだものであろう。 天皇は十年冬九月御不予、十月御病重く、十二月近江宮に崩御したもうたから、これは九月か十月ごろの御歌であろうか。 一首の意は、天を遠くあおぎ見れば、悠久にしてきわまりない。 今、天皇の 御寿 ( おんいのち )もその天の如くに満ち足っておいでになる、聖寿無極である、というのである。 天皇御不予のことを知らなければ、ただの寿歌、祝歌のように受取れる御歌であるが、繰返し吟誦し奉れば、かく御願い、かく仰せられねばならぬ切な御心の、切実な悲しみが潜むと感ずるのである。 特に、結句に「天足らしたり」と強く断定しているのは、却ってその詠歎の 究竟 ( きゅうきょう )とも謂うことが出来る。 橘守部 ( たちばなのもりべ )は、この御歌の「天の原」は天のことでなしに、家の屋根の事だと考証し、新室を祝う 室寿 ( むろほぎ )の詞の中に「み空を見れば万代にかくしもがも」云々とある等を証としたが、その屋根を天に 準 ( たと )えることは、新家屋を 寿 ( ことほ )ぐのが主な動機だから自然にそうなるので、また、万葉巻十九(四二七四)の 新甞会 ( にいなめえ )の歌の「 天 ( あめ )にはも 五百 ( いほ )つ綱はふ 万代 ( よろづよ )に国知らさむと五百つ綱 延 ( は )ふ」でも、宮殿内の 肆宴 ( しえん )が主だからこういう云い方になるのである。 御不予御平癒のための願望動機とはおのずから違わねばならぬと思うのである。 縦 ( たと )い、実際的の吉凶を 卜 ( ぼく )する行為があったとしても、天空を仰いでも卜せないとは限らぬし、そういう行為は現在伝わっていないから分からぬ。 私は、歌に「天の原ふりさけ見れば」とあるから、素直に天空を仰ぎ見たことと解する旧説の方が却って原歌の真を伝えているのでなかろうかと思うのである。 守部説は少し 穿過 ( うがちす )ぎた。 この歌は「天の原ふりさけ見れば」といって直ぐ「大王の御寿は」と続けている。 これだけでみると、吉凶を卜して吉の徴でも得たように取れるかも知れぬが、これはそういうことではあるまい。 此処に常識的意味の上に省略と単純化とがあるので、此は古歌の特徴なのである。 散文ならば、蒼天の無際無極なるが如く云々と補充の出来るところなのである。 この御歌の下の句の訓も、古鈔本では京都大学本がこう訓み、近くは 略解 ( りゃくげ )がこう訓んで諸家それに従うようになったものである。 初句「青旗の」は、下の「木旗」に 懸 ( かか )る枕詞で、青く樹木の繁っているのと、下のハタの音に関聯せしめたものである。 「木幡」は地名、山城の 木幡 ( こはた )で、天智天皇の御陵のある 山科 ( やましな )に近く、古くは、「山科の 木幡 ( こはた )の山を馬はあれど」(巻十一・二四二五)ともある如く、山科の木幡とも云った。 天皇の御陵の辺を見つつ詠まれたものであろう。 右は大体契沖の説だが、「青旗の木旗」をば葬儀の時の 幢幡 ( どうばん )のたぐいとする説(考・檜嬬手・攷證)がある。 自分も一たびそれに従ったことがあるが、今度は契沖に従った。 一首の意。 〔青旗の〕(枕詞)木幡山の御墓のほとりを天がけり通いたもうとは目にありありとおもい浮べられるが、直接にお逢い奉ることが無い。 御身と親しく御逢いすることがかなわない、というのである。 御歌は単純蒼古で、 徒 ( いたず )らに 艶 ( つや )めかず技巧を無駄使せず、前の御歌同様集中傑作の一つである。 「直に」は、現身と現身と直接に会うことで、それゆえ万葉に用例がなかなか多い。 「 百重 ( ももへ )なす心は思へど 直 ( ただ )に逢はぬかも」(巻四・四九六)、「うつつにし直にあらねば」(巻十七・三九七八)、「直にあらねば恋ひやまずけり」(同・三九八〇)、「夢にだに継ぎて見えこそ直に逢ふまでに」(巻十二・二九五九)などである。 「目には見れども」は、眼前にあらわれて来ることで、写象として、 幻 ( まぼろし )として、夢等にしていずれでもよいが、此処は写象としてであろうか。 「み空ゆく 月読 ( つくよみ ) 男 ( をとこ )ゆふさらず目には見れども寄るよしもなし」(巻七・一三七二)、「 人言 ( ひとごと )をしげみこちたみ 我背子 ( わがせこ )を目には見れども逢ふよしもなし」(巻十二・二九三八)の歌があるが、皆民謡風の軽さで、この御歌ほどの切実なところが無い。 倭太后は倭姫皇后のことである。 一首の意は、他の人は 縦 ( たと )い 御崩 ( おかく )れになった天皇を、思い慕うことを止めて、忘れてしまおうとも、私には天皇の面影がいつも見えたもうて、忘れようとしても忘れかねます、というのであって、独詠的な特徴が存している。 「玉かづら」は 日蔭蔓 ( ひかげかずら )を髪にかけて飾るよりカケにかけ、カゲに懸けた枕詞とした。 山田博士は葬儀の時の 華縵 ( けまん )として単純な枕詞にしない説を立てた。 この御歌には、「影に見えつつ」とあるから、前の御歌もやはり写象のことと解することが出来るとおもう。 「見し人の言問ふ姿面影にして」(巻四・六〇二)、「面影に見えつつ妹は忘れかねつも」(巻八・一六三〇)、「面影に懸かりてもとな思ほゆるかも」(巻十二・二九〇〇)等の用例が多い。 この御歌は、「人は縦し思ひ止むとも」と強い主観の詞を云っているけれども、全体としては前の二つの御歌よりも 寧 ( むし )ろ弱いところがある。 それは恐らく下の句の声調にあるのではなかろうか。 十市皇女は天武天皇の皇長女、御母は 額田女王 ( ぬかだのおおきみ )、弘文天皇の妃であったが、 壬申 ( じんしん )の戦後、 明日香清御原 ( あすかのきよみはら )の宮(天武天皇の宮殿)に帰って居られた。 天武天皇七年四月、伊勢に行幸御進発間際に急逝せられた。 天武紀に、七年夏四月、丁亥朔、欲 レ幸 二斎宮 一、卜 レ之、癸巳食 レ卜、仍取 二平旦時 一、警蹕既動、百寮成 レ列、乗輿命 レ蓋、以未 レ及 二出行 一、十市皇女、卒然病発、薨 二於宮中 一、由 レ此鹵簿既停、不 レ得 二幸行 一、遂不 レ祭 二神祇 一矣とある。 高市皇子は異母弟の間柄にあらせられる。 御墓は赤穂にあり、今は赤尾に作っている。 一首の意は、山吹の花が、美しくほとりに咲いている山の泉の水を、汲みに行こうとするが、どう 通 ( とお )って行ったら好いか、その道が分からない、というのである。 山吹の花にも似た姉の十市皇女が急に死んで、どうしてよいのか分からぬという心が含まれている。 作者は山清水のほとりに山吹の美しく咲いているさまを一つの写象として念頭に浮べているので、謂わば十市皇女と関聯した一つの象徴なのである。 そこで、どうしてよいか分からぬ悲しい心の有様を「道の知らなく」と云っても、感情上 毫 ( すこ )しも無理ではない。 併し、常識からは、一定の山清水を指定しているのなら、「道の知らなく」というのがおかしいというので、橘守部の如く、「山吹の立ちよそひたる山清水」というのは、「黄泉」という支那の熟語をくだいてそういったので、黄泉まで尋ねて行きたいが幽冥界を異にしてその行く道を知られないというように解するようになる。 守部の解は常識的には道理に近く、或は作者はそういう意図を以て作られたのかも知れないが、歌の鑑賞は、字面にあらわれたものを第一義とせねばならぬから、おのずから私の解釈のようになるし、それで感情上決して不自然ではない。 第二句、「立儀足」は旧訓サキタルであったのを代匠記がタチヨソヒタルと訓んだ。 その他にも異訓があるけれども大体代匠記の訓で定まったようである。 ヨソフという語は、「水鳥のたたむヨソヒに」(巻十四・三五二八)をはじめ諸例がある。 「山吹の立ちよそひたる山清水」という句が、既に写象の鮮明なために一首が佳作となったのであり、一首の意味もそれで押とおして行って味えば、この歌の優れていることが分かる。 古調のいい難い妙味があると共に、意味の上からも順直で無理が無い。 黄泉云々の事はその奥にひそめつつ、挽歌としての関聯を鑑賞すべきである。 なぜこの歌の上の句が切実かというに、「かはづ鳴く 甘南備 ( かむなび )河にかげ見えて今か咲くらむ山吹の花」(巻八・一四三五)等の如く、当時の人々が愛玩した花だからであった。 原文には一書曰、太上天皇御製歌、とあるのは、文武天皇の御世から見て持統天皇を太上天皇と申奉った。 即ち持統天皇御製として言伝えられたものである。 一首は、北山に 連 ( つらな )ってたなびき居る雲の、青雲の中の(蒼き空の)星も移り、月も移って行く。 天皇おかくれになって 万 ( よろ )ず過ぎゆく御心持であろうが、ただ思想の 綾 ( あや )でなく、もっと具体的なものと解していい。 大体右の如く解したが、此歌は実は難解で種々の説がある。 「北山に」は原文「向南山」である。 南の方から北方にある山科の御陵の山を望んで「向南山」と云ったものであろう。 「つらなる雲の」は原文「陣(陳)雲之」で旧訓タナビククモノであるが、古写本中ツラナルクモノと訓んだのもある。 けれども古来ツラナルクモという用例は無いので、山田博士の如きも旧訓に従った。 併しツラナルクモも可能訓と謂われるのなら、この方が型を破って却って深みを増して居る。 次に「青雲」というのは青空・青天・蒼天などということで、雲というのはおかしいようだが、「青雲のたなびく日すら 霖 ( こさめ )そぼ降る」(巻十六・三八八三)、「青雲のいでこ我妹子」(巻十四・三五一九)、「青雲の向伏すくにの」(巻十三・三三二九)等とあるから、晴れた蒼天をも青い雲と信じたものであろう。 そこで、「北山に続く青空」のことを、「北山につらなる雲の青雲の」と云ったと解し得るのである。 これから、星のことも月のことも、単に「物変星移幾度秋」の如きものでなく、現実の星、現実の月の移ったことを見ての詠歎と解している。 面倒な歌だが、右の如くに解して、自分は此歌を尊敬し愛誦している。 「春過ぎて夏来るらし」と殆ど同等ぐらいの位置に置いている。 何か 渾沌 ( こんとん )の気があって二二ガ四と割切れないところに心を 牽 ( ひ )かれるのか、それよりももっと真実なものがこの歌にあるからであろう。 自分は、「北山につらなる雲の」だけでももはや尊敬するので、それほど古調を尊んでいるのだが、少しく偏しているか知らん。 御二人は御姉弟の間柄であることは既に前出の歌のところで云った。 皇子は 朱鳥 ( あかみとり )元年十月三日に死を賜わった。 また皇女が天武崩御によって 斎王 ( いつきのおおきみ )を退き(天皇の御代毎に交代す)帰京せられたのはやはり朱鳥元年十一月十六日だから、皇女は皇子の死を大体知っていられたと思うが、帰京してはじめて事の委細を聞及ばれたものであっただろう。 一首の意。 〔神風の〕(枕詞)伊勢国にその儘とどまっていた方がよかったのに、君も此世を去って、もう居られない都に何しに還って来たことであろう。 「伊勢の国にもあらましを」の句は、皇女真実の御声であったに相違ない。 家郷である大和、ことに京に還るのだから喜ばしい筈なのに、この御詞のあるのは、強く読む者の心を打つのである。 第三句に、「あらましを」といい、結句に、「あらなくに」とあるのも重くして悲痛である。 なお、同時の御作に、「見まく欲り吾がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに」(巻二・一六四)がある。 前の結句、「君もあらなくに」という句が此歌では第三句に置かれ、「馬疲るるに」という実事の句を以て結んで居るが、、この結句にもまた 愬 ( うった )えるような響がある。 以上の二首は連作で二つとも 選 ( よ )っておきたいが、今は一つを従属的に取扱うことにした。 「 弟背 ( いろせ )」は原文「弟世」とあり、イモセ、ヲトセ、ナセ、ワガセ等の諸訓があるが、新訓のイロセに従った。 同母兄弟をイロセということ、古事記に、「天照大御神之 伊呂勢 ( イロセ )」、「其 伊呂兄 ( イロセ )五瀬命」等の用例がある。 第一首。 生きて現世に残っている私は、明日からはこの二上山をば弟の君とおもって見て慕い 偲 ( しの )ぼう。 今日いよいよ此処に葬り申すことになった。 第二首。 石のほとりに生えている、美しいこの馬酔木の花を手折もしようが、その花をお見せ申す弟の君はもはやこの世に生きて居られない。 「君がありと云はなくに」は文字どおりにいえば、「一般の人々が此世に君が生きて居られるとは云わぬ」ということで、人麿の歌などにも、「人のいへば」云々とあるのと同じく、一般にそういわれているから、それが本当であると強めた云い方にもなり、 兎 ( と )に 角 ( かく )そういう云い方をしているのである。 馬酔木については、「山もせに咲ける馬酔木の、 悪 ( にく )からぬ君をいつしか、往きてはや見む」(巻八・一四二八)、「馬酔木なす栄えし君が掘りし井の」(巻七・一一二八)等があり、自生して人の好み賞した花である。 この二首は、前の御歌等に較べて、稍しっとりと底深くなっているようにおもえる。 「何しか来けむ」というような強い激越の調がなくなって、「現身の人なる吾や」といって、 諦念 ( ていねん )の如き心境に入ったもののいいぶりであるが、併し二つとも優れている。 皇子尊 ( みこのみこと )と書くのは皇太子だからである。 日並皇子尊( 草壁皇子 ( くさかべのみこ ))は持統三年に薨ぜられた。 「ぬばたまの夜わたる月の隠らく」というのは日並皇子尊の薨去なされたことを申上げたので、そのうえの、「あかねさす日は照らせれど」という句は、言葉のいきおいでそう云ったものと解釈してかまわない。 つまり、「月の隠らく惜しも」が主である。 全体を一種象徴的に歌いあげている。 そしてその歌調の 渾沌 ( こんとん )として深いのに吾々は注意を払わねばならない。 この歌の第二句は、「日は照らせれど」であるから、以上のような解釈では物足りないものを感じ、そこで、「あかねさす日」を持統天皇に 譬 ( たと )え奉ったものと解釈する説が多い。 然るに皇子尊薨去の時には天皇が未だ即位し給わない等の史実があって、常識からいうと、実は変な 辻棲 ( つじつま )の合わぬ歌なのである。 併し此処は 真淵 ( まぶち )が 万葉考 ( まんようこう )で、「日はてらせれどてふは月の隠るるをなげくを 強 ( ツヨ )むる言のみなり」といったのに従っていいと思う。 或はこの歌は年代の明かな人麿の作として最初のもので、初期(想像年齢二十七歳位)の作と看做していいから、幾分常識的散文的にいうと 腑 ( ふ )に落ちないものがあるかも知れない。 特に人麿のものは句と句との連続に、省略があるから、それを顧慮しないと解釈に無理の生ずる場合がある。 「 勾 ( まがり )の池」は島の宮の池で、現在の 高市 ( たかいち )郡高市村の小学校近くだろうと云われている。 一首の意は、勾の池に 放 ( はな )ち 飼 ( がい )にしていた 禽鳥 ( きんちょう )等は、皇子尊のいまさぬ後でも、なお人なつかしく、水上に浮いていて水に 潜 ( くぐ )ることはないというのである。 真淵は此一首を、 舎人 ( とねり )の作のまぎれ込んだのだろうと云ったが、舎人等の歌は、かの二十三首でも人麿の作に比して一般に劣るようである。 例えば、「島の宮 上 ( うへ )の池なる放ち鳥荒びな行きそ君 坐 ( ま )さずとも」(巻二・一七二)、「 御立 ( みたち )せし島をも家と住む鳥も荒びなゆきそ年かはるまで」(同・一八〇)など、内容は類似しているけれども、何処か違うではないか。 そこで参考迄に此一首を抜いて置いた。 「東の滝の御門」は皇子尊の島の宮殿の正門で、 飛鳥 ( あすか )川から水を引いて滝をなしていただろうと云われている。 「人音もせねば」は、人の出入も稀に 寂 ( さび )れた様をいった。 第一首。 島の宮の東門の滝の御門に伺候して居るが、昨日も今日も召し給うことがない。 嘗 ( かつ )て召し給うた御声を聞くことが出来ない。 第二首。 嘗て皇子尊の此世においでになった頃は、朝日の光の照るばかりであった島の宮の御門も、今は人の音ずれも稀になって、心もおぼろに悲しいことである、というのである。 舎人等の歌二十三首は、素直に、心情を 抒 ( の )べ、また当時の歌の声調を伝えて居る点を注意すべきであるが、人麿が作って呉れたという説はどうであろうか。 よく読み味って見れば、少し 楽 ( らく )でもあり、手の足りないところもあるようである。 なお二十三首のうちには次の如きもある。 敷妙 ( しきたへ )の 袖交 ( そでか )へし 君 ( きみ ) 玉垂 ( たまだれ )のをち 野 ( ぬ )に 過 ( す )ぎぬ 亦 ( また )も 逢 ( あ )はめやも 〔巻二・一九五〕 柿本人麿 この歌は、 川島 ( かわしま )皇子が 薨 ( こう )ぜられた時、柿本人麿が 泊瀬部 ( はつせべ )皇女と 忍坂部 ( おさかべ )皇子とに 献 ( たてまつ )った歌である。 川島皇子(天智天皇第二皇子)は泊瀬部皇女の夫の君で、また泊瀬部皇女と忍坂部皇子とは御兄妹の御関係にあるから、人麿は川島皇子の薨去を悲しんで、御両人に同時に御見せ申したと解していい。 「敷妙の」も、「玉垂の」もそれぞれ下の語に 懸 ( かか )る枕詞である。 「袖 交 ( か )へし」のカフは 波 ( は )行下二段に活用し、袖をさし 交 ( かわ )して寝ることで、「白妙の袖さし 交 ( か )へて 靡 ( なび )き 寝 ( ね )し」(巻三・四八一)という用例もある。 「過ぐ」とは死去することである。 一首は、敷妙の袖をお互に 交 ( か )わして契りたもうた川島皇子の君は、今 越智野 ( おちぬ )(大和国高市郡)に葬られたもうた。 今後二たびお逢いすることが出来ようか、もうそれが出来ない、というのである。 この歌は皇女の御気持になり、皇女に同情し奉った歌だが、人麿はそういう場合にも自分の事のようになって作歌し得たもののようである。 そこで一首がしっとりと充実して決して 申訣 ( もうしわけ )の 余所余所 ( よそよそ )しさというものが無い。 第四句で、「越智野に過ぎぬ」と切って、二たび語を起して、「またもあはめやも」と止めた調べは、まことに涙を誘うものがある。 皇女と皇子との御関係は既に云った如くである。 吉隠 ( よなばり )は 磯城 ( しき )郡初瀬町のうちで、猪養の岡はその吉隠にあったのであろう。 「あはにな降りそ」は、諸説あるが、多く降ること 勿 ( なか )れというのに従っておく。 「 塞 ( せき )なさまくに」は 塞 ( せき )をなさんに、 塞 ( せき )となるだろうからという意で、これも諸説がある。 金沢本には、「塞」が「寒」になっているから、新訓では、「寒からまくに」と訓んだ。 一首は、降る雪は余り多く降るな。 但馬皇女のお墓のある吉隠の猪養の岡にかよう道を 遮 ( さえぎ )って邪魔になるから、というので、皇子は藤原京(高市郡鴨公村)からこの吉隠(初瀬町)の方を遠く望まれたものと想像することが出来る。 皇女の薨ぜられた時には、皇子は 知太政官事 ( ちだいじょうかんじ )の職にあられた。 御多忙の御身でありながら、或雪の降った日に、往事のことをも追懐せられつつ吉隠の方にむかってこの吟咏をせられたものであろう。 この歌には、解釈に未定の点があるので、鑑賞にも邪魔する点があるが、大体右の如くに定めて鑑賞すればそれで満足し得るのではあるまいか。 前出の、「君に寄りなな」とか、「朝川わたる」とかは、皆皇女の御詞であった。 そして此歌に於てはじめて吾等は皇子の御詞に接するのだが、それは皇女の御墓についてであった。 そして血の出るようなこの一首を作られたのであった。 結句の「塞なさまくに」は強く迫る句である。 この人麿の妻というのは 軽 ( かる )の 里 ( さと )(今の畝傍町大軽和田石川五条野)に住んでいて、其処に人麿が通ったものと見える。 この妻の急に死んだことを使の者が知らせた 趣 ( おもむき )が長歌に見えている。 一首は、自分の愛する妻が、秋山の 黄葉 ( もみじ )の茂きがため、その中に迷い入ってしまった。 その妻を尋ね求めんに道が分からない、というのである。 死んで葬られることを、秋山に迷い入って隠れた趣に歌っている。 こういう云い方は、現世の生の連続として遠い処に行く趣にしてある。 当時は未だそう信じていたものであっただろうし、そこで愛惜の心も強く附帯していることとなる。 「迷はせる」は迷いなされたという具合に敬語にしている。 これは死んだ者に対しては特に敬語を使ったらしく、その他の人麿の歌にも例がある。 この一首は亡妻を悲しむ心が 極 ( きわ )めて切実で、ただ一気に詠みくだしたように見えて、その実心の渦が中にこもっているのである。 「求めむ」と云ってもただ尋ねようというよりも、もっと覚官的に人麿の身に即したいい方であるだろう。 なお、人麿の妻を悲しんだ歌に、「 去年 ( こぞ )見てし秋の月夜は照らせども相見し 妹 ( いも )はいや年さかる」(巻二・二一一)、「 衾道 ( ふすまぢ )を 引手 ( ひきて )の山に妹を置きて山路をゆけば生けりともなし」(同・二一二)がある。 共に切実な歌である。 二一一の第三句は、「照らせれど」とも訓んでいる。 一周忌の歌だろうという説もあるが、必ずしもそう厳重に 穿鑿 ( せんさく )せずとも、今秋の清い月を見て妻を追憶して歎く趣に取ればいい。 「衾道を」はどうも枕詞のようである。 「引手山」は不明だが、 春日 ( かすが )の 羽易 ( はがい )山の中かその近くと想像せられる。

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夕べ 眠れ ず に 泣い てい たん だ ろう 歌詞

伏見桃山の城地を 繞 ( めぐ )っている淀川の水は、そのまま長流数里、 浪華江 ( なにわえ )の大坂城の石垣へも寄せていた。 「どうなるんだ?」 と、人々はすぐそういう話題に興味を持つ。 「どうって、何が?」 「世の中がよ」 「変るだろう。 こいつあ、はっきりしたことだ。 変らない世の中なんて、そもそも、藤原道長以来、一日だってあった 例 ( ためし )はねえ。 河の水は沸いている。 もう秋は立っているのだが、暑さはこの夏の土用にも 勝 ( まさ )って 酷 ( きび )しい。 淀の京橋口の柳はだらりと白っぽく 萎 ( な )えている。 気の狂ったような 油蝉 ( あぶらぜみ )が一匹、川を横ぎって町屋の中へ突き当ってゆく。 その町も晩の灯の色はどこへか失って、灰を浴びたような板屋根が乾き上がっているのだった。 橋の 上下 ( かみしも )には、無数の石船がつながれていて、河の中も石、 陸 ( おか )も石、どこを見まわしても石だらけなのである。 その石も皆、畳二枚以上の 巨 ( おお )きなものが多かった。 焼けきった石の上に、 石曳 ( いしひ )きの労働者たちは、無感覚に寝そべったり腰かけたり仰向けに転がったりしている。 ちょうど今が、昼飯 刻 ( どき )でその後の半刻休みを楽しんでいるのであろう。 そこらに材木をおろしている牛車の牛も 涎 ( よだれ )をたらして、満身に 蠅 ( はえ )を集めてじっとしている。 伏見城の修築だった。 いつのまにか、世の人々に「大御所」と呼ばしめている家康がここに滞在しているからではない。 城普請 ( しろぶしん )は、徳川の戦後政策の一つだった。 譜代大名 ( ふだいだいみょう )の心を 弛緩 ( しかん )させないために。 もう一つの理由は、一般民に、とにかく徳川政策を 謳歌 ( おうか )させるためには、土木の工を各地に起して、下層民へ金をこぼしてやるに限る。 今、城普請は全国的に着手されていた。 この伏見城の土木へ 日稼 ( ひかせ )ぎに来る労働者の数だけでも、千人に近かった。 その多くは、 新曲輪 ( しんぐるわ )の石垣工事にかかっているのである。 伏見町はそのせいで、急に、 売女 ( ばいた )と 馬蠅 ( うまばえ )と物売りが 殖 ( ふ )え、 「大御所様景気や」 と、徳川政策を謳歌した。 その上、 「もし戦争になれば」 と、町人たちは、機と利を察して、思惑に熱していた。 社会事象のことごとくを、そろばん珠にのせて、 「 儲 ( もう )けるのはここだ」 無言のうちに、商品は活溌にうごいた。 その大部分が、軍需品であることはいうまでもない。 もう庶民の頭には、太閤時代の文化をなつかしむよりも、大御所政策の目さきのいい方へ心酔しかけていた。 司権者は誰でもいいのである。 自分たちの小さな慾望のうちで、生活の満足ができればそれで苦情がないのだ。 家康は、そういう愚民心理を、裏切らなかった。 子どもへ菓子を 撒 ( ま )いてやるより 易々 ( いい )たる問題であったろう。 それも徳川家の金でするのではない。 栄養過多な外様大名に課役させて、程よく、彼らの力をも減殺させながら効果を挙げてゆく。 そうした都市政策の一方、大御所政治は、農村に対しても、従来の放漫な切り取り徴発や、 国持 ( くにもち )まかせを許さなかった。 徳川式の封建政策をぽつぽつ 布 ( し )きはじめていた。 それには、 (民をして政治を知らしむなかれ、政治にたよらせよ) という主義から、 (百姓は、飢えぬほどにして、気ままもさせぬが、百姓への慈悲なり) と、施政の方策をさずけて、徳川中心の永遠の計にかかっていた。 それはやがて、大名にも、町人にも、同じようにかかって来て、孫子の代まで、身うごきのならない手かせ足かせとなる封建統制の前提であったが、そういう百年先のことまでは、誰も考えなかった。 いや、 城普請 ( しろぶしん )の石揚げや石曳きに稼ぎに来ている労働者などは、 明日 ( あした )のことさえ、思っていないのである。 昼飯をたべれば、 「はやく晩になれ」 と祈るのが、いっぱいな慾念だった。 それでも時節がら、 「戦争になるか」 「なれば 何日 ( いつ )頃?」 などと、時局談は、いっぱし 熾 ( さか )んだったが、その心理には、 「戦争になったって、こちとらは、これ以上、悪くなりようがねえ」 という気持があるからで、ほんとにこの時局を 憂 ( うれ )いたり、平和の岐点をじっと案じて、どの方へ曲がるのが国と民のためだろうなどと考えているのでは決してないのである。 石の蔭で、 銭 ( ぜに )の裏表を伏せて、 博戯 ( ばくち )をしていた人足の群れで、二つ売れた。 「こちらの衆は、西瓜どうや。 西瓜買うてくれなはらんか」 と、群れから群れへ唄ってくると、 「べら棒め、銭がねえや」 「ただなら食ってやる」 そんな声ばかりだった。 すると、たった一人ぽち、青白い顔をして、石と石のあいだに 倚 ( よ )りかかって膝を抱えていた石曳きの若い労働者が、 「西瓜か」 と、力のない眼をあげた。 又八は、土のついた青銭を、掌のうえでかぞえた。 西瓜売りにわたして一個の西瓜と交換した。 それを抱え込むと、またしばらく、石に倚りかかったまま、ぐんなり 俯向 ( うつむ )いているのである。 「げ……げ……」 突然、片手をつくと、草の中へ牛みたいに 唾液 ( だえき )を吐いた。 西瓜は膝から転がり出している。 それを取ろうとする気力もないし、食べようという気で買ったわけでもないらしいのだ。 「…………」 にぶい眼で、西瓜をながめていた。 眼は虚無の玉みたいに何の意力も希望もたたえていない。 呼吸 ( いき )をすると肩ばかりうごいた。 「……畜生」 呪う者ばかりが 頭脳 ( あたま )へ映ってくる。 お 甲 ( こう )の白い顔であり、 武蔵 ( たけぞう )のすがたであった。 今の逆境へ落ちて来た過去を 振顧 ( ふりかえ )ると、武蔵がなかったらと思い、お甲に会わなかったらと彼はつい思う。 過 ( あやま )ちの一歩は、関ヶ原の 戦 ( いくさ )の時だ。 次に、お甲の誘惑だ。 あの二つのことさえなかったら、自分は今も、 故郷 ( ふるさと )にいたろう。 そして本位田家の当主になって、美しい嫁をもち、村の人々から、 羨望 ( せんぼう )される身でいられたに違いない。 「お 通 ( つう )は、怨んでいるだろうなあ……。 どうしているか」 彼の今の生活は、彼女を空想することだけが慰めだった。 お甲という女の性質がよくわかってからは、お甲と同棲しているうちから、心はお通へもどっていたのだった。 やがてあの「よもぎの寮」と呼ぶお甲の家を、ていよく突き出されたような形で出てしまってからは、よけいにお通を思うことが多かった。 その後また、よく 洛内 ( らくない )の侍たちの間で噂にのぼる宮本武蔵なる新進の剣士が、むかし友達の「 武蔵 ( たけぞう )」であることを知ると、又八はじっとしていられなかった。 (よしっ、俺だって) 彼は酒をやめた。 遊惰な悪習を蹴とばした。 そして次の生活へかかりかけた。 (お甲のやつにも、見返してやるぞ。 五年も世間を見ずに、年上の女に養われて来た不覚のほどが、はっきり身に沁みて分ったが、遅かった。 (いや、遅かあない。 まだ二十二だ。 どんなことをしたって……) と、これは誰にでも起せる程度の興奮だったが、又八としては、眼をつぶって運命の断層をとび越えるような悲壮をもって、この伏見城の土木へ働きに出たのだった。 そしてこの夏から秋までの炎天下で、自分でもよく続いたと思うほど労働をつづけていた。 (おれも、一かどの男になってみせる。 武蔵のやる芸ぐらい、俺に出来ない法はない。 いや、今にあいつを尻目にかけて、出世してみせてやる。 その時には、お甲にも黙って復讐できるのだ。 武蔵や自分よりも、彼女は一ツ年下だ。 すると今から十年経つうちには、もう三十を一つこえてしまう。 (それまで、お通が、独り身で待っているかしら?) 故郷のその後の消息は何も知らない又八だった。 そう考えると、十年では遠すぎる、少なくもここ五、六年のうちだ。 なんとしても身を立てて、故郷へ行き、お通に詫びて、お通を迎え取らなければならない。 「そうだ……五年か、六年のうちに」 西瓜を見ている眼に、やや光が出てきた。 すると、 巨 ( おお )きな石の向う側から、仲間の一人が、 肱 ( ひじ )を乗せていった。 「おい又八、何をひとりでぶつぶついってるんだ。 ……オヤ、ばかに青い 面 ( つら )して、げんなりしているじゃねえか。 どうしたんだ、腐った西瓜でも喰らって、腹でも 下痢 ( くだ )したのか」 つけ元気に、又八はうすく笑った。 だがすぐ、不快な眼まいがこみあげて来るらしく、 生唾 ( なまつば )を吐いて顔を振った。 「な、なあに、大したことはないが、少し暑さ 中 ( あた )りしたらしいんだ。 ……すまないが、 午 ( ひる )から一 刻 ( とき )ほど、休ましてくれ」 「意気地のねえ野郎だな」 逞しい石曳き仲間は、 愍 ( あわ )れむように 嘲 ( あざけ )った。 「なんだい、その西瓜は。 喰えもしねえのに買ったのか」 「仲間にすまないから、みんなに喰べてもらおうと思って」 「そいつあ如才のねえこった。 おい、又八の 奢 ( おご )りだとよ、食ってやれ」 西瓜を持って、その男は、石の角へたたきつけた。 忽ち、そこらの仲間が 蟻 ( あり )のように寄って来て、赤いしずくの 滴 ( したた )る甘肉の破片を 貪 ( むさぼ )り合った。 「やあい、仕事だぞうっ」 石曳きの 小頭 ( こがしら )が、石のうえに上がって呶鳴った。 監督の侍が、 鞭 ( むち )を持って 陽除 ( ひよ )け小屋から出て来る。 遽 ( にわ )かに汗のにおいが大地にうごき、 馬蠅 ( うまばえ )までわんわん立つ。 「テコ」や「コロ」に乗せられた巨大な石が、一握りもある太い綱に曳かれて徐々に前へ出てゆくのだった、雲の峰がうごくように。 築城時代の現出は、それにつれて全国に、石曳き歌というものの流行を 興 ( おこ )した。 今、ここの人足たちが唄い出したのもそれである。 これにてなくば、うき世なるまじく見え 候 ( そろ )) 労働歌が絃歌になり、蜂須賀侯のような大名までが、 夜興 ( やきょう )の 口誦 ( くちずさ )みに 戯 ( たわむ )れたものとみえる。 街に歌がさかんになりだしたのは、何といっても太閤の世盛りからだった。 室町将軍の頃には、歌があっても 廃頽的 ( はいたいてき )な室内のものだけだった。 その頃は、児童がうたう歌まで、ひがみッぽい暗い歌が多かったが、太閤の世になってからは、歌も明るくなり大きくなり希望的になって、民衆はそれを汗をかきながら太陽の下でうたうことを甚だ好んだ。 関ヶ原の役の後、社会文化に家康色がだんだん濃くなってくると、歌もすこし変って来て、豪放さはうすくなった。 太閤様のころには、民衆からひとりでに歌が湧いてきたが、大御所の世間になってからは、徳川 家付 ( いえつき )の作者が作ったような歌が民衆へ提供されて来た。 「……ああ、苦しい」 又八は、頭をかかえた。 頭は火みたいに熱かった。 仲間のわめいている石曳き歌が、 虻 ( あぶ )に取り巻かれているように耳にうるさかった。 「……五年、五年。 アア五年働いていたらどうなるんだ。 一日稼いでは、一日分食ってしまい、一日休めば、一日食わずにいなけれやならない」 生唾 ( なまつば )も出しきって、青ざめた顔を 俯向 ( うつむ )けていた。 何思ったか、武者修行はそこへ坐りこんだ。 面積一坪ほどな 平石 ( ひらいし )の前にである。 坐ってみるとちょうど机の高さぐらいに 肱 ( ひじ )がつけるのだ。 「ふッ……ふッ……」 焦 ( や )けていた石の砂を息で吹く、砂とともに 蟻 ( あり )の列もふき飛んでゆく。 ふたつの肱をつくと、編笠はしばらく頬杖に乗っている。 陽ざかりで、石はみな照り返すし、草いきれは逆さに顔を撫でるし、さぞ暑いだろうに、身うごきもしない。 城の工事に眺め入っているのである。 少し離れた所に、又八がいることなどは、意に介さない様子であった。 又八もそこへ来てそういう 態 ( てい )をしている武者修行があろうとあるまいと、もとより自分に何の交渉があるわけではないし、頭や胸も依然として不快なので、時折、胃から 生唾 ( なまつば )を吐きながら、背を向けて休んでいた。 その苦しげな息を耳にとめたのだろう。 編笠がうごいて、 「石曳き」 と、声をかけ、 「どういたした?」 「へい……暑さ 中 ( あた )りで」 「苦しいのか」 「少し落ちつきましたが……まだこう吐きそうなんで」 「薬をやろう」 印籠を割って、黒い粒を 掌 ( てのひら )へうつし、起って来て又八の口へ入れてくれた。 「すぐ 癒 ( なお )る」 「ありがとう存じます」 「にがいか」 「そんなでもございません」 「まだ、貴様はそこで、仕事を休んでおるのか」 「へ……」 「誰か参ったら、ちょっとおれの方へ声をかけてくれ、小石で合図をしてくれてもいい、頼むぞ」 武者修行は、そういって、前の位置に坐りこむと、今度はすぐ矢立から筆を取り出し、半紙 綴 ( とじ )の 懐中 ( ふところ )手帖を石の上にひろげて、ものを書くことに没頭しはじめた。 笠のつば越しに、彼の眼のやりばが、間断なく城へ向ったり、城の外のほうへ行ったり、また城のうしろの山の線や、河川の位置や、天守などへ、転々とうごいてゆくところを見ると、その筆の先は、伏見城の地理と廓外廓内の眼づもりを、絵図に 写 ( と )っているにちがいなかった。 関ヶ原の 戦 ( いくさ )の直前に、この城は西軍の浮田勢と島津勢に攻められて、その 増田廓 ( ますだぐるわ )や 大蔵廓 ( おおくらぐるわ )や、また諸所の 塁濠 ( るいごう )などもかなり破壊されたものだったが、今では、太閤時代の旧観にさらに鉄壁の威厳を加えて、一衣帯水の大坂城を 睥睨 ( へいげい )していた。 「……あっ」 又八が、そういった時には、写図に一心になっている編笠のうしろへ、工事課役の大名の臣か、伏見の 直臣 ( じきしん )かわからないが、 草鞋 ( わらじ )ばきで、太刀を 革紐 ( かわひも )で背なかに負うた半具足の侍が、武者修行の気のつくまで、黙って立っていたのだった。 又八は正直にすまないと思った。 けれどもう遅い。 石を投げてやっても声をかけてやっても、もう遅い。 工事目付の侍は、その眼をじっと 睨 ( ね )め返して、石の上の見取図へだまって具足の手を伸ばした。 この炎天下の我慢と、 粒々 ( りゅうりゅう )の辛苦をして、やっと写した城の見取図が、ものもいわず、いきなり肩越しに出て来た手のために、 皺 ( しわ ) くちゃに 掴 ( つか )み 奪 ( と )られようとするのを見ると、武者修行は、火薬の塊りが火を呼んだように、 「何するかッ」 満身で呶鳴った。 手頸 ( てくび )をつかまえて立つと、工事目付は 奪 ( と )り上げた彼の写図帖を、奪り返されまいとして、宙へその手をさしあげつつ、 「見せろ」 「無礼なッ」 「役目だ」 「なんであろうが」 「見ては悪いものか」 「悪いっ。 貴様などが見たってわかるもんじゃない」 「とにかく預る」 「いかん!」 帖の写図は、双方の手に裂かれて、半図ずつ握りしめた。 「曳ッ立てるぞ、素直にせぬと」 「どこへ」 「奉行所へ」 「貴様、役人か」 「然り」 「何番の。 誰の」 「左様なこと、汝らが、訊かんでもいい。 ……とにかくこれは返せん、其方も一応取りただすによって、あっちまで来い」 「あっちとは」 「工事奉行のお 白洲 ( しらす )」 「おれを罪人扱いするのか」 「だまって参るのだ」 「役人、こらっ。 見廻りは、青すじを立てた。 掴んでいた写図の破れを、地へすてて踏みにじり、二尺余りの長い十手を腰から抜いた。 武者修行の手が刀へかかったら、すかさず、その 肱 ( ひじ )へ十手の打撃を入れてやろうとするもののように、腰を 退 ( ひ )いて身構えたが、その様子もないので、もう一度、 「歩かんと、縄を打つぞ」 ことばの終らないうちに、武者修行のほうから一歩出て来た。 何か大きな声を発したと思うと、見廻りは首の根をつかみ寄せられていた。 武者修行の片手はまた、彼の 鎧帯 ( よろいおび )の腰をつかんで、 「この、虫けら」 巨石 ( おおいし )の角へ向って 抛 ( ほう )り投げた。 見廻りの 侍頭 ( さむらいがしら )は、 先刻 ( さっき )そこで石曳きの男がたたき割った西瓜のようになって、形を失ってしまった。 「……アッ」 又八は、顔を抑えた。 真っ赤な味噌みたいなものが彼のいる辺りまで 刎 ( は )ねて来たからである。 平然たるものは、 彼方 ( あなた )の武者修行であった。 よほどこんな殺人に馴れているのか、また一気に憤りを爆発させて後の涼しさに落着いているのか、とにかく、あわてて逃げ出す様子もなく、見廻りの足で踏みにじられた写図の断片と、そこらに散らばっている 反古 ( ほご )をひろい集め、次に、相手を投げる途端に 紐 ( ひも )が切れて飛んで行った編笠を、静かな目で捜している。 「…………」 又八は、凄惨な気に打たれていた。 恐ろしい力量を見て自分の毛穴までよだっている。 陽焦 ( ひや )けのした骨太の顔に薄 あばたがあり、耳の下から顎にかけて四半分ほど顔がない。 ないというのはおかしいが、太刀で斬られた 痕 ( きずあと )の肉が変に縮んでしまったのかも知れない。 その耳の裏にも黒い 刀痕 ( とうこん )があり、左の手の甲にも刀傷がある。 笠を拾って、怪異なその顔へかむると、武者修行はさっと足を速めた。 風のように彼方へ向って逃げ出したのである。 勿論、そこまでの行動は極めて短い間だった。 それは丸太組の 櫓 ( やぐら )のうえにいる 棟梁衆 ( とうりょうしゅう )や作事与力の上役だった。 そこから突然、大きな声が放たれたと思うと、櫓の下の湯呑み所の板がこいの中で、大釜の火にいぶされながら働いていた足軽たちが、 「なんだ?」 「何だ」 「また、喧嘩か」 と、外へ飛び出した。 もうその時は、作業場と町屋の境に出来ている 竹矢来 ( たけやらい )の木戸で、真っ黒にかたまった人間の怒号が黄いろい 埃 ( ほこり )につつまれていた。 「 間者 ( かんじゃ )だな! 大坂の」 「 性懲 ( しょうこ )りもなく」 「ぶっ殺せ」 口々にいって、 石工 ( いしく )や土工や工事奉行の配下は、みな自分の敵でもいるように駈け集まって行く。 半分 顎 ( あご )のない武者修行が捕まったのだ。 竹矢来の外へ出て行く牛車の蔭にかくれて、すばやく木戸の口をすり抜けようとしたが、そこの番衆たちに挙動を怪しまれて、釘の植わっている 刺叉 ( さすまた )という 柄 ( え )の長い道具で、いきなり足を 搦 ( から )み取られたのであった。 そこへ、 櫓 ( やぐら )の上からも、 「その編笠を引ッ捕えろっ」 と、呼ばわる声が同時にあったので、理由などは問わず、遮二無二、組み伏せにかかると、武者修行は形相をあらためて、野獣のように死にもの狂いとなった。 刺叉を引っ 奪 ( た )くられた男が、真っ先にその得物の先で髪を引っかけられた。 四、五人叩き伏せておいて、虚空へさっと 閃 ( ひらめ )かしたのは彼の腰に横たえていた 胴田貫 ( どうたぬき )らしい大太刀である。 平常 ( ふだん )の 差刀 ( さしもの )には頑丈すぎるが、陣太刀にすれば手ごろである。 すると、危険を避けて人間はわっと散らかったが、途端に八方から小石が降って来たのである。 「 殺 ( や )っちまえ」 「たたっ殺してしまえっ」 肝腎 ( かんじん )な侍たちが臆して近よらないので、平常、武者修行というものに対して、彼らは少しばかりの知識や学問を鼻にかけ、世の中をただ威張って横に歩くのを見栄にしている無産の 僻 ( ひが )み者か、一種の逸民と認めて、それに反感を抱いている石工だの土工だのという労働者たちが、 「 殺 ( や )っちまえ」 「のしちまえ」 と叫んで、四方から 抛 ( ほう )りつける、それは無数の石つぶてであった。 「この 凡下 ( ぼんげ )どもめ!」 駈け入れば、わッと散るのだ。 武者修行の眼はもう自分の生きる路を見つけるよりも、その石の来るほうの人間へ向って、理智や利害を越えている。 怪我人 ( けがにん )も多く出たし、死者も幾人かあったのに、それから一瞬の後は、めいめい職場にかえって、けろりとした工事場の広さであった。 何事もなかったように、石曳きは石を曳き、土工は土をかつぎ、 石工 ( いしく )は 鑿 ( のみ )で石を割っている。 鑿 ( のみ )が火花を出す暑い音、 霍乱 ( かくらん )をおこして暴れくるう馬のいななき、残暑の空は、午後に入って、じいんと 鼓膜 ( こまく )が馬鹿になるような熱さだった。 伏見城から淀のほうへ背のびをしている雲の峰は、しばらくうごきもしなかった。 「もう九分九厘まで、くたばっているが、御奉行が来るまでこうして置くから、 汝 ( てめえ )そこにいて、こいつの番をしておれ。 「……人間なんて、つまんねえものだな。 たった今そこで、城の見取図を写していた男が」 又八のにぶい 眸 ( ひとみ )は自分から十歩ほど先の地上にある一個の物体を見つめたまま、最前からぽんやりと虚無的な考えに囚われている。 「……もう死んでるらしい。 まだ三十前だろうに」 と彼は思い 遣 ( や )った。 顎の半分ない武者修行は、太い麻縄で縛られて、血に土のまぶされた黒い顔を、無念そうにしかめたまま、その顔を横伏せにして倒れている。 縄尻はそばの 巨 ( おお )きな石に巻きつけてあるのだった。 もう「ウ」も「ス」もいい得ない死人の体をそう 大仰 ( おおぎょう )に 縛 ( くく )っておかないでもよさそうなものと又八はながめていたことだった。 何で撲られたのか、破れた 袴 ( はかま )から変な恰好して露出している脚の 脛 ( すね )は、肉が 弾 ( はじ )けて折れた白骨の先が飛び出していた。 髪は 粘 ( ねば )って血を噴いているし、その血へは 虻 ( あぶ )がたかり、手や脚にはもう 蟻 ( あり )の群れが這っている。 「武者修行に出たからには、のぞみを抱いていたろうに。 親はあるのかないのか」 そんなことを 思 ( おも )い 遣 ( や )ると、又八はいやな気持に襲われて、武者修行の一生を考えているのか、自分の身の果てを考えているのか、分らなくなってきた。 「望みをもつにも、もっと悧巧に出世する道がありそうなものだ」 と、つぶやいた。 時代は若い者の野望を 煽 ( あお )って、「若者よ夢を持て」「若者よ起て」と未完成から完成への過渡期にあった。 又八ですらその社会の空気を感じるほど、今は、裸から一国一城の 主 ( あるじ )を望める時である。 その多くが武者修行の道をとるのだ。 武者修行をして歩けば今の社会では到るところで衣食に事を欠くことはない。 田夫野人でも武術には関心をもっているからだ。 寺院へ頼っても渡れるし、あわよくば地方の豪族の客となり、なお、幸運にぶつかれば、一朝事のある場合のために、大名の経済から「捨て 扶持 ( ぶち )」「蔭扶持」などというものを 貢 ( みつ )がれることもある。 だが数多い武者修行の中で、そういう幸運にあう者がどれほどあろうかといえば、これは極めて少数にちがいない。 功成り名を遂げ、一人前の 禄 ( ろく )取りになるほどの者は一万人中で二人か三人を出ないであろう。 (馬鹿馬鹿しい……) 又八は、同郷の友の宮本武蔵が行った道を 憐 ( あわれ )んだ。 おれは将来、奴を見返してやるにしても、そんな愚かな道はとらないぞと思う。 ここに死んでいる顎のない武者修行のすがたを見てもそう思う。 「……おやっ?」 又八は飛び 退 ( の )いて大きな眼をすえた。 なぜならば、死んだものときめていた蟻だらけの武者修行の手がびくっと動き出して、縄目の間から 鼈 ( すっぽん )のような手首だけを出して大地へつき、やがてむくりと、腹を上げ、顔を上げ、次に前のほうへ一尺ばかり、ずるりと這い出して来たからであった。 ぐ……と 生唾 ( なまつば )をのんで又八はなおも後へ 摺 ( ず )り 退 ( さ )がった。 腹の底から驚きを感じると声も出ないものだ。 ただ眼のみ大きくみひらいて、目前の事実に茫失した。 「……ひゅっ……ひゅっ……」 彼は、何かいおうとするらしい。 彼とは顎の半分ない武者修行である。 完全に死んでいると思っていたこの男は、まだ生きていたのだ。 ……ヒュッ、ヒュッと 断 ( き )れ 断 ( ぎ )れに彼の呼吸が 喉 ( のど )で鳴るのである。 唇は黒く 渇 ( かわ )いてしまって、そこから言葉を吐くのはもう不可能な 業 ( わざ )であった。 それを必死に一言でもいおうとするので、呼吸が割れた笛の鳴るような音を出すのだった。 又八が驚いたのは、この男が生きていたからではない。 胸の下に縛りつけられている両手で這って来たからだ。 それだけでも、驚くに足る人間の死力であるのに、その縄尻の巻きつけてある何十貫もあろう 巨石 ( おおいし )が、この瀕死の 傷負 ( ておい )が引っ張る力で、ズル、ズル……と一、二尺ずつ前へ動いて来たからである。 まるで、化け物のような怪力だ。 この工事場の労働者のうちにも、ずいぶん力自慢があって、十人力とか二十人力とか自称している天狗もあるが、こんな化け物は一人もいない。 しかも、この武者修行は、今や死なんとしている体なのだ。 「……しょっ……しょっ……お、お、おねがい」 また何か、変った 語音 ( ごいん )を出していう。 意味はまったく分らない。 「……たっ……た……たのむ……」 がくっと首を前へ折った。 こんどはほんとに息が絶えたのだろう、見ているうちに 襟 ( えり )首の皮膚の色が青黒く沈んで行った。 草むらの蟻がもう白っぽい髪の毛にたかっている。 血のかたまった鼻の穴を一匹はのぞきこんでいた。 「? ……」 何を頼まれたのか、又八は 茫 ( ぼう )としているだけだった。 けれどこの怪力の武者修行が 臨終 ( いまわ )の一念は、自分へ 憑 ( つ )き物のようについていて 違 ( たが )えることのできない約束の負担を負わされたような気持がしてならない。 お城は 暮靄 ( ぼあい )にかすんで来た。 いつのまにかもう 黄昏 ( たそが )れかけて、伏見の町には早い 灯 ( あか )りがポツポツ 戦 ( そよ )ぎだしている。 「そうだ……何かこの中に」 又八は、死者の腰に結びつけている武者修行風呂敷をそっと触ってみた。 (故郷の土へ、 遺物 ( かたみ )を届けてくれというのだろう) そう彼は判断した。 包みと印籠を、死者の体から取って、自分の 懐中 ( ふところ )へ入れた。 石の蔭から見ると、奉行配下の侍たちだ。 又八は、死骸から無断で取った品物が自分の 懐中 ( ふところ )にあると思うと、自分の危険を感じて、そこにいたたまらなくなった。 夕ぐれの風はもう秋だった。 糸瓜 ( へちま )は大きくなっている。 その下で、 盥 ( たらい )の湯に 浴 ( つ )かっている駄菓子屋の女房が、家の中の物音に、戸板の蔭から白い肌を出していった。 「誰だえ。 又八さんかい?」 又八はこの家の同居人だった。 今、あたふたと帰って来ると、戸棚を掻廻して、一枚の 単衣 ( ひとえ )と 一腰 ( ひとこし )の刀を出し、姿をかえると、手拭で 頬冠 ( ほおかむ )りして、またすぐ草履を 穿 ( は )こうとしていた。 「暗かろ、又八さん」 「なに、べつに」 「今すぐ 灯 ( あか )りをつけるで」 「それには及ばないよ、出かけるから」 「行水は」 「いらん」 「体でも拭いて行ったら」 「いらん」 急いで裏口から飛び出して行った。 といっても、垣も戸もない草原つづきである。 彼が長屋から出て来ると入れちがいに、数名の人影が、 萱 ( かや )の 彼方 ( かなた )を通って、駄菓子屋の裏表へ入ってゆくのが見えた。 工事場の侍が 交 ( ま )じっていた。 又八は、 「あぶない所だった」 と 呟 ( つぶや )いた。 顎の半分ない武者修行の死体から、包みや 印籠 ( いんろう )を取った者のあることは、その後ですぐ発見された筈である。 当然、その側にいた自分に盗人の嫌疑がかかったに相違ない。 「だが……俺は盗みをしたのじゃない。 死んだ武者修行の頼みにやむなく持物を預かって来たのだ」 又八は 疚 ( やま )しくなかった。 その品は 懐中 ( ふところ )に持っている。 これは預かった物だと意識しながら持っている。 「もう石曳きに行かれない」 彼は、 明日 ( あした )からの放浪に、なんの あてもなかった。 しかし、こういう転機でもなければ、何年でも石を曳いているかも知れないと思うと、かえって先が明るく考えられる。 萱 ( かや )の葉が肩までかかる。 夕露がいっぱいだ。 遠くから姿を発見される 惧 ( おそ )れがなくて逃げるには気楽だ。 さてこれからどっちへゆくか? どっちへ行こうと体一つである。 何かいい運だの悪い運だのがいろいろな方角で自分を待っているらしく思う。 今の足の向き方ひとつで生涯に大きな違いが生じるのだ。 必然、こうなるものだと決定された人生などがあろうとは考えられない。 偶然にまかせて歩くよりほか仕方がない。 賽 ころに必然がないように、又八にも必然がないのだった。 何かここに起ってくる偶然があれば、それに引かれて行こうと思う。 だが、伏見の里の萱原には、歩けど歩けど何の偶然もなかった。 虫の音と露とが深くなるばかりだった。 単衣 ( ひとえ )のすそはびっしょり濡れて足に巻きつき、草の実がたかって、 脛 ( すね )がむず 痒 ( がゆ )い。 又八は、昼の病苦をわすれた代りに、すっかり 飢 ( ひも )じくなっていた。 胃液まで空っぽなのだ。 追手の心配がなくなってからは、急に歩くことが苦痛になっていた。 「……何処かで寝たいものだ」 その慾望が彼を無意識にここへ運んで来たのである。 それは野末に見えた一軒の 屋 ( や )の 棟 ( むね )だった。 近づいてみると垣も門も暴風の時に傾いたまま誰も起してやり手がない。 おそらく屋根も満足なものではあるまい。 しかし一度は貴人の別荘とされて、都あたりから、糸毛の 輦 ( くるま )に ( ろう )たけた麗人が、萩を分けて通ったこともありそうな 家造 ( やづく )りなのである。 又八はその無門の門を通って中へ入り、秋草の中に埋まっている 離亭 ( はなれ )や 母屋 ( おもや )をながめて、ふと玉葉集の中にある西行の、 ちょうどよい 塒 ( ねぐら )とここに一夜を明かしている虚無僧らしいのである。 炉 ( ろ )の火が赤く立つと、大きな人影が 婆娑 ( ばさ )として壁に映る。 独り尺八を吹いているのだ。 それはまた 他人 ( ひと )に聞かそうためでもなく自ら誇って陶酔している 音 ( ね )でもない。 秋の夜の孤寂の 遣 ( や )る瀬なさを、無我と 三昧 ( さんまい )に過ごしているだけのことなのだ。 ……考えれば 慚愧 ( ざんき )にたえない。 死んだ妻にも生きている子にも会わせる顔がない。 ……このおれなどの例を見ると、四十不惑などというのは聖人のことで、凡夫の四十だいほど危ないものはない。 油断のならない山坂だ。 まして女に関しては」 胡坐 ( あぐら )の前に、尺八を 縦 ( たて )に突き、その歌口へ両手をかさねて、 「二十だい、三十だいの年でも、由来おれは、やたらに女のことで失敗をやって来たが、そのころにはどんな醜聞をさらしても、人も許してくれたし、生涯の 怪我 ( けが )にもならなかった。 ……ところが、四十だいとなると、女に対してすることが 厚顔 ( あつか )ましくもなるし、それがお 通 ( つう )の場合のような事件になると、今度は世間がゆるさない。 そして、致命的な外聞になってしまった。 禄も家もわが子にも離れるような失敗になってしまった。 ……そして、この失敗も、二十だい三十だいなら取り返せるが、四十だいの失敗は二度と芽を出すことがむずかしい」 盲人のように 俯向 ( うつむ )いたまま、声を出してそういっているのである。 「アア……それを……おれは……」 虚無僧は、天井を仰向いた。 骸骨 ( がいこつ )のように鼻の穴が大きく又八のほうから見える。 凡 ( ただ )の浪人の 垢 ( あか )じみた着物を着て、その胸に、 普化禅師 ( ふけぜんじ )の末弟という 証 ( しるし )ばかりに黒い 袈裟 ( けさ )をつけているに過ぎないのである。 敷いている一枚の 筵 ( むしろ )は、常に巻いて手に持って歩く彼の唯一の 衾 ( ふすま )であり雨露の家だった。 …… 慚愧 ( ざんき )のいたりだ」 誰かに向って謝っているように、虚無僧は頭を下げて、さらにまた下げて、 「おれはいい、おれは、それでも、いいとしよう。 おれのした結果は、おれに 酬 ( むく )うより、あの城太郎のほうへより多く 祟 ( たた )っている。 とにかく、姫路の池田侯に藩臣としてこのおれが 歴乎 ( れっき )としていれば、あの子だって、千石侍の一人息子だ。 それが今では、 故郷 ( くに )を離れ、父を離れ……。 イヤそれよりも、あの城太郎が成人して、この父が、四十だいになってから、女のことで藩地から放逐されたなどと知る日が来たら、おれはどうしよう。 ……おお月が出たな、野へ出て、思うさま流して来ようか。 そうだ、愚痴と煩悩を野へ捨てて来よう」 尺八を持って、彼は外へ出て行った。 妙な虚無僧である。 よろよろ立ってゆく時、物蔭から又八が見ていると、その痩せこけた 鼻下 ( びか )にはうすい どじょう 髭 ( ひげ )が生えていたように思う。 そう年を 老 ( と )っているほどでもないのに、ひどくよぼよぼした足元だった。 ぷいと出て行ったきり、なかなか戻って来ないのだ。 少し精神に異常があるのだろうと、又八は不気味に思う半面にあわれな気もした。 それはいいが、物騒なのは、炉に残っている火であった。 ぱちぱちと夜風がそれを 煽 ( あお )っている。 燃え折れた柴の火は、床を 焦 ( こ )がしているではないか。 「あぶねえ、あぶねえ」 又八はそこへ行って、 土瓶 ( どびん )の水をじゅっとかけた。 これが野中の破れ 邸 ( やしき )だからいいようなものの 飛鳥朝 ( あすかちょう )や鎌倉時代の二度と地上に建てることのできない寺院などであったらどうだろうと考えて、 「あんなのがいるから、奈良や高野にも火事があるんだ」 と彼は、虚無僧の去ったあとに自分が坐って、がらにもない公徳心を呼び起していた。 家産や妻子もない代りに、社会への公徳心も絶無な浮浪者には、火が怖いものという観念も全くないらしい。 だから彼らは、 金堂 ( こんどう )の壁画の中ですら平然と火を燃やす。 世の中に無用に生きているに過ぎない一個の 空骸 ( むくろ )を暖めるために火を燃やす。 「だが……浮浪人だけが悪いともいえねえな」 又八は自分も浮浪人であることを思って考えた。 今の世の中ほど浮浪人が多い社会はない。 それは何が生んだかといえば、 戦 ( いくさ )だった。 戦によってぐんぐん地位を占めてゆく者も多い代りに、 芥 ( あくた )のように捨てられてゆく人間の数も実に 夥 ( おびただ )しい。 これが次の文化の 手枷 ( てかせ )、足枷となるのもやむを得ない自然の因果といえよう。 そういう浮浪の徒が、国宝の塔を 焚火 ( たきび )で焼く数よりは、戦が、意識しつつ、高野や 叡山 ( えいざん )や皇都の物を焼いたほうが、遥かに大きな地域であった。 「……ほ。 洒落 ( しゃれ )たものがあるぞ」 又八はふと横を見てつぶやいた。 ここの炉も床の間も、改めて見直せば、元は茶屋にでも使っていたらしい 閑雅 ( かんが )な造りなのである。 そこの 小床 ( ことこ )の棚に、彼の眼をひいた物がある。 高価な 花瓶 ( はないけ )や香炉などではない。 口の欠けた徳利と、黒い 鍋 ( なべ )だった。 鍋には食べ残した 雑炊 ( ぞうすい )がまだ半分残っているし、徳利は振ってみると、ごぼっと音がして、欠けた口から酒がにおう。 「ありがたい」 こういう場合、人間の胃は、他の所有権を考えている 遑 ( いとま )はない。 徳利の濁り酒をのみ、鍋を 空 ( から )にして、又八は、 「ああ、腹が 満 ( は )った」 ごろんと手枕になる。 トロトロと炉の火もとに眠りかける。 雨のように野は虫の音に 更 ( ふ )けてゆく。 戸外ばかりでなく、壁も啼く、天井も啼く、破れ畳も啼きすだく。 「そうだ」 何か思い出したとみえる。 むくりと彼は起き直った。 そう急に思いついたらしい。 解いてみた。 中から出て来たのは、洗いざらした 襦袢 ( じゅばん )だの普通の旅行者の持つ用具などであったが、その 着 ( き )がえをひろげてみると、いかにも大事そうに、油紙でくるんである巻紙大の物と路銀の金入れであろう、どさっと重い音が膝の前に落ちた。 むらさき 革 ( がわ )の 巾着 ( きんちゃく )であった。 その金入れの中には、金銀 取交 ( とりま )ぜてだいぶの額が入っていた、又八は数えるだけでも自分の心が怖くなって、思わず、 「これは 他人 ( ひと )の 金 ( かね )だ」 と、殊さらにつぶやいた。 もう一つの油紙に包んであるものを開いてみると、これは一軸の巻物である。 軸には 花梨 ( かりん )の木が用いてあり、表装には 金襴 ( きんらん )の 古裂 ( ふるぎ )れが使ってあって、何となく秘品の紐を解く気持を 抱 ( いだ )かせられる。 「何だろ?」 全く見当のつかない品物だった。 もっとも、その又八にでも、伊藤弥五郎景久といえばすぐ、 (アアあの一刀流を創始して、一刀斎と号している達人か) と合点がゆくであろうが、その伊藤一刀斎の師が、鐘巻自斎という人で、またの名を 外他通家 ( とだみちいえ )といい、まったく社会からは忘れられている、富田入道 勢源 ( せいげん )の正しい道統をうけついで、その晩節をどこか 辺鄙 ( へんぴ )な田舎に送っている高純な士であるなどということはなおさら知らない。 この目録をみても分るが、中条流の印可をうけているのだもの。 惜しい死に方をしたものだな。 ……さだめしこの世に心残りなことだったろう。 あの最期の顔は、いかにも死ぬのが残念だという顔つきだった。 これを郷里の 知 ( し )る 辺 ( べ )へでも届けてくれといいたかったに違いない」 又八は、死んだ佐々木小次郎のために、口のうちで、念仏をとなえた。 そしてこの二品は、きっと死者の望むところへ届けてやろうと思った。 肌寒いので寝ながら炉の中へ柴を投げこんで、その炎にあやされながらウトウト眠りかけた。 ここを出て行った奇異な虚無僧が吹いているのであろう、遠い 野面 ( のづら )から尺八の音が聞えて来る。 何を求め、何を呼ぶのか。 彼が出て行く折につぶやいたように、愚痴と煩悩を捨て切ろうとする必死がこもっているせいかも知れない。 野は灰色に曇っている。 今朝 ( けさ )の涼しさは「立つ秋」を思わせ、眼に見るものすべてに露がある。 戸の吹き仆されている 厨 ( くりや )に、狐の足痕がまざまざ残っていた。 夜が明けても、 栗鼠 ( りす )はそこらにうろついている。 「アア、寒い」 虚無僧は、眼をさまして、広い台所の板敷へかしこまった。 夜明け頃、ヘトヘトになって戻って来ると、尺八を持ったまま、ここへ横になって眠ってしまった彼である。 うす汚い 袷 ( あわせ )も 袈裟 ( けさ )も、夜もすがら野を歩いていたために、狐に 魅 ( ば )かされた男のように草の実や露でよごれていた。 きのうの残暑とは比較にならない陽気なので、 風邪 ( かぜ )をひき込んだのであろう、鼻のうえに 皺 ( しわ )をよせ、鼻腔と眉を一緒にして、大きな 嚔 ( くさめ )を一つ放つ。 ありやなしやの薄い どじょう 髭 ( ひげ )の先に、鼻汁がかかった。 恬 ( てん )として、虚無僧はそれを拭こうともしないのである。 「……そうじゃ、ゆうべの濁り酒がまだあったはず」 つぶやいて 起 ( た )ち上がり、そこも狐狸妖怪の 足痕 ( あしあと )だらけな廊下をとおって、奥の炉のある部屋をさがしてゆく。 捜さなければ分らないほど、この空屋敷は昼になってみるとよけいに広いのである。 あるべきところに酒の壺がないのだ。 しかしそれはすぐ炉のそばに横たわっているのを発見したが、同時に、その 空 ( から )の 容器 ( いれもの )とともに、 肱枕 ( ひじまくら )をして、 涎 ( よだれ )をながして眠っている見つけない人間をも見出し、 「誰だろ?」 及び腰に覗き込んだ。 よく眠っている男だった。 撲りつけても眼を 醒 ( さ )ましそうもない 大鼾声 ( おおいびき )をかいているのである。 まだ事件があった。 今朝の朝飯として食べのこしておいた 鍋 ( なべ )の飯が、見れば底をあらわして一粒だにないではないか。 虚無僧は顔いろを変えた。 死活の問題であった。 「やいっ」 蹴とばすと、 「ウ……ウむ……」 又八は、 肱 ( ひじ )を 外 ( はず )してむっくと首をあげかけた。 「やいっ」 つづいて、もう一ツ、眼ざましに 足蹴 ( あしげ )を食らわすと、 「何しやがる」 寝起きの顔に、青すじを立てて、又八はぬっくと起ち上がった。 「おれを、足蹴にしたな、おれを」 「したくらいでは、腹が癒えんわい。 おのれ、誰に断って、ここにある 雑炊飯 ( ぞうすいめし )のあまりと酒を食らったか」 「おぬしのか」 「わしのじゃ!」 「それやあ済まなかった」 「済まなかったで済もうか」 「 謝 ( あやま )る」 「謝るとだけでことは納まらん」 「じゃあ、どうしたらいいんだ」 「かやせ」 「 返 ( かえ )せたって、もう腹の中に入って、おれの今日の 生命 ( いのち )のつなぎになっているものをどうしようもねえ」 「わしとて、生きて行かねばならん者だ。 一日尺八をふいて、人の 門辺 ( かどべ )に立っても、ようよう貰うところは、 一炊 ( ひとかし )ぎの米と 濁酒 ( どぶろく )の一合の 代 ( しろ )が関の山じゃ。 ……そ、それを無断であかの他人のおのれらに食われて 堪 ( たま )ろうか。 かやせ! かやせ!」 餓鬼の声である。 どじょう 髭 ( ひげ )の虚無僧は、飢えている顔に青すじを立て 威猛高 ( いたけだか )に 喚 ( わめ )いた。 飢えた野良猫にひとしい虚無僧の細っこい骨ぐみだった。 叩きつけて、一振りに、ぎゅうといわせてやろうとしたが、襟がみをつかまれながら、又八の喉輪へつかみかかって来た虚無僧の力には、案外な 粘 ( ねば )りがある。 「こいつ」 と、 力 ( りき )み直したが、相手の足もとは、どうして、 確 ( しっ )かりとしたものだ。 かえって又八が顎をあげて、 「うッ……」 妙な声をしぼりながら、どたどたっと次の部屋まで押し出され、それを食い止めようとする力を利用されて、手際よく、壁へ向って投げ捨てられた。 根太も柱も 腐蝕 ( くさ )っている屋敷である。 一堪りもなく壁土が崩れて、又八は全身に泥をかぶった。 「ペッ……ペッ……」 猛然と 唾 ( つば )して立つと、ものをいわない代りに、凄い血相が刃物を抜いて、跳びかかってきた。 虚無僧も心得たりという応対で、尺八をもって渡りあう。 しかし情けないことにはすぐ 息喘 ( いきぎ )れが出て来て、尖った肩でせいせいいうのだ。 それに反して又八の肉体はなんといっても若かった。 「ざまを見ろッ」 圧倒的に又八は、斬りかけ斬りかけして、彼に息をつく間を与えない。 虚無僧は化けて出そうな顔つきになった。 体の飛躍を欠いてともすると蹴つまずきそうになる。 そのたびに何ともいえない死に際のさけびを放った。 そのくせ八方に逃げ廻って、容易には太刀を浴びないのである。 しかし結果は、その誇りが又八の敗因となった。 虚無僧が猫のように庭へ跳んだので、それを追うつもりで廊下を踏んだ途端に、雨に朽ちていた縁板がみりっと割れた。 片足を床下へ突っこんで、又八が尻もちをついたのを見ると、得たりと 刎 ( は )ね返して来た虚無僧が、 「うぬ、うぬ、うぬっ」 胸ぐらを取って、顔といわず 鬢 ( びん )たといわず、 撲 ( なぐ )りつけた。 脚がきかないので又八はどうにもならなかった。 自分の顔が見るまに四斗樽のように 腫 ( は )れたかと思う。 撲られるたびに 美 ( い )い 音 ( ね )がして、貨幣はそこらに散らかった。 又八もやっと彼の手をのがれて 跳 ( と )び 退 ( の )いた。 自分の 拳 ( こぶし )が痛くなるほど、憤怒を出しきった虚無僧は、肩で息をしながら、あたりにこぼれた金銀に眼を奪われていた。 「やいっ、畜生め」 腫 ( は )れ上がった横顔を抑えながら又八は、声をふるわせてこういった。 「な、なんだっ、鍋底のあまり飯くらいが! 一合ばかしの 濁酒 ( どぶろく )が! こう見えても、金などは腐るほど持っているんだ。 餓鬼め、ガツガツするな。 それほどほしけれやあ、くれてやるから持ってゆけっ。 その代り、今てめえが俺を撲っただけ、こんどは俺が撲るからそう思えっ。 アア、あさましい。 どうしておれはこう馬鹿なのか」 もう又八へ対していっているのではない、ひとりで 悶 ( もだ )え悲しんでいるのだ。 その自省心の烈しいことも、常人とは変っていて、 「この馬鹿、貴さまは一体、 幾歳 ( いくつ )になるのか。 こんなにまで、世の中から落伍して、 落魄 ( おちぶ )れ果てた目をみながら、まだ 醒 ( さ )めないのか、 性 ( しょう )なしめ」 そばの黒い柱へ向って、自分の頭をごつんごつん 打 ( ぶ )つけては泣き、打つけては泣き、 「何のために、 汝 ( おのれ )は尺八をふいているか。 愚痴、邪慾、迷妄、我執、煩悩のすべてを六孔から吐き捨てるためではないか。 しかも息子のような年下の若者と」 ふしぎな男だ。 そういって口惜しげにベソを掻くかと思うと、また、自分の頭を、柱に向って叩きつけ、その頭が二つに割れてしまわないうちは 止 ( や )めそうもないのである。 その自責からする 折檻 ( せっかん )は、又八を撲った数よりも遥かに多い。 又八は 呆 ( あ )っけにとられていたが、青ぶくれになった虚無僧の額から血がにじみ出て来たので、止めずにいられなくなった。 「ま、ま、 止 ( よ )したらどうだ、そんな無茶な真似」 「 措 ( お )いて下され」 「どうしたんだい」 「どうもせぬ」 「病気か」 「病気じゃござらぬ」 「じゃあなんだ」 「この身が 忌々 ( いまいま )しいだけじゃ。 かような肉体は、自分で打ち殺して、 鴉 ( からす )に喰わせてやったほうがましじゃが、この愚鈍のままで殺すのも忌々しい。 せめて人なみに 性 ( しょう )を得てから、野末に捨ててやろうと思うが、自分で自分がどうにもならぬので 焦 ( じ )れるのじゃ。 ……病気といわれれば病気かのう」 又八は、何か急に気の毒になって来て、そこらに落ちている金を拾いあつめて、幾らかを彼の手に握らせながら、 「おれも悪かった、これをやろう。 これで勘弁してくれ」 「いらん」手を引っこめて、 「金など、いらん、いらん」 鍋の残り飯でさえ、あんなに怒った虚無僧が、けがらわしい物でも見るように、強く首を振って、膝まで後へ 退 ( さ )がってゆく。 「変な人だな、おめえは」 「さほどでもござらぬ」 「いや、どうしても、少しおかしいところがあるぜ」 「どうなとしておかれい」 「虚無僧、おぬしには、時々、中国 訛 ( なま )りが 交 ( ま )じるな」 「姫路じゃもの」 「ほ……。 ……吉野郷とはなつかしいぞ。 わしは、日名倉の番所に、目付役をして詰めていたことがあるで、あの辺のことは相当に知っておるが」 「じゃあ、おぬしは、元姫路藩のお侍か」 「そうじゃ、これでも以前は、武家の 端 ( はし )くれ、青木……」 名乗りかけたが、今の自分を 省 ( かえり )みて、人前に身を置いているに耐えなくなったか、 「嘘だ、今のは、嘘じゃよ。 どれ……町へながしに行こうか」 ぷいと立って、野へ歩み去った。 費 ( つか )ってならない金だと思うにつけて気になるのだ。 たんとは悪いが、少しぐらいは、この中から借りて費ったところで罪悪にはなるまいと遂には思う。 「死者の頼みで、その 遺物 ( かたみ )を、郷里へ届けてやるにしても、路銀というものが 要 ( い )る。 当然、その費用は、この内から 費 ( つか )ったとて 関 ( かま )うまい」 又八はそう考えてから、幾分気が軽くなった。 だが、金のほかに死者から預かっている「中条流印可目録」の巻物のうちにある佐々木小次郎とは、一体どこが 生国 ( しょうごく )だろうか。 唯一の頼りは、佐々木小次郎に対して、印可目録を授けている 鐘巻自斎 ( かねまきじさい )という剣術の師匠だ。 その自斎がわかれば、小次郎の素姓もすぐ知れよう。 それについて、又八も伏見から大坂へ下って来る道々、茶店、飯屋、 旅籠 ( はたご )と折のあるごとに、 「鐘巻自斎という剣術のすぐれた人がいるかね」 訊 ( たず )ねてみたが、 「聞いたこともないお人ですなあ」 と、誰もいう。 「富田 勢源 ( せいげん )の流儀をひいている中条流の大家だが」 と、いってみても、 「はてね?」 まったく知る者がないのである。 たしか、関東に出て、晩年は上州のどこか山里にかくれたきり、世間へ出なかったように聞いておる。 富田主水正とは何かと訊くと、秀頼公の兵法師範役のうちの一人で、たしか、越前 宇坂之庄 ( うさかのしょう )の浄教寺村から出た富田入道勢源の一族の者だったと思うがという話。 すこし、あいまいな気もしたが、とにかく大坂へ出るつもりだし、又八は、市街へ入るとすぐ、目抜きの町の 旅籠 ( はたご )へ泊って、そんな侍が御城内にいるか否かを訊いてみると、 「はい、富田勢源様のお孫とかで、秀頼公のお師範ではありませんが、御城内の衆に兵法を教えていたお方はございましたが、それはもう古い話で、数年前に越前の国へお帰りになっております」 これは、宿の者のいうところだった。 町人とはいえ、城内の用勤めもしている家の者のいうことであるから、前の侍のことばよりはよほど真実味のある話だった。 あの方もたしか、中条流の鐘巻自斎という人のところで修行なされて、後に、一刀流という独自な流儀をお 創 ( はじ )めになったのですから」 それも一理ある忠告であった。 だが、その弥五郎一刀斎の居所をさがしてみると、これも近年まで洛外の白河に、一庵をむすんでいたが、近頃はまた、修行に出たのか、 杳 ( よう )としてその影を京大坂の附近では見かけたことがないと誰もいう。 「ええ、面倒くせえ」 又八は、 匙 ( さじ )を投げた。 眠っていた野心的な若さを、又八は、大坂へ来てからたたき起された。 ここではさかんに、人物を需要しているのだった。 伏見城では、新政策や武家制度を組んでいるが、この大坂城では、人材を 糾合 ( きゅうごう )して、牢人軍を組織しているらしかった。 もとよりそれは、公然とではないが。 長曾我部盛親などは、町端れのつまらない小路に借家して、若いのに頭をまるめ、一夢斎と名をかえて、 (浮世のことなど、わしゃ知らんよ) といった顔つきして、風雅と遊里の両方に身をやつして暮しているが、その手から、いざという場合には、猛然と起って、 (太閤御恩顧のため) という旗じるしの 下 ( もと )に集まろうという牢人が、七百や八百は飼ってあって、その生活費も、秀頼のお手元金から出ているのだということも聞いた。 又八は、 二月 ( ふたつき )ほど、大坂を見聞しているうちに、 (ここだ。 出世のつるをつかむ土地は) と、まず興奮を抱いた。 空脛 ( からすね )に、槍一本かつぎ出して、宮本村の 武蔵 ( たけぞう )と、関ヶ原の空をのぞんで飛び出した時のような壮志が、久しぶりに、近頃、健康になった彼の体にも、 甦 ( よみがえ )って来たらしいのである。 ふところの金は、ぼつぼつ減ってゆくが、何かしら、 (おれにも運が向いてきた) という自覚がして来て、毎日が明るくて、愉快だった。 石に蹴つまずいても、そんな 足下 ( あしもと )から、不意にいい運の芽が見つかりそうな気がするのである。 (まず、 身装 ( みなり )だ) 彼はいい大小を買って差した。 もう寒さにかかる晩秋なので、それにうつりのよい小袖と羽織も買った。 旅籠 ( はたご )は、不経済と考えて、順慶堀に近い馬具師の家の離れを借り、食事は外でし、見たいものを見、家へは帰ったり帰らなかったり、好みどおりな生活をしている間に、よい知己を得、手づるを見つけ、 扶持 ( ふち )の口にありつこうと心がけていた。 この程度に、生活を 持 ( じ )していることは、彼としては、かなり自戒を保って、生れ変ったほど、身を修めているつもりなのである。 (あれへ大槍を立たせ、乗換え馬を 牽 ( ひ )かせ、供の侍を、二十人も連れて通りなさる。 「旦那がたあ、お若いし、腕もおできなさるじゃろうし、御城内の衆へ頼んでおけば、すぐお抱えの口はありましょうで」 ありそうな 口吻 ( くちぶり )で、そこの馬具師も安うけあいしたが、 就職 ( くち )はなかなかかかって来ない。 繁華な町なかの空地の草にも、朝々霜が真っ白におりる。 その霜が消えて、道のぬかるむ頃から、 銅鑼 ( どら )だの、太鼓だのが、そこでは鳴り出す。 師走 ( しわす )の 忙 ( せわ )しない人々が、案外のん気な顔して、冬日の下にいっぱいに群れていた。 いとも粗雑な矢来を囲って、外からは見えないようにそれへ 筵 ( むしろ )を張り廻してある人寄せの見世物が、六、七ヵ所に紙旗や毛槍を立て、その 閑人 ( ひまじん )の群れへ呼びかけて、客を奪い合う様はなかなか真剣な生活戦だった。 安醤油のにおいが人混みのあいだを這う。 串 ( くし )にさした煮物をくわえて、馬みたいにいなないている 毛脛 ( けずね )の男たちがあるし、夜は、白粉を塗りこくって袖をひく女たちが、解放された牝羊みたいに、ぼりぼり豆を食べながら繋がって歩いてゆく。 野天へ腰かけを出して、酒を汲んで売っている所では、今、一組の撲りあいがあって、どっちが勝ったのか負けたのか、後へ血をこぼしたまま、その喧嘩のつむじ風は、わらわらと町の方へ駈け去ってしまった。 「ありがとうございました。 だんな様が、ここにござったで、 器物 ( うつわ )は壊されずにすみましただ」 酒売りは、何度も、又八の前へきて、礼をくり返した。 その礼ごころが、 「こんどのお 燗 ( かん )は、あんばいよくついたつもりで」 頼まない 肴物 ( さかなもの )まで添えてくる。 又八は悪い気持でなかった。 町人どうしの喧嘩なので、もしこの貧しい露店の物売りに損害をかけたら取ッちめてやろうと睨みつけていたが、何の事もなくすんで、露店のおやじのためにも、自分のためにも、同慶であったと思う。 「おやじ、よく人が出るな」 「師走なので、人は出ても、人足は止まりませぬでなあ」 「天気がつづくからいい」 鳶 ( とび )が一羽、人混みの中から、何か 咥 ( くわ )えて高く上がってゆく。 そして自ら、 (まあいい、人間、酒ぐらい飲まねえでは) と、慰めたり、理由づけたりして、 「おやじ、もう一杯」 と、うしろへいった。 それと一緒に、ずっとそばの 床几 ( しょうぎ )へ来て、腰かけた男がある。 牢人だなとすぐ見てとれる恰好だった。 大小だけは人をして避けしめるほど威嚇的な 長刀 ( ながもの )であるが、 襟垢 ( えりあか )のついた 袷 ( あわせ )に上へ 一重 ( ひとえ )の胴無しも羽織っていない。 「オイオイ亭主、おれにも早いところ一合、熱くだぞ」 腰かけへ、片あぐらを乗せて、じろりと又八のほうを見た。 足もとから見上げて、顔のところまで眼がくると、 「やあ」 と、何の事もなく笑う。 又八も、 「やあ」 と、同じことをいって、 「 燗 ( かん )のつく間、どうですか一 献 ( こん )。 磊落 ( らいらく )で、豪傑肌らしいと、又八はその飲み振りを見ていた。 よく飲む。 又八がそれから一合もやるうちに、この男はもう五合を越えて、まだ 慥 ( しっ )かりしたものだった。 「どのくらい?」 と訊くと、 「ちょっと一升、落ちついてなら、まあ、量がいえぬ」 と、いう。 時局を談じると、この男は、肩の肉をもりあげた。 「家康がなんだ。 秀頼公をさしおいて、大御所などと、ばからしい。 あのおやじから本多 正純 ( まさずみ )や、 帷幕 ( いばく )の旧臣をひいたら、何が残る。 石田三成には勝たせたかったが、惜しいかな、あの男、諸侯を操縦すべく、あまりに潔癖で、また身分が足らなかった」 そんなことをいうかと思うと、 「貴公、たとえば、今にも関東、上方の手切れとなった場合は、どの手につく」 と、訊く。 又八が、ためらいなく、 「大坂方へ」 と答えると、 「ようっ」とばかり、杯を持って 床几 ( しょうぎ )から立ち上がり、 「わが党の士か、あらためて一 盞 ( さん ) 献 ( けん )じ申そう。 して、貴君はいずれの藩士」 といって、 「いや、ゆるされい。 まず自身から名乗る。 それがしは、 蒲生 ( がもう )浪人の 赤壁八十馬 ( あかかべやそま )、という者。 ごぞんじないか、 塙団右衛門 ( ばんだんえもん )、あれとは、 刎頸 ( ふんけい )の友で、共に他日を期している仲。 また今、大坂城での 錚々 ( そうそう )たる一方の将、 薄田隼人兼相 ( すすきだはやとかねすけ )とは、あの男が、漂泊時代に、共に、諸国をあるいたこともある。 大野 修理亮 ( しゅりのすけ )とも、三、四度会ったことがあるが、あれはすこし陰性でいかん。 兼相よりは、ずっと勢力はあるが」 喋りすぎたのを気がついたように、後へもどって、 「ところで、貴公は」 と、訊き直す。 又八は、この男の話を、全部がほんととは信じなかったが、それでも、何か圧倒されたような 怯 ( ひ )け 目 ( め )を感じ、自分も、 法螺 ( ほら )をふき返してやろうと思った。 「越前宇坂之庄浄教寺村の、富田流の開祖、富田入道 勢源 ( せいげん )先生をごぞんじか」 「名だけは聞いておる」 「その道統をうけ、中条流の一流をひらかれた無慾無私の大隠、鐘巻自斎といわるる人は、私の恩師でござる」 男は、そう聞いても、かくべつ驚きもしないのだ。 杯を向けて、 「じゃあ、貴公は、剣術を」 「左様」 又八は、嘘がすらすら出るのが愉快だった。 大胆に嘘をいうと、よけいに酔いが顔に咲いて、酒のさかなになる気がするのである。 やはり鍛えた体はちがうとみえ、どこか出来ているな、……して、鐘巻自斎の御門下で、何と仰せられるか。 さしつかえなくば、ご姓名を」 「佐々木小次郎という者で、伊藤弥五郎一刀斎は、私の兄弟子です」 「えっ」 と、相手の男が驚いたらしい声を発したので、又八のほうこそびっくりしてしまった。 あわてて、 (それは 冗戯 ( じょうだん )) と、取消そうと思ったが、赤壁 八十馬 ( やそま )は、とたんに地へ膝をついて頭を下げているので、今さらもう冗戯ともいえなかった。 「お見それ申して」 と、八十馬は何度もあやまる。 「佐々木小次郎殿といえば、とくより耳にしておるその道の達人。 知らないというものは、他愛のないもので、先刻からの失礼は、 平 ( ひら )に」 又八は、ほっとした。 そう改まられては、私こそ、ご挨拶のしようがない」 「いや、先ほどから、広言のみ吐いてさぞお聞き苦しかったことで」 「なに、私こそ、まだ仕官もせず、世間も知らぬ若輩者で」 「でも、剣においては。 ……そうだ、やはり佐々木小次郎」 つぶやいて、八十馬は、酔うと目やにの出る 性 ( しょう )らしい眼を、どろんと据え、 「その上で、まだご仕官もなさらぬのか、惜しいものだ」 「ただ剣一方に、すべてを打ち込んで来たので、世間にはとんと何の知己もないために」 「や、なるほど。 いずれは、主人を持たねばならぬと考えていますが」 「ならば、造作もないこと。 もっとも実力があっても、黙っていては容易に見出されるはずはない。 こうお目にかかっても、それがしですら、尊名を聞いて初めて驚いたようなもので」 と、さかんに 焚 ( た )きつけて、 「お世話しよう」 と、いい出した。 「実はそれがしも、友人の 薄田兼相 ( すすきだかねすけ )に身の振り方を依頼してあるところ。 大坂城では、禄を問わず、抱え入れようとしている折だし、貴公のような人物を推挙すれば、薄田 氏 ( うじ )も、すぐ買おう。 おまかせ下さるまいか」 どうやら赤壁 八十馬 ( やそま )は乗り気になっているらしい。 又八は、その 就職 ( くち )へありつきたいことは山々だが、佐々木小次郎であると他人の名を借用してしまったことが、どうもまずい。 引っこみのつかない不出来だ。 かりに 美作 ( みまさか )の郷士本位田又八と名乗って実際の履歴を話したら、この男も乗り気にはなるまい。 鼻さきで軽蔑を与えられるぐらいなところが落ちである。 やはり佐々木小次郎の名がものをいったのだ。 何もそう心配したほどのものじゃないと思う。 なぜならば、佐々木小次郎なる者はもう死んでいる人間だ。 伏見城の工事場で打ち殺されてしまった人物ではないか。 死者の所持していた唯一の戸籍証明である「印可目録」は自分が彼の 臨終 ( いまわ )の一言によって預かって来ているので、後で、調べのつこうわけはない。 また一箇の乱暴人として、打殺した死者に対して、そんな面倒な調べをいつまでもやっているはずもない。 (分りっこはない!) 又八の頭に大胆な、 狡 ( ずる )い考えがそう閃めいた。 勃然 ( ぼつぜん )として、彼は、死んだ佐々木小次郎になり切ってやろうと 臍 ( ほぞ )を決めた。 「おやじ、勘定」 金入れから金を出して、そこを起ちかけると、赤壁八十馬はあわてて、 「今の話は?」 と、一緒に立った。 「ぜひ、ご尽力をねがいたいが、この路傍では、十分な話もできぬ。 どこか座敷のあるところへでも行って」 「ああそうか」 と、八十馬は満足そうにうなずいて、自分の飲んだ代まで、又八が払っているのを、当り前のような顔して眺めていた。 怪しげな 白粉 ( おしろい )の裏町である。 又八としては、もっと高等な酒楼へ案内するつもりだったが、赤壁八十馬が、 「そんなところへ揚がって、つまらぬ金を 費 ( つか )うよりは、もっとおもしろい土地がある」 といって、頻りに裏町遊びを謳歌するので、ともかく引っ張られて来てみると、まんざら又八の肌に合わない情調ではない。 比丘尼横丁 ( びくによこちょう )というのだそうである。 大袈裟 ( おおげさ )にいえば長屋千軒がみな売笑婦の家で、一夜に百石の油を燈心にともすともいえるほどな繁昌さである。 すぐ近くに、 汐 ( しお )のさす黒い堀が通っているので、出格子だの、紅燈の下だのには、よく見ると、船虫や 河蟹 ( かわがに )がぞろぞろ這っていて、それが 生命取 ( いのちと )りの さそりという妖虫のようにうすきみ悪いが、無数の白粉の女の中には 眉目美 ( みめよ )いのも稀にあって、中には、もう四十にちかい容貌に、 鉄漿 ( かね )を黒々つけ、 比丘尼頭巾 ( びくにずきん )にくるまって、夜寒を 喞 ( かこ )ち顔でいるなど、なかなかもののあわれも 蕩児 ( とうじ )の心をそそるのであった。 「いるな」 又八が、ため息つくと、 「いるだろう、へたな茶屋女や歌妓などより、遥かにましだ。 「室町将軍の奥につかえていたという 比丘尼 ( びくに )があるし、父は武田の臣だったの、松永久秀の縁類の者だのという女が、この中にはずいぶんある。 泊ったことはもちろんである。 昼間になっても、飽いたといわない八十馬だった、お甲の「よもぎの寮」では、いつも日蔭者でいた又八も、多年の鬱憤をここに晴らしたか、 「もう、もう。 酒はいやだ」 と遂にかぶとを脱いで、 「帰ろう」 いい出すと、 「晩までつきあい給え」 と、八十馬はうごかない。 「晩までつきあったらどうするんだ」 「今夜、 薄田兼相 ( すすきだかねすけ )のやしきへ行って兼相と会う約束がしてあるんだ。 今から出ても 時刻 ( とき )が半端だし……。 それに、そうだ、貴公の望みももっとよく聞いて置かなければ、先へ行って話もできない」 「 禄 ( ろく )など、初めからそう望んでも無理だろう」 「いかん、自分からそんな安目を売ってはいかん。 とにかく中条流の印可を持って、佐々木小次郎ともいわれる侍が、禄はいくらでもいいから、ただ仕官がしたいなどといったら、かえって先から 蔑 ( さげす )まれるぞ。 大坂城の巨大な影が夕空をおおっているからである。 「あれが、 薄田 ( すすきだ )の邸だぞ」 濠 ( ほり )の水に背を向けて、二人は寒そうに 佇 ( たたず )んだ。 昼間から 注 ( つ )ぎこんでいた酒も、この濠端に立つとひとたまりもなく吹き飛んで、鼻の先に 水洟 ( みずばな )が凍りつく。 「あの腕木門か」 「いや、その隣の角屋敷」 「ふム……宏壮なものだな」 「出世したものさ。 三十歳前後の頃には、まだ、薄田 兼相 ( かねすけ )などといっても、世間で知っている奴はなかった、それがいつのまにか……」 赤壁八十馬のことばを、又八はそら耳で聞いていた。 疑っているのではない、もう彼のことばの端など注意してみる必要を感じないほど信頼し切っていたのだった。 「そう、そう」 又八は 懐中 ( ふところ )から、 革巾着 ( かわぎんちゃく )を取り出した。 少しくらいは、と思いながらいつのまにかこの革巾着の金も三分の一になっていた。 その残りの底をはたいて、 「ざっと、これだけあるが、これくらいなおくりものでいいのか」 「いいとも、十分だ」 「何かに包んでゆかなければいけまいが」 「なあに、仕官の 取做 ( とりな )しを頼む時の、 御推挙料 ( ごすいきょりょう )だの、御献金だのというやつは、薄田ばかりじゃない、公然と誰でも取っていることだから、何も 憚 ( はばか )って差し出す必要はすこしもないのだ。 先で、渋った顔をしていたら、金をやらずに持って帰るだけのことじゃないか。 肩を振って、堂々と通ってゆく態度を見とどけて、 (あれなら、なるほど、薄田兼相とは、貧困時代からの旧友だろう) 又八は、安心に似た気もちを抱いて、その晩は、さまざまな夢に 耽 ( ふけ )り、あくる日を待ちかねて、定めの時刻に、人寄せ場の空地へ、霜解けをふんで行った。 きょうも師走の風が寒かったが、冬日の下にはたくさん集まっていた。 どうしたのか、赤壁八十馬は、その日、姿を見せなかった。 次の日。 「何かの都合だろう」 又八は、こう善意に解釈して、れいの野天の酒売りの 床几 ( しょうぎ )で、 「きょうは」 と、正直に空地の人混みを見廻していたが、その日も遂に八十馬の姿を見ずに暮れてしまった。 少し、 てれて、 「おやじ、また来たぞ」 三日目である。 わしから依頼して、薄田殿へわたす口入れ金を預けておいたのだが、その返辞がはやく知りたいので、毎日待っているわけだが」 「おやおや、おまえ様は」 おやじは、気の毒そうに、又八の顔をながめて、 「百年待っていても、あの男が来るはずはありませぬ」 「げっ。 よほど、気をつけてあげようかと思ったが、あとの 祟 ( たた )りが恐いし、おまえ様も、あの風態を見れば、気がつくだろうと思っていたのに、金を抜かれてしまうなんて……。 これやお話にならんわい」 気の毒を通り越して、又八の無智をむしろ 愍 ( あわ )れむような 口吻 ( くちぶり )なのである。 だが又八は、恥を掻いたとは思わない。 突然の損失と希望から抛り出された 傷手 ( いたで )に、身がふるえ、血が 憤 ( いきどお )って、茫然と、空地の人群れを見つめていた。 「むだとは思うが、念のため 幻術 ( めくらまし )の囲いへ行って訊いてみなさるがよい。 あそこではよく、ガチャ蠅が集まって、銭の 賭事 ( かけごと )をしておりますで、そういう金をつかめば、ことによると、 賭場 ( あそびば )へ顔を出しているかもわかりませぬ」 「そ、そうか」 又八は、あわてて床几を起ち、 「その 幻術 ( めくらまし )の人寄せというのは、どこの囲いか」 老爺 ( おやじ )の指さすほうを見ると、この空地のうちでは最も大きな矢来が一つ見える。 幻術者 ( げんじゅつしゃ )の群れが興行しているのだという。 見物は、木戸口に 蝟集 ( いしゅう )していた。 又八が近づいて行ってみると、 「ちょちょんがちょっ 平 ( ぺい )」 だとか、 「 変兵童子 ( へんぴょうどうじ )」 とか、 「 果心居士之 ( かしんこじの )一 弟子 ( でし )」 とかいう有名な幻術師の名が、木戸口の旗に記してあって、幕と 筵 ( むしろ )でかこんであるその広い矢来のうちでは、怪しげな音楽に 交 ( ま )じって、術者の掛声と、見物の拍手が湧いていた。 裏へ廻ると見物の出入りしないべつな口があった。 又八が、そこを覗くと、 「 賭場 ( とば )へゆくのか」 と、立番の男がいう。 うなずくと、よしというような顔をしたので、彼は入って行った。 幕の中では、青天井をいただいて、二十人ばかりの浮浪人が、車座になって、 博戯 ( ばくち )をしている。 又八が立つと、じろっと、すべての白い眼が彼を見上げた。 一人がだまって、彼の前に席を開けたので、あわてて、 「この中に、赤壁八十馬って男はいないか」 訊くと、 「赤馬か。 そういえば赤馬の奴、ちっとも出て来ねえが、どうしたんだろう」 「ここへ来ましょうか」 「そんなこと、わかるもんか。 まあ、入りねえ」 「いや、おれは 博戯事 ( あそびごと )に来たんじゃない。 その男を捜しに来たのだ」 「おい、ふざけるなよ、 博戯 ( ばくち )もせずに、賭場へ何しに来やがったんだ」 「すみません」 「向う 脛 ( ずね )を掻っ払うぞ」 「すみません」 ほうほうのていで出て来ると、追いかけて来たガチャ 蠅 ( ばえ )の一人が、 「野郎待て。 ここは、すみませんで済む場所たあ違う。 ふてえ奴だ。 博戯 ( ばくち )をしなけれやあ、場代をおいてゆけ」 「金などない」 「金もねえくせに、賭場のぞきをしやがって、さては、隙があったら、銭を 攫 ( さら )って行こうという量見だったにちげえねえ、この 盗 ( ぬす )っ 人 ( と )め」 「なんだと」 又八が、くわっとして刀の 柄 ( つか )を示すと、これは面白いと、相手は敢て喧嘩を買ってくる腰だった。 「べら棒め、そんな 脅 ( おど )しに、いちいちびくついていちゃ、この大坂表で、生きちゃあいられねえんだ。 さ、斬るなら斬ってみろ」 「き! 斬るぞ」 「斬れっ、何も、断るにゃ及ばねえや」 「おれを知らんか」 「知ってるもんか」 「越前宇坂之庄、浄教寺村の流祖、富田五郎左衛門が歿後の門人佐々木小次郎とはわしのことだ」 そういったら逃げるだろうと思いのほか、相手は、ふき出して、又八のほうへ尻を向け、矢来のうちのガチャ 蠅 ( ばえ )を呼び立てた。 「やい、みんな来い、こいつ何とか今、オツな名乗りをあげやがったぜ。 おれたちを相手に抜く気らしい。 ひとつお 腕 ( て )のうちを見物としようじゃねえか」 いい終ると、きゃッと、その男は尻を斬られて跳び上がった。 又八が、不意に抜き打ちをくれたのである。 「畜生っ」 という声。 それから、わっと大勢の声がうしろに聞えた。 又八は血刀をさげて人混みの中へまぎれ込んだ。 なるべく人間の多いところへと又八は姿をかくして歩いていたが、危険を感じるほど、どの人間の顔もガチャ蠅に見え、とてもうろついておられなくなった。 銭を 抛 ( ほう )って、又八は中へとびこんだ。 そして、いささかほっとしながらどこに虎がいるのかと見廻してみると、正面に戸板を二、三枚並べ、それへ洗濯物でも貼りつけてあるように、一枚の虎の皮が貼りつけてあった。 死んだ虎を見せられても、見物は、神妙に眺め入って、これは生きていないじゃないかと、腹を立てる者はなかった。 「これが虎かいな」 「大きなものやなあ」 感心して、入口から出口の木戸へ入れ代ってゆく。 又八は、なるべく 刻 ( とき )を過ごそうと考えていつまでも虎の皮の前に立っていた。 この虎は、死んでいるのじゃろうが」 と、婆のほうがいう。 爺侍 ( じじざむらい )は、竹の仕切り越しに手をのばして、虎の毛に触れながら、 「元より、皮じゃもの、死んでおるわさ」 「木戸で呼ばわっている男は、さも生きているようにいうたがの」 「これも、 幻術 ( めくらまし )の一つじゃろて」 爺侍は苦笑していたが、婆のほうは、 忌々 ( いまいま )しげに、 萎 ( しぼ )んでいる唇を振り向けて、 「やくたいもない、幻術なら幻術と看板にあげておいたがよい。 死んだ虎を見るくらいなら絵を見るわさ。 木戸へ 去 ( い )んで、銭をかやせというて来う」 「婆、婆。 権叔父と呼ばれた爺侍が、 「やっ、又八っ」 と、呶鳴った。 お杉隠居は、眼がわるいので、 「な、なんじゃ、権叔父」 「見えなんだかよ、婆のすぐうしろに、又八めが立っておったぞ」 「げっ、ほんまか」 「逃げたっ」 「どっちゃへ?」 二人は、木戸の外へ転び出した。 もう空地の 雑沓 ( ざっとう )は暮色につつまれていた。 又八は、幾たびも人にぶつかった。 そのたびに、くるくる 舞 ( まい )して、後も見ずに、町中のほうへ逃げてゆく。 「待て、待て、 伜 ( せがれ )っ」 振りかえってみると、母親のお杉は、まるで狂気のようになって追って来るのだった。 権叔父も、手をふりあげ、 「馬鹿ようっ、なんで逃げるぞい。 暖簾棒 ( のれんぼう )だの竹竿を持って、町の者は、先へゆく又八を 蝙蝠 ( こうもり )を打つようにたたき伏せた。 往来の者も、わいわいと取りかこんで、 「捕まえた」 「ふてえ奴だ」 「どやせ」 「たたっ殺してやれ」 足が出る、手が出る、 唾 ( つば )を吐きかける。 後から息を 喘 ( き )って、権叔父とともに追いついて来たお杉隠居はそのていを見ると、群衆を突きとばし、小脇差のつかに手をかけて歯を 剥 ( む )いた。 「ええ、むごいことを、おぬしら何しやるのじゃ、この者へ」 弥次馬は、理を 弁 ( わきま )えずに、 「婆どの。 こいつは、泥棒だよ」 「泥棒ではない、わしが子じゃわ」 「え、おまえの子か」 「おおさ、ようも足蹴にしやったな。 町人の分際で、侍の子を足蹴にしやったな。 婆が相手にしてくりょう、もいちど、今の無礼をしてみやい」 「 冗戯 ( じょうだん )じゃない。 じゃあ先刻泥棒泥棒と呶鳴ったのは誰だ」 「呶鳴ったのは、この婆じゃが、おぬしら風情に足蹴にしてくれと頼みはせぬ。 泥棒とよんだら伜めが、足を止めようかと思うていうた親心じゃわ。 それも知らいで、撲ったり蹴ったりは何事じゃ、このあわて者めが!」 町中の森である。 おぼろに常夜燈がまたたいていた。 「こう来やい」 お杉隠居は、又八の 襟 ( えり )がみを 抓 ( つま )んで、往来からそこの境内まで引きずって来た。 婆の 権 ( けん )まくに驚いたとみえ、弥次馬はもう 尾 ( つ )いて来ない。 殿 ( しんがり )として、鳥居の下で見張っていた権叔父も、やがて後から来て、 「婆、もう 折檻 ( せっかん )はせぬものだぞ。 又八とて、もう子どもではなし」 母子 ( おやこ )の手と襟がみを、もぎ離そうとすると、 「何をいうぞい」 隠居は、権叔父を、 肱 ( ひじ )で突き 退 ( の )けて、 「わしが子を、わしが折檻するに差し出口など、要らぬお世話、おぬしは黙っていやい。 老人になれば誰も単純で気短かになるという。 今の場合の複雑な感情は余りにも 枯渇 ( こかつ )した血には強烈すぎたのであろう。 泣いているのか、怒っているのか、狂喜の変態なあらわれか。 「親のすがたを見て、逃げ出すとはなんの芸じゃ。 汝 ( われ )は、木の股から生れくさったか、わしが子ではなかったかよ。 なんで 故郷 ( くに )へもどって来て、ご先祖様のまつりをせぬか、この母にちょっとでも、顔見せぬか。 かんべんしてくれ、かんべんしてくれ」 又八は、 嬰児 ( あかご )みたいに、母の手の下からさけんだ。 「悪いことは知っている。 知っていればこそ、帰れなかったんだ。 今日も、余り不意だったのでびっくりして、逃げる気もなく、おらあ駈け出してしまった。 ……面目ない、面目ない! おふくろにも叔父御にも、おらあただ面目ないんで」 と、両手で顔をおおった。 それを見ると、婆も目鼻に 皺 ( しわ )をあつめて、すすり泣いた。 しかし気丈な老婆は、自分が 脆 ( もろ )くなるのをすぐ自分の心で叱咤しながら、 「ご先祖の恥さらし、面目ないというからには、どうせ 碌 ( ろく )なことをしていくさったのではあるまいが」 権叔父は、見るに見かねて、 「もうよかろう、婆、そう打擲しては、かえって又八を 拗 ( ねじ )け者にするぞよ」 「また差し出口かよ、おぬしは男のくせに甘うていかぬ。 又八には 父親 ( てておや )がないゆえ、この婆は母であるとともに、厳しい父親でもなければならぬのじゃ。 それゆえわしは折檻をしまする。 ……まだまだこんなことで足ろうかいの。 又八ッそれへ直りゃい」 自分も大地へ 畏 ( かしこ )まって坐りこみ、子へも、大地を指さしていった。 「はい」 又八は、土にまみれた肩を起して、 悄然 ( しょうぜん )と坐り直した。 この母親は怖かった。 世間の母親なみ以上の甘さもあったが、すぐご先祖様を持ち出すので、又八は頭があがらないのであった。 「つつみ隠しをするときかぬぞよ。 関ヶ原の 戦 ( いくさ )へ出て、おぬし、あれ以来、何していやった。 婆の得心がまいるまで、つぶさに話しゃれ」 「……話します」 隠す気は起らない。 「ふウむ……」 と、権叔父が 呻 ( うめ )くと、 「あきれた子よの」 と、隠居も舌を鳴らし、 「そして今では、何していやるか。 そういう 生活 ( たつき )を過ごしながらも、剣術に精出していやったとは、さすがにわしが子。 ……のう叔父御よ。 やはり婆が子じゃの」 この辺で機嫌を直させてしまいたいものだと権叔父は、大きく何度もうなずいて、 「それやあ、ご先祖の血は、どこかにあろうわさ。 「どれ、どれ」 手を出したが、渡さずに、 「安心してござれ、おふくろ」 「なるほど」 隠居は、首を振って、 「見たか、権叔父、大したものじゃわ。 小さい頃から、あの 武蔵 ( たけぞう )などより、ぐんと賢く、腕も出来ていただけのことはある」 と、 涎 ( よだれ )を垂らさないばかりに満足をあらわしたが、ふと、それを巻きかけた又八の手がすべって、終りの一行が眼にうつると、 「これ待て、ここに佐々木小次郎とあるのはなんじゃ」 「あ……これですか……これは 仮名 ( かめい )です」 「仮名? 何で仮名などつかいなさる、本位田又八と、立派な名のあるものを」 「でも 省 ( かえり )みて、自分に恥のある 生活 ( くらし )をしていたので、先祖の名を汚すまいと」 「オオそうか。 その性根たのもしい。 じっと首を垂れたまま、又八は老母の烈々と吐くことばに打たれていた。 こうしている間は、彼も善良で神妙な息子だった。 けれど、隠居がいおうとする重点は、もっぱら家名の面目とか、侍の意気とかにあったが、この息子の感情を強く打った点は、そこになくて、 (お通がこころ変りした) と、いう初耳の話だった。 「おふくろ、それは 真実 ( まったく )か」 彼の顔いろを知ると、隠居は、自分の 鞭撻 ( べんたつ )が、彼を奮起させたものと思いこみ、 「嘘と思うなら、叔父御にもただしてみやれ、お通 阿女 ( あま )はおぬしを見かぎって、 武蔵 ( たけぞう )の後を追って 去 ( い )んだわさ。 のう権叔父」 「そうじゃ、七宝寺の千年杉へ、沢庵坊主のため、 縛 ( くく )りつけられたのを、あのお通の手をかりて逃げ失せた 男女 ( ふたり )のことゆえ、どうせ 碌 ( ろく )な仲じゃあるまいての」 こう聞いては又八も、鬼とならずにいられなかった。 この婆や権叔父が、 故郷 ( くに )を出て、こうして諸国をあるいている意気地が。 ……よく」 「おぬしにも、それではのめのめと、故郷の土は踏めまいが」 「帰りません、もう、帰りません」 「討ってたも、 怨敵 ( おんてき )を」 「ええ」 「気のない返辞をするものかな、おぬしには 武蔵 ( たけぞう )を討つ力がないと思うてか」 「そんなことはありません」 権叔父も、そばから、 「案じるな又八、わしもついているのじゃが」 「この婆とても」 「お通と武蔵、二つの首を、晴れて故郷への土産に引っさげて戻ろうぞ。 のう又八、そうしておぬしにはよい嫁女をさがし、あっぱれ本位田家の跡目をついで貰わにゃならん。 そうした上は、武士の面目も立つ、 近郷 ( きんごう )への評判もようなる、まず、 吉野郷 ( よしのごう )で 負 ( ひ )け 目 ( め )をとる 家統 ( いえすじ )は 他 ( ほか )にはあるまいてな」 「さあ、その気になってたも。 なるかよ又八」 「はい」 「よい子じゃ、叔父御、 賞 ( ほ )めておくりゃれ。 きっと武蔵とお通を討つと誓うた。 ……」 と隠居はやっと気がすんだらしく、先刻から 怺 ( こら )えていた氷のような大地から身を動かしかけたが、 「ア…… 痛々々 ( たたた )」 「婆、どうしやった」 「冷えてかいの、腰が急に吊ってこう下腹へさしこんで来ましたわい」 「これやいかぬ、また持病を起してか」 又八は、背を向けて、 「おふくろ、すがりなされ」 「何、わしを負うてくれる。 ……負うてくれるか」 と、子の肩に抱きついて、 「何年ぶりぞいの、叔父御よ、又八がわが身を負うてくれたわいな」 と、 欣 ( うれ )し泣きに泣くのであった。 ほかに禁制の煙草も船底にかくしているらしい。 元より秘密だが、においで知れる。 月に何度か、 阿波 ( あわ )の国から大坂へ通う便船で、そうした貨物とともに便乗している客には、この年の暮を、大坂へ商用に出るか、戻るかする 商人 ( あきんど )が八、九分で、 「どうです、 儲 ( もう )かるでしょう」 「儲かりませんよ、 堺 ( さかい )はひどく景気がいいというが」 「鉄砲 鍛冶 ( かじ )など、職人が足らなくて弱っているそうですな」 べつの商人が、また、 「てまえは、その 戦道具 ( いくさどうぐ )の、 旗差物 ( はたさしもの )とか、 具足 ( ぐそく )など納めていますが、昔ほど儲かりませんて」 「そうかなあ」 「お侍方がそろばんに明るくなって」 「ハハア」 「むかしは、野武士がかついで来る 掠 ( かす )め 物 ( もの )を、すぐ染めかえ、塗りかえして、御陣場へ納める。 するとまた、次の戦があって、野武士がそいつを集めてくる。 また 新物 ( あらもの )にするといったふうに、 盥廻 ( たらいまわ )しがきいたり、金銀のお支払いなどもおよそ目分量みたいなものでしたがね」 そういう話ばかりが多い。 中には、 「もう内地では、うまい儲けはありっこない。 呂宋 ( るそん )助左衛門とか、茶屋助次郎といった人のように、 乗 ( の )るか 反 ( そ )るかで海の外へ出かけなければ」 と、海洋をながめて、彼方の国の富を説いている者があるし、或る者はまた、 「それでも、何のかのといっても、わしら町人は、侍から見れば遥かに割がよく生きていますよ。 いったい侍衆なんて、食い物の味ひとつ分るじゃなし、大名の贅沢といったところが、町人から見ればお甘いもので、いざといえば、鉄と 革 ( かわ )を 鎧 ( よろ )って、死にに行かなければならないし、ふだんは面目とか武士道とかにしばられて、好きな真似はできないし、気の毒みたいなものでございますよ」 「すると、景気がわるいの何のといっても、やはり町人にかぎりますかな」 「かぎりますとも、気ままでね」 「頭さえ下げていればすみますからな。 舶載 ( はくさい )の 毛氈 ( もうせん )をひろく敷きこんで、一階級を示しているのだ。 のぞいてみると、なるほど、桃山の 豪奢 ( ごうしゃ )は今、太閤が亡き後は、武家になくて、町人の中へ移っているかと思われる。 酒器のぜいたくさ、旅具旅装の 絢爛 ( けんらん )なること、持物の 凝 ( こ )っていること、ケチな一商人でも、侍の千石取などは及びもない。 「ちと、飽きましたな」 「退屈しのぎに、始めましょうか」 「やりましょう。 そこの 幕 ( とばり )をひとつ懸け廻して」 と、小袖幕のうちにかくれると、彼らは、 妾 ( めかけ )や手代に酒をつがせて、南蛮船が近ごろ日本へ 齎 ( もたら )した「うんすん 骨牌 ( かるた )」というものを始める。 そこで儲けている一つかみの黄金があれば、一村の 飢餓 ( きが )が救われるであろうほどの物を、まるで、 冗戯 ( じょうだん )みたいに、遣り取りしていた。 こういう階級の中に、ほんの一割ほどだが、乗り合わしている山伏とか、牢人者とか、儒者とか、坊主とか、武芸者などという者は、彼らからいわせるといわゆる、 (いったいなんのために生きているんだ) と 借問 ( しゃくもん )される部類のほうで、みんな 荷梱 ( にごうり )の蔭に、ぽつねんと味気ない顔して、冬の海をながめているのだった。 それらのあじきない顔つきの組の中に、一人の少年が 交 ( ま )じっていた。 「これ、じっとしておれ」 荷梱に 倚 ( よ )り懸って、冬日の海に向いながら、膝の上に何やら丸っこい毛だらけな物を抱いている。 可愛い小猿を」 と、そばの者がさしのぞいて、 「よく馴れてござるの」 「は」 「永くお飼いになっているのであろうな」 「いえ、ついこのごろ、土佐から阿波へ越えてくる山の中で」 「捕まえられたのか」 「その代り、親猿の群れに追いかけられて、ひどい目にあいました」 話を交わしながらも、少年は、顔を上げない。 小猿を膝の間に挟んで、 蚤 ( のみ )を見つけているのだった。 前髪に紫の 紐 ( ひも )をかけ、派手やかな小袖へ、 緋 ( ひ )らしゃの胴羽織を 纒 ( まと )っているので、少年とは見えるものの、 年齢 ( とし )のほどは、少年という称呼に当てはまるかどうか、保証のかぎりでない。 煙管 ( きせる )にまで、 太閤張 ( たいこうばり )というのが出来て、一頃は 流行 ( はや )ったように、こういう派手派手しい風俗も、桃山全盛の遺風であって、 二十歳 ( はたち )をこえても元服をせず、二十五、六を過ぎても、まだ童子髪を 結 ( ゆ )って金糸をかけ、さながらまだ清童であるかのような見栄を持つ習いが、いまに至ってもかなり 遺 ( のこ )っているからである。 だからこの少年も、一概に身なりをもって、未成年者と見ることはできない。 体つきからしても、堂々たる巨漢であるし、色は小白くて、いわゆる 丹唇 ( たんしん )明眸であるが、眉毛が濃くて、 眉端 ( びたん )は眼じりから開いて上へ 刎 ( は )ねている。 なかなかきつい顔なのだ。 何もそう 年齢 ( とし )の 詮索 ( せんさく )ばかり気にやむこともないが、あれこれ綜合してその中庸をとって推定すれば、まず十九か、二十歳というところでなかろうかと思われる。 さてまた、この美少年の身分はというと、元より旅いでたちで、 革足袋 ( かわたび )にわらじ 穿 ( ば )きだし、どこといって抑えどころもないが、 歴乎 ( れっき )とした藩臣でなく、牢人の 境界 ( きょうがい )であることは、こういう船旅において、ほかの山伏だの 傀儡師 ( くぐつし )だの、乞食のようなボロ侍だの、 垢 ( あか )くさい庶民の中に交じって、気軽にごろごろしている 態 ( てい )をみても、およそ想像はつく。 だが、牢人にしては、ちょっと立派なものを一つ身に着けている。 それは、緋羽織の背なかへ、 革紐 ( かわひも )で斜めに負っている陣刀づくりの大太刀である。 反 ( そ )りがなくて、 竿 ( さお )のように長い。 ものが大きいし、 拵 ( こしら )えが見事なので、その少年のそばへ寄った者は、すぐ少年の肩ごしに 柄 ( つか )の 聳 ( そび )えているその刀に目がつくのだった。 「 京洛 ( みやこ )でもちょっと見ない」 と思う。 刀のすぐれた物を見ると、その持ち主から、遠くは、その以前の経歴までが考えられてゆく。 祇園藤次は、 機 ( おり )があったら、その美少年へ、話しかけてみたいと思っていた。 はたはたと、大きな百 反帆 ( たんぽ )は、生きもののように、船客たちの頭の上で潮鳴りを切って鳴っていた。 藤次は旅に 倦 ( う )んでいた。 祇園藤次は、その飽き飽きした旅を、もう十四日もつづけて来たあげくのこの船中であった。 さしも、室町将軍家の兵法所出仕として、名誉と財と、両方にめぐまれて来た吉岡家も、清十郎の代になって、 放縦 ( ほうじゅう )な生活をやりぬいたため、すっかり家産は傾いてきた。 四条の道場まで、抵当に入っているので、この 年暮 ( くれ )には、町人の手へ取られるかも知れないという内ふところ。 年暮に近づいて、あっちこっちから責め立ててくる負債をあわせると、いつのまにか、途方もない数字にのぼっていて、父拳法の遺産をそっくり渡して、編笠一かいで立ち 退 ( の )いても、なお、足らないくらいな実情に 堕 ( お )ち 入 ( い )っていた。 (どうしたものか) という清十郎の相談である。 そんな主旨の廻文を、清十郎に書かせ、これを 携 ( たずさ )えて、中国、九州、四国などに散在している吉岡拳法門下の出身者を、歴訪して来たのである。 もちろん振武閣建築の寄附金を 勧進 ( かんじん )するために。 先代の拳法が育てた弟子は随分各地の藩に奉公していて、みな相当な地位の侍になっている。 けれど、そういう 勧説 ( かんぜい )を持って行っても、藤次が予算していたように、おいそれと寄進帳へ筆をつけてくれるのはすくない。 (いずれ書面をもって) とか、 (いずれ、上洛の折に) とかいうのが多く、現に藤次が携えて帰る金は、予定していた額の何分の一にも当らない。 だが、自分の財政ではなし、まあ、どうかなろうと 多寡 ( たか )をくくって、 先刻 ( さっき )から、師の清十郎の顔より、久しく会わないお甲の顔のほうを、努めて、想像にのぼせていたが、それにも限度があるので、また、 生欠伸 ( なまあくび )に襲われて、退屈なからだを、船のうえに持てあましていた。 うらやましいのは、先刻から小猿の 蚤 ( のみ )をとっている美少年だった。 いい退屈しのぎを持っている。 藤次は、そばへ寄って、とうとう話しかけ出した。 「若衆。 「はあ、大坂へ行きます」 「ご家族は大坂にお住まいかの」 「いえ、べつに」 「では阿波のご住人か」 「そうでもありません」 膠 ( にべ )のない若衆である。 そういってまた他念なく、小猿の毛を指で掻き分けているのであった。 ちょっと話のつぎ穂がない。 藤次は、黙ったが、また、 「よいお刀だな」 と、こんどは彼の背にある大太刀を 賞 ( ほ )めた。 「大太刀を、かんぬきに横たえて、 りゅうとして歩くのは、見た眼は伊達でよいが、そういう人物にかぎって、逃げる時には、刀を肩へかつぐやつだ。 美少年は、ちらと、彼のそういう尊大な顔つきへ、瞳をひらめかせ、 「富田流を」 と、いった。 「富田流なら、小太刀のはずだが」 「小太刀です。 私は、人真似がきらいです。 そこで、師の逆を行って、大太刀を工夫したところ、師に怒られて破門されました」 「若いうちは、えて、そういう 叛骨 ( はんこつ )を誇りたがるものだ。 そして」 「それから、越前の浄教寺村をとび出し、やはり富田流から出て、中条流を 創 ( た )てた鐘巻自斎という先生を訪ねてゆきますと、それは気の毒だと、入門をゆるされ、四年ほど修行するうち、もうよかろうと師にもいわれるまでになりました」 「田舎師匠というものは、すぐ目録や免許を出すからの」 「ところが、自斎先生は容易にゆるしを出しません。 先生が印可をゆるしたのは、私の兄弟子である伊藤弥五郎一刀斎ひとりだという話でした。 国許 ( くにもと )では、知られている刀で、 物干竿 ( ものほしざお )という名があるくらいです」 無口だと思いのほか、自分のすきな話題になると、美少年は問わないことまで語りだした。 そして口を開き出すとなると、相手の気色などは見ていない。 そういう点や、またさっき自分で話した経歴などから見ても、すがたに似あわない我のつよい性格らしく思われた。 祇園藤次は、この多感な美少年の述懐を聞いても、若い彼といっしょになって、感傷を共にする気には元よりなれない。 だが、退屈に苦しんでいるよりは、ましだと考えて、 「ふム、なるほど」 熱心に聞いている顔つきを装うと、美少年は、 鬱懐 ( うっかい )をもらすように、 「その時、すぐ行けばよかったのです。 けれど私は周防、師は上州の山間、何百里の道です。 冬雲に陽がかくれると、海は急に灰色を呈し、時々、 舷 ( ふなべり )に 飛沫 ( しぶき )が寒く立つ。 美少年はなお話をやめない。 多感な語気をもって語る。 「師の自斎には、何の身寄りもありません。 で、甥の天鬼には、遺産といってもわずかでしょうが、金を与え、遠く離れている私には、中条流の印可目録を 遺 ( のこ )してゆかれました。 天鬼は、私のそれを預かって、今諸国を修行にあるいていますが、来年の 彼岸 ( ひがん )の中日には、上州と周防とのちょうど中ほどの 道程 ( みちのり )にあたる三河の 鳳来寺山 ( ほうらいじさん )へ、双方からのぼって、対面しようという約束を書面で交わしてあります。 そこで私は天鬼から師のおかたみを受けることになっているので、それまでは近畿のあたりを 悠々 ( ゆるゆる )と、修行がてら見物して歩こうと思っているのです」 ようやくいうだけのことをいい終ったように、美少年は改めて、話し相手の藤次にむかい、 「あなたは、大坂ですか」 「いや京都」 それきり黙って、しばらく、波音に耳をとられていたが、 「すると 其許 ( そこもと )はやはり、兵法をもって身を立てて行かれる気か」 藤次はさっきから少し軽蔑した顔つきであったが、今も うんざりしたようにいう。 この頃のように、こう小生意気な兵法青年がうようよ歩いて、すぐ印可の目録のといって誇っていることが、彼には、 小賢 ( こざか )しく聞えてならない。 そんなに天下に上手や達人が蚊みたいに 殖 ( ふ )えてたまるものか。 「京都には、吉岡拳法の遺子、吉岡清十郎という人がいるそうですが、今でもやっておりますか?」 よいほどに聞いてみれば、だんだん口の幅を広くしてくる。 気に食わない前髪めがと藤次は 小癪 ( こしゃく )に思う。 けれど考え直してみると、こいつはまだ自分が吉岡門の高弟祇園藤次なる者であることを知らないのだ。 知ったらさだめし前言に恥じて、びっくりする奴に違いない。 藤次は顔を 歪 ( ゆが )めた後から、軽蔑をみなぎらして、 「あそこへ行って、片輪にならずに、門を戻って来る自信が、あるかな?」 「なんの!」 美少年は突っ返すようにいった。 「大きな門戸を構えているので、世間が買いかぶっているので、初代の拳法は達人だったでしょうが、当主の清十郎も、その弟の伝七郎とやらも、たいした者じゃないらしい」 「だが、当ってみなければ、分るまいが」 「もっぱら諸国の武芸者のうわさです。 うわさですから、皆が皆、ほんとでもありますまいが、まず京流吉岡も、あれでおしまいだろうとは、よく聞くことですね」 大概にしろといいたい。 藤次は、ここらで名乗ってやろうかと思ったが、ここで けりを着けたのでは、 揶揄 ( からか )ったのでなく、揶揄われたに等しいものになる。 船が、大坂へ着くにはまだ大分間もあることだし、 「なるほど、このごろは、諸国にも天狗が多いそうだから、そういう評判もあろうな。 ところで、おん身は先ほど、師を離れて、郷里にあるうちは、毎日のように、錦帯橋の 畔 ( ほとり )へ出て、 飛燕 ( ひえん )を斬って大太刀のつかいようを工夫されたと仰っしゃったな」 「いいました」 「じゃあ、この船で、時々、ああして飛び来っては 掠 ( かす )めてゆく 海鳥 ( うみどり )を、その大太刀で、斬り落すことも容易であろうな」 「…………」 何か悪感情を包んでいる相手のことばを、美少年もようやくさとったらしく、瞬間、まじまじと藤次のそういう浅黒い唇を見つめていたが、やがて、 「出来たって、そんな 莫迦 ( ばか )な芸を私はやる気になれぬ。 あなたは、古岡の門人か、縁者か」 「何でもないが、京都の人間だから、京都の吉岡を悪くいわれれば、やはりおもしろくはない」 「ははは、うわさですよ、私がいったわけじゃない」 「若衆」 「なんです」 「 生兵法 ( なまびょうほう )という 諺 ( ことわざ )を知っているか。 将来のため忠言しておくが、世間をそう甘く見すぎると、出世はせんぜ。 やれ、中条流の印可目録を取っているの、飛燕を斬って、大太刀の工夫をしたのと、人をみな盲とするような 法螺 ( ほら )はよせ。 よいか、法螺をふくのも相手を見てふくのだぜ」 「私を、法螺ふきと、仰っしゃったな」 美少年が、こう念を押すように突っ込むと、 「いったがどうした」 藤次は、 反 ( そ )らした胸を、わざと相手へ寄せて、 「おまえの将来のためにいってやったのだ。 若い者の 衒 ( てら )いも、少しは愛嬌だが、あまり過ぎると見ぐるしい」 「…………」 「最前から何事もふむふむと聞いているので、人を 舐 ( な )めてつい 駄ぼらが出たのだろうが、実は 此方 ( このほう )こそ、吉岡清十郎の高弟、祇園藤次という者だ。 以後、京流吉岡の悪評をいいふらすと、ただはおかんぞ」 周 ( まわ )りの船客がじろじろ見るので、藤次はそれだけの権威と立場とを明らかにして、 「このごろの若い奴は、生意気でいかん」 つぶやきながら、独り、 艫 ( とも )のほうへ歩み去った。 (何かなくては済まないらしいぞ) と予感したので、船客たちは、遠方からではあるが、皆、二人のほうへ首を振向けた。 藤次は決して事を好んだわけではない。 大坂へ着けば、船着場にはお甲が待っているかもしれないのだ。 女と会う前に、年下の者と、喧嘩などをやっては、人目につくし、あとがうるさい。 そしらぬ顔して、彼は、 舷 ( ふなべり )の 欄 ( らん )へ 肱 ( ひじ )をかけ、 艫舵 ( ともかじ )の下にうず巻いている青ぐろい瀬を見ていた。 「もし」 美少年は、その背中を軽くたたいた。 相当に 拗 ( しつ )こい性質である。 だが、感情に激しているような語気ではない、極めて静かなのだ。 「もし……藤次先生」 知らないふうも 装 ( よそお )えないので、 「なんだ」 顔を向けると、 「あなたは、 人中 ( ひとなか )において、私を 法螺 ( ほら )ふきと申されたが、それでは私も面目が立たないから、最前、やって見ろとおおせられた芸を、やむなくここで演じてみようと存じます。 立ち会ってください」 「わしが、何を求めたか」 「お忘れのはずはない。 藤次は、その構えを白い眼で見すえながら、何用か、と 彼方 ( かなた )から答えた。 すると、美少年は、真面目くさって、 「おそれ入るが、海鳥を、私のまえへ呼び降ろしていただきたい。 何羽でも、斬って見せます」 一休 和尚 ( おしょう )の頓智ばなしをそのまま用いて、美少年は、藤次へ 酬 ( むく )いたものとみえる。 藤次はあきらかに 愚弄 ( ぐろう )されたのだ。 人を小馬鹿にするも程があるといっていい。 当然、烈火のように怒った。 「だまれ。 あのように空を 翔 ( か )けている海鳥を思いのままに、眼の前へ呼びよせられるものなら、誰でも斬るわ」 すると美少年は、 「海は千万里、 剣 ( つるぎ )は三尺、側へ来ないものは、私にも斬れません」 それ見たかといわないばかりに藤次は二、三歩出て、 「逃げ口上をいう奴だ。 出来ませんなら出来ませんと、素直に 謝 ( あやま )れ」 「いや、謝るほどなら、こんな身構えは 仕 ( つかまつ )りません。 海鳥のかわりに、べつな物を斬ってお目にかける」 「何を?」 「藤次先生、もう五歩こちらへ出て来ませんか」 「なんだ」 「あなたのお首を拝借したい。 私が 法螺 ( ほら )ふきか否かを試せといったそのお首だ。 罪もない海鳥を斬るよりは、そのお首のほうが恰好ですから」 「ばッ、ばかいえっ」 思わず藤次はその首をすくめた。 ばっと空気の斬れる音がした。 三尺の長剣が、針ほどな光にしか見えないくらい 迅 ( はや )かったのである。 首はたしかに着いているし、そのほかなんの異状も感じなかった。 「おわかりか」 美少年は、そういって、 荷梱 ( にごうり )のあいだへ立ち去った。 土気色になった自分の顔いろを、藤次はいかんともすることが出来なかった。 だが、その時はまだ自分の五体のうちの最も重要な部分が斬り落されていることなど気づかなかった。 美少年が去った後で、ふと、冬陽のうすくあたっている船板の上を見ると、変な物が落ちている。 それは、 刷毛 ( はけ )のような小さな毛の 束 ( たば )だ、アッと、初めて気づいて、自分の髪へ手をやってみると、 髷 ( まげ )がない。 「や、や? ……」 撫 ( な )でまわして驚き顔をしている間に、根の 元結 ( もとゆい )がほぐれて、 鬢 ( びん )の毛はばらりと顔にちらかった。 「やったな! 青二才」 棒のように胸へ突っ張ってくる憤怒であった。 美少年が自ら語っていたことのすべてが、嘘でも 法螺 ( ほら )でもないことが、とたんに分りすぎるほど彼には分った。 年に似合わない怖ろしい技だと思う。 若い仲間にも、ああいう若いのもいるのかと今さら思う。 だが、 頭脳 ( あたま )の驚嘆と、肚のそこの憤怒とは、べつ物である。 そこからのぞいて見ると、美少年は 先刻 ( さっき )の席へもどって、何か、失くし物でもしたように、自分の足もとを見廻している。 藤次は、絶好な隙をその体に見つけた。 身をかがめて、美少年のうしろへ迫り、こんどは、彼の 髷 ( まげ )を斬り払ってやろうとするのだった。 当然、顔にかかる、頭の鉢を横に割るだろう。 勿論、それでさしつかえない。 うむっ! 満身が赤く 膨 ( ふく )れあがって、彼の 唇 ( くち )と鼻腔が出る息を結んだ時であった。 三十尺もあろうかと思われる帆ばしらの 天 ( て )っ 辺 ( ぺん )に。 下では、ほかの船客までが、海上の旅に 倦 ( う )み 飽 ( あ )いていた折からなので、事こそあれと、みな顔を空へ上げ、 「やあ、何か 咥 ( くわ )えている」 「 骨牌 ( かるた )のふだですよ」 「ハハア、あそこで、金持ち連がやっていた骨牌を 攫 ( さら )って行ったんですか」 「ごらんなさい、小猿のやつも、帆ばしらの上で骨牌をめくる真似をしている」 ヒラヒラと、そういう顔の中へ一枚の札が落ちて来た。 「畜生」 堺の 商人 ( あきんど )のひとりが、あわててそれを拾いあげたが、 「まだ足らない。 どこからも、おれのだといって名乗り出る者がない。 しかし、その辺にいた客はみな知っている。 例の美少年のすがたへ期せずして一同の眼が注がれた。 船頭も知っていた筈だ。 そこで当然 業腹 ( ごうはら )が煮えてきたに違いない。 船頭声を一段と張りあげて、 「飼い主はねえのか。 飼い主がねえならねえように、おらが処分するが、あとで苦情はあんめえな」 いないのではない、美少年は荷物に 倚 ( よ )りかかって、黙然と、何か考え事でもしている様子なのだ。 「……なんて図々しい」 と、ささやく者がある。 船頭もぎょろりと美少年の頭を見ていた。 博戯 ( あそび )を 邪 ( さまた )げられた金持ち階級は、 遽 ( にわか )にざわめいて悪口を口走る。 だが美少年は、ちょっと膝を横に坐り直したきりだった。 どこへ吹く風かという姿である。 「海のうえにも、猿が住むとみえて、飼い主のねえ猿が舞いこんだ。 飼い主のねえ畜生なら、どうして始末してもかまうめい。 後で、耳が遠いの、聞かなかったのと、苦情のねえように、証人になってくらっせえ」 「いいとも、わしらが証人に立ってやる」 と例の旦那連中が、腹を立てて、呶鳴った。 船頭は、船底へゆく 段梯子 ( だんばしご )を下りて行った。 上がって来た時には、火のついた火縄と、 種子島銃 ( たねがしまじゅう )を持っていた。 のん気なのは、上の小猿だ。 潮風の空で、 骨牌 ( かるた )を見ている。 それがいかにも意思があって人間をからかっているように見えるのである。 「…………」 下では、船頭が、火縄を鼻の先にいぶして種子島の 銃先 ( つつさき )を空へ向け、じっと、小猿を狙いすましていた。 「しっ……」 と、堺の商人が 袂 ( たもと )をひいた。 それまで 唖 ( おし )のように 他所 ( よそ )を向いていた美少年がぐっと体を起し、 「船頭」 と、こちらへ声を投げたからである。 こんどは、船頭のほうで そら耳を装っていた。 火縄が、チラと 関金 ( せきがね )の 煙硝 ( えんしょう )へ口火を点じかけた。 「あっ」 ドカアンと弾音はたかく 反 ( そ )ッぽへ走った。 銃 ( つつ )は美少年の手に 引 ( ひ )っ 奪 ( た )くられているのだった。 船客たちは、耳を抑えて 俯 ( う )つ伏した。 「な! なにしやがる!」 これは船頭の当然な怒号だった。 おどり上がって美少年の胸ぐらにぶら下がったのである。 頑丈な 船乗 ( ふなのり )の体も、美少年のまえに正当に立つと、ぶら下がったという言葉がおかしくないほど、背も骨ぐみも、段ちがいに美少年のほうが 逞 ( たくま )しくて立派だったのである。 「おまえこそ、何するのだ、飛び道具で、無心の小猿を撃ち落そうとしたろう」 「そうだ」 「不届きではないか」 「なぜッ。 船頭風情の身をもって、客よりも高い場所に突っ立ち、頭の上からあのように 喚 ( わめ )いたとて、侍が、答えられるか」 「いい抜けを 吐 ( ほ )ざくな。 そのためにおらは何度も断ってある。 小猿が 骨牌 ( かるた )のふだを取って逃げたからとて、この身がいいつけたわけではなし、あの連中のする 悪戯 ( いたずら )を、猿が真似したまでのこと、わしから迷惑を詫び出るすじはない」 ことばの半ばから、美少年は、血の気の多いその顔を、 彼方 ( あなた )の一つどころにかたまっている堺や大坂の旦那連のほうへ向けて、極めて皮肉な笑い方をしていったのであった。 潮騒 ( しおさい )の夕闇に、木津川 湊 ( みなと )の灯は赤く 戦 ( そよ )いでいる。 どことなく魚臭いものが迫る。 陸 ( おか )が近づいたのだ。 船から呼ばわる声と、陸でわいわいという声が、徐々に、距離をちぢめていた。 どぼーんと、真っ白なしぶきが立つ。 錨 ( いかり )が 抛 ( ほう )りこまれたのである。 「かしわ屋でございますが」 「 住吉 ( すみよし )の 社家 ( しゃけ )の息子さまは、この船にござらっしゃらぬか」 「飛脚屋さんはいるかね」 「旦那様あ」 渡海場の 埠頭 ( ふとう )にかたまっていた迎えの 提燈 ( ちょうちん )は、灯の波を作って船の横へ迫ってゆく。 その中を、例の美少年が、 揉 ( も )まれて降りて行った。 肩に小猿を乗せている姿を見て、 旅籠 ( はたご )の客引きが二、三人、 「もしもし、 猿 ( えて )のお泊り賃は、 無料 ( ただ )にいたしておきますが、私どもへお越しくださいませぬか」 「てまえどもは住吉の門前で、ご参詣にもよし、座敷の見晴らしも至極よいお部屋がございますが」 それらの者には 一顧 ( いっこ )もせず、そうかといって迎えに来ている知人もないらしく、美少年は小猿をかついで、真っ先にこの 湊 ( みなと )から姿を消してしまった。 それを見送って、 「何んていう生意気なやつだろう。 すこしばかり兵法が出来ると思って」 「まったく、あの若造のために、船の中は半日、みんな面白くなく暮してしまった」 「こっちが町人でなければ、あのままただでこの船を降ろすのじゃないが」 「まあまあ、侍には、たんと威張らせておいてやるがいいさ。 肩で風を切っていれば、それで気が済むんだから他愛はない。 わしら町人は、花は人にくれても、 実 ( み )を喰おうという流儀だから、今日ぐらいな 忌々 ( いまいま )しさは、仕方があるまいて」 こんなことをいいながら、荷物沢山な旅すがたを揃えて、ぞろぞろ降りて行ったのは例の堺や大坂の 商人連 ( あきんどれん )であり、そこへは無数の出迎えが、 提燈 ( ちょうちん )や乗物をあつめ、一人一人に、幾人かの女の顔も取り巻いていた。 祇園 ( ぎおん )藤次は、誰よりも後から、こっそりと 陸 ( おか )へ上がっていた。 形容のできない顔つきである。 不愉快といって、きょうほど不愉快な日はなかったに違いない。 髷 ( まげ )をちょん切られた頭には、頭巾をかぶせているが、眉にも 唇 ( くち )にも、暗澹とただよっている。 渡海場に立って吹き 曝 ( さら )されていた顔が、寒さに 硬 ( こわ )ばって、年をかくしている 皺 ( しわ )が、 白粉 ( おしろい )の上に出ていた。 「お、お甲か。 とにかく、住吉へでも行って、よい宿を見つけよう」 「え、あちらに、駕も連れて来ましたから」 「そいつは有難う、じゃあ宿も先に取っておいてくれたか」 「みな様も、待ちかねているでしょう」 「え?」 意外な顔して、藤次は、 「オイお甲、ちょっと待ってくれ。 おまえとここで落ちあったのは、二人ぎりでどこか静かな家で二、三日 悠 ( ゆ )っくりしようという考えじゃないか。 ……それを、皆様とは一体、誰と誰のことをいうのだ」 「乗らない。 わしは乗らない」 祇園藤次は、迎えの駕を 拒 ( こば )んでぷんぷん怒りながら、お甲の先へ歩いていた。 お甲が何かいうと、 「ばかっ」 と、ものをいわせない。 彼をして、こう立腹させた原因は、お甲が告げた新しい事情にも 因 ( もと )づくが、すでに船の中からもやもやしていた鬱憤が、あわせて今、爆発したことは 否 ( いな )めない。 「おれは、一人で泊るっ。 駕なんか追ッ返せ。 なんだ。 人の気も知らないで、ばかっ、ばかっ!」 と、 袂 ( たもと )を払う。 河の前の 雑魚 ( ざこ )市場は、みな戸が閉まって、魚の 鱗 ( うろこ )が、貝をちらしたように、暗い長屋の戸に光っていた。 そこまで来ると、人影も少なくなったので、お甲は、藤次に抱きついた。 「およしなさい、見ッともない」 「離せっ」 「一人で泊ったら、あっちが変なものになりますよ」 「どうにでもなれっ」 「そんなこといわないで」 白粉 ( おしろい )と髪の香の、冷たい頬が、藤次の頬へ貼りついた。 藤次はやや旅の孤独から 甦 ( よみがえ )った。 「……ネ、頼みますから」 「がっかりした」 「そうでしょう、だけど、二人にはまたいい 機 ( おり )があるでしょう」 「おれは、せめて大坂で二、三日は二人ぎりと、楽しみにして着いたのだ」 「分ってますよ」 「わかっているなら、なぜ 他 ( ほか )の者を引ッ張って来たのだ。 俺が思っているほど、おまえは俺を思っていないからだろう」 藤次が責めると、 「また、あんな……」 と、お甲はうらめしげな眼をこらして、泣きたいような顔をして見せる。 彼女のいい訳は、こうだった。 藤次から飛脚を受け取ると、彼女は勿論、自分だけで大坂へ来るつもりだった。 ところが折わるく、吉岡清十郎がその日もまた、六、七名の門人を連れて「よもぎの寮」へ飲みに来て、いつのまにか、 朱実 ( あけみ )の口から、そのことを聞いてしまい、 (藤次が大坂へ着くなら、わしらも迎えに行ってやろうじゃないか) といい出した。 それに調子をあわせる取り巻き連も多く、 (朱実も行け) と、いう騒ぎになってしまい、いやともいえずお甲は一行十人ほどの中に 交 ( ま )じって住吉の旅館に落着き、一同の遊んでいる間に、自分だけ一人で駕を持ってここへ迎えに来たのだという。 今日という日に迷信がわき起るほど、何か、後にも先にも、不愉快ばかりが考えられた。 第一、 陸 ( おか )を踏むとすぐ、清十郎だの同輩だのに、旅先の首尾を聞かれることが辛い。 いやもっと嫌なことは、この頭巾を脱ぐことである。 (何といおう) 彼は、 髷 ( まげ )のない頭を苦に病んだ、彼にも侍というものの面目はある。 人に知られない恥なら掻いてもよいが、人にわかる恥を重大に思う。 「……じゃあ仕方がない、住吉へ行くから駕を連れて来い」 「乗ってくれますか」 お甲はまた、渡海場のほうへ、駈け戻った。 この夕方、船で着く藤次を迎えに行くといって出たお甲は、まだ帰って来ない。 その間に、同勢は風呂にはいり、 旅舎 ( やど )の どてらに 着膨 ( きぶく )れて、 「やがて、藤次もお甲も見えるだろう、その間、こうしていてもつまらんじゃないか」 飲んで待っていようということになったのは、この同勢として、当然な納まりであった。 藤次の顔が見えるまでのつなぎとして飲んでいたうちはいいが、いつの間にか膝がくずれ、杯がみだれ出すと、もうそんな者はどうでもよくなってしまい、 「この住吉には、 唄 ( うた )い 女 ( め )はいないのか」 「きれいなのを三、四人呼ぼうじゃないか。 どうだ 諸卿 ( しょけい )」 と、病気が始まる。 (よせ、つまらない)などという顔は、この中には一つもいない。 ただ師の吉岡清十郎の顔いろを多少 憚 ( はばか )るのであったが、 「若先生には、朱実が側についているから、別間のほうへ、お移り願おうじゃないか」 横着な奴らかなと清十郎はにが笑いする。 けれど、それは自分に取っても好ましい。 炬燵 ( こたつ )のある部屋に入って、朱実とふたりで差し向うほうが、この同勢と飲んでいるより、どれほどいい人生かわからない。 「さあ、これからだ」 とは門人どもが、門人だけになってからの発声だった。 やがて程なく 十三間川 ( とさまがわ )の名物という怪しげな 唄 ( うた )い 女 ( め )が笛、三味線などの ひねこびた楽器を持って庭にあらわれ、 「いったい、あんたはん達は、喧嘩するのかいな、酒あがるのかいな」 と訊ねる。 すでによほど大トラになっている一人が、 「ばかっ、金を 費 ( つか )って喧嘩する奴があるか。 おまえたちを呼ぶからには、大いに飲んで遊ぶのだ」 「じゃあ、まちっと、静かにあがりやはったらどうかいな」 手際 ( てぎわ )よく扱われて、 「然らば、歌おう」 抛 ( ほう )り出していた 毛脛 ( けずね )をひっ込めたり、横にしていた体を起して、 絃歌 ( げんか )ようやく盛んならんとする頃おい、小女が来て、 「あの、お客様が、船からお着きなさいまして、ただ今、お連れ様といっしょに、ここへきやはりまする」 と、告げて行った。 「なんだ、何が来たと」 「藤次といった」 「 冬至 ( とうじ )冬至、 魚 ( とっと )の目か」 お甲と祇園藤次は、あきれ顔して部屋の口に立っていた。 誰も彼を待ったらしい者は一名もないのだった。 藤次は、一体何のために、この年末この同勢が、住吉へなど来ているのかと疑った。 お甲にいわせれば自分を迎えに来たのだというが、どこに自分を迎えに来たらしい人間が一人でもいるか、むっとして、 「おい、 下婢 ( おんな )」 「はい」 「若先生は、どこにいらっしゃるか、若先生のいる部屋へ行こう」 廊下をもどりかけると、 「よう、先輩、ただ今お帰りか。 たまらない臭気を放つ。 逃げようとしたので、トラは強引に座敷へ引きずり込んだ、そして、膳を踏みつけたから形のごとく 杯盤狼藉 ( はいばんろうぜき )を作って、共倒れに仆れた。 「……あっ、頭巾を」 藤次は、あわてて自分のそれへ手をやったが遅かった。 辷 ( すべ )った拍子に、トラは彼の頭巾をつかんで後ろへ腰をついていた。 その晩は、酒の興で済んだが、次の日になるとこの同勢が、ゆうべとは打って変って、 旅舎 ( やど )のすぐ裏の浜辺に出て、天下の大事でも議すように、 「怪しからん沙汰だ」 と、肩を 昂 ( あ )げ、 唾 ( つば )をとばし、 肱 ( ひじ )を突っ張って、小松の生えている砂地に 円 ( まる )く坐っていた。 いやしくも天下の兵法所をもって任じる吉岡道場の名折れだ、断じて、これを捨ておくことはできないぞ」 「しからば、どうするのだ」 「これからでも遅くあるまい。 その小猿を連れて歩いている前髪の武者修行を 捜 ( さが )し出す! どんなことをしても捜し出す! そして、 彼奴 ( きゃつ )の 髷 ( まげ )をちょん切って、祇園藤次 ずれの恥辱じゃない、吉岡道場の存在を 厳 ( おごそ )かにする。 その動機をたずねると、こうなのである。 彼らの憤激はそれから始まったものである。 怪 ( け )しからぬ先輩と、祇園藤次をつかまえて詰問に及ぼうとすると、藤次は今朝早く、吉岡清十郎と何か話していたが、朝飯をたべるとすぐ、お甲とふたりで、先へ京都へ 発 ( た )ってしまったという。 いよいよもって、うわさは事実にちがいない。 そういう腰抜けの先輩を追いかけるのは愚かである、追うならばどこの何者かわからないが、自分たちの手で、小猿を携えた前髪を捕まえ、存分に、吉岡道場の汚名をそそいでやろうじゃないか。 住吉の浦は、眼のおよぶ限り、 白薔薇 ( しろばら )をつないだような波である。 冬とも思えない磯の香が陽に煙っている。 朱実 ( あけみ )は、白い 脛 ( はぎ )を見せて、波に戯れながら何か拾って見ては捨てていた。 何事か起ったように、吉岡の門人たちが思い思いな方角へ向い、刀のこじりを 刎 ( は )ね上げて分れて行くのを眺めて、 「オヤ、何だろう」 朱実はまるい眼をしながら、波打ち際に立って見送っていた。 ほかの者もみな手分けして、捜しに行ったんだ」 「何を捜しに行ったんです」 「小猿を携えている前髪の若い侍さ」 「その人がどうかしたのですか」 「 抛 ( ほう )っておいては、清十郎先生のお名まえにもかかわるのだ」 祇園藤次の飛んでもない置土産の一件を話して聞かすと、朱実は興もない 口吻 ( くちぶり )で、 「皆さんは、始終喧嘩ばかり捜しているんですね」 と、たしなめ顔にいう。 貝殻など何も捜さなくっても、 天 ( そら )の星ほど、こんなに落ちている」 「わたしの捜しているのは、そんなくだらない貝殻じゃありません。 わすれ貝です」 「わすれ貝、そんな貝があるものか」 「ほかの浜にはないが、この住吉の浦にだけはあるんですって」 「ないよ」 「あるんですよ」……いい争って、朱実は、 「嘘だと思うならば証拠を見せてあげますからこっちへ来てごらんなさい」 と、ほど遠からぬ所の松並木の下へ、無理やりにその門人を引っぱって来て一つの 碑 ( いしぶみ )を指した。 いとまあらば ひろひに行かむ住吉の きしに寄るてふ 恋わすれ貝 新勅撰集のうちにある古歌の一首がそれには刻んである。 朱実は誇って、 「どうです、これでもないといえますか」 「伝説だよ、取るにも足らん歌よみの嘘だ」 「住吉にはまだ、わすれ水、わすれ草などという物もあるんです」 「じゃ、あるとしておくさ。 ……だから捜しているの。 あんたも一緒になって捜してくださいよ」 「それどころじゃない」 思い出したように、その門人は足の向きを変えて、どこかへ駈けていってしまった。 苦しくなると、そう思うほどだったが、また、 「忘れたくない」 朱実は、胸を抱いて、矛盾の 境 ( さかい )に立った。 もしほんとにわすれ貝という物があるならば、それはあの清十郎の袂へこそ、そっと入れてやりたい。 そしてこの自分という者を彼から忘れてもらいたいと、ため息ついて思う。 「 執 ( しつ )こい人……」 思うだけでも、朱実は心がふさいだ。 自分の青春をのろうために、あの清十郎は生活しているような気もちにさえ襲われる。 清十郎のねばり濃い求愛に、心が暗くなる時は、必ずその心のすみで、彼女は 武蔵 ( むさし )のことを考えた。 なぜならば、遮二無二に今の境遇を切り 解 ( ほど )いて現在の身から夢の中へ、駈け出してしまいたくなるからだった。 「……だけど?」 彼女は、しかし幾たびもためらった。 自分はそこまでつき詰めているが、武蔵の気もちはわからなかった。 「……アアいっそのこと忘れてしまいたい」 青い海が、ふと誘惑でさえあった。 朱実は、海を見つめていると、自分が怖くなった。 何のためらいもなく、真っ直にそこへ向って駈けて行かれる気がするのである。 そのくせ自分がこんなつき詰めた考えを抱いているなどということは、およそ彼女の 養母 ( はは )のお甲も知らない。 清十郎も思わない。 誰でも朱実と一つに暮した者は皆、この娘は至って快活で、お 転婆 ( てんば )で、そしてまだ、男性の恋愛が受け取れないほど開花の 晩 ( おそ )い 質 ( たち )だと思いこんでいるらしいのである。 朱実はそんな男たちやまた 養母 ( はは )を、心のうちであかの他人に思っていた。 どんな 冗戯 ( じょうだん )でもいえるのである。 そしていつも鈴のついた 袂 ( たもと )を振って、駄々っ子みたいに振舞っているのだったが、独りになると、春の草いきれのように熱いため息をついていた。 さっきから先生がお呼びでごさいますよ。 どこへ行ったのかと、えらいご心配になって」 旅舎 ( やど )の男だった。 彼女のすがたを 碑 ( いしぶみ )のそばに見つけて、こういいながら走って来た。 朱実がもどって行って見ると、清十郎はただひとりで、松かぜの音を静かに 閉 ( た )てこめた冬座敷で、 緋 ( ひ )の 蒲団 ( ふとん )をかけた 炬燵 ( こたつ )に手を入れてぽつねんとしていた。 彼女のすがたを見ると、 「どこへ行っていたのだ、この寒いのに」 「オオ嫌だ、ちっとも寒くなんかありやしない。 浜はいっぱいに陽があたっていますもの」 「何していた」 「貝をひろっていたの」 「子どもみたいだな」 「子どもですもの」 「正月が来たら 幾歳 ( いくつ )になると思う」 「幾歳になっても子どもでいたい……いいでしょう」 「よかあない。 すこしは、おふくろの案じているのも考えてやれよ」 「おっ母さんなんか、何も私のことなんか考えているものですか。 自分がまだ若い気ですもの」 「ま、 炬燵 ( こたつ )へお入り」 「炬燵なんか、 逆上 ( のぼせ )るから大っ嫌い。 ……私はまだ年寄りじゃありませんからね」 「朱実」……手くびをつかんで、清十郎は膝へ引き寄せた。 「きょうは誰もいないらしい。 おまえの 養母 ( おふくろ )も、粋をきかして先へ京都へ帰ったし……」 ふと清十郎の燃えている眼を見て、朱実はからだが 硬 ( こわ )ばってしまった。 「…………」 無意識に身を 退 ( ひ )きかけたが、彼の手は、彼女の手くびを離さない。 痛いほど握りしめ、 「なぜ逃げる?」 とがめるように 額 ( ひたい )に青すじを立てる。 「逃げやしません」 「きょうは皆、留守なのだ、こういう折はまたとない。 そうだろう朱実」 「なにがです」 「そう 棘々 ( とげとげ )しくいうな。 もうおまえと 馴染 ( なじ )んでから小一年、おれの気持もわかったはず、お甲はとうに承知なのだ。 おまえがおれに従わないのは、おれに腕がないからだとあの 養母 ( おふくろ )はいっている。 それでも清十郎は離さないのである。 こういう場合に京八流の兵法が応用されては、いかに彼女が争っても無駄であろう。 それにまた、きょうの清十郎はいつもとやや違っていた。 いつも 自暴 ( やけ )に酒を 仰飲 ( あお )って執こくからむのだが、きょうは酒気はないし、青白い顔をしているのだった。 離さないと、みんなを呼ぶからいい」 「呼んでみい! ……。 この棟は 母屋 ( おもや )から離れているし、誰も来るなと断ってあるのだ」 「わたし帰ります」 「帰さん!」 「あなたの体じゃありません」 「ば、ばかっ。 ……おまえの 養母 ( おふくろ )に聞け、おまえの体には、おれの手から身代金ほどの金が、お甲へやってあるのだ」 「おっかさんが私を売り物にしても、私は売った覚えはない。 死んだって、嫌な男なぞに」 「なにっ」 緋 ( ひ )の 炬燵 ( こたつ )ぶとんが、朱実の顔を押しかぶせた。 朱実は心臓のつぶれるような声をあげた。 ……呼べど、呼べど、誰も来なかった。 ひんやりと薄陽のあたっている障子には、何事もなげに、松のかげが遠い潮鳴りのように揺れているに過ぎない。 外は、あくまで静かな冬の日であった。 チチ、チチ、とどこかで、人間の無残な振舞いとはおよそ遠い小鳥の声がしていた。 ……ほど 経 ( た )って。 そこの障子のうちで、わっと号泣する朱実の声がもれた。 しいんとして、ややしばらくのあいだ、人の声も気はいもしないでいると思うと、清十郎が青じろい顔を持って、ついと、障子の外へすがたを現わした。 「あっ! ……」 清十郎は身伸びをして、 手拭 ( てぬぐい )で巻いた手を抑えながら、見送ってしまった。 まるで、発狂したような 迅 ( はや )さと取乱した彼女の姿であった。 「…………」 ちょっと、不安そうな眼をしたが、清十郎は、追って行かなかった。 「これよ、 権叔父 ( ごんおじ )」 「おい、なんじゃあ」 「おぬし、くたびれぬかよ」 「いささか 気懶 ( けだる )うなっておる」 「そうじゃろが、この婆もちと、きょうは 歩行 ( ひろ )い飽いた。 したが、さすがに住吉の 社 ( やしろ )、見事な結構ではある。 ……ホホ、これが若宮八幡の秘木とかいう橘の樹かいの」 「そうとみえる」 「 神功 ( じんぐう )皇后さまが、 三韓 ( さんかん )へご渡海なされた折に、八十 艘 ( そう )の 貢 ( みつ )ぎ 物 ( もの )のうちの第一のみつぎ物がこれじゃといういい伝えじゃが」 「婆よ、あの 神馬 ( しんめ )小屋にいる馬は、よい馬ぞよ。 加茂の 競 ( くら )べ 馬 ( うま )に出したら、あれこそ第一でがなあろうに」 「ムム、月毛じゃの」 「何やら立て札があるわ」 「この 飼料 ( かいば )のおん豆を 煎 ( せん )じて飲ますれば、夜泣き、歯ぎしりが止むとある。 権叔父、おぬし飲むがええ」 「ばかをいわしゃれ」 笑いながら見廻して、 「おや、又八は」 「ほんに、又八はどこへ行ったぞいな」 「ヤア、ヤア、あれなる 神楽 ( かぐら )の 殿 ( でん )の下に足をやすめているわ」 「又よう。 又八は、のそりのそり歩いて来た。 この 婆 ( ばば )とこの 爺 ( じじ )を連れにして、毎日こう歩いてばかりいるのは、彼としてかなりの我慢らしく見える。 それが五日や十日の見物というならまだしも、宮本武蔵という敵と巡り会って討ち果すまでの長い旅かと思うと、なんとしても、憂鬱にならざるを得ない。 元日か二日が過ぎたらすぐ別れようと思う。 だが、婆も爺も、先の短いせいか、 仏性 ( ほとけしょう )があるというのか、神社仏閣というといちいちお 賽銭 ( さいせん )を奉ったり、長々と祈願をこめたりばかりしていて、今日も、この住吉だけで、ほとんど一日暮れてしまいそうだ。 「はよう来ぬか」 鈍々 ( どんどん )たる足つきで、顔をふくらませて来る又八をながめて、お杉隠居は、若い者のように 焦 ( じ )れた。 「勝手なことをいってら」 又八は、口返答して、少しも足を早めないのだ。 「人を待たせる時は、いくらでも待たせておいて」 「何をいうぞ、この息子は。 神さまの霊域へ来たら、神さまをおがむのは人間のあたりまえなことじゃ。 おぬし、神にも仏にも手を合せたのを見たことがないが、そういう量見では、行く末が思いやらるる」 又八は、横を向いて、 「うるせえな」 それを聞き咎めてまた婆が、 「何がうるさいのじゃ」 初めの二、三日こそ、 母子 ( おやこ )の愛情は蜜より濃やかであったが、馴れるにつれ又八が、事ごとに たてを突いたり老母を小馬鹿にしたりするので、 旅籠 ( はたご )に帰るとお杉隠居は、この息子を前に坐らせ、毎夜のようにお談義ばかりであった。 それが今、ここで始まりそうな気色なので権叔父は、こんなところで開き直られては閉口と、 「まアまア、まアまア」 と、 母子 ( ふたり )をなだめて歩み出した。 困った 母子 ( おやこ )だと権叔父は思う。 何とか、隠居のきげんを直し、又八のふくれ 面 ( つら )もなだめたいものだと、双方に気をつかって歩いている。 「ホ、よいにおいがすると思ったら、あれなる磯茶屋で、焼き 蛤 ( はまぐり )をひさいでおる。 婆よ 一酌 ( ひとしゃく )やろうではないか」 高燈籠の近くにある海辺の 葭簀 ( よしず )茶屋であった。 気のすすまない顔つきの二人を誘って、 「酒あるか」 権叔父は先へ入って行く。 そして、 「さ、又八もきげん直せ。 婆もちとやかまし過ぎるぞよ」 杯を出すと、 「飲みとうない」 お杉隠居は、横を向く。 引っ込みを失って、権叔父はその杯を、 「じゃあ又八」 と、彼へ 酌 ( さ )した。 むッつりむッつり又八はたちまち二、三本ほど飲みほしてしまう。 それが老母の気に喰わないことは勿論である。 「おい、もう一本」 権叔父をさし 措 ( お )いて、又八が四本目を求めると、 「いい加減にしやれ!」 と、婆は叱った。 「 遊山 ( ゆさん )や酒のむためのこの旅かよ。 権叔父も、ほどにしたがよい。

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