井筒 三 兄弟。 井筒三兄弟の井筒親方元逆鉾は、膵臓癌で亡くなられたとのこと...

井筒親方急死、鶴竜どうなる… 所属力士わずか3人、部屋消滅の危機 (1/2ページ)

井筒 三 兄弟

荒汐部屋の大波3兄弟が、そろって本土俵に上がった。 先陣を切ったのは、今場所が初土俵で三男の三段目若隆景(わかたかかげ、22)。 白星で弾みをつけたが、続く長男の幕下大波(25)が黒星。 3人の取組があることには「昨日、気付いてました。 これで(次男の)剛士が勝ったら立場がない」と苦笑い。 それを聞いていたかのように幕下剛士(23)が、元十両の朝弁慶を破って白星で締めた。 3兄弟力士は過去に6組いる。 中でも元十両鶴嶺山、元関脇逆鉾(現井筒親方)、元関脇寺尾(現錣山親方)は唯一の関取3兄弟として有名だ。 最初の3兄弟は幕下小林、関脇輝昇、序二段輝櫻で、1944年までさかのぼる。 現役では佐渡ケ嶽部屋の三段目琴大龍、序二段の琴虎と琴大村に続いて2組目になる。 大波は「三男とはよく飯に行きますね。 話も相撲の話で盛り上がる。 次男は変わり者」と言い、剛士は「三男には負けられない」。 若隆景は「3兄弟で関取になれたらいい」と話をまとめた。 師匠の荒汐親方(元小結大豊)からは、最初の関取に他の2人が付け人を務める案が浮上中。 「それだけは嫌」と3人仲良く口をそろえた。 【佐々木隆史】.

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長兄死去、錣山親方が寂しさ吐露 井筒3兄弟で「ぽつんと一人」:北海道新聞 どうしん電子版

井筒 三 兄弟

来歴 [ ] 3月場所、父が師匠を務める君ヶ濱部屋へ入門する(同じ部屋に後のも同時に入門した。 入門から6年後の7月場所に弟の福薗(後の逆鉾)とともに十両に昇進したが負け越し、再十両まで1年以上かかった。 再び十両に上がってからは定着し、幕内入りも期待されていたが稽古中に右肩をし、これが思わぬ重傷となって完治せず、その後は休場を繰り返した。 長期休場の後はやで優勝したが、怪我は長引き、1月場所をもって廃業。 鶴嶺山の四股名は従弟の(のち鶴ノ富士)を経て井筒部屋の幕下力士(現・鋼一幸)が受け継いだ。 幕内昇進を果たした暁には師匠の現役名である鶴ヶ嶺を襲名する予定だったらしいが実現できなかった。 廃業後は相撲料理店の業務に従事。 その後、東京・で「相撲茶屋 寺尾」(店名は弟同様、実母の旧姓に由来)のオーナーとなった。 井筒部屋の味を基本にしつつ、全国の鍋料理を研究して作られたが特徴。 2020年3月28日、急性心不全のため都内の自宅で死去。 60歳没。 次弟のの死からわずか半年後のことであった。 末弟のによると、亡くなる前日まで墨田区内で経営するちゃんこ店で普段通り接客をしており、呼吸停止の状態で朝に発見された。 もともと心臓の持病があったため、睡眠中に体調の急変があったと見られる。 四十九日が過ぎるまでは公表を控えていたという。 人物・エピソード [ ]• 自身が死去した際に当時の角界OBが証言したところによると「照れ屋」であったとのこと。 「井筒三兄弟」の長男と言う事で取材の依頼が多かったが、照れ屋な性格のためか廃業後は取材もほとんど断っていた。 錣山部屋創設から間もない頃、本業の合間に部屋のちゃんこ作りを行っていた。 末弟のの角界入りは当初反対していた。 自身が死去した際に当時の角界OBは「多少、推測は入るけど」と前置きしつつ「母と子の関係でいられなくなり女将と弟子という関係を強いられてしまうことは母に対して甘えん坊だった寺尾にとって酷だったのではないか」という趣旨の内容を鶴嶺山が角界入りに反対した理由として述べていた。 家系図 [ ] (25代横綱)の曾孫(養女の養女の子)、加賀錦(元幕下)の孫、(元関脇)の長男、薩摩錦(元幕下)の従兄の孫。 井筒3兄弟と言われ、長男が鶴嶺山、次男が(元関脇)、三男が(元関脇)。 また、 (元十両)は従弟に当たり、元選手のは親戚に当たる。 姪(逆鉾の娘)は元娘役の。 通算成績:326勝260敗93休 勝率. 556• 十両成績:40勝48敗17休 勝率. 455• 現役在位:90場所• 十両在位:7場所• 各段優勝• 三段目優勝:1回 1984年5月場所• 序二段優勝:2回 1985年9月場所、1987年3月場所 場所別成績 [ ] 鶴嶺山宝一 一月場所 初場所() 三月場所 春場所() 五月場所 夏場所(東京) 七月場所 名古屋場所() 九月場所 秋場所(東京) 十一月場所 九州場所() (昭和50年) x (前相撲) 西序ノ口9枚目 3—2—2 西序二段120枚目 3—4 西序ノ口122枚目 5—2 西序ノ口80枚目 休場 0—0—7 (昭和51年) 西序ノ口16枚目 5—2 西序二段69枚目 5—2 西序二段18枚目 4—3 西三段目89枚目 3—4 東序二段17枚目 6—1 西三段目52枚目 3—4 (昭和52年) 東三段目66枚目 5—2 西三段目30枚目 4—3 東三段目18枚目 3—4 西三段目28枚目 4—3 東三段目16枚目 3—4 東三段目28枚目 6—1 (昭和53年) 東幕下49枚目 3—4 東幕下58枚目 4—3 東幕下48枚目 4—3 東幕下39枚目 3—4 西幕下50枚目 4—3 東三段目43枚目 3—4 (昭和54年) 東幕下55枚目 3—4 西三段目7枚目 5—2 西幕下48枚目 5—2 東幕下28枚目 3—4 西幕下37枚目 6—1 西幕下13枚目 4—3 (昭和55年) 西幕下9枚目 4—3 西幕下6枚目 5—2 西幕下2枚目 4—3 西幕下筆頭 3—4 西幕下4枚目 2—5 東幕下15枚目 5—2 (昭和56年) 東幕下7枚目 4—3 東幕下5枚目 4—3 西幕下2枚目 4—3 西十両13枚目 5—10 東幕下5枚目 4—3 東幕下2枚目 2—5 (昭和57年) 西幕下14枚目 2—5 東幕下29枚目 4—3 東幕下19枚目 5—2 東幕下11枚目 5—2 東幕下5枚目 6—1 東十両12枚目 8—7 (昭和58年) 西十両7枚目 9—6 西十両3枚目 7—8 東十両4枚目 8—7 西十両2枚目 3—10—2 西十両12枚目 休場 0—0—15 西幕下13枚目 2—5 (昭和59年) 西幕下29枚目 休場 0—0—7 西三段目3枚目 休場 0—0—7 西三段目53枚目 優勝 7—0 東幕下49枚目 6—1 西幕下24枚目 4—3 西幕下18枚目 1—1—5 (昭和60年) 西幕下52枚目 休場 0—0—7 西幕下52枚目 休場 0—0—7 東三段目33枚目 休場 0—0—7 東三段目84枚目 休場 0—0—7 東序二段36枚目 優勝 7—0 東三段目48枚目 6—1 (昭和61年) 東三段目3枚目 5—2 東幕下45枚目 4—3 西幕下34枚目 3—4 東幕下42枚目 2—5 東三段目12枚目 休場 0—0—7 西三段目62枚目 休場 0—0—7 (昭和62年) 西序二段12枚目 0—1—6 東序二段73枚目 優勝 7—0 東三段目68枚目 6—1 東三段目16枚目 4—3 東三段目3枚目 5—2 東幕下41枚目 3—4 (昭和63年) 東幕下52枚目 5—2 東幕下31枚目 3—4 西幕下39枚目 4—3 西幕下28枚目 5—2 西幕下15枚目 3—4 西幕下24枚目 3—4 (平成元年) 東幕下33枚目 3—4 東幕下40枚目 3—4 西幕下53枚目 4—3 西幕下40枚目 4—3 東幕下29枚目 1—6 西幕下60枚目 1—6 (平成2年) 東三段目35枚目 引退 3—4—0 x x x x x 各欄の数字は、「 勝ち-負け-休場」を示す。 福薗(ふくぞの)1975年3月場所 - 1976年1月場所• 鶴嶺山 好政(かくれいざん よしまさ)1976年3月場所 - 1982年7月場所• 鶴嶺山 宝一(かくれいざん ほういち)1982年9月場所 - 1984年1月場所• 福薗 好政(ふくぞの よしまさ)1984年3月場所 - 1986年11月場所• 鶴ノ富士(つるのふじ)1987年1月場所 - 1990年1月場所 脚注 [ ]• 共同通信. 2020年5月16日. 2020年5月16日閲覧。 nikkansports. com 2020年5月16日. 2020年5月17日閲覧。 「相撲」 ベースボールマガジン社 2020年6月号・112頁• INC, SANKEI DIGITAL 2020年5月16日. 産経ニュース. 2020年5月17日閲覧。 右肩関節靱帯損傷・右肩甲骨不全骨折により4日目から途中休場、7日目から再出場• 右肩関節脱臼により初日から全休 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 相撲レファレンス• この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。

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兄弟力士がどれぐらいいるか調べてみた

井筒 三 兄弟

この記事の目次• 井筒部屋創設の概略 14代・井筒が亡くなる令和元年9月まで存在していた井筒部屋は、10代井筒(元前頭2・鶴ヶ嶺)が再興した旧井筒部屋での後継者争いに敗れた8代君ヶ濱(元関脇・鶴ヶ嶺)が分家独立して興した 君ヶ濱部屋が前身でした。 旧井筒部屋の方は、部屋を継いだ11代井筒(元前頭4・星甲)が後に井筒から陸奥へと名跡を変更したことで 現在の陸奥部屋へと続いています。 高砂系列の井筒部屋 その後、井筒の名跡は元横綱・北の富士へと渡って高砂系列の井筒部屋を興していましたが、出身部屋の先代九重親方(元横綱・千代の山)の急逝によって、昭和52年(1977)11月に旧九重部屋の力士を全員引き取り12代・九重を襲名、部屋の名称を九重部屋へと改称しました。 これによって井筒の名を持つ部屋はいったん消滅します。 時津風系統への回帰を果たす そして、ここからがのちに鶴竜が在籍していた井筒部屋の誕生です。 8代・君ヶ濱は昭和52年(1977)10月に、自身の名跡を北の富士が所有していた井筒の名跡と交換して、部屋の名称を井筒部屋へと改称します。 これにより出身部屋の名称を時を経て継承することができ、また井筒の名は時津風一門に戻りました。 この13代・井筒が、14代・井筒親方(元関脇・逆鉾)と錣山親方(元関脇・寺尾)の父親なのは有名なところですね。 始まりは高砂部屋だった ちなみに9代でいったん途切れた井筒の源流となる7代井筒は、高砂部屋の元横綱・西ノ海なので高砂系列が本来とも言えそうです。 この西ノ海は鹿児島出身だったことから、井筒部屋には伝統的に同県出身者が多く入門しているようです。 0% 優勝等 : 幕内優勝1回(同点1・次点6) 成 績 :殊勲賞3回,敢闘賞1回,技能賞4回,金星2個 幕内戦歴:518勝507敗40休(71場所)勝率:50. 5% 大関:139勝76敗25休(16場所)勝率:64. 7% 関脇:21勝24敗15休(4場所)勝率:46. 7% 小結:29勝31敗(4場所)勝率:48. 3% 前頭:329勝376敗(47場所)勝率:46. 7% 十両戦歴:42勝33敗(5場所)勝率:56. 0% リンク 井筒部屋の関脇 逆鉾 昭廣 鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋の元力士で最高位は関脇。 「井筒三兄弟」の次兄。 勝負度胸がよく、父親(元関脇・鶴ヶ峰)譲りのもろ差しで大物を倒す反面、ムラっ気な性格であっさり勝負を投げる癖も。 引退後は18代春日山を経て父親の停年後に部屋を継承、横綱・鶴竜らを育てた。 長らく勝負審判を務め、副理事だった頃には審判部副部長の要職も務めた。 審判長として土俵下についていた平成28年(2016)3月場所8日目、白鵬に寄り切られて土俵から転落してきた嘉風の下敷きとなって左足を骨折する災難にあったことも。 令和元年(2019)7月場所後に糖尿病が悪化、検査により膵臓がんが発覚して入院していたが9月16日に容態が急変し58歳の若さでこの世を去った。 2% 優勝等 : 幕下同点1回,序ノ口優勝1回 成 績 :殊勲賞5回,技能賞4回,金星7個 幕内戦歴:392勝447敗16休(57場所)勝率:46. 7% 関脇:90勝90敗(12場所)勝率:50. 0% 小結:26勝34敗(4場所)勝率:43. 3% 前頭:276勝323敗16休(41場所)勝率:46. 1% 十両戦歴:65勝70敗(9場所)勝率:48. 1% 寺尾 常史 甘いマスクと回転の速い突っ張りで人気だった井筒三兄弟の三男。 8% 優勝等 : 十両優勝2回(同点1) 成 績 :殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞1回,金星7個 幕内戦歴:626勝753敗16休(93場所)勝率:45. 4% 関脇:49勝56敗(7場所)勝率:46. 7% 小結:41勝49敗(6場所)勝率:45. 6% 前頭:536勝648敗16休(80場所)勝率:45. 3% 十両戦歴:113勝100敗42休(17場所)勝率:53. 1% 君ヶ濱~井筒部屋の小結 陣岳 隆 長身を活かした突っ張りは威力があったが、攻めが遅く長い相撲が多かった。 1% 優勝等 : 十両同点1回,序ノ口同点1回 成 績 :金星2個 幕内戦歴:309勝396敗(47場所)勝率:43. 8% 小結:5勝25敗(2場所)勝率:16. 7% 前頭:304勝371敗(45場所)勝率:45. 0% 十両戦歴:68勝54敗13休(9場所)勝率:55. 0% 優勝等 : 十両優勝2回,幕下優勝1回,序ノ口同点1回 成 績 :技能賞1回,金星2個 幕内戦歴:183勝217敗5休(27場所)勝率:45. 8% 十両戦歴:170勝175敗(23場所)勝率:49. 6% 優勝等 : 十両優勝1回,幕下優勝1回,序ノ口優勝1回 幕内戦歴:129勝156敗(19場所)勝率:45. 3% 十両戦歴:218勝217敗(29場所)勝率:50. 7% 優勝等 : 幕下優勝1回 幕内戦歴:4勝11敗(1場所)勝率:26. 7% 十両戦歴:73勝77敗(10場所)勝率:48. 4% 優勝等 : 十両優勝1回,序二段同点1回 幕内戦歴:44勝61敗(7場所)勝率:41. 9% 十両戦歴:98勝82敗30休(14場所)勝率:54. 4% 君ヶ濱~井筒部屋の十両 鶴嶺山 宝一 鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋(令和元年(2019)9月閉鎖)の元力士で最高位は十両2枚目。 「井筒三兄弟」の長兄。 昭和56年(1981)7月場所で弟の逆鉾(当時・福薗)と共に新十両昇進となったがその場所を負け越し、再十両まで1年を要した。 再十両後は徐々に安定していき入幕目前かと思われたが、稽古中に痛めた右肩が完治せず、残念ながら入幕を果たすことは出来なかった。 引退後は東京・両国で「相撲茶屋 寺尾」を経営し井筒部屋由来のちゃんこ鍋を提供してきた。 令和2年3月28日、急性心不全の為、逝去。 6% 優勝等 : 三段目優勝1回,序二段優勝2回 十両戦歴:40勝48敗17休(7場所)勝率:45. 1% 優勝等 : 幕下優勝1回 十両戦歴:27勝33敗(4場所)勝率:45. 0% 佐賀ノ海 輝一 佐賀県佐賀郡諸富町(現・佐賀市)出身、井筒~君ヶ濱部屋の元力士で最高位は十両11枚目。 高校を卒業後、近鉄バッファローズに投手で入団。 2年間在籍したが一軍での登板はなく退団した。 その後、井筒部屋へと入門し昭和45年(1970)5月場所で幕下昇進。 8代君ヶ濱の独立に伴い昭和47年(1972)3月に君ヶ濱部屋に移籍した。 同年7月場所で新十両昇進を果たす。 8% 優勝等 : 幕下同点1回 十両戦歴:9勝21敗(2場所)勝率:30. 0% 君ヶ濱~井筒部屋の歴代師匠 君ヶ濱~井筒部屋の歴代師匠をご紹介いたします。 8代・君ヶ濱~13代・井筒 昭男 鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋(現・陸奥部屋)の元力士で最高位は関脇。 もろ差しの名人と呼ばれた技能相撲、師匠としては実子の「井筒三兄弟」を関取に、また霧島を大関にまで育てあげた名伯楽。 3% 優勝等 : 幕内同点1・次点1回,十両優勝1回,序ノ口優勝1回 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞2回,技能賞10回,金星10個 幕内戦歴:550勝583敗22休(77場所)勝率:48. 5% 関脇:14勝16敗(2場所)勝率:46. 7% 小結:49勝86敗(9場所)勝率:36. 3% 前頭:487勝481敗22休(66場所)勝率:50. 3% 十両戦歴:38勝22敗(4場所)勝率:63. 3% 14代・井筒 好昭 鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋の元力士で最高位は関脇。 「井筒三兄弟」の次兄。 勝負度胸がよく、父親(元関脇・鶴ヶ峰)譲りのもろ差しで大物を倒す反面、ムラっ気な性格であっさり勝負を投げる癖も。 引退後は18代春日山を経て父親の停年後に部屋を継承、横綱・鶴竜らを育てた。 長らく勝負審判を務め、副理事だった頃には審判部副部長の要職も務めた。 審判長として土俵下についていた平成28年(2016)3月場所8日目、白鵬に寄り切られて土俵から転落してきた嘉風の下敷きとなって左足を骨折する災難にあったことも。 令和元年(2019)7月場所後に糖尿病が悪化、検査により膵臓がんが発覚して入院していたが9月16日に容態が急変し58歳の若さでこの世を去った。 2% 優勝等 : 幕下同点1回,序ノ口優勝1回 成 績 :殊勲賞5回,技能賞4回,金星7個 幕内戦歴:392勝447敗16休(57場所)勝率:46. 7% 関脇:90勝90敗(12場所)勝率:50. 0% 小結:26勝34敗(4場所)勝率:43. 3% 前頭:276勝323敗16休(41場所)勝率:46. 1% 十両戦歴:65勝70敗(9場所)勝率:48. 1% 現役の井筒部屋力士の最新情報はこちら ここまでは過去から現在までの井筒部屋の主な力士たちをご紹介してきましたが、 井筒部屋の現役力士の最新番付や成績を知りたい方の為に最適な記事もご用意しています。 相撲観戦と予習におススメです! カテゴリー• 119• 104• 108•

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