照 ノ 富士 春雄。 【スポーツ随想】元大関・照ノ富士「序二段」まで落ちても引退しないワケ 年寄名跡取得へ帰化申請中 (1/2ページ)

照ノ富士とは (テルノフジとは) [単語記事]

照 ノ 富士 春雄

照ノ富士プロフィール 四股名 照ノ富士春雄(てるのふじ はるお) 本名 ガントルガ・ガンエルデネ 生年月日 1991年11月29日(26歳)18年1月現 出身国 モンゴルウランバードル 身長 193㎝ 体重 178㎏ 血液型 O型 所属部屋 伊勢ヶ濱部屋 得意技 右四つ・寄り 現在の番付 東前頭10枚目 最高位 東大関 照ノ富士の十両陥落が決定 18年1月25日12日目の3日目から休場 していた照ノ富士が25日の取り組みで関脇から 来場所十両に陥落することが決定した。 照ノ富士は3日目から持病の糖尿病の悪化から休場 してその後体調回復を待つもインフルエンザにかかり 結局11日目に9日ぶりに再出場したが連敗した。 12日目25日の取り組みは大奄美に寄り切られ 0勝5敗7休場で幕内に残るための必要最低限の 4勝を白星の為無理を押して出場するも叶わなかった。 この取り組みで 3月の来場所からの十両陥落が決定した。 照ノ富士の現在の怪我の状況 でも一説にはこの膝の故障はプロ入りする前から 悪くしていたとも言われているそうです。 そんな中の大関昇進2場所目の15年9月大阪場所13日目 に追い打ちをかけるように 右膝に前十次靭帯損傷と 外側半月版損傷で1ヶ月半の診断となります。 出典:yahoo そしてこの時の膝の完治を待たずに同年11月場所に 出場し更に悪化。 翌年2016年初場所では碧山との取り組みでまたも右 の 鎖骨を骨折し休場。 その時の検査で内視鏡検査で膝も検診した照ノ富士の 膝を見てもはや全休して云々の状態ではないレベルに 膝が悪化している~と診断されたと言われています。 力士を辞めて体重を極端に落とすや激しい 取り組みを一切やめるなどのいわるる今の 生活から力士引退と言う究極の選択をして通常の 生活を送れるレベルの膝の状態とも考えられます。 そこまでして彼が古傷の膝を抱えて全休せずに 出場するのには お金に忙しい事情もあるとも・・・ 故郷モンゴルで彼の父親あ事業に失敗して負債を 抱えていることから無理を押して出場していた~とも 噂されている照ノ富士。 何だか切ない懐事情も垣間見えたりしますがまだ26歳 何とか持ち直して一時の強い照ノ富士がまた見たいですね。 Sponsored Link 照ノ富士怪我だけじゃない糖尿も深刻 そして今回の18年初場所で明らかになった 照ノ富士のもう一つの深刻な病気が 糖尿病です。 何でも食べる事が仕事ともいえる力士にはありがちとも 言える病 『糖尿病2型』だという。 いわゆる生活習慣病の一種でなるレベルの糖尿病らしい。 今回の18年初場所の休場も古傷である膝の悪化と 思ったらそうではなく糖尿病の影響で血糖値が高くなった 事で入院の可能性もあると言われたほどだった。 2型糖尿病とは糖尿病患者の9割を占める患者数の 多さでその症状は 異常な喉の渇きに多尿症や体重減少の 症状が主な症状として現れる。 解消する方法や予防はそれこそ生活習慣病と言われるだけ あり正しい食生活の改善と運動不足の解消に過度の肥満を 改善することが第一とされている。 つまり力士は最低最悪の環境と言う事だ・・・汗 照ノ富士の酒豪も糖尿に悪影響か? 以前何かの雑誌で見たことがあるが日本人とは違い モンゴル勢の酒豪ぶりはかなり凄いと言われる中でも 照ノ富士は抜きんでて 物凄い酒豪だそうです。 素顔はお酒好きで下ネタも平気で言うやんちゃキャラ 言われる照ノ富士。 やや破天荒なキャラはあの朝青龍を彷彿させるタイプ でもあると言われるだけに酒豪にも納得出来るが・・・ 焼酎 720ミリリットル なら 6本ぐらいを 水のように飲むと言うから規格外の酒豪なのだ。 水ってのが・・・・ いくら焼酎なら他の酒よりマシとは言え飲みすぎです。 汗 飲酒って程度ですが酒豪と言われるほどのレベルで 飲めるタイプの人は間違いなく医師やにも止められて いるはずですけどね・・・ まだ若いから関係ない~って感じなのかな?汗 Sponsored Link おわりに とにかく去年松から色々あった相撲界の中でも次世代のモンゴル勢を代表する力士の照ノ富士にはまだまだ頑張って欲しいと思うので膝も糖尿もしっかりコントロールして是非十両から三役に一刻も早くカムバックして欲しいですね!気合で年内に是非戻って欲しいです。

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十両照ノ富士春雄

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若三杉は横綱昇進とともに師匠の現役名である若乃花幹士を襲名! 親方は部屋創設当時から自分の弟子で最初の横綱に名前を継がせると公言していたが 当の若三杉本人は全く知らず 決定後に聞いて「えっ、若乃花だって!?」と驚いていた。 一説によれば本人は若三杉の四股名を大変気に入っており改名したくなかったとも言われる。 若三杉は甘いマスクで人気があり蔵間と女性ファンの人気を二分しており ことに水商売の女性の受けが良かった。 若三杉は引退後 まだ30歳前であったが 師匠の娘と結婚後に別離し 年上のホステスと情交関係を結び後に再婚する等の問題が影響したのか 協会内に引き止める者は少なかったと言われている。 ただ、同期の隆の里は「あれだけの素質を持つ男がこのまま引退とは惜しい。 あと一ヶ月もすれば次の場所が来るから そこで賭けるべきだ」と最後まで引き止めた! 若三杉は2008年 部屋での朝稽古中に序二段力士の弟子を竹刀で叩くと言う暴行事件を起こし 太ももなどに全治一週間の打撲と擦過傷を負わせた。 この事件について当人の間垣親方(若三杉)は事件が発覚した夜は 「悪いことをしたら叩くのは当たり前。 弟子がかわいいからやっている」などと話し この叩かれた弟子の奈良にも問題があったと主張した。 若三杉は 大相撲力士大麻問題で逮捕された弟子の若ノ鵬の監督責任問題により 理事職並びに大阪場所担当部長を辞任した。 若ノ鵬解雇の際「若ノ鵬が部屋の外にマンションを借りていたのは 知らなかったでは済まないと思うが知らなかった」と発言していた。 なおこの大麻事件については 冤罪だと語ったという。 「では、親方であるあなたが訴訟を起こすなりして 彼の無罪をはらすべきだ」と指摘されると 「知らねぇよ、関係ねぇよ」と答えていた。 輪島 三役昇進前から私生活は派手であり 場所入りの際にはリンカーン コンチネンタルを乗り回していた。 また髷を云う前の髪を伸ばしている時期にパーマを当てたり トレーニングにランニングを取り入れたりして物議をかもした。 1982年4月妻(師匠・大ノ海の長女である輪島五月(旧姓・中島。 「輪島五月」名義で著書あり))が自殺未遂(その後離婚)、 1985年11月に角界では前代未聞の、年寄名跡「花籠」を実妹の経営する料亭の借金の担保にしていたことが表面化し、 日本相撲協会は臨時の理事会を開き、委員から平年寄への2段階降格処分と無期限謹慎処分を決議した。 これほどまでの重大な処分が下された影には、輪島が当時抱えていた他の金銭問題や、 現役時代からの私生活での豪遊ぶり等も不興を買ったという説もある。 結局これが原因で、同年12月に廃業となった。 花籠部屋は部屋の継承者を決めることができず消滅、 所属の力士たちは花籠部屋出身の魁傑が開いた放駒部屋へ移籍した。 さらに初代若乃花や輪島らの横綱を陰で支えた先代師匠の妻・中島トミが 1986年5月23日の夕刻に首を吊り自殺するという悲劇を生んだ。 プロレスラーとしての評価は決して高くなかったが、 同じ大相撲出身の天龍源一郎との絡みは非常に激しいものだった。 自らのバックボーンへのリスペクトを忘れない天龍は、 その世界で最高峰を極めた輪島に対し「強くあってほしい」と願い、 それが輪島への厳しい攻めにつながった。 煮え切らない試合を続けていた輪島もそれに触発され、 天龍が放つ容赦のない蹴り技を真っ向から受けるなど迫力ある対戦となった。 相撲では格下だった天龍(天龍の生涯最高番付は前頭筆頭)が、 格上の元横綱を激しく蹴りまくるという展開は、 プロレスを八百長視していた層にも少なからぬ衝撃を与えたと言える。 当時新日本にUターンしていた前田日明はこの2人の試合を見て 「これはヤバイ。 あんな事をやられたら、自分らの存在意義がなくなってしまう」 と危機感を抱いていたという。 必殺技のゴールデン・アームボンバーが、後年「喉輪落とし」として多くのレスラーに使われたり、 同じ角界出身の天龍と激闘を展開したりとそれなりの活躍を見せたが、 徐々に精彩を欠くようになり、 大相撲時代から仲の良かったプロレスラー石川敬士の退団と同時に 1988年12月に引退した。 引退後は20年にわたり時津風部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たった後、 2002年に定年を迎えた先代の時津風(元大関・豊山)の後継者に指名され 時津風部屋を継承した。 2007年名古屋場所直前に序ノ口力士の時太山を死に至らしめる時津風部屋力士暴行死事件が発生した。 その際に「死亡した力士にはマリファナの使用歴があった」等の発言をしたため物議を醸した。 2007年9月末、ビール瓶で時太山の頭を殴打するなど暴行の事実を認めた事が報じられる。 また、時太山が倒れた直後も救急車を呼ばず弟子たちに口止めしたり 時太山の遺族に火葬の承諾を取ろうとした。 遺族側は拒否し地元で行政解剖し暴行が発覚。 2011年7月20日、事件についての暴露本となる『悪者扱い』を出版した。 出版を記念したニコニコ生放送でのインタビューで本人は同年2月から角界を揺るがした八百長問題について 「私も昔、やりました」と明かした。 時期や回数については「十両に上がってから10番ぐらい」と話したものの対戦相手などは明言しなかった。 その後は三重刑務所に服役していたが 肺がんと診断されたため三重県内の病院で治療を受けた。 のち仮釈放されて東京都内の大学病院に入院したが 病状が悪化し2014年8月12日未明に死去した。 64歳没。 酔って弟子に当たる様子が何度も目撃されるなど酒癖の悪さも有名であり 暴行死事件に関しても酒により現れた別人格が引き起こしたという評判が多く聞かれた。 関係者によると「酒の強さなら間違いなく横綱」という酒豪であり 1973年に日中国交正常化を記念して北京で開かれた中国公演では 60度もあるマオタイ酒を一気飲みして時の周恩来首相を驚かせたという。 また相撲教習所では自他ともに認める「バスケットボール選手みたいな体」で注目を集め 中でも同期の保志信芳は特に驚いていたというが 北尾は「小柄な保志は保志で、すごく目立っていました」と後年述懐している。 幕下時代には後援者と食事をした時に自身の大好物であるステーキを3000g食べたかと思うと 直後に中華丼・天津丼・オムライス・炒飯・チャーシュー麺・ 冷やし中華・カツ丼を次々に注文しては殆ど完食するほどだった。 リーチを生かした突っ張りから右を差して左おっつけから上手を引く相撲が北尾の型で 相手によっては頭をつけることも厭わず、寄り、上手投げを得意とした。 ほぼ2mの長身でありながら腰高や脇甘は顕著でなく 機敏さもある程度持ち合わせていた。 がっぷりに組めば千代の富士貢も苦しめることがあり 外四つになって肩から覆いかぶさる相撲でも力を発揮した。 父親が建設会社の取締役で北尾はその一人息子として甘やかされて育てられたためか 少しでも厳しい稽古をさせると口癖のように「故郷へ帰らせてもらいます」と発言し 立浪も北尾に対してではなく稽古を付けた兄弟子を注意する始末だった。 椎間板ヘルニアで途中休場して入院した時は立浪への不信感を抱いて本当に故郷へ帰ってしまった。 これに怒った父親が北尾を追い返すと立浪は罰として一年間の便所掃除を命じた。 さらに鞭打ち症で途中休場して伊豆へ温泉治療に行った際には 伊豆で廃業を決意して友人の家に行ったが立浪にすぐ発見され 懇々と諭されて連れ戻された。 酷い時は稽古をサボって喫茶店に行くこともあったが 立浪が注意しないために誰もが見て見ぬふりをしていた。 1987年12月27日、立浪との若い衆に関する意見の対立から部屋を脱走、 そのまま「(破門同然の)廃業」という事態になった。 発端は、同日の夜に部屋の若い衆が「『あんなちゃんこが食えるか』と 横綱(双羽黒)が言っている」と立浪に言いつけたことだった。 立浪の主張によれば、ちゃんこの味付けについて立浪と大喧嘩した北尾は 仲裁に入った女将を突き飛ばし「二度と戻らない」と言って部屋を出て行った。 プロレス転向後は大相撲時代と同様の「練習嫌いの問題児」の悪名を響かせ始めた。 その後、新日本の現場責任者とマッチメイカーを務めていた長州力と激しく対立すると 北尾のあまりに怠慢な態度に業を煮やした長州が発した 「プロレスラーは常に多少なりとも故障を抱えて試合に臨んでいる。 フロントがどう言おうと、練習をしない奴は試合で使わない」という言葉に対し 北尾は「何か文句があるなら勝負(喧嘩)して 負けたら言うことを聞く」 「怖いのか?この朝鮮人野郎!」という度を過ぎた暴言、 さらには民族差別発言によって新日本プロレスから契約解除を言い渡された。 その後はSWSへ参戦する。 しかし、同じく元大相撲力士であるジョンテンタ(ジアースクエイク元幕下 琴天山)との試合中にレフェリーを蹴り 反則負けを宣せられた挙句、リングを降りて手にしたマイクでテンタに向かって 「八百長野郎この野郎!八百長ばっかりやりやがって!」と発言! さらに観客に向かって「お前ら、こんなもの(八百長試合)見て面白いのか!?」と叫んだ。 観客の前でプロレス業界における「禁句」を連呼する北尾の姿はその会場のみならず プロレス業界全体を騒然とさせたが 北尾本人はこの直後に満足気な態度で 「どうだ、盛り上がっただろう?」と話している。 弟弟子に対するイジメ(付人をエアガンで撃って遊ぶなど)で 横綱時代に付き人7人中6人が巡業から逃げ出している。 各界有名21人の金言名言アドバイス集『さまざまな風に訊け』は集英社から発売されていました。 その中には「横山 やすしの『ボートに訊け!』」、「岡崎聡子の『レオタードに訊け!』」、「たこ八郎の『タコに訊け!』」、「五月みどりの『カマキリに訊け!』」、「愛染恭子の『肌に訊け!』」、「CWニコルの『大自然に訊け!』」、「アントニオ猪木の『リングに訊け!』」、「タモリの『訊いていいとも!』」、「山本晋也の『ほとんどビョーキに訊け!』」、「千昌夫の『イワテケンに訊け!』」などがありますが 「北尾の『綱にきけ!』」はありませんでした。 でも 調べてみると 元横綱「双羽黒」(北尾光司=「スポーツ冒険家」)の「綱に訊け!」は『ビッグコミック スピリッツ』で短期間連載されていました。 急性呼吸不全のため死去した鳴戸親方(元横綱 隆の里 享年59)… 鳴戸親方暴行報道は『週刊新潮』が2週にわたって報じたものです。 また 著書『大相撲 八百長』で告発した大鳴戸親方らは怪死しました。 これは「相撲界最大の闇」と言われています。 八百長告発で二人が消されたのです。 同じ日に同じ病院で同じ死因で二人が死亡しているのです。 角界にとって「不都合な存在」である力士や親方たちも 自殺と見せかけて暗殺される危険性だってありうるんですよ。 これからは大相撲ファン及び国民みんなが温かい目で見守りつつも 監視&注視していく必要があるかと思われます。 渾身のノンフィクション。 相撲協会再生に一石を投じようと、協会内部、親方、力士たち、 そしてマスコミの現状を怒りをこめてつづっている。 ブラジル巡業でエイズを恐れず現地の女とナマでやったとか 「相撲と同じで速攻だ」などの面白い発言も収録されている。

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照ノ富士 春雄の関連情報

照 ノ 富士 春雄

怪我と内臓の病気を抱えながら土俵に上るものの元気のない相撲が続いていた元大関照ノ富士。 十両8枚目まで番付を下げた夏場所、とうとう一つも白星をあげることが出来ずに場所を終えてしまいました。 引退しなければ幕下陥落確定です。 相撲の歴史の中で幕下まで落ちても相撲を取り続けた大関経験者が存在しない中で、照ノ富士が最終的にどういう選択をするのか注目が集まります。 …が、思うわけです。 照ノ富士が調子を崩したのは昨日今日のことではありません。 ファンの間からはお願いだから休んで欲しいという声が多く上っていたのに、なぜこんなになるまでろくに休まなかったのでしょう。 夏場所11日目に朝弁慶(高砂部屋)に力なく押し出されたことで幕下陥落をほぼ確定させた照ノ富士は、取組後のインタビューに「落ちたね…」とつぶやきました。 2015年の春場所に小結を飛び越して新関脇におさまった 照ノ富士はそこで13勝を挙げて敢闘賞と殊勲賞を受賞し、翌場所は12勝3敗で優勝して2015年名古屋場所で大関に昇進しました。 破竹の勢いとはまさにこのことで、三役をたったふた場所通過して大関昇進なんてまるで漫画。 来年の初場所には横綱になってるんじゃないか?という予想があながち冗談とも思えない暴れっぷりにえらい子が上ってきたと思ったものです。 一方で土俵の上で見せるメンチを切るような怖い顔とやけに可愛い笑顔のギャップや、一緒に部屋を移籍してきて付け人を務めていた駿馬を兄のように慕って甘える様子に萌える女子が続出しました。 スー女のみなさんからは「てるる」と呼ばれて大変に愛されております。 ただ、 193センチ178キロという大きな体を当てにした力任せに抱え込んで振り回す相撲は怪我をする元だから改めるべきことを以前から指摘されていました。 懸念が現実に この懸念が大関昇進からわずかふた場所目に現実のものとなってしまいます。 2015年9月場所の13日目、照ノ富士はその後長く苦しめられる原因となった 右膝の前十次靭帯損傷と外側半月板損傷の大怪我を負ってしまいました。 この時の照ノ富士は落ち込むことなく強気でした。 「オレはまだ若い。 もし大関から落ちてもまた戻ってくる自信がある」 部屋には安美錦という膝の大怪我と付き合いながら土俵に上り続ける大先輩もいますから、自分も大丈夫だと思ったんでしょう。 以前のような荒っぽくて力強い相撲どころか寄られたら残せないことが多く、大関としての役目を果たせていたとはお世辞にも言えない相撲でした。 しかしそれでも 照ノ富士は休場して古傷の養生をしようとしませんでした。 助言に耳を貸さなかった照ノ富士 カド番とハチナナを繰り返して大関陥落が時間の問題だと思われていた頃に、照ノ富士は母校の鳥取城北高校相撲部のモンゴル人コーチに大関から落ちてもいいんだから出場にこだわらずにしっかり休んで治さないと相撲が取れなくなると諭されています。 ところが照ノ富士は 「下から上ってきた若い連中に番付を越されるのが悔しい」とコーチの助言を聞き入れなかったのです。 照ノ富士は、2017年の3月・5月場所で13勝・12勝を挙げて復活の兆しを見せたのですが、7月場所と9月場所をほとんど勝てないまま途中休場して大関から陥落しました。 大関在位14場所、大関としての優勝はなく2桁勝ち星を挙げたのは4場所。 カド番は5回を数えました。 糖尿病に腎臓も? 大関を陥落してしまった照ノ富士は、素人目にも満足に相撲が取れる状態とは思えない張りを失った体で出場するのですが「体に力が入らない」と中日を前に休場するようになります。 顔がむくんでいることを指摘する声も多くありました。 2018年3月場所前に照ノ富士が 急性の糖尿病を発症したと伊勢ヶ濱親方から発表がありました。 ああやっぱり内臓やられてたかとみんな思いましたし、ファンの方々は「お願いだから休んで!」と泣くように言ってました。 しかしガナくんは全休せずに出ようとします。 そして十両8枚目で迎えた2018年5月場所、6日の途中休場をはさんで無理やり出場したものの、とうとう1つも勝てずに場所を終えてしまったのであります(涙) ただ、発表は3月でしたが 前年の秋巡業のときにはすでにかなり体調が悪化していたのではないかと思います。 秋巡業を見に行きましたが、顔があまりにむくんで腫れているので、私はそれが照ノ富士だと最初わかりませんでした。 さらに、照ノ富士は腎臓結石も患っていると言われます。 うあー結石は動くと痛いんだよなぁ。 …照ノ富士は肝炎まで発症したとの話もあります。 病気と怪我の総合商社やー(涙)。 それでも現役続行したいわけ あんなにパワフルだった照ノ富士がこれほどまでにぼろぼろになるまでなんで親方は出場させ続けたんだ?!という批判も多々あります。 その中で、 伊勢ヶ濱親方は照ノ富士の現役引退を否定しました。 大方の関取がさまざまな理由で幕下に落ちるとき、土俵に未練を残しながら引退していきます。 照ノ富士はまともに相撲が取れなくなってからはいろんな人に自身の進退について相談していたそうなのですが、元大関が幕下に落ちてまで相撲を取る不名誉を積極的に勧める人はいないんじゃないかと。 それでも 照ノ富士は辞めずに相撲取りを続けるという。 これにはやはり国籍の問題が関わっていそうです。 横綱大関経験者の特権として、横綱は引退後5年、大関は引退後3年に限って現役名のまま親方になることが出来ます。 部屋の先輩だった元日馬富士も国籍取得の手続きをしながら現役名横綱として相撲の世界に残ろうとしていました。 照ノ富士も大関経験者ですから、日本国籍がありさえすれば今すぐ辞めても親方として残ることができます。 ただ、現役名の親方がずっと角界に残るためには期限までに新たな名跡を手に入れる必要があります。 日馬富士は母国モンゴルに学校を設立するなど、帰国しても実業家として十分やっていけそうな下地を持っていましたが、父親が事業で失敗して出来た負債の穴埋めをしてきたという照ノ富士にはそういった下地はありません。 今力士を辞めてもあちこち故障だらけの大きなモンゴル人に戻るだけです。 いっそ帰国してしっかり養生すれば?との声もありますが、モンゴルの医療事情はあまり良くありません。 病気を治すことを考えたら日本に居続ける方がずっと賢いです。 もし現在の照ノ富士が日本国籍を取得済みだったとしても、引退して現役名親方となったとて3年後では年寄名跡の空きはほとんどありません。 もうしばらく頑張らないと引退してから3年以内に取得できる名跡が出そうにないのです。 これはあくまで推測ですが、照ノ富士が現役続行したい背景には、こういった一筋縄ではいかない問題があるのではないかと。 親方としても手塩にかけた横綱をちゃんとした形で角界に残せなかった後悔もあるでしょうから、先々を見据えた上で引退させない道を選んだのではないかと。 大関に駆け上がるまでの猛々しい姿が見る影もなくなってしまった照ノ富士。 もともとの素材は文句のつけようがないほどすばらしいのですから、今度ばかりは素直に体を治すことに専念して欲しいと思います。 元大関把瑠都だって、痛いとこが治らないから引退したものの、帰国して1年のんびりしていたらすっかり治ってしまってうずうずしたんですから。 【追記】 初場所を全休して番付を序二段に下げてしまった照ノ富士ですが近影を発見しました。 むくみがとれて照ノ富士らしい顔つきになっています。 伊勢ヶ濱部屋の稽古を見学させていただき、照ノ富士は様子を見ながら少しずつ復帰のタイミングを伺っているのかなという印象でした😌 これまで同様の四股は踏めなくても誇りを持って取り組む姿。 新入幕の照強が照ノ富士にそっとタオルを渡してあげるシーンにグッときました。 復活信じてます👍 — 相撲どやさ sumodoya3 膝の調子はあまり良くなさそうとのことですが、多くの人が土俵復帰を待ってます。 がんばれガナくん!.

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