カルロウルバニ。 押谷仁(おしたにひとし)教授・経歴や出身高校などのプロフィールとコロナ対策で瀬戸際の攻防

21世紀にもなって、なぜ「感染症の流行」は止められないのか?

カルロウルバニ

この記事の目次• 【仰天ニュース】2002~03年に中国で発症したSARS サーズ が世界で流行! SARS 重症急性呼吸器症候群 は、2002年11月に中国の広東省で最初に発生したのを機に世界的に流行した感染症です。 旅行者などを介して世界各地で感染が広がり、 最終的には世界30ヶ国で8,422人が感染、916人が亡くなった報告がされています。 特に 中国では5,327人が感染して349人が死亡。 次いで 香港では1,755人が感染し299人が亡くなっています。 広東省で最初に感染した男性は病院で治療を受けたものの、医師たちは疾患の原因の特定や感染制御についても厳密にはしなかったようです。 さらに、中国政府がWHOに上記の感染症を報告しなかった事で対応策が遅れてしまい、結果的に世界的流行に繋がったと言われています。 SARS サーズ とは? SARSは SARSコロナウイルス によって引き起こされるウイルス性の呼吸器感染症です。 さらに、重症の後遺症が長時間続くことも示されています。 典型的な症状は肺線維症や骨粗鬆症、骨壊死など就業や自己介護の妨げとなるなど人体に非常に大きな影響を与えます。 毒王 スーパー・スプレッダー と言われた周作芬 しゅうさくふん とリュウとは? SARSが世界的に流行したのはある2人人物が原因と言われています。 1人は漁業をしていた 周作芬 しゅうさくふん さん。 もう1人は医師の リュウ ジェンルンさん。 周作芬さんやリュウ ジェンルンさんは後に「 スーパー・スプレッダー 中国語で毒王 」と呼ばれる事になります。 スーパー・スプレッダーとは 感染症を引き起こす病原体に感染したホストのうち、通常考えられる以上の二次感染例を引き起こす者を指す。 wikipedia. 奇しくもSARSが最初に発生した場所です。 リュウ ジェンルンさんは広東省の病院で流行していた肺炎患者の治療にあたっており、治療を行う過程で自身も体調不良に。 ただ、SARSに感染しているとは思わず親族の結婚式に出席するためにリュウ ジェンルンさんは夫婦で香港に。 しかし、 リュウ ジェンルンさんの症状は宿泊先のホテルで悪化し病院に運ばるもの症状は回復する事なく亡くなります。 SARSによる初の死亡者となったのですが、本当の悲劇はここからでした。 ホテルや病院にいた人にも感染 リュウ ジェンルンさんが宿泊していたメトロ・ポール・ホテルでは、 エレベーターに同乗した人や同じ階に宿泊していた16人に感染。 感染した理由はについては周作芬さんの咳やトイレでの嘔吐によりウィルスが飛散。 さらに、清掃員が周作芬さんのトイレを掃除した際に使用した道具で別室の部屋を掃除。 そのため同じ階の宿泊客が感染したと推測されています。 感染した人はカナダ、シンガポール、台湾、ベトナムなど世界各国から訪れたビジネスマンや観光客でした。 彼らは感染した事に気づかずウィルスを持ったまま飛行機の乗り自国で感染を拡散させる事に。 また、 リュウ ジェンルンさんが搬送されたプリンス・オブ・ウエールズ病院でも50人以上の院内感染者が発生。 さらに、病院で感染した人物から別の人物に次々に感染が広がっていったのです。 また、 周作芬さんは自身の影響により130人以上の人物がSARSに感染したと言われています。 このように周作芬さんやリュウ ジェンルンさんは病原体を所持したホストとなり、通常では考えられない二次感染を起こした事から、 毒王 スーパー・スプレッダー と言わる事になったのです。 ちなみに 周作芬さんは1ヶ月の入院を経て退院されたようです。 カルロ・ウルバニがSARS サーズ の感染拡大を止めた! また、 SARSの感染拡大抑制に大きく貢献したイタリア人の男性医師がいます。 医師の名前は「 カルロ・ウルバニ」。 新型コロナウイルスの話が諸々話題ですが、こういう時にこそ色々な人にカルロ・ウルバニという素晴らしい聖人の話をしたくなる。 SARSの時に世界中に拡大するのを防いだ偉大な人です。 名前:カルロ・ウルバニ(Carlo Urbani)• 生年月日:1956年10月19日• 出身:マルケ州アンコーナ県カステルプラーニオ(イタリア) カルロ・ウルバニ氏は世界で初めてSARSを新しい感染症と認定し、国際社会に報告した人物です。 彼の活躍によってSARSによる死者の4桁越えを阻止したと言われています。 カルロ・ウルバニ氏は国境なき医師団を経てWHOに入り、SARSが流行する直前は感染症対策の専門家としてハノイで従事されていました。 2003年2月にカルロ・ウルバニ氏は中国から来た中国人患者を民間病院で診断。 さらに、患者が香港経由で入国した事が判明すると中国で流行していた感染症と関わりがあるのではないかと推測。 カルロ・ウルバニ氏はすぐさま中国のWHO職員と連絡を取り情報交換を要求するも断られる事に。 それでもカルロ・ウルバニ氏は患者の症状は新しいウィルスによるものだと確信していました。 最終的に中国人患者は高度な医療が受ける事が出来る香港に送り返されます。 執念がSARSからベトナムを救った そして、カルロ・ウルバニ氏の確信は嫌な形で現れる事に。 患者が入院していた民間病院では体調不良を訴える医療スタッフが続々と発生。 彼らは入院していた中国人患者と同じ症状を発症したのです。 人に感染する事が分かったカルロ・ウルバニ氏はすぐさまベトナム政府にSARSの危険性を唱えます。 最初は全くで相手にしなかったベトナム政府でしたが、カルロ・ウルバニ氏の執念の説得でついにベトナム政府は対策に動く事に。 病院はすぐさま閉鎖され、感染の疑いがある患者も隔離するために転院。 また、カルロ・ウルバニ氏の助言により二次感染対策も取られました。 その結果、ベトナムではSARSの感染が徐々に制圧されることに。 カルロ・ウルバニ氏の活躍によりベトナムでは感染者63名、死者5名と最小限の被害で抑える事が出来たのです。 しかし、 2003年3月にカルロ・ウルバニ氏自身がSARSを発症し46歳でこの世を去る事に。 彼の活躍は現在でも語り継がれており、現在流行っている新型肺炎に関してもカルロ・ウルバニ氏の対策が有効的に活用される事を期待したいです。

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WHOの伝染病専門医であるウルバニ博士が、家禽流感の疑いでハノイのベトナム・フランス病院に2日前に入院した中国系米人J・チェンを診察したのは、2003年2月28日のことだった。 博士はこの小さな病院が何か異常事態に直面していると判断し、同病院で数日間、発見事項の整理、サンプルの試験所送付、感染防止体制の強化などを行った。 その結果、博士はこの病気がこれまでにない種類の重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome であるとの結論に達した。 博士は現在SARSを特定した最初のWHO医師として広く認められている。 病院で人々が不安を募らせる中、博士は病院内に隔離病棟を設けて監視を続け、スタッフを元気づけ、SARSが極めて伝染力の強い悪性の感染症であることが分かるにつれて高まる職員の恐怖を鎮めることに努めた。 博士の危険を気遣う家族に対して、「こうした状況で私が働かなかったら、一体私は何のためにここにいるのか。 Eメールの返事を書き、カクテルパーティーに出席し、論文を書くためか」と答えた。 3月11日、博士は自らがSARSに冒されたことを知り、チェンを初めて診察した約1ヶ月後、バンコックの病院で妻と3人の子供を残して亡くなった。 博士が危険を冒してSARSを早期発見したことにより、世界的な監視気運が高まり、多くの患者が発見・隔離されることとなった。 家禽は水鳥でも野鳥でもなく鶏とか七面鳥など人間の生活圏で暮らす鳥のこと。 家禽流感というのは鳥インフルエンザのことだと思います。 カルロ・ウルバニが患者を診察したのは2月28日ということで、2月の最終日でした。 私は何となく2月の最後の方なのではないかなぁという気がしていました。 2月と3月になるのでは印象が違うので。 入院してからたった2日で他国の患者を診察しているということは、かなり素早い対応だったということですね。 そのせいで感染対策が疎かになってしまったとか? 安倍会長だった! 上の記事は、公益財団法人「社会貢献支援財団」のホームページの社会貢献者表彰の平成15年度受賞者のところにあったものです。 それにしても、なんで日本の公益財団法人がイタリア人のSARS発見医師を表彰するんだろうと疑問に思いました。 日本はSARS感染者も死亡者もゼロの国なので。 そこでこの財団を調べてみたのです。 公益財団法人社会貢献支援財団は、モーターボート競走法制定20周年を記念し、1971(昭和46)年に設立された民間の公益法人です。 1971年(昭和46年) 財団法人 日本顕彰会 設立 2001年(平成13年) 社会貢献支援財団 に改称 2010年(平成22年) 公益認定を受け「公益財団法人 社会貢献支援財団」に名称変更 25億円の基本財産を持ち、その運用益と日本財団からの助成などで公益事業を行っています。 そしたらなんと現会長が安倍首相の奥様、安倍昭恵さんでした。 NHK会友っていうのはなんなのでしょうか。 友の会? NHKもこんな本を出しています。 状況的にも現地医師の診断的にも、鳥インフルエンザの疑いがあったのに、どうして短期間で否定できたのか 2003年2月26日にベトナムの首都にあるフランス病院に入院した中国系アメリカ人のビジネスマン。 その患者は現地医師によって重いインフルエンザ(鳥インフルエンザ)であることが疑われていたのです。 前年11月~12月、中国広東省でインフルエンザが流行していることをWHOは12月上旬には掴んでいて問題視していたようなので、ベトナムの医師から要請を受けた段階では、当然真っ先に鳥インフルエンザを疑うでしょう。 インフルエンザの自然宿主は水鳥でH1~16の亜型があることを前述しましたが、このうちH5とH7は水鳥だけでなくニワトリなどの家禽にも感染し、ニワトリなどに対して高い致死率を示すようになった型なのです(高病原性鳥インフルエンザウイルス)。 H5N1の高病原性鳥インフルエンザの流行は、1996年中国広東省の家禽農場におけるガチョウへの感染を皮切りとして、1997年には香港の家禽間で広がり、2003年末からは日本を含む東アジアや東南アジア諸国の家禽および水鳥で確認され、2005年以降は西側にも拡大し、中近東・アフリカ・ヨーロッパ諸国にまで及んでいます。 すでに書いてきたように通常は生物が違うと感染しにくいのですが、鳥インフルエンザが人間に感染したという事例も見られるようになってきたのです。 ただ爆発的な感染には至っていないという状況でした。 でもヒトへの感染が確認されてからは、こうした高病原性のインフルエンザが人間への感染性を獲得し大流行を起こすことが危惧されてきたはずなのです。 H5N1 1997年香港で最初にヒト感染事例が報告された(18人発症、うち6人死亡)。 2004年以降、ベトナム、インドネシア、エジプト、カンボジア等でヒト感染例の報告が続き、2015年にエジプトで136人/年という最大規模の発生があったが、その後報告が減り、2018年以降はヒト感染例の報告は殆ど無い(2019年6月現在)。 現時点で本ウイルスのヒトへの感染力は弱く、ヒトからヒトへの持続的な感染は確認されていない。 しかし本ウイルスは変異しやすいため、ヒトへの効率良い感染力を獲得する可能性が懸念されている。 <発生頻度> WHOによると2003年-2019年2月までの約16年間の累積患者数は世界で860人、うち死亡数が454人である。 殆どの患者で鳥との接触歴が確認されている。 ウイルス保有鳥と接触したヒトが、ごく稀に発症すると考えられる。 疑わしい患者については、患者発生地域での鳥との接触、生きた鳥を扱う市場(ライブマーケット)訪問、加熱不十分な鶏肉の摂食につき確認する。 なお、これまでに邦人の感染例の報告は無い。 <潜伏期間・主要症状> 潜伏期間は概ね2-8日。 検査では、末梢血白血球数減少、特にリンパ球減少、血小板減少がみられる。 多くの例で肺炎を合併し、胸部X線で浸潤影やすりガラス状陰影を認め、急速に悪化し急性呼吸窮迫症候群(ARDS)となる。 肺の病理所見はびまん性肺胞障害(DAD)である。 発症から平均9-10日(範囲6~30日)目に進行性の呼吸不全により死亡することが多い。 <感染対策> 医療従事者は、標準予防策、飛沫予防策、接触予防策に加え、空気予防策も採用することが勧められる。 現時点では本ウイルスが空気感染するという確証は無いが、感染した場合は重症化することに配慮し、特にエアロゾルが発生する手技を行う場合は陰圧個室で実施する。 また、医療従事者が十分な感染防御策をとらずに患者と接触した場合には、オセルタミビルやザナミビルを予防投与する。 H7N9 最初のヒト感染例は、2013年3月に中国で確認された。 これまでに中国で冬季に5回流行が見られている。 症例のほぼ全ては中国からの報告であり、中国以外からの報告例も中国への渡航歴がある。 2018年以降、ヒトの感染例はほとんど無い。 現時点(2019年4月現在)では、中国に限定した感染症と言えるが、流行地域については最新の情報を確認する必要がある。 現時点で本ウイルスのヒトへの感染力は弱く、ヒトからヒトへの持続的な感染は確認されていない。 将来ヒトへの効率良い感染力を獲得する可能性が懸念されている。 <発生頻度> WHOによると2013年-2019年4月末までの約6年間の累積患者数は1,567人、うち死亡数が615人である。 大部分の患者で生きた鳥や、鳥によって汚染された環境との接触歴が確認されている。 疑わしい患者には、患者発生地域での鳥との接触、生きた鳥を扱う市場(ライブマーケット)訪問、加熱不十分な鶏肉の摂食につき問診する。 なお、これまで邦人の感染の報告は無い。 <潜伏期間・主要症状> 潜伏期間は概ね1-10日(多くは2-5日)である。 初発症状はインフルエンザと類似し、高熱と急性呼吸器症状を特徴とする。 重症の肺炎を併発しやすい。 呼吸不全が進行した例ではびまん性のスリガラス様陰影が両肺に認められ、急速に急性呼吸窮迫症候群(ARDS)となる。 発症から死亡までの中央値は11日であり、進行性の呼吸不全等による死亡が多い。 <感染対策> 上に同じ あまりにあっけなく 2003年2月26日患者入院、2月28日に依頼を受けたカルロ・ウルバニが診察。 ウルバニはそこで数日感染症対応に携わり、新病の重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome であると結論付けてWHOに5か月以内に収束させるように対応を要請。 しかし自身はベトナムからタイへ会議のために移動して3月11日に発症。 新病であると結論づけたのも発症したのも自分が診察をしてから2週間も経過していないうちのことなのです。 そのままタイで死亡するのですが、それが3月29日。 WHOという国際機関は、いくら身内の医師とはいえ、たった1人の意見・見解・主張を鵜呑みにして、世界初の新病を発表したりするものなんでしょうか。 症状の重症度と、病院スタッフへの院内感染は国際保健当局に危機感を持って捉えられ、当局は肺炎感染症の拡大を危惧した。 2003年3月12日、WHOはグローバル・アラートを発令し[2][14]、アメリカ疾病予防管理センター CDC もこれに続いてアラートを発表した[70][71]。 WHOは続く3月15日に、広東省・香港への渡航自粛勧告を出す異例の措置を取った[3]。 SARS感染拡大は、トロント、オタワ、サンフランシスコ、ウランバートル、マニラ、シンガポール、台湾、ハノイ、香港で見られ、中国国内では広東省、吉林省、河北省、湖北省、陝西省、江蘇省、山西省、天津市、内モンゴル自治区などに拡大した[72]。 この際、WHO西太平洋事務局の責任者として、押谷仁が陣頭指揮に当たった(その後、2005年に東北大学教授就任)[73][74][75]。

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