中央アフリカ 国旗。 中央アフリカ共和国:子どもたちにとって世界最悪の国

中央アフリカ基礎データ|外務省

中央アフリカ 国旗

アフリカ地域にある国々(国連加盟国) こちらのページでは下記、アフリカ地域にある国々の中から アフリカ中部に属する国の国旗について記載しております。 他の地域の国旗関してはページ下部のリンクからそれぞれのページをご覧ください。 独立した主権国家として国連に加盟しているアフリカの国々 西アフリカ ガーナ 北アフリカ アルジェリア 南部アフリカ アンゴラ 中部アフリカ ガボン カーボベルデ エジプト エスワティニ カメルーン ガンビア スーダン コモロ コンゴ共和国 ギニア モロッコ ザンビア コンゴ民主共和国 ギニアビサウ チュニジア ジンバブエ サントメ・プリンシペ コートジボワール リビア ナミビア 赤道ギニア シエラレオネ 東アフリカ ウガンダ ボツワナ チャド セネガル ケニア マダガスカル 中央アフリカ共和国 トーゴ エチオピア マラウイ ブルンジ ナイジェリア エリトリア 南アフリカ共和国 ルワンダ ニジェール ジブチ モザンビーク 海外領土 セントヘレナ、 イギリス領インド洋地域、アセンションおよびトリスタンダクーニャ、フランス領南方・南極地域、マヨット、レユニオン ブルキナファソ セーシェル モーリシャス ベナン ソマリア レソト マリ 南スーダン その他 西サハラ(サハラ・アラブ民主共和国) モーリタニア タンザニア リベリア アフリカ地域にある海外領土は国連に加盟していない(できない)(非加盟国)である。 西サハラに関しては亡命政府の名称は「サハラ・アラブ民主共和国」であり、事実上独立し事実上の国家だが、 非自治地域・係争地であり、モロッコによって実効支配(不法占拠)している状態欧米や日本などの先進諸国はモロッコとの関係上からサハラ・アラブ民主共和国を国家としては承認しておらず、また同国は国際連合にも加盟できていない。 中央アフリカ共和国の国旗は、宗主国であった フランスとアフリカの融合を理想としてデザインされている。 水平(横)方向に上から 青・ 白・ 緑・ 黄 の4本の帯の中心を垂直(たて)方向に 赤い帯が通っている。 青色の帯の左上には 黄色い一つ星が配されている。 この配色は フランスの三色旗のトリコロールカラー「 赤・ 白・ 青」と 汎アフリカ色の 赤・ 黄・ 緑を組み合わせた5色である。 ( 青 白 )フランスと ( 緑・ 黄)アフリカを 赤い縦の線でつないでいる。 これは互いの違いを尊重する構図である。 赤色は「独立を勝ち取り、国を防衛する国民の地」• 青色は「空と自由」• 白色は「平和と尊厳」• 緑色は「希望と誠実」をそれぞれ象徴している ブルンジの国旗の意味とは?.

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万国旗】アフリカの国々の国旗の意味とは?【中部アフリカ諸国編】

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しかし、独立後も依然としてフランスをはじめとする諸外国の介入を許す状況となっている。 1965年にクーデターで政権をとったボカサ氏は1976年に帝政宣言をして自ら皇帝となった。 ボカサは1979年に首都バンギで学生による反対運動が起こった際、ザイール(現コンゴ民主共和国)の助けを得てこれを鎮圧したが、この鎮圧により400人もの犠牲者を出し、国内外からの批判が高まってしまった。 その結果、同年9月、フランスの助けを得て起こったクーデターによりボカサは失脚し、帝政は崩れた。 しかし、共和制に戻った後も諸外国の関与が疑われるクーデター及びその未遂が数回発生している。 約490万人を抱えるこの内陸の地は、「安定」とは縁がないのである。 アフリカの中部にはほかにも情勢が不安定な国が多く、6つの国と接している中央アフリカは必然的にこれらの国とも影響し合うのである。 特にチャド、スーダンとの国境付近の地域は「」と呼ばれており、中央アフリカの紛争を考える上で切っても切れないも国々なのである。 スーダンでは、2003年ごろからが激化し、大量の難民や武力勢力が発生した。 同時期にはダルフール紛争の影響でチャドの地方でも多くの反乱が起こっていた。 このような状況のなかで、スーダンやチャドとの国境付近に複数の武装勢力や難民が往来することとなる。 元来、中央アフリカの北東部の住民は言語、文化、宗教においてスーダンの西部やチャドの南部の住民との共通点が多く、お互いに馴染みやすい地域なのだ。 それぞれの紛争も密接に絡み合い、3つの個別の紛争よりも、ひとつの。 と のデータを元に作成 2003年3月、中央アフリカでは南部出身のボジゼ元参謀長が隣国チャドの大統領デビィの力を借りて、前政権を倒し、自らが大統領となるが、2013年まで続いた政権が崩れる。 独立後の中央アフリカでは、南部出身の人々が権力を握っていることが多かったが、一方でこの大統領転覆を遂げたのは、北東部からの武装勢力の同盟である。 自らを「セレカ(Seleka)」(同盟)と呼んでいた。 チャド、スーダンまたは国境付近の武装勢力と手を組んで力を持つようになったのだ。 しかし、政権をとった後も、セレカによる攻撃が続き、これに対して「反バラカ(anti-Balaka)」という武装グループが結成された。 しかしセレカへの反発だけで済まなかった。 北部からのセレカは主にイスラム教徒から構成されており、キリスト教徒が多かった反バラカは報復という名目でイスラム教徒の市民を襲撃していったのだ。 数多くのイスラム教徒が難民となり隣国カメルーンやチャドに逃亡もしくは国内避難民となり、その数はにのぼる。 やられてはやり返すという泥沼の紛争で、女性、子供を含む市民を巻き込む形で起こっていた。 このような状況の中、ボジゼの後に就任したセレカ出身のジョトディア大統領は武装グループの力を抑えることができず、彼は統治能力を疑われ、ボジゼの時代から中央アフリカの後ろ盾となっていたチャドに見放された結果、辞任した。 フランスや中央アフリカの地域機構、アフリカ連合などの介入も重なり、セレカは2014年に事実上解散となったのだ。 さらに、ますます勢いに乗る反バラカがイスラム教徒への攻撃を強め、元セレカが首都バンギから追い出されたことによって、中央アフリカは一応の小康状態となっていた。 選挙を経て2016年3月にトゥアデラ大統領が就任したものの、この政権も実質的にバンギにしか統治を及ぼすことができていない。 そして、この影響力もわずかなものにすぎないのだ。 さらに、混沌とした中央アフリカをますます苦しめているのが「」と呼ばれるグループである。 彼らは1987年にウガンダの反政府勢力として結成された。 虐殺、拉致、少年兵などの非人道的行為が問題となっており、近年その勢力はウガンダ政府から逃れるために国境を越え、コンゴ民主共和国、中央アフリカ、スーダンなどの地域でも活動し、国境なき武装勢力となっている。 中央アフリカでは、長年にわたって権力が真空状態にあるため、情勢が一見落ち着いたように見えても、武装勢力が活動しやすく、反乱が起こりやすい。 このような点においても、LRAが逃げ込むには恰好の場所だったと言える。 世界の取り組み さまざまな要因が絡み、複雑化している中央アフリカであるが、このような状況に対して世界は何の策も打っていないのか?そういうわけではない。 2013年には「中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS)」の仲介により、政府やセレカなどが参加のうえ、和平合意が一旦結ばれた。 その後悪化した中央アフリカの状況を受け、国連安保理はアフリカ主導の「中央アフリカ国際支援ミッション(MISCA)」及びフランス軍の派遣を許可した。 そして現在は「国連中央アフリカ多面的統合安定化ミッション(MINUSCA)」と呼ばれるPKOが活躍している。 MINUSCAのプログラムにより、軍事要員、警察要員合わせてが派遣されている。 しかし、直面している問題の規模と任務に対して、人数が圧倒的に不足しており、活動は難航してしまっている。 そのほかにも、 LRAを掃討するためにアメリカ、ウガンダ、コンゴ民主共和国、南スーダン、中央アフリカなどがが、中心的存在であったアメリカとウガンダが撤退を表明しており、行く末は見えない。 と のデータを元に作成 紛争と対策の背景にはなにが この紛争の場合、セレカにはイスラム教徒が多く、反バラカにはキリスト教徒が多いため、宗教の対立軸が強調されがちである。 しかし実際の対立軸はそれだけではなく、権力を保持してきた南部と、権力を握ることのなかった北部、という権力分配における対立軸や、複数の民族・言語グループの対立軸も存在する。 また、これらの背景には、天然資源による富をめぐるもあるのだ。 中央アフリカに関与しているさまざまな国にも、それぞれの守るべき利害関係が存在する可能性がある。 中央アフリカは、金・ダイヤモンドのみならずウラン・木材も豊富な国だ。 石油探索も進められている。 そのため、諸外国のねらいが天然資源にあるという見方もある。 元宗主国フランスは、中央アフリカの最大の貿易相手国であり、ウラン鉱山の開発を進めている。 植民地時代の名残を感じさせるまでに、なにかと中央アフリカの政府を援助してきたフランスであるが、2013年のセレカによる大統領転覆の際にボジゼに手を貸さなかった。 それは、当時のボジゼ大統領が、石油採掘権をフランスではなく中国に売ったからである、と。 また、2013年に派兵した南アフリカにおいては、大統領の親族や政党の関係者などが中央アフリカでの石油、ウラン、ダイヤモンドなどの資源ビジネスに関わっており、国家として軍事介入していたのではないかと言われている。 中央アフリカ共和国で木材を運ぶトラック 写真:WRI Staff 「内戦」ではない 中央アフリカで起こっているこの紛争は、単なる宗教、民族対立による「内戦」ではない。 アフリカの中部で発生している複数の武力紛争と一体化した背景があり、外国の介入を許してきた事実もある。 その裏には地域での勢力争い、あるいは権力や天然資源をめぐる争奪戦など、越境した問題が複雑に密接に絡み合った要因があるのだ。 昨日は共に戦っていたかと思えば明日は決裂しているかもしれない。 武装勢力の枠のあいまいさが国家の混乱を助長していることも重要なポイントだ。 治安を取り戻すことを名目に介入してくれる外国も自国の利益の達成という下心があるのかもしれないのなら、中央アフリカはどのような道を歩むのだろうか?さまざまな視点から考慮することなくこの国の紛争を捉えることはできない。

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南アフリカ国旗の意味や由来

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世界GDP第一位を100年以上維持し続けている大国、アメリカが存在する北アメリカ。 それにプラスして中央アメリカの国旗たちも合わせて紹介しているページです。 中央アメリカには鮮やかな色合いの国旗が多く、国旗好きなら一度は見ておいてほしい旗が目白押しですよ。 北アメリカ(北米)の国旗一覧• 北アメリカに区分される国家はアメリカ・カナダ・メキシコの3つだけ。 それぞれ知名度の高い国家ですから、一度は見たことのある国旗かもしれません。 世界の国旗の中でも特に知名度の高いだろう「」がどのような意味を持つのか知らない方は、ウケの良い雑学として詳しく見てみるのも良いかもですよ。 もちろん他の国旗について見てみるのもありです。 中央アメリカ(中米)の国旗一覧• 中央アメリカの国旗は、 カリブ海と太平洋を表す青色を使った国旗が多いのが特徴的です。 元中央アメリカ連邦だった(エルサルバドル・グアテマラ・コスタリカ・ニカラグア・ホンジュラス)5カ国の国旗はよく似ているので要チェック。

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